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告白




 約束の日はあっという間にやってきた。

 書道教室が終わってから即座に向かい、千足はベンチに腰を下ろした。




 昼過ぎ……。本来は広場に取り付けてあるベンチ。日が出ていれば、夜とは違った風景になる。


 親に連れられて子供達が戯れたり、水遊びをしている小学生もいる。時折、隣に腰かけてきたお婆ちゃんと世間話をしたり。そうして時間を潰しているうちに、朝陽がいつ姿を現すのか、そわそわして千足は待っていた。


 時間を決めていなかった事を、今更になって後悔する。




 そして彼は何の前触れもなく、雲に隠れ太陽が何の気なしに現れるように、目の前に姿を現した。


 手には炭酸飲料とレジ袋を持っている。

「ごめん、何時に来ていいか分かんなくて。その辺ぶらぶらしてたんだけど……、もしかして待たせた?」


「はい、少しだけ」

 照れた笑いを浮かべながら、千足はそう言った。



 朝陽は詫びの言葉を入れてから、隣に腰を下ろした。


「気にしないでください。時間を決めてなかったのは、私の落ち度ですから」

「じゃあ、交換しよっか」

 朝陽はポケットから携帯を取り出して、示す。


「交換? その四角いの一体……」

 朝陽はたいそう、驚いた顔をしていた。「もしかして携帯持ってないの? つか知らない感じ」



 記憶を探ってみるが、家の誰かが使っていた記憶も無い。

「無知で申し訳ないです」



 両手を合わせ謝る千足を見て、朝陽は盛大に笑った。「やっぱ面白いね、千足ちゃんって」

 世間知らずを笑われた気分になり、千足は気恥しい思いをした。




「家はずっと黒電話で……」

「あー、さすがに千足ちゃんの家に直接、電話をかける勇気は無いわ」

「それは同感です。男の人からの電話なんて知ったら、お母さん鬼の形相だと思います」

「ナニソレ、おっかな」



 炭酸飲料を一服してから、朝陽はがさごそとレジ袋のと中身を弄り始めた。取り出したのはマヨネーズとソーセージの乗ったパン。


「お昼、食べた? ってないなら、半分わけるけど」

「お茶漬けをお腹に入れました。だから気になさらないで食べて下さい」

「そっか、じゃあ遠慮なく」


 袋を開封して、パンを盛大に一口。


 溢れ出る肉汁。マヨネーズのつんとした匂い。パンのふわふわとした食欲を誘うみため。それを目にした途端、千足の中に欲望が生まれた。


「食べたいの? ならあげるけど」

 どうやら、恨めしそうに見てしまっていたらしい。


「だ、大丈夫です。失礼かもしれないのですけど……。お爺様にそういった商品は体を害するので、食べないように注意されていまして」


「どんだけ古参的な考えなんだよ、そのおじさん。美味しいから食ってみ。ほら」


 ドンドン近づいてくるパンに、ついに欲望を抑えきれなくなった千足は、小さな口を開けて、頬張った。



「お、美味しい……」

 ジューシーなソーセージに、酸味のきいたマヨネーズ。その個性をマイルドに包み込む、パンの包容力。



「だろ。これ、俺のお勧め」

「はい。私、勘違いしていました。もっと毒性の強いものかと……」

「どんなイメージだよそれ」

 世間知らずの怖さを痛感する、朝陽だった。



「でも喉が渇きますね」

 そう言われ、朝陽は自分の持っている炭酸飲料の事を思い出した。それを千足の前に差し出し、「ならこれ飲む?」と言い終えてから、それが間接キスになる事に気が付いた。


「あー、やっぱ今のなしなし」

 慌てて制止しようとしたが、既に千足が口に含んでいる最中だった。


「あ、すみません! つい、暑さと喉の渇きに負けて……」

「いや、いいんけどさ別に」


 思わず朝陽はそっぽを向いた。顔が熱くなっている気がする。これを見られるのは結構、はずい。

 世間知らずの千足は怖い。またも実感させられた。





 色々と話している最中に、やはり浮彫になるのは千足が家事や趣味、それ以外の事にかんしてあまりに無知である事。そこで朝陽は一つの提案をする。


「少し時間あるし、ちょっとこの辺、周ってみる?」

 千足を五時には返さなければいけない事を考えれば、あまり時間はないが、悪くない提案だと思った。


「はい、喜んで」

 嬉しそうな千足を見て、朝陽は浮足立つ気持ちを抑える。





 ベンチを離れ、二人は物静かな栃木の町を歩きだした。


 そして他愛も無い話を繰り返した。千足の地元である新潟の話。家の事や、千種のお茶目な話。こうして家族の人間以外に、真摯に話しを聞いてもらえる喜びを、初めて知った。


 それを感じた途端、口に出せずにいられなくなった。

「朝陽君!」



 唐突に大きな声で呼ばれるものだから、朝陽は驚き振り返った。


 昔ながらの家が並んでいる、大きな道路。川もあるが、どちらかといえば質素な場所。ただ気持ちをぶつけるのに、今いる場所など、どうでも良かった。


「え、なに、どうしたの」

「その、色々有難う御座います」


「改まってなんだよ、照れるなぁ」



 焦りから脳が委縮している。中々、言葉が出てこない。


 それでも使えそうな語彙を無理に掴まえ、言葉として紡ぐ。


「朝陽君は私に沢山の知らない世界を見せてくれたの。家と、食材を買うまでの往復のルート。それが私の世界だった。だから引っ越しをする時は、電車のミラー越しに映る世界が羨ましくて、いつも手を伸ばしてた。勿論、鏡だから手をぶつけるのですが」


 千足は苦笑する。


「でも朝陽君は屈折して、触れられない世界じゃなくて。ありのままに目に映る、私を受け入れてくれる世界を教えてくれた。それはとっても輝いてて、宝物みたいな――。……すみません、良い言葉が出てこなくて」



 唖然としている朝陽の顔が、マイナス思考に映る。世間知らずの自分は、なにか変な事を言ってしまっただろうか。空気を読めない発言をしてしまっただろうか、重かっただろうか。普通ではないのだろうか。

 とにかく、自分の未熟さが憎い。



 そうだ。あれを渡そう。


 小さな鞄から、千足は人形を取り出した。

 それは老中のアドバイスから作った物で、朝陽を模した手のひらサイズの人形だった。



「これ、似てないと思いますけど、朝陽君の人形です」

 まずい、手汗が滲んでる。


 早く……逃げたい。

 



 それを手渡しすると、千足は頭を下げて、一瞬、迷ってから踵を返した。

 

 これで、終わりだ。全て終わりなのだ。

 次に会う理由なんてもう無い。お礼は終わった。ならば関係はこれで終わり。



 頭の中でそれを理解していたから、思いの丈を突然、ぶつけてしまったのだと思う。言って嫌われるより、言わなくて後悔する方が辛いから。いつでも、友達が出来ても直ぐにお別れになってしまうから。


 もしかしたら誤解されるのが怖いだけかもしれない。



 それに朝陽君は六車家で、私は十文字家。相容れない関係なのだ。

 そう思った途端、涙が滲んだ。突然、悲しみが襲ってくる。



 質素な風景が、今は寄り添ってくれる気がした。ただそれでも、悲しみが拭い去れない。


 だって、多分これは――。


「言いたい事だけ言って逃げるとか、ずるくね」


 千足の足は止まった。

 後ろから、優しく手首をつかまれたからだ。



 振り向くと、朝陽は太陽みたいな笑顔をしていた。







 なんと返答していいか分からず、千足は無言でいた。


「俺は千足ちゃんにあんなふうに言ってもらえて、凄く嬉しかったし、プレゼントのお礼だって言えてない。それでお別れなんて俺が悪者みたいじゃん」



 嬉しい。あの表情はそういう意味だったのか。てっきり勘違いをしていた。


 でも――。「嬉しかったのですか……? 本当に」


「本当だって。千足ちゃんみたいに上手く言葉になんかできないけど、感じ取って欲しいな」


 屈託のない笑顔を見ると、本心から言っているのだろうと思える。


「この人形も良くできてるしさ」

 自信が無かったので、そう言って貰えて素直に嬉しかった。


「だからさ。また会おうよ」

 いきなりの言葉に千足はドキリとする。



「俺にとって千足ちゃんは特別で、掛け替えのない人みたいなんだよ。だからこんな形で終わりにしたくないし、また会いたい。二人で色んなところに行きたい。お互いの家庭がどうとか、クソくらえだぜ」


 なぜだろう。自分が言えない事を、彼はあっさりと言ってのける。


「喜んでお受けします。私もまた、朝陽くんに会いたいです」


 簡素な背景に、一輪の花が咲いた。そんなふうに、朝陽の目には映った。


「けど、その固いのは止めようぜ」


 千足は首を傾げる。


「言葉遣いっていうかさ。そういう時はありがとーくらいでいいんだよ。こう母音を伸ばす感じで。俺達、友達だよね?」



 友達。その響きに、千足は高揚感を覚えた。

 それをして友達と認めてもらえるなら、安いものだ。


「ありがとー……こうですか?」

「おお、良い感じ。友達は気を遣わないで、ラフな感じで良いんだよ」



 ラフ。あまり聞き慣れない言葉に当惑しながらも、千足は思考を巡らす。敬語を使わないで、母音を伸ばすのがそういう事なのだろうか。


「では、これからはラフに行きまーす。ってこんな感じですか?」限りなく何かが違う気がする。当然、朝陽も苦い顔をしている。


「少しずつ慣れてこうね」


 面目ない……。




 こうして二人は次に会う日と、時間を決めてからお別れをした。

 それからというもの、朝陽と千足は何度も会うようになった。週に一度、その日が二人の楽しみな日と相成ったのだ。 






 

 それは、何度目かの約束の日だった。


  いつも通りにベンチで会ってから、二人は散歩をした。その日は、大きな駅に行ってみたりした。

 その帰り道の事だ。


「そういえば、作った人形付けてくれてるんだね」

 ふと見えた携帯に、千足の作った朝陽を模した人形が取り付けられていた。



「大切な物は近くに置きたい主義っていうかさ」

「恥ずかしくない?」


「全然!」躊躇いもなく、朝陽は言い切る。


 嬉しいようなこちらが恥ずかしいような、複雑な気分に苛まれる。





 それから、いつも送り届ける場所まで来てから、朝陽は一つ提案した。

「今度のデー……じゃなくて」


「デー……なに?」


 首を傾げる千足を見て、朝陽は一種の恐怖を覚えた。知らずに訊いているのか、知ってて訊いているのか……。

 小悪魔的な怖さがそこにはあった。




「それはいいの! んな事よりもさ、今度はうちの山来ない?」

「え、山って六車家のある山?」


「そそ。綺麗な夕陽が見れる場所があるんだ。俺の大好きな場所。あーけど、夜はまずいかな」


 確かに、夜に出歩くのは怒られる危険性がある。ただそれ以上に、二人で六車家近くに行くのは危険なのではないか、そんな考えが先に来る。


 二人の関係は未だに内緒であるし、そこのところはどうなのだろう。


 ただ楽しそうな朝陽を見ては、断る事もできない。





 問題はどう説得するかだ。お母さまが許してくれないだろうし、お爺ちゃんはそういうのはうるさい。

 だとしたらやっぱり、頼れるのは……。


「千夜ちゃんに相談してみれば、なんとかなるかもしれないです」

「よっしゃあー!」朝陽は嬉しそうに飛び跳ねる。それを見て、千足も嬉しくなり笑った。



「じゃあ、またいつもの時間に!」

 そう言い残して、朝陽はそそくさと去った。



 ホント、朝陽君って子供っぽいとこあるなあ。そこもまた可愛いけど。


 それから一人で千足は帰路に付く。しかし途中で、違和感を覚えた。背後に誰かがいるような。そしてそれは、一度ではなかった。朝陽と会うようになってから、何度か感じる事がある。


 ただ何も起きないので、気のせいだと高を括っていた。今回もきっとそうだ。




 千足はその日、走って家へと帰った。



 次の日、先ず行ったのは千夜の説得だった。お昼を食べ終え、上機嫌そうな千夜の元に近づいた。勿論、周りに誰もいないのを確認してから。密談が第三者に聞かれては、密談では無いのだから。


 そこは聞き耳を立てられる和室ではなく、視界の開けた庭。



「千夜ちゃん、ちょっといいかな」

 しゃがんでいる千夜は、大きな花よりも背丈が低い。 


「どうしたです?」

「頼み事をきいてほしくて」

「珍しいです。千足が頼み事なんて」



 珍しい。そんな記憶は無かったが、そういうならそうなのかもしれない。だが今回ばかりは……。


「今回は一人ではどうにもならなそうだから……」


「いつも頼ればいいです。千足はまだ子供」

 はたから見れば明らかに千夜の方が年下だから、おかしな光景だ。実年齢は少しだけ千夜が上なのだが。


「有難う、千夜ちゃん。実は――」


 それから千足は、夕方過ぎまで遊びに出掛けたい事を伝えた。その手伝いをお願いしたのだ。

 幾ら朝陽と出掛けたいからといって、やはり家族を少しの間、騙すのは罪悪感があるが。



「なら、和菓子が条件です。甘いの」

 千足は目を丸くする。「さっきはいつでも頼れって……」


「人生はそんなに甘く無い。ギブ&テイクです」


「ぎぶあんど? ……でもうん。今から沢山、和菓子作るね」


 その言葉に千夜は目を輝かせる。彼女が一番好きな和菓子は、行列のできる有名店の和菓子でも、老舗の和菓子でもなく、千足の手作りなのだから。



 特別な手法は用いてはいない。ただ、味付けをその人の好みにずばっと合わせてくるのだ。そんな愛情の篭った和菓子が、千夜は好きだった。


「合点です」

 交渉成立の瞬間であった。













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