分枝
この教室が前より物騒だと感じる事は多々ある。勿論、彼――六車朝陽が今まで体験した事に比べれ
ば、それは些細なレベルなのだが。
せめて教室くらいは平穏であってほしいと、朝陽は思った。
今も木刀を振り回した白井が物議を醸している。
「講義ばっかじゃなくて、戦おうぜ」
筆記授業に嫌気がさし、そのような主張をしている。といっても実技の方が今は、時間割的に多く、寧ろ実技ばっかという状況だ。
まあどちらかといえばわがまま。
白井に引き続き、卯月兄弟もその活動に参加し始め、収集つかなくなってくいた。
「そうだよ、俺達は動きたいの!」
「そーそー」
堪忍袋の緒が切れたのか、先生は大きな声を上げてからチョークを彼等に向けて投げつける。それは物の見事に白井に直撃した。
これはまずい……。
「あっ……。上等じゃねえか、やってやる!」
その時、白井が木刀を振りまわした。それが卯月に当たる。
「おい、白井。暴力振るう相手間違えてんじゃない?」
「兄貴、やっちゃおうよ」
目が血走り既に臨戦態勢。一触即発といった状況の二人を、止めようとする者はいない。
仕方なく朝陽は飛び出し、彼等の前に飛び出した。功を奏したのか、タイミングが悪かったのか……。
木刀と卯月の拳に挟まれ、喧嘩は終幕となった。
「喧嘩はいかんぜ……」
そのまま朝陽は倒れ、保健室へと運ばれた。目覚めた時には放課後で、家に帰るのみとなった。
クラス別呪術合戦以外でのクラス異動は中々、珍しいらしく、京都の一件やら普段の成績やらで朝陽、薫子、天津がそれぞれ別のクラスになった。
朝陽は呪力こそ少ないが、呪術のレベルはそれなりで筆記試験も高得点を収めた為、C組に上がる事ができた。ただそれを素直に喜べない部分もある。
大我にいには褒められたけど、やっぱり良太郎がいないのは寂しい。
あれ以降、危険性も考慮されて俺は寮を変えた。それからめっきり会わなくなり、もう少しで一か月。違うクラスというだけで会う機会も少なく……。
気づけば校門から出て、前まで住んでいた寮の方へと足が進んでいた。
「あーもう、未練たらたらじゃねーかよ!」
心の内に気持ちを留めておけず、思わず声に出して発してしまった。それを聞かれ近くにいた人から、うるさいぞ。と叱責される。
あぁ、すいませ――。
謝ろうとした時、朝陽は思わず言葉を噤み。自分を叱った人間めがけて飛びついた。わき目も降らずに。
アクティブな男だとは思っていたが、まさかここまでしてくるとは思わなかった。たじろぎ後方に倒れそうになるのを、なんとか右足で踏みとどまる。
「久しぶりだな良太郎!」
死んだ奴に会えたみたいに喜ばれても、気恥ずかしい。
立ち話もなんなので、近くのファーストフード店に入る事にした。苦学生にとって外食は天敵だが、安い店なので我慢する。
店舗数も多いという事もあり、学校近くに構えていた店に入った。同じ制服を着た人もちらほらいたが、知り合いではなかった。ポテトと飲み物を頼んで好きなカウンター席に横並びに座る。
最初はやはり下らない雑談から交わした。お互い居場所が変わり、話す事は増えた。
「そんでさ白井と卯月が暴走するわけ。ほんと耐えられないよ」
「酷いなそれ」
「だろ。そっちはどう?」
話し終わって飲み物を一服する朝陽。
変わった事は沢山ある。薫子が、お前が、天津がいなくなった。物足りなさとか虚無感とか色々。
他の別れ方ならもっと納得できて、頑張ろうとも思えたかもしれない。
だから――。「上手くやれてるよ」嘘を付いた。
朝陽は小さく相槌を打ち、目の前の窓から外を眺めた。木々と車、歩いている学生やサラリーマン。面白くもなさそうな物をじっと見ている。
「良太郎はどう思う、京都の事。俺、馬鹿だから頭廻んなくてさ」
無理もない。色んな事が朝陽には起こり過ぎた。混乱するのも仕方ない。だから俺が少しくらい楽にしなきゃいけない。
「取り敢えずは気軽に構えてればいいんじゃないか。考えてどうにかなる問題じゃないだろ」
「そっか、強いな良太郎は」
朝陽は小さくため息を漏らした。
「薫子ちゃんが四之宮の当主の娘さんで、桜子さんはそのお姉さん。隠してるのには俺とは別の事情があったのかもしんないけどさ。どこかで、なんで話してくれなかったんだろうって思っちゃうんだ。
信じられてなかったのか、頼りにならないと思われたのか。夕陽の事を話した時にでも、打ち明けてくれれば良かったのにって。薫子ちゃんは悪くないのに……最低だよな」
最低なのは俺の方だ。全部知っていて、こうなる事もいつか予期していたはずなのに、いざ起これば返す言葉が思いつかない。
薫子に返すみたいな調子で、なんで言葉が出てこないんだ。この役立たずが。
不意に朝陽は身体を伸ばし、ポテトをひとつまみ。
「言ったらなんかすっきりしたわ。愚痴みたいになって悪い」
なんだよ……。俺なんかよりよっぽど強いじゃないか。
それからは下らない話を散々とした。喉が渇きLサイズでコーラを頼んだのは失態だったと、帰り道で後悔する事になるのは少し先の話。
静まり返った教室の中、誰もが手を合わせ祈っている。誰の名を呼ばれるかを。
そんな中、先生は落ち着いた調子で言う。「今回、満点は二人――柿崎穂希と天津明だ」
普段は静かなB組にもどよめきが起こる。
今回の呪術論理の小テストは難易度が高く、満点がいる事自体が驚くべき事だったにも関わらず二人。しかも一人はD組から昇進したばかり。どよめくのも必然だった。
自分の席から立ち、堅くなりながらも天津は先生の前に立ちテストを返却してもらう。
元々、B組にいながらある理由からD組へ降格した彼女だが、京都での一件の評価、また呪術レベルの向上などがあり、B組へと戻った。また、原因であった柿崎との和解も理由の一つである。
しかし一番はやはり、京都での呪力に対しての違った意見を聞いたからだ。
覚悟があって戻って来たのはいいけど、やっぱり緊張するなぁ。足を震わせながら、天津は何度も手に仁と書く。
「ブランクを感じさせない……。こそ勉してたでしょ。憎たらしい」
不意に、一緒にテストを受け取っていた柿崎が話かけてくる。
少し前までは話すのにぎこちなさが残っていたが、今では彼女とも明朗快活に言葉を交わせるようになった。
「日役先生が付いていけなくなるからって、教えてくれて」
そこに自分の席から霧島夢がひょっこりと顔を出す。
生徒会長である柿崎穂希が唯一、心を許している相手で、天津がB組で気がねなく話せる相手の一人でもある。
「二人共、仲良さそうでなによりだね」
仲が良い。その言葉に反感を覚えたのか、柿崎はムッとした表情になる。「別に仲良くなんてしないわ」
「照れなくていいんだよ、ほまれぇ」
自分よりも大きな相手の頭を、霧島は腕を伸ばして撫でる。
「止めなさい、学校では! 生徒会長としての印象が……」
背や顔立ちは霧島の方が幼く見える。柿崎の方がしっかりしているし大人っぽい。はずなのに二人の時の立場的には霧島が上に見えるという、捉えどころのない二人だ。
ただこうして戻って来なければ、こんな一面もあると知る事はできなかっただろう。
少し嬉しい。でも、本当に自分がB組に来て良かったのか。偶にそんな罪悪感が募る。薫子さんが学校を休んでいる間に、D組からいつの間にかいなくなって。それはまるで、四之宮の人間と知って避けたみたいにも見えるんじゃないか。そんな後ろめたさが……。
「なに暗い顔してるの? 満点の人がそんなふうだと、反感買うわよ」
柿崎の言い方は少し偏屈だ。けど、彼女なりの励まし方だと、ここ数週間で分かるようになった。
実際、他の女子から冷たい目線を送られる事もしばしばある。
「そーそー。もうお昼の時間だし、一緒に食べよう」
話の切り替えはおかしい気がするが、天津は素直に嬉しく思った。一緒に食べてくれるクラスメートが当たり前にいる事が。
「はい、喜んで」
薫子がA組入り、天津がB組に入ってからはめっきり顔を会わせなくなってしまった。春休みまでには薫子と会い、もしあるのなら誤解を解きたい。そしてまた、みんなで出掛けたり談笑したりご飯を食べたり。そんな当たり前だった日々に戻りたい。
小さく淡い願いだが、今の天津にはそれが大事だった。
緊張感のある武道場で、サシでの勝負は始まった。
現在、A組は全員で八人しかいない為、四人ずつが試合を行い。残ったクラスメートはそれを観戦している。
隣では八戒を贅沢に使った千夜相手に、久我が食らいついている。やはり派手な戦いだ。
実戦慣れはしている薫子でも、A組に入ってから日も浅く、初めての手合わせとなればそれなりに緊張する。D組とA組で戦った時も、結局、出番はなかった。自分がどれほどやれるのか、試すには良い機会だ。
「女の子と手合わせは苦手だけど、手加減はしないよ」
相手は巨漢で、酷いかもしれないが知略に優れているとは思えなかった。
ただ、薫子は直ぐに思い出す。彼は確か、天津と一度、戦った術士。武闘派と見せかけて、やらしい戦い方をする。
「手加減したら貴方が痛い目みるわよ」
「ほう、強気な女の子は嫌いじゃないぜ」
相手は発で加速した、いきなり拳を振るって来る。いきなり殴りかかってくるあたり、本当に苦手なのかと疑ってしまう。
それは楽々、護で防いだが、前は縛を仕掛けていた。今回はそのような術式は見えないが、油断はできない。
薫子は細心の注意を払い、彼の動きを観察する。
とその時、拳の護は形を変えて薫子を包み込んだ。閉鎖空間に閉じ込めたのだ。
「これで君は動けない。かなり詰んでると思うぞ」
護封結界。小さな物とはいえ、良くできている。発で無理に壊そうすれば反射し、自殺行為になりかねない。となると……。
「この程度の術式で勝ったつもり?」その時、護封結界の前方が開いた。
薫子は術式をあっさりと書き替えたのだ。それもA組クラスの。
見下すような目を向けてくる薫子を見て、彼はにたりと笑う。
呪術レベルは薫子の方が上でも、呪力量が少ない分どうしても思い切った行動をとれない。それに対して相手は豊富な呪力量を持ち、技術が劣る部分を手数で補っている。
一進一退の二人の攻防は、相手の裏をかいた薫子が勝利をおさめた。
疲れと緊張から、汗が分泌される。持参していたタオルで首周りの水滴を拭き取ったところに、目を引く男子が近づいて来た。
「まだうちにこんな逸材がいたなんてね。驚いたよ」
彼は確か――久我正宗。千夜に次ぐ、力の持ち主だから記憶に残っていた。
自分の呪術の腕を買われてると解釈し、これは嫌味だと薫子は察した。だからか、口から皮肉が漏れてしまう。「貴方の方がレベルは上だと思うけど。下の人間に突っかかるなんて、自分の力を自慢したいのね。寂しい人」
普通な嫌な顔をするところ。なのに久我は大きく笑った。「いやぁ、違うよ。こんな可愛い子がいるなんて、驚きってことさ」
絶句……。とはこの事だ。予想の遥か上を行き過ぎて、薫子でも声が出なかった。
「薫子ちゃんだよね? 俺は久我正宗、良かったら今度――」
そこで久我の言葉は遮られる。というより、噤まざるを得ない状況になった。突如として起きた発により、後方へ吹き飛ばされたからだ。
「この辺は頻繁にナンパ師が現れるので、気を付けた方がいいです」
忠告をしてきたのは、最年少四術士の十文字千夜。
思わず、薫子の口からお礼の言葉が漏れる。格上の相手にあんな形で付きまとわれるのは、彼女といえど戸惑う部分があった。
「慣れっこなので。それより一つ質問いいですか」
「ええ、構わないわ」
初めに貸しを作っておいてからの質問。これでは薫子も断れない。
「なぜA組に来た?」 表情を変えずに、千夜は更に詳細に言葉を紡ぐ。「十文字の四術士という立場上、薫子の正体を知っている。水無良太郎と誓い合った事も。そして京都での派閥の一件の内容も」
全てを知り得た上で自分に問いている。
元々、D組に――水無良太郎に固執していた。恩義もあれば、制約もあった。けれど一緒になるには弱く、離れるにも強くは無かった。だから今のようにその気になれば、簡単に離れる事ができた。
それがなぜ今なのか……。その答えは既に決まっていた。
「強くなりたいからよ。そうしなきゃ姉とは対等になれない」
「それが本心だとするなら、愚か。としか形容できません」
千夜の背は遠ざかり、薫子は広い武道場で一人取り残されたような感覚に囚われる。
あんな言われ方をするのは当然だった。自分の近くに大きな力を求めた結果、他者を不幸にした人間がいる。それを知りながら自身も同じ道を歩もうとしている。
迷いが生じた時、D組の面子が脳裏を霞める……。
ならば――。強さがなければなにができるのだろうか? 自分は良くも悪くも特別だ。それ故に友達を巻き込んでしまう。彼等を守るためには強くならなきゃいけないのだ。
それから繋がりは絶とう……。
自分は騙し続けた。四之宮の人間である事を。言い出すタイミングはあったはずだ。それでも変化が怖く、信じ切る事ができなかった。彼等との付き合い方も偶に分からなくなる。
だって――初めての友達だから。
愚直な行為の数々、そして自分のせいで迷惑をかけた事実。その責任を取るにはそうするしかない。
だから私はA組に来たのだ。
先生の掛け声がかかり、また手合わせが始まる。武道場で高度な呪術が、素早く飛び交った。




