前夜
時は流れ――。
二月十四日。呪術大戦の一日前まで迫っていた。
行われるのは東北地方の密林地帯で、全体に結界がはってある秘密裏の場所。その地で、厳密な規則の元、行われるのだ。
四つの家系それぞれに平等の領地が与えられる。拠点、中間地点ともいえる、櫓が二カ所。
北には六車。東に四之宮。西に十文字。南に百瀬。というふうに四方向にマントラ家系はちらばる事になる。
ただ平等な領地以外に取り決めはなく、人員、戦略などは問われない。強い者が覇権を握る。それが呪術大戦の最大の決まりでもある。
――十文字陣営。
決戦前夜に有力な術士を集めて、作戦会議をしているところであった。
中央に座すのは勿論、当主である彩芽。傍には千足と十文字千種がいた。どちらも彼女の子である。
二人を守るように老中を筆頭とした、従者達も。
更には四術士である千夜も、静かにその場に立っていた。
一番、異端といえるのは、若くして会議に参加できるまで地位を高めた、久我正宗である。実力もさる事ながら、彩芽に気に入られた事も大きな要因といえるだろう。
「先ず、右翼と左翼の守備だけど。どっちにも人員をさく事にするわ」
彩芽の決定に反を唱えたのは、老中であった。
「お待ちください。左はまだしも、右には百瀬。攻撃される可能性は低いでしょう。それよりも本陣と、奇襲部隊に人員を割り振った方が……」
「うるさいわね! 百瀬が攻めてこない根拠なんてないでしょ」
こうなってしまえば、誰にも止める事はできない。誰もが口をつぐんだ。
そんな老中の肩を叩き、慰めたのは久我だった。「安心してください。俺が千足ちゃん達を守りますから」
輝かしい笑顔を見て、老中は感謝を述べるのではなく、睨んだ。なんとなく、この男を千足には近づけたくないと思ったのだ。
「だから千足ちゃんも、そんなに力まなくていいよ!」
「あ、有難う御座います。久我さん」
お辞儀をする千足の前に、老中が歩み出て、姿を隠す。
「ちょっと、邪魔しないで下さいよ」
そんなやり取りに呆れた千夜が一発、呪術を発動する。それにクリーンヒットした久我は、壁へと打ち付けられた。
しかしきっちりと防御したようで、流血はしていない。
「場を弁えろ……です」
彩芽が溜息を付く。
「やれやれね。千夜には奇襲部隊の隊長として、動いて貰うわ。見つけた敵は全員、殺しなさい」
顔色一つ変えず、彩芽は千夜に指示を出した。
未成年でありながら、十文字の最強の呪術士として千夜は君臨している。だからこそ、辛い任務も受けなければいけない。だから彼女もまた、表情を出さずに頷いた。
「さあ、ムカつく六車をぶっ倒すわよ!」
彩芽が呼応すると、その場にいた従者達全員が拳を上げ、叫んだ。
四之宮陣営――。
ここでも有力な従者数名と、四之宮家の者だけが集まっていた。
上座に構える光茂と薫子は今、目を合わせ対峙していた。
「本当に参加する気か?」
「はい。その為に強くなったのです」
一切の動揺を見せず、薫子は言い切った。
今まで親の前では恐縮し、動揺を見せていた彼女が、今回は物怖じもせずに言ったのだ。
それは光茂が見ていない間に、多くの経験と成長したのだと、一瞬で悟らせてしまった。
静かに微笑み、光茂は告げる。「では、薫子には南側の守護に付いて貰う。お前の最大の仕事は、生きて母さんのいる家に帰る事だ。それを忘れるな」
力強く、薫子は頷いた。
南側は百瀬が守っている。馴染みの深い光茂には、百瀬が守り布陣を引く事は分かっていた。彼等の行動理念はあくまで呪術を守る事。ある意味では神格化していると言っても過言ではない。
そんな百瀬が呪術を使い、無意味な戦争に利用するとは思えなかった。
だからだろう。光茂はあえて、薫子を安全な南の守備付かせた。最後の親心というものだ。
そのやり取りを傍から見ていた誠司が涙を流している。
「なんだが、家族って感じで感動しますね」
薫子が溜息混じりに言う。「相変わらずね、誠司君は。緊張感が無い」
能天気に泣き笑いをする誠司を見て、薫子は安堵した。
大事な人が当たり前にいて、いつも通りしている。それが素晴らしい事だと再度、実感できた。
そしてなにより、誠司は頼りになる、と。……あんなんだが。
「加えて南側には守護士を二人、北側にも二人付ける」
守護士とは四之宮に存在する、強力な術士達の名だ。全部で四人の術士達は、四術士に次ぐ実力の持ち主で、主に四之宮本家の守りをしている。他にも情報収集などの隠密的な仕事が多い。
珍しく考え込んだ様子で、誠司が質問する。「西の六車。南の百瀬はそれでいいとしても、北の十文字はどうするんですか?」
「十文字は問題ないだろう」
静かに光茂は言い切る。
従者達の顔にはてなマークが浮かんだ。
いつもならば桜子が調子よく説明をしてくれるところだが、今はいない。若干の煩わしさを覚えながらも、光茂は説明する。
「人員不足の十文字は、守りで手一杯のはずだ。攻めるにしても反感を抱いている六車。こちらへの攻撃は手薄と見るべきだ」
そこで光茂は誠司に目を向けた。
「誠司。お前には兵を率いて六車を攻めて貰う。だが無理はするな」
真っすぐに光茂を見つめ、誠司は表情一つ変えずに返事をした。
「誰が相手でも、負けませんよ」
偶に誠司に畏怖を覚える事はある。それは薫子がまだ中学生の時からだ。光茂が関わる事になると彼は、時折、冷たい顔をする。まるで人すら害虫に扱うような。 いつも穏やかであるからこそ、それが恐怖に感じるのだ。
そしてもう一つ、言い表せない不安を同時に感じていた。
百瀬陣営――。
百瀬の陣形は決まっていた。守り一つである。誰一人として攻撃には出さない。
一番の熱戦が繰り広げられるであろう六車陣営からは、対極に位置している。つまり、守りに準じやすいのだ。
これもまた星の導きだと、百瀬の従者は口にする。
ただここには大事な人物が欠けていた。――百瀬仁が。
呪術大戦が明日に迫った校舎内では、もはや普段の半分以下に生徒が減少していた。みな、戦争の為に赴いている為だ。
生徒はずっと呪術の鍛錬をしてきた。それが今や、存亡の危機となっている。それがまだ戦いをしらない彼らを、戦争の舞台へと誘った大きな要因といえるだろう。
しかしその選択をせず、留まった生徒もまた多く存在する。その中には強い思いを持った生徒も、また。
天津明はひっそりと陰に隠れ、彼の声を聞いていた。談笑する声は、戦争前だというのに、いつも通りに廊下で優しく響いている。
百瀬仁はこの時を生徒達と笑って過ごしているのだ。
彼は百瀬の中でも重大な立場にいる。それを知る生徒は数少ないけれど。
だから今日はてっきり出勤はしないだろうと、諦めていた。なのに来ている。それが嫌なわけではなく、勿論、喜ばしい。
だって態々作った、手製のチョコレートが無駄にならなくて済むのだから。
まあそれも、受け取ってもらえればだが。更に言うなら、渡せたら――だ。
緊張で肩が震えているし、やっぱり日を改めて……。
弱気になっていた時、不意に震える肩に手が置かれた。
「なに小鹿みたいになってるの、明」
一瞬、思考が鈍る。
「穂希さん!?」
同じクラスの柿崎穂希。学級委員兼、生徒会長という称号の持ち主。
ただ今日は顔を見ていなかったので、てっきり戦争の方へ足を運んでいるかと思っていた。
数少ない、戦争参加拒否者に巡り合えた事に嬉し涙が溜まった。
「穂希さんも戦争には参加しないんですね」
「柿崎家は戦争参加を辞退したから。私もその決定に従ったまで」
柿崎家は百瀬家に属しており、その中でも高い地位を築いている家系だ。それが一家全員で辞退となれば、大きな問題なのでは。そんな考えが頭もたげてしまう。
天津の心配そうな目で察したのか、柿崎が口を動かす。
「大きな戦力が一つ削れるわけだから、反感は買うわね。百瀬聡士様は寛大で物分かりも良い人だけど、それだけで組織が構成されてるわけじゃない。現に、腰抜けなんて風潮する輩もいるにはいるし」
「だったら……」
嫌な思いをしない為に参加しろ。なんて言えない。けれど、戦争が終わった後で辛い立場を強いられるのは、心苦しい。
言葉が出てこなかった。
「なに迷った顔してんの」
見下げながら、なにより冷たい目で柿崎は天津を見た。
普段ならば怯えていただろう。今は違う。その瞳に、他の意味が籠められている気がした。
「私は自分で決めて参加しなかったの。その後にどうなろうが、後悔しない結果を選んだつもり。それは明に感化されたってのもあるんだから」
照れた笑いを浮かべながら、柿崎は言った。
「穂希さん……」
泣きそうになっている天津を見て、柿崎は呆れたように溜息を洩らした。
「涙腺は強化しないとね」
そこで柿崎は仁がいる事に気づき、ニヤリとした。
「ははーん、なるほど。通りで変だと思ったら、そういう事」神妙に何度も柿崎が頷く。
「え……。な、なにがなるほどなんですか」
天津は大きな動揺を感じた。
それは自分の好きな人が一部の人間。それもごく一部にしか気づかれていないと自負しているからだ。しかし、この反応は。
……嫌な予感がしてしまう。
「白々しい。仁先生を待ってたんでしょ。今日、バレンタインデーだし」
完全にばれている。
気が動転した天津は、関係無しに言い訳をどもりがちに述べた。「バレンタインって……。ああー、あったねそんな行事。あはは」
柿崎は手元にある、小さな袋に目を向ける。
普段、持ち歩くには可愛いらし過ぎる。それに小ぶりで、リボンまで付いている。確たる証拠がそこにはあった。
「チョコまで持参して、なにを言ってるんだか」
慌てて隠す天津を他所に、柿崎はゆっくりと離れていく。
「上手くやんなさいよ」
そう言うと、彼女は小さな小包を天津へと投げてきた。それをしっかりと、キャッチする。
「義理だから。勘違いしないでね」
言い残してから、柿崎の姿が見えなくなる。
貰った物がチョコだと分かってから、天津の脳内はオーバーヒートした。
テンプレのようなツンデレ台詞。チョコのプレゼント。儚げな後ろ姿(妄想)。
これらが導き出す答えは――。
もしかして穂希さん、私に好意が!? でもそれは禁断の恋……。
というような、意味不明の答えを導きだした。
解釈を深めていた時、不意に横の扉が開いた。そこからは先程まで注視し、声を聞いていた仁が立っていた。
いつの間にか話も終わっていたらしい。
天津もその登場に驚いたが、彼もまた驚いているようだ。
「こんなところでどうしたんだい、天津さん」
言葉にならない声を漏らす天津だが、不意に手に持っている袋に気づいた。それは明らかにバレンタイ
ンのチョコに見受けられる。微かな嫉妬心が、天津の心に渦巻いた。
そして同時に、自分もまた先生にチョコを挙げる生徒。そんな数多く存在する人のうちの一人だと、ネガティブな思考が働いてしまう。
自分の持っていた袋を、強く握る。
辛そうな表情を目の当たりにし、仁は察したように語り掛けた。
「四之宮さんも、良太郎君も来てないから、不安なんだね」
確かに、薫子も良太郎も学校に来なくなった。二人ともおそらく、戦争に参加するのだろう。良太郎の確かな事は分からないが、そんな気がしていた。
勿論、心配もしているし、傷つくのは嫌だ。
ただ、薫子は必ず無事で戻ってくると言ってから去った。だから友達を信じようと思ったのだ。語らずとも、良太郎もきっとそのはず。
だから今は不安はない。
天津ははっきりと告げた。「二人なら大丈夫です。きっと。……わたし、信じてますから」
仁は口角を微かに上げた。「やっぱり君は、最良の選択をしていると思うよ」
それだけ言い残し、その場から去ろうとしていた。
このまま行かせてしまうべきだろうか……。
遠のく背を見ている時、嫌な予感がした。仁がいなくなる。そんな予感がしたのだ。そう、彼もまた戦争に参加する一人だ。そこは生と死がもっとも身近にある場所。誰が死んでもおかしくはないのだ。
今、言わなければ後悔する気がした。
そう思えば、怖い物は無い。天津は仁に駆け寄り、彼を引き留めた。
「あの――バレンタインのチョコです! 受け取ってください!」
可愛く包装された袋を両手で差し出し、俯きながらも言い切った。
その袋越しから、仁の感覚が伝わった。受け取ってくれたのだ。
顔を上げると、今まで一番の笑顔をしている仁がいた。
「ありがとう」
一番、聞きたい言葉がそこにはあった。
だったら自分が言うべき言葉はなんだろう。そう考えた時、答えは一つしか思いつかなった。
……一番、言いたい言葉を返そう。
天津は大きく息を吸った。
「絶対に生きて帰ってきてください! わたしはなにもできないけど……。それでも信じてます。またみんなで授業を受けれるって。
もう、好きな人を。大好きな人を。――愛してる人を失いたくなんかないんです!」
感情が高ぶり、涙が溢れてしまった。泣くつもりは無かったのに。
その涙を手で拭いながら言う。「先生は強くて格好良いから、大丈夫でしょうけど」
その時、仁が近づいた気がした。先程よりも、大人の香りが近くに感じられたからだ。
いや、確かに一歩、近づいている。
だってもう、彼の身体が直ぐ傍にある。
仁は囁くように言った。
「今だけ、先生を辞めようかな」
次の瞬間、天津は優しく抱きしめられた。
止めようと我慢していた涙がまた、溢れてしまう。まるでそれが、彼からのメッセージだというように。
仁の胸で泣いた。顔を真っ赤にして。彼の背を強く抱きしめて。枯れてしまう程に。
「ずるいですよ、ずる過ぎます。こんな事されたらもう――一生、好きでいちゃうじゃないですか」
彼女の泣き声は教室に響いた。哀しさと嬉しさが複雑に入り混じったそれは、美しくも、どこか儚い奏でとなった。
静寂した教室の中で――。




