決断
二人から離れ、石段の下の道路前に取り付けられていたベンチに腰を下ろしていた。
天津は買った温かい紅茶を手に持ち、寒さを堪えている。
「あの二人、上手くいくと良いね」
「そうだなぁ。けど、婚約どころか付き合ってなかったなんて驚きだよな。次の機会には全部聞き出してやるぅ」
目に炎を灯す朝陽。それを見て、天津は乾いた笑いを浮かべた。
夜が更け、物音すら無くなった時、不意にこんな質問を投げかけた。「朝陽君は好きな人とかいないの?」
一瞬、ほんの一瞬だが、天津が自分に好意があるのではないかと勘違いしてしまったが、どうやら違うらしい。そういう緊張感がまったく伝わってこなかったせいだ。
「いるかな」正直に朝陽は答える。
天津は彼の恋愛話を聞いたのは初めてだった為、高揚を覚えた。どんな相手で、どんな関係性なのか訊きたい。もしかしたら自分が知っている人物かもしれない。
しかしそんな期待は彼の暗い表情により、夜の闇に消える事となった。
「その恋は叶わないけどね」
笑いかけてくる朝陽。彼の言葉にどんな意図があるのだろうか……。やがて、天津の中に一つの可能性が生まれる。
「もしかして……」
だとしたら、彼は不幸すぎる。
その時、朝陽が慌てて言う。「あ、死んでなんかないよ。勘違いさせてごめん」
否定してくれた事と、彼の明るい表情で幾らか、天津も平常心を取り戻す。だがそれ以外の理由とはなんだろうか。また新たな疑問が生まれる。
「俺の不甲斐なさのせい。本当にそれだけだ」
空を仰ぐようにこぼしたその言葉の意味を、重さを、自分には到底理解できないと感じた。安易な同調は止めよう。
だからせめて、この場所に一緒にいよう。そう天津は心に誓った。
「二人共、遅いね。風邪引いちゃうよ」
「あはは、それは大変だな」
そんな二人の和やかな会話は、街の夜を明るく彩った。静かな夜のBGMとして。
そういえば、考えたことも無かった。
話したってなにか変わるわけでもなければ、寧ろ相手を不幸にするだけだ。なのに薫子のやつは自分から知りたいと言ってくる。それは俺が薫子の力になりたいっていうのと同じだと言うが、過去と未来とじゃ根本的な差異がある気がする。
でも気持ちとは裏腹に、打ち明けて楽になった自分もいる。
子供の頃に両親が離婚して、段々と俺を引き取った母親の愛情が薄れていった。時が来たら死のうとも思ってた。たったそれだけの事だ。
そして話した後の薫子の反応は――。「色々、大変ね」
「お前が言えつったのに、もう少し関心持てよ」
「感動的な意見でも求めていたのかしら? 言っても過去は変わらないでしょ」
まあ、そうかもしれないが……。
「大人とか社会とか大嫌いで、一人で死のうと思ってた。けど薫子に人生変えられて、本当迷惑だったけど。――今は明日が楽しみで仕方がない」
そんなの普通だろ。当たり前の事をペラペラと喋るな。みたいな顔を向けてくる薫子だが、表情は柔らかい。
「正直あほみたい」
正直過ぎんだろ。
「でも教えてくれて、気色悪い人から普通の人になった。だから相談に乗ってあげてもいいわ」
もし薫子が俺達になにも話さず、一人で抱え込んだような顔をして。それでいて相談に乗ってあげるなんて心配されても、不気味で信用ができないかもしれない。だから少しだけ、彼女の真意が分かった気がした。
けど……。「上から目線過ぎるだろ!」
「実際、上なんだから仕方ないでしょ」
「助けてやった恩も忘れたのか。図々しいヤツだな」
「あら、恩着せがましい事」
「お前なぁそういう事じゃなくて……」
なんだかんだで言い合いに収拾がついた頃。といっても俺が折れただけなのだが。
薫子が言った。「待たせても悪いし行きましょう。相談に乗ってもらうなら、三人の方が心強いしね」
夜空に静かな空気。後ろの鳥居を見て、俺は決心をした。
「なあ、隠し事は嫌なんだろ」
きょとんとした顔を薫子が向けてくる。
俺はあの時――洞穴で薫子が言いかけた言葉の続きが分かっていた。でも変化が怖くて先を聞かなかった。
今なら受け入れられる。変化があってもそれを乗り越えていけると知ったから。なんだか後出しじゃん
けんみたいでせこい気もするが。
ああ、それからもっともらしい後付け理由がある。こういう事は男から言わないと廃る。
薫子――「好きだ。契約とかそんなの関係なく、俺と一緒になってほしい」
自分から告白するのなんて初めてだ。直ぐにもう少し気が利いた事が言えたんじゃないかと後悔した。
だが意外にも薫子は焦った表情をしている。
「ちょ、ちょっと待って。なんで今なの」
理由があるとするなら、錆びた鎖のように俺達の関係が簡単に切ってしまえるものだと分かったから。だから丈夫な物で繋ぎとめたい。
その根底にあるのが――好きって感情だ
「告白のタイミングなんて気にすんなよ。好きなもんは好きなんだ。恥ずかしいんだから何回も言わせんな」
赤らみを残しながらも、薫子の表情が真剣なものに変わる。「……終わったら。全部が終わったら、必ず答えを出す。だから待っててくれる?」
好きと口に出したら、自分はその子が好きだと思わざるを得なくなる。だからその上目遣いは反則技……。
「待つよ、幾らでも」
「もし揺らいだら、毎晩嫌がらせに行って眠れなくするからね」
微笑を浮かべる薫子の顔は、さながら神様の様だ。
多分この神社に祭られているのは、疫病神だろう……。
夜遅かった為、四人での話し合いは次の機会に持ち越された。正直いつになるか不安でもある。
朝陽と天津とは早々に別れ、俺と薫子は部屋の前までやって来ていた。
いつもらしく、素っ気なく挨拶を俺にしてきた薫子だが、今日はなんだかいつもと違う。違和感というか、不自然さというか、やっぱり意識しているのかもしれない。
「寂しくなったら、俺の部屋来ていいんだぞ?」
勿論、冗談だ。だが今の薫子はからかいがいがありそうだがら言ってみた。それに真剣に対応してきても多分……。
「バカね。水無君が想像しているような展開にはならないわ」
「なにも想像してねえよ」
言うが早いか、さっさと扉は閉められてしまった。萎んだ気持ちで家の扉を開ける。左手で電気を付け、靴を脱ごうとした時だった。玄関の前に紙が置いてある。
直感的に危険を感じた。
普通なら下の郵便ポストに入れるべきだろう。態々、部屋に侵入をして置いたという事は。考えられるのは、今日必ず読んでほしいから。そんな即日性を求める相手は俺の知り合いにはいない。
警戒……した方がよさそうだな。
そっと手紙を取り、内容を目にした。極簡単な文に従い、俺は外へとまた繰り出した。
一番、近くではなく、もう一つ離れた公園をチョイスしたのは、薫子の目を気にしてだろうか。そもそもなんで俺なんだろう。
辿り着くと、閑散とした公園に一人。目立つ女性が、ベンチに腰掛けいた。
「公園に呼び出しなんて、ドキドキしましたよ」
「年上好きそうな顔だもんね」
それはどんな顔だ。
ともかく細心の注意を払って対面しよう。でなきゃ食われる相手だ。桜子さんは。
下手に出てはダメだ。相手に付け込む隙を与えるな。
「急に呼び出したんですから、質問くらい答えてくれますよね」
桜子さんは指を交差させ、足をぶらつかせる。そんな挙動一つを意識してしまう。
「へー、やらしく成長したね。良太郎君」
「なんで俺を呼び出したんですか」
先ずは俺である必要性だ。利用したいなら他に相手はいるし、忠告なら俺以上にするべき相手がいる。だとしたら、狙いは別だ。だが生憎、桜子さんの狙いは理解しかねる。
「ほら、今アタシって指名手配されてるでしょ?」
直接確かな事を聞いたわけではないが、そのような処置が取られた事は耳にしている。桐蔭さんと晴明も含めて。
「それでお別れを告げに来たってところかな。今、薫子に会ったらいきなり殴りかかられそうでしょ。だから君」
自嘲気味に笑う桜子さんは、どこか不気味だ。
「納得はしました。けどそうすると、また一つ疑問が浮上します」俺は人差し指を立ててみせた。
「質問ばっかだと嫌われちゃうよ? 男の子は聞き上手がモテるの。女の子は話したい生き物なんだから」
「俺は桜子さんに色目を使う気は無いんで。質問――なぜ俺に無理して会う必要があったんですか? 術士の人に見つかったらアウトな状況で、そんな危険を冒してまで」
「理由が必要かな。会いたかったじゃダメ?」
悪戯っぽい笑顔を向けてくる。
だが、もう騙されない。いつだって合理的に動いているこの人に限って、そんな不合理な事はありえない。この行動にもなにかしらの意図があるはずだ。
「ありえない。そんな恣意的なわけが無い」
「ふーん……。じゃあ、正直に話すね」
早くも口を割るのか。
まだ、信じるには早いが……。俺は頷き、話すように促した。
「実は七瀬さんも晴明君もあれ以来、他に方法が無いか模索しちゃってね。だから人手が欲しいの。アタシのいいなりになってくれる。簡単にいえば、利用されちゃくれない? って話」
人を顎で使うか。桜子さんらしい。
「なるわけないでしょ」今なら、はっきりとそういえる。
「あら、アタシの方が正しいかもしれないのに」
正しさ。確かにそれは俺には諮りかねない。こんな事は初めてだし、戸惑いもあった。だから一つの決断を下した。
「俺はもう、正義に囚われるのは止めます。誰かにとって悪でも、みんなを守れるなら構わない。それが俺の考えです」
ほんの一瞬、桜子さんは驚いた表情を浮かべた。しかし直ぐに余裕の笑みが戻ってくる。
「へー、それが君の決断なんだ。少し見直しちゃった」
ただその後の言葉。桜子さんが残した言葉の意味を俺はよく理解できなかった。表面的な意味ではなく、根底に存在する意図を。
「じゃあ守る事と従う事が同一になったとき、君はどうなっちゃうのかな?」
それから去っていく桜子さんの背を、俺は追う事ができなかった。
俺がだした決断は他者に縋ったもので、完成されたものではない。だから止める資格を見いだせなかったし、したところで先が見えなかった。
これから世界は――呪術という非現実的な力は――どう転がっていくのだろうか。
見えない未来に恐怖を覚え、見慣れた公園で少しばかり安心しようとベンチに腰掛けた。
当たり前の風景を守りたい。俺の望みはたったそれだけだ……。




