観勒
六車陣営で鎮座している九朗に、鈍い感覚が奔り、嘲笑うようにして呟いた。
「なるほど、死にましたか。使えないガキでしたね」
その感覚は、自身が発動していた呪術が効果を無くしたものだった。その対象とは、四之宮の三葉。彼の猜疑心に気づき、九朗は予め手を打った。結果的にその下準備が、四之宮への大打撃へと繋がった。
しかし計画通りにいかなかった事に、微かに悔しさを見せ、九朗は下唇を噛んだ。
そしてもう一つ、九朗には発動している呪術の感覚が残っていた。
静かな本陣に、慌てて一人の従者が現れる。雨の中であっても、聞こえるくらいに彼の足音は大きかった。
その従者は百瀬側に偵察に行かせた者。
「報告します! ほぼ全ての呪術者が、正体不明の龍によって倒されました!」
龍。その言葉に九朗も驚きの表情を見せた。
「面白い報告ですが、見間違いでしょう」
龍に見せてこちらを撹乱させる作戦であろうと、九朗は考えた。しかしもう一つ、四之宮恵慈は式神によって龍を呼び出せたという話を聞いた事があった。それ程の術者が百瀬にいるとすれば……。
僅かな確率とはいえるが、手を打たずにはいられないのが、九朗の性格。
指示を出す前に、次の従者が参じた。
「四之宮誠司に第二防衛ラインを突破されました。そして十文字千代もこちらへ進軍しているとの事です」
次から次へと運ばれてくる凶報に、九朗も流石に頭を掻く。だが同時に、そのピンチが楽しくもあった。
現実で味わえるとは思えなかったスリリングな展開。選択を誤れば、軍隊が壊滅するゲーム。そんなものが、本当に目の前にある。その事実が、九朗を喜ばせた。
「本陣がピンチだというのに、千代君は頭に血が上ってるみたいですね。……ではこうしましょう。最後の防衛ラインは一度、撤退します」
従者が異論を唱えたい。そんな表情を向けてくる。
実際、そこを突破されれば本陣は目と鼻の先だった。放棄する事など、あり得ない禁じ手といえるだろう。
「とはいっても、私の指示通りに逃走ルートを歩んでもらいます。雨……。私にとってはこれすらも恵みの雨だ」
一人の従者が、恐れながらも訊いた。
「つまり、どういう事でしょうか?」
「二つの部隊を誘導するんですよ。彼等は本陣を落としに来ている。しかし我々の場所はあくまで方角として大雑把にしか、知らされていません。そこが胆です」
不敵に笑う九朗の考えを察せる者は、この中に存在しなかった。
「偽装するのです。今は雨で足跡がくっきりと残る。足跡が集中する場所となれば――もうお分かりでしょう?」
一人の従者に指示を細かに伝え、九朗は次なる手に転じようと思考を巡らせた。
問題はやはり百瀬だ。なにも情報が得られていないのはやはり、不利。
九朗は奥の手を使おうと決め、術式を網出す。
「さて、最終局面ですね。他のみなさんも戦闘に参加してください」
「しかし、本陣を守る者がいないのは……」
「それこそ、無駄な人件費というものですよ。ここは私、一人で十分です。右翼と左翼に分け、指示を出すまで待機してください」
渋々といった様子で従者達は本陣から去って行った。
人払いをし終えた後、九朗は呪術を発動させた。大きな煙が立ち、そこから現れたのは一人の男だった。
二メートル近い身の丈に、白く短い髪。鋭い目つきに、深く刻まれた皺の跡が、厳かな佇まいに拍車をかけている。
醸し出すオーラに、九朗でさえも身じろいでしまう程だった。
「……臭いな」
最初に男が発した言葉だった。
「安心してください、直ぐに慣れます」
面白くも無さそうに、男は鼻を鳴らした。
「それに、直ぐに貴方の復讐も果たせます。……呪術界への。そうすればまた、眠りにつけますよ。今度は二度と目覚める事の無い、深い眠りに」
「起こしたのはお前だ。……といっても、恨んだりはしていないが」
「全て契約済みですからね。そして契約通り、働いてもらいますよ」
男はその場で軽く腕を回した。
「要は逢うやつみな、葬ればいいんだろ」
「大概はそうですが、戦闘を避けてほしい人物がいます。一人は四之宮誠司。もう一人は戦場にはいないはずなので、問題ないですが」
「俺が負けるわけがないが、そんなに手練れなのか」
強い自尊心を男は覗かせた。
「現代で一番と噂されていますね。……ああ、こういう事を言うと勝手な行動をとられそうですね。私とした事が軽率な発言を」
「俺は戦争狂じゃない。少し興味はあるがな」
九朗はため息を漏らす。「ちゃんと。私の指示に従って下さいね」
不安を抱きながらも、九朗は勝利を確信した。この男が指示通りに動けば、先ず負けるわけがないと。
次第に雨が強まり、森林は更に薄暗さを増した。
いまだに大きな動きを見せない百瀬陣営に、強い呪力を持つ者が近づいていた。それに気づいた少人数は警戒をしていたが、聡士だけはただ座すのみだった。まるで全てを知っているかのように。
雨が強くなり術者達の疲れも出ているらしい、近づいて来た男に術を発動する。しかしそれは寸前で止められた。良く知った顔であり、攻撃をすればどんな処罰が下されるか分からない。そんな相手だと気づいたからだ。
「随分、殺伐としてますね。いやはや、慣れない」
雨のせいで天然のパーマがストレートになっており、いつものだらしない服装も正されているので、直ぐには百瀬仁だとは気づけないだろう。
なにより違うのは、その目つきだった。
「なんたる無礼を!」
「気にしないの。みんなお疲れなんだから」
その言葉を聞いて、従者達は安堵と同時に焦燥した。自分達は守ってばかりで、戦争には参加していない。それがどこか、引っかかっていた為だ。
「いやぁ、相変わらず怖い顔してますなぁ。聡士殿」
仁の後ろから姿を現したのは、京都に設立された大威徳高校の教師である、小碇伸晃だった。
「生徒との別れは済んだのか」
聡士が厳かに訊いた。
仁は微笑を浮かべた。父親の事は一番分かっている。それが優しい問である事くらい。
「僕を残して、少しでも生徒を戦争に参加させないようにする。それが狙いなんだから、はっきりいえばいいのに。素直じゃないなぁ」
距離がありながらも、どこか親密な親子の会話に、小碇は微笑みを浮かべた。
「おかげで蟠りは無くなりました。今から戦線復帰します」
宣言する仁に向かい、聡士が出した指示は、百瀬との防衛とは関係の無い場所だった。
しかしそこが戦争の肝になる。そう念を押されれば、仁も向かうしかなかった。戦争を終わらせる為に。
誰もが警戒し進む戦場を、漫然と進むものがいた。たったの一人で。
先程、九朗に召喚されたばかりの男は未だに匂いになれていないらしく、苦い顔をみせている。
舌打ちをする男の前に、一つの部隊が姿を見せた。数十人の術士が一人の青年に連れられている。
しかし目つきは殺気に満ちており、一瞬でただものではないと識別できる。不意に頬が緩んだ。
「みんな、少し離れて」
青年、四之宮誠司もまた、相対している相手の力量を悟った。ただものではないと。彼以外の術士は一歩退き、防御の姿勢をとった。
「少しは楽しめそうだ」男はそう言ったとき、既に彼の目の前に衝撃波が近づいて来ていた。
しかし男に到達する前に、それは消え去る。普通ならば目視する前に、深手を負っていただろう。それほどの威力と速さだった。
「挨拶から殺りに来るとは。現代は随分と殺伐しているんだな」
その言葉を聞き、誠司は違和感を覚える。「随分とおかしな物言いをするんだな」
だが言葉と同時に、誠司は縛を発動させていた。それにより男を捕縛する。その芸当に、後ろで観戦していた術士達は感嘆の声を漏らす。
「君が何者なのか吐いてもらうよ」
誠司はあくまで冷静だった。明らかに不審な相手。まずはその正体を見破ろうと捕縛した。彼もまた、勝負に自信があるからこその余裕だった。
しかしそれも長くは続かない。男の身体から鎖は消え、今度は逆に誠司の身体を鎖がまとわりついていたのだ。
「いつの間に……」
誠司でも気づく事のできなかった早業。
もてる知識を駆使して能力を悟ろうとする。七戒で気づかぬうちに幻覚にかけていた。もしくは縛のレベルが高すぎるか。だがどれもぴんとこない。
その正体を知っているのは、目の前に立つ男。ただ一人だった。
ピンチを悟り、後ろで待機していた術士達が指紋を始める。彼等から同時に、多くの呪術が発動された。
「待て! 敵の技がわからない以上、下手なまねは――」
誠司の制止は、既に呪術が発動された後だった。すぐさま、鎖を断ち切り、誠司は五感に神経を集中させる。
男は全ての呪術を避けきった。その表情はやはり、余裕が残っている。それで誠司は察知した。彼は既にこちらに向けて、次の呪術を発動していると。
刹那、誠司は手前を護で防いだ。高密度に圧縮した盾なのにも関わらず、ヒビが入る程に威力が高い。
見えない攻撃に、化け物じみた威力。明らかにただものではない。
誠司の中で一瞬迷いが起きた。だが四之宮家以上に大事なものは存在しない。覚悟を決め、彼は呪術を発動させる。
「この力、戦争には使いたくなかったよ。――十戒 天照大神。全てを想像する神の名だ」
「神の力を宿すか。現代も中々侮れんな」
二人の間に緊張感がはしった時、男の持つ通信器具が作動した。
『神の力ってまさか、四之宮誠司と対峙しているのでは?』
慌て気味に聞こえてきたのは、九朗の声だった。小さな器具から聞こえてくる声に、男は戸惑いを覚える。
「こんなちっぽけなもので会話が可能なのか。また面白い」
『関心してる場合では……。彼との戦いは避けるように伝えたはずです』
「分かった。だから少し黙るがいい」
男がそういうと、通信は一度、切断された。九朗も男の機嫌を損ねるようなまねはしたくないらしい。
「四之宮誠司と言ったな。それならば俺の復讐の相手、次会う時が決着の時。――さらばだ、四之宮の名を受け継ぐものよ」
男が一歩を歩んだ時、誠司は一言質問した。
「貴方はいったい、何者なんだ」
「観勒≪かんろく≫。その名で通るかは分からんがな」それだけ答えると、男――観勒は呪術によって速度を上げ、その場から消えた。
誠司は安堵からため息をつく。彼を追う事は無い。陣形を崩すのは良策とはいえないし、なにより六車の本陣が近い。戦力を分けるのはまずい。
それよりも気になるのは、やはり男の名だ。観勒。その名が本当ならば、この戦争は簡単に終結しないだろう。そんな予感がした。




