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哀別





 その日の授業は急遽として無くなった。代わりに朝会が開かれる。

 時期も時期であり、あんな事が起こった後だ。違和感を覚えながらも、俺は足と頭を動かした。丁度、一緒になった天津と薫子と一緒に第二体育館へと足を運ぶ。




 みな、何事かと推測を述べ合っている。さすがに緊急事態を誰もが察しているようだった。


 大我さんの件で第一体育館は修理中の為、今回は第二体育館なのだそうだが、それはあまり関係ないだろう。



 幾ら考えたところで、呪術界に疎い俺には、思考を凝らしても分かりえないだろうが。





 時間になり、現れたのは学園長の百瀬聡士だった。何度目かの対面だが、そろそろ強い呪力にも慣れてきた。しかし厳かな顔つきには慣れられそうにない。


 学園長の言葉を、息を呑み待った。


 そしてその時はやってくる。

「マントラ会議において、ある取り決めがあった。それは――第二次呪術大戦の決行だ。これはマントラの意志であり、誰にも覆せない」



 呪術大戦……。あまりに聞きなれないフレーズに、一瞬思考が止まる。しかし察しは付いてしまう。


 ――戦争って事かよ。



 学生の間でどよめきが広がった。


 隣にいる天津も薫子も、血の気が引いていた。その反応を見るからに、薫子も知り得なかったのだろう。一体、どんな議論が繰り広げられたのだろうか……。



「君達はまだ学生だ。参加を無理強いはされないだろう。決めるのは自身だ。所属する家系に恩義と人情があるのなら、戦え。野心ならば残れ。戦いの場は、半端な気持ちで赴いて良い場所ではない」



 静まり返る体育館を破ったのは、一人の学生だった。大きな声で宣言する。



「俺は戦うぜ! ここにこなきゃ、俺は廃れてた!」

 それに呼応するかのように、他からも続々と声が聞こえるようになる。

「今が恩を返すときね」



 聞いていた天津は怯えていた。生徒達の反応が異常なものに見えたのだろう。

「おかしいよこんなの。戦争だよ? みんなで傷つけあうんだよ……。なんでこんな――」


 気持ちが上手く整理できないのか、天津は嗚咽し言葉を飲み込んだ。


 俺は薫子へと視線を向ける。「どうするつもりだ」

「私は――」



 彼女もまた、分からないのだろう。

 だったら俺はどうなのだろうか。


 答えが見えそうなとき、俺達の元に仁先生が歩み寄って来た。

「僕は先生で、君達は生徒だ。その意味が分かるよね。答えを出すのは君達だ。教え子である君達の答えを聞きたい。勿論、答えがまだ見つからない人もいるだろうけど」



 仁先生はやっぱり大人だ。こんな時も取り繕っている。本当はそんな問いしたくないのだろう。



「俺は戦う」


 D組の一人がいう。多くは戦争に参加する意を示していた。ただ天津だけは否定した。

「わたしは戦いません。それがわたしの戦いだと思うんです」



 仁先生は優しく微笑みかけた。「僕は天津さんの判断を腰抜けなんて言わない。君が出した答えなら僕は尊重するよ」



 そんな中、薫子は黙りこくっていた。


 不意に、仁先生の視線が俺に向けられた。

「良太郎君。君はどうする気だい?」



 俺は……。


 俺が導き出した答えは多分、あの人と同じだ。この戦争の意味が、あの人の心が手に取るように分かってしまう。だからこそ、否定もできない。そして同時に共感してしまう。


 これは多分――。



「俺は許せないんですよ。朝陽を殺した奴が。それが誰だとしても」

 言葉にすると止まらなかった。今まで無理やりに歯車を止めていた気持ちが解放されるように、俺は気持ちをぶつけた。


「戦争に参加するよ、勿論。俺は復讐したいんだ。友達をやったやつを目の前にして、許せる自信なんかない」この気持ちは誰にも、誰にも――。


 今まで隠して来た悲観が、憎悪が、苛立ちが全て解き放たれた瞬間だった。我ながら身勝手な言葉達だと思う。

 ただそれでも、自分の答えになってしまった。



 仁先生が表情を曇らせた。初めて、見る顔だった。

「君の答えだ、否定はしないよ。ただ少し、残念だ」


 俺に背を向ける仁先生を見て、ほんの少し寂しさを覚えた。そして小さく俺の名を呼ぶ声にも。







 次の日は休みだった。

 なぜか身体が怠くてやる気がでなかったので、その日は惰性で過ごした。怠惰とはこの事だろう。



 誰かさんがやる気がでない時はなにもするなと言っていたし、偶には構わないだろう。



 一日中アパートの中で過ごし、 食事だけは自分で用意した。ただぼーっとしているのも気持ち悪かったので、バタバタして汚れていた部屋の掃除をした。なにも考えずにできる清掃は意外と楽しいと、新発見をした。ついでに部屋が綺麗になる特典付きだ。



 そんな俺の一日は戦争なんて言っている世界とは、真逆にある気がした。当たり前で変哲の無い世界だ。それがつまらないと思う事もある。あちらの世界に浸かっていた俺には、あまりにも刺激が少ない。



 だが当たり前に死なんてものが存在するのなら、こちらの世界も悪くないと思い始めてもいる。

 気づけば日は暮れていた。なんと無駄な一日を過ごしたのだろうか。




 床に布団を引き、寝支度を済ませて深い眠りに付こうとした時だった。インターフォンが鳴ったのは。


 夜中に誰だ。宅配便てわけでもないだろうし、はた迷惑な話だ。

 最悪、寝た事にして無視しても構わないだろう。なんといっても、身体が寝る準備に入っていて頗る怠い。



 しかし世の中はそんなに甘く無い。無情にもインターフォンが連打され、不協和音が俺の耳に響いた。


 ああ、もう仕方ない。

 身体に鞭を打ち、布団から這い出る。


 なんとか玄関の前に付くと、扉を開けた。そして開けてから、ぼさぼさであろう髪を直さなかった事を後悔した。


「薫子……」 

 目の前の少女の名前を、俺は呼んでいた。




 いつものような生意気で、生気に満ち溢れた表情は無く、どこか儚げだった。

 不意に、薫子は体制を崩した。目の前に倒れたので、俺がなんなく受け止められたのだが、違和感を覚える様子だ。



「少しだけ、甘えてもいい」

 小さな声で薫子は確かに、そう呟いた。


 やっぱりおかしい。


 とはいえ追い返すわけも行かず、部屋に招き入れた。電気を付けようと思ったのだが、そのままで良いと言われたのでそのままにしておいた。


 まあ目がチカチカするのは避けたかったので有り難いが。



 今、薫子は布団の上にちょこんと座っているのだが……。

 部屋で女子と二人。どう乗り切ればいいのだろうか。少なくとも俺のデータベースに答えは載っていない。それにただの女子ではない。一度、告白をしている女子だ。しかも保留。付け加えればもっと色々な事情があるわけだが、割愛する。



 無言でいるのも悪いだろう。なにか話しかけよう。ただこういう時は気張り過ぎない事だ。普段通りを装う。


「さっきのはなんだよ」甘えたいとか、似合わな過ぎるだろ。

「それは……限界だったのよ。辛い事が重なって」



 思わず、薫子の顔を覗き見てしまう。

 やけに素直だ。普段ならもっと毒ついてくるところだ。もっと意外なのは強がりで意地っ張りな薫子から、そんな発言が出た事なのだが。


 朝陽の事……。だけではなさそうだ。



「呪術界の事でなにかあったんだな?」

 そう推測し、問うてみた。もっと絞るなら、四之宮の事だろう。



「呪術大戦は、最後の一家系が残るまで終わりはしない。そんな無意味な戦争を、お父様が賛成したとは思えない。マントラの意志には逆らえないのも分かる。でも分かっていても――私には受け入れられなかった」


 それはそうだ。まだ子供なのだ。戦争だなんて言われて、受け入れられる方がどうかしてる。彼女は幼い頃から、捻じ曲がってしまってるのだ。 


 だから――彼女は泣きはしなかった。きっと、一人で我慢したのだろう。たった独りで。

 けど今は俺に頼って、話してくれている。それがとても愛くるしかった。



 身体が抱きしめたい衝動に駆られたが、寸前で留まった。俺はそんな事をしていい立場だったか。つい、理性が働いてしまう。



「ねえ、水無君。今、答え聞きたい?」

 不意の事でなにか一瞬、理解できなかった。


 そして見当が付き、思考を始めようとした時、薫子が四つん這いで俺に近寄って来た。そのせいで思考が乱される。というそれどころではない。


 気づけば、俺の背には布団があった。押し倒されたのだ。

 今、彼女の手は俺の耳元にあり、俺を見下げている。月明かりに照らされ、彼女はより一層、艶っぽく見えてしまう。



 待て落ち着け。そうじゃないだろう。この状況はなんだ? あまりに恋愛経験に乏しい俺には分からない。ついでにいえば流行にも疎い。近代ではこれが普通なのだろうか。


 いやそれはない。薫子の思考は中世くらいで止まってそうだ。だとするならこれは、薫子の気紛れだ。

 俺を弄んでいるのだろう。ここで受け入れてしまえば、俺の負けだ。いや、負けても良いのだが、

 つか負けるってなんだよ。勝ち負けとかよく分かんねえ。



 というか、ここに薫子が来た意味はなんだ。あんな辛そうな表情まで俺に見せて。考えろよ、思考が鈍ってんぞ。



 段々と、薫子の顔が近づいていた。長い髪が肌に当たりこそばゆい。同時に特有の心地よい香りもする。特別な力がそれにあるわけではないのだが、俺はそれに魅了されていた。


 直ぐ傍に好きな相手がいるのだ。匂いが、肌が……。


 そりゃ鈍るわ!

 反射的に覆いかぶさる薫子を、両手で離していた。


 肩を掴まれた薫子はどこか、不機嫌そうな顔をしている。



「意気地が無いのね」

 今でも鼓動が止まない。だからといって、そんなふうに貶される覚えはない。「急に夜這いしてきて、それはねえだろ」 



「失礼な言い方ね」

「先に無礼をしたのはお前だろ」

 いや、ちょっと嬉しかったけどさ。



 薫子は一度、俺の上から退いた。ついで俺も身体を起き上がらせる。

「だって最後かもしれないのよ。保留とは言ったけど、もう答えを聞けないかもしれないのよ」



 ああ、そういう事か。

 薫子は全てが終わった後、答えを出すと言った。それに反さず、答えを知らせる方法をとったのかもしれない。あまりに強引だが。


 まあ、俺の妄想の可能性も無くはないけど。



 尚も続けようとする薫子を、俺は手で制止した。


「みなまで言うな。そういうのは言うと帰って来れないんだよ」

「なにかのジンクス?」

「まあそんな感じだな」



 薫子は虚空を眺めるように、見知らぬ方向を見ていた。その横顔が微かに動く。「でも、復讐するつも

りなんでしょ」


 つもりだ。


 誰のせいでもないかもしれない。もしかしたら知った人かもしれない。どちらにしたって、つまらない幕引きなんかにはさせない。




 薫子は溜息混じりに言った。「貴方は間違ってるわ」


 そう言われ、俺は言葉が出なかった。


「だなんて、否定してほしかったわけ?」


 俺の目をまっすぐに見据える薫子に、全てを暴かれたような感覚が奔った。

 もっとせこくて、もっと多くを望む。それが俺っていう人間だ。結局、誰かの力を借りないとなにもできはしない。



「まあ私に否定する権利なんてないけど。四之宮家の次期当主として、戦争に参加して、誰かを殺めようとしている。それも復讐と変わらないもの」


「そっか。けど俺はどうあったって、薫子はあの頃のままだって、誓い合った時となんら変わらないって信じてるよ」


 それを聞いて、薫子ははっとした顔をした。


「貴方、なにを――」



 矛盾という程ではなかった。けど敏感な彼女には気づかれてしまったかもしれない。


 今度は俺が薫子の手を握り、首元に接吻した。

 吐息のような声が彼女から漏れ、そのまま布団に押し倒す。



 今度は俺が薫子を見下げていた。暗くても分かるほどに、彼女は顔を真っ赤にしている。背けた顔から、小さく呟く。


「ずるいわよ、こんなの……」

 そうだよ、俺はずるいんだ。あの頃からずっと。全部を望んで、自分の思い通りを望んで。あまりに烏滸がましい。天国になんて先ず行けないだろう。


 今もこうして彼女を騙しているのだから。



 けどいつか、もっと平和な世界が来たら、こんな事をしなくて済むはずだ。

 だから――。「今日だけは、俺の思い通りになってくれ」 













 まずい、予定の時間に遅れそうだ。相手が相手だし、ねちねちと文句を言われそうだ。


 大体、可愛い反応をする薫子が悪いのだ。

 って、そんなのは良い。



 老けた夜の街を、駆けた。


 昨日の夜、ある手紙が届いた。中身は白紙だった。しかし、違和感を覚えた俺は呪力を籠めた。そうするとビンゴである。


 文字が浮き上がったのだ。それはとても興味を引く内容であった。なによりも差出人の名には。




 誰にもばれずに会うために、俺は下手な芝居をうった。まあ殆ど素だったが。

 ともかく薫子に勘付かれないのを最終目標にして、なんとか寝かしつける事ができた。



 足を止めてから、荒い息を整える。 

 前にもこの場所で会った。



 街灯が照らすのは、女の人が座ったベンチ。そこだけが中心の様に、俺には際立って見えた。



「今晩は薫子とお楽しみだったのかな?」

「趣味が悪いですよ、桜子さん」


 ベンチには、不敵に笑う桜子さんがいる。不気味なオーラを纏った彼女は、他の誰とも違った雰囲気を出している。

 前はこのベンチで、悪の根源みたいなこの人と対峙した。  



「人をストーカーみたいに言わないでよ」

 ストーカーで留まれば良い方だろう。



 不意に、桜子さんはベンチから立ち上がった。

「良太郎くんってやっぱり、頭の回転早いよね。期待以上。いきなり襲われる事も考えてたのに」


 それすらも考慮して、手を打っている。そんな表情を覗かせているから、末恐ろしい。


「心配しなくても、女の人を殴ったりしませんよ」――いや、殴った事がある。

 と、このままでは桜子さんのペースだ。あくまで俺は交渉相手。立場は同等。ならば先に仕掛けるのも手だ。 



「本題。あの手紙の真意を教えて下さい」

 俺は持っていた手紙を提示した。つもりだったのだが、いつの間にか手元には無かった。

 どこかで落としたかとポケットをまさぐる俺を、桜子さんが愉快そうに笑っているのが目に入り、はっとした。


 桜子さんがその手紙を持っていたのだ。



「これ凄いと思わない? 呪力を籠めたら文字が見えるように、細工したの。そして時間が経てば術式が消えて、証拠隠滅!」

 大きな音を立てて、桜子さんが手を叩く。



「はいはい、凄いですね」

「酷い。お姉さんも褒められたい年頃なのに」


 刹那、桜子さんはその手紙を燃やした。まるで手品師が手から炎だすような早業だったので、どうしたかまでは分からない。


 俺はその行動を深読みし、気が入ってしまう。

 もしかしたらこれは、俺を誘い出す誘導? 騙されたのか。



「ビビってるのかわいい♪ ……でも安心して。書いてある事は本当だから」


 本当とか、真とかが一番似合わない人に言われて、はい、そうですかと信じるわけにもいかない。

 ただそれ以上に、俺は桜子さんが嘘をついていないという根拠を持ってしまっている。彼女の裏の手回しのような怪しまれる行動も、その一貫性と真意を読み取れば、おのずと答えが見える。




「無駄話は終わりです。説明してください――戦争を止める方法」


 桜子さんから貰った手紙の内容は簡単だ。戦争を止める方法を教えてあげる。それだけの一文。

 最初は勿論、意味が分からなかった。一個人にそんな事ができるとは到底、思えない。ただ桜子さんとなれば、冗談でも済まされない。



 そして数分、俺は思考に老けた。


 派閥の裏の首謀者であった桜子さん。その派閥がやろうとしていた事。そして今起ころうとしている戦争。嫌でも結びつきが見えてしまう。


 

  まるで全て分っていたかのようだが。桜子さんならあり得なくもない話だ。

ただやはり、織り込み済みなのだろう。ある一言を俺は思い出したからだ。このベンチで離した時、彼女はこう言った。


「守る事と協力する事が同一になった時、君はどうするのかな」


 全て知っていなければ、そんな発言はできない。いや、予測といった方が正しいのだろう。彼女も神ではない。

 そしてそれらから、真意を悟った。




「アタシと一緒に来たら、教えてあげるわよ」


 なんとなくこうなる気がしていた。

 戦争を止められるのだ。お手軽な話なわけがない。そして今更、引き下がるつもりもない。


「分かりました」

 俺は一歩近づいた。すると、急に身体に負担が生じた。まるで呪術にでもかけられているように。



「随分と素直なのね」

「疑ってるんですか」

「当然でしょ。アタシは完璧が好きなの。学校のずる休みだって手を抜かないし、免許の偽造にも妥協しない」


 例えがあまりにも酷い。


「協力者を増やすって事は完璧から遠ざかるって事。裏切られたら水の泡だしね」


 根本的に自分以外の人を信じてはいないのだろう。


「薫子はどうするの? アタシと来たらもう会えないかもよ」

「覚悟はしてます」

 そう、覚悟はしてる。だから俺はお別れはしなかった。また会えるって信じてるから。


「復讐はどうするの? 戦争をしないと果たせないと思うけど」 


 思わず、笑みがこぼれる。

 桜子さんにも分からない事がある、それがなんだか愉快だった。



 彼女の目を見て、俺ははっきりと言った。「勿論、しますよ」


 そう、俺は復讐を果たす。しかし俺と桜子さんに一つ齟齬がある。あの時から。桜子さんに手紙を貰った時から変わった。いや、ずっとそうだったのだろう。思い出したのだ。俺が真に憎んでいるものを。


「俺が復讐するのは――呪術なんて理不尽なものがある、この世界の方だ」


 手を叩き、桜子さんは盛大に笑った。「なにそれ。やっぱり、君って面白いね」


 俺の進行を妨げていた呪術は解けた。認めて貰えたのだろう。

 その場から歩き出す桜子さんの後ろに、俺は続いた。

 公園から見た日の出は、初めての経験だった。 











 起きた時に違和感を覚えた。布団というものへの違和感だ。普段、薫子はベッドで就寝しているからだ。

 少しばかり身体が痛い。

 

 同時に自分の物ではない匂いに、変な感覚を覚える。部屋の匂いから家具。色彩までまるで違う。 



 そうだ昨日は水無君と……。

 夜の事が鮮明に思い出され、顔を紅くしてしまう。



 そしてその張本人はどこにいるのだろう。隣には寝ていないし……。そこで、嫌な予感がした。


 玄関に行って確認すると、良太郎の靴が無い事に気が付く。

 すぐさま薫子は靴を履き、部屋を飛びだした。


 彼が行きそうな場所なんて見当は付かない。ただやみくもにでも、探さなければ。

 今、彼に会わないと一生会えないような予感がした。




 肌寒い朝空。人よりも小鳥の方が活動的だ。そんな中で息を切らしながら走っている自分は異常だろう。


 近くのコンビニや、広場、神社。そして最後に公園へと足を運んだが、彼の姿はついに見つからなかった。


 学生の姿がちらほら見え始める。登校の時間が近づいているらしい。しかし急ぐ気にはなれなかった。



 部屋に戻った。自分のではなく水無と書かれた方の。故意ではなく、自然とつられた様に。


 なにげなくキッチンに入った。するとそこに、鍋が置いてある。そこから良い匂いがする。

 開けてみると、中には味噌汁が入っていた。野菜が沢山で健康に良さそうだ。隣の鍋には魚の焼き物もある。



 急いで近くにあるテーブルに目を向ける。そこには一枚の紙が置いてあった。

『健康に悪そうな食事してそうだから、作り置きしといた』

 たったそれだけの一文だ。



 別れの言葉があっさりしすぎでしょ。いえ――きっとそうじゃないのね。



 気になり冷蔵庫を開けると、お惣菜が小さな茶碗に入っていた。律儀にもごはんまである。

 それらの食べ物を温め、テーブルに並べる。



 箸やコップを探すのには少し苦労したが、ようやく準備が整った。


「いただきます」

 きっちりと手を合わせてから、箸でおかずを摘まんだ。


 薫子の目からは涙が零れた。
















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