太陽
六車家は山中にあり、移動までに時間が掛かった。手入れされた道もあれば、そうでない道もある。なにかと苦労が多い。
そして歩いて二時間したところで、座れそうな岩が見つかると、秘書が早速、十文字一行をを座らせた。
「春とはいえ、熱中症が心配ですので、水分補給をしてください」そう言ってからみなに、秘書は専用の水筒を渡す。
心配してくれるのは嬉しいのだが、これが十分毎となれば、度が過ぎる気もしてしまう。それに五人分の専用の道具を持ちすぎて、秘書の登山バックはパンパンだった。
水筒の中の麦茶を一服してから、千足は秘書に目を向ける。「梓さんも休憩してくださいね」
「千足様に心配されるなんて……。私もまだ未熟者です」
こんな調子では辿り着くまでに、みんな倒れてしまいそうだ。
それからも登ってる途中、虫を気にしたり、草を気にしたりと、心配性が発揮された。
そして小さな事件が起きる。彼女達には大事件が。
六車本家もいよいよもう直ぐ、秘書の心配性のおかげで問題なくここまで来られていたのだが……。
その山中は人の手が加えられておらず、荒れていて足場が悪かった。少し足を踏み外せば、傾斜から転がり落ちてしまうような。
そのような最悪の事態が、一人の従者に起ころうとしていた。地面から出た枝につまずき、態勢を崩して、今にも背中から落ちそうになったのだ。
そんな時、反射的に腕を掴み引き上げようとする者がいた。誰もが一瞬、戸惑う中、迷うともせず。
――千足だ。
従者は無事に引き上げられたのだが、その反動で千足は足を滑らせ傾斜から転がるように落ちてしまう。
上からは従者達の叫ぶ声が聞こえてくるが、それに答えてる余裕は無かった。地面はふかふかだったが、傾斜の先に鋭利な枝でもあれば、大きな怪我に繋がってしまう。そうなればみんなに迷惑や心配をかけてしまう。それはどうしても避けたかった。
なにか捕まったりするものはないだろうかと、探してはみたが、落ちるスピードが速く手ごろな物は見つからない。そして、恐怖から千足は目を瞑ってしまった。
本当は数秒の落下が、数倍に感じられる。
早く終われと心の中で念じると、千足の背は鋭利なものではなく、寧ろ優しい何かに包み込まれた。
――痛ってぇ。
男の人の声だった。従者の中には聞き覚えがない。だとしたら……。頭がこんがらがり、顔を上げた時、そこには爽やかな小年の顔があった。
少年は尻餅をついていて、その上に横たわった千足を乗せている。自分がクッションとなって、衝撃を和らげてくれていたらしい。
急いで千足は起き上がり、頭を下げる。
「あ、有難う御座います」
頭を上げた時に、目が合った。
少年は短髪で、優しい顔つきをしていた。いかにもスポーツ大好きという風貌で、脹脛やシャツを捲った二の腕にも筋肉が見られる。年も千足と近そうだ。
「どういたしまして――って、挨拶してる場合じゃないよ。足怪我してるよ」
言われてから気づいた。足から微かだが流血している。落ちた時に切ったのだろう。普段なら簡単に治癒できる程度の傷だが、見知らぬ人が前ではそれもできない。
「消毒液とかも無いし、絆創膏も……あーどうしよ」
心配をかけるわけにはいかない。
「少しだけ後ろ向いてもらってもいいですか」
千足に言われると、疑問を残しながらも少年は後ろを向いた。そのうちに数秒で治癒を済ませる。
「もういいですよ」
「良く分かんないけど、治療は早くした方が――ってあれ? 傷が無い」
動揺もするのも当然だ。でも、言い訳は考えてあった。
「ただの汚れだったみたいです。お騒がせしてすみません」
一瞬、訝しんだ顔を見せたが、少年は直ぐに能天気な笑顔をみせた。良かったと安堵の言葉と共に。
人とはぐれた事を伝えると、少年は大きな石を見つけて座らせてくれた。なんでも山の遭難では下手に動かず、発見を待った方が良いらしい。アウトドアの知識が少ない為、千足はそれだけで関心する。
「いやあ驚いたよ、いきなり女の子が落ちてくるんだもんな」
初対面の少年は緊張した様子無く、明るく話題を振ってくれた。彼からは敵愾心など微塵も感じられず、千足もいつの間にか親し気に話していた。
「どうしてこのような、人の寄り付かない山中にいたのですか?」おかげで助かったのですけど、と千足は付け加える。
「ここは俺のランニングコースって言うか、まあ大体そんな感じでさ。人もいないし自然は気持ち良いしで一石二鳥」
なんだかおサルさんのようだ。
ただ失礼に当たると思い、その言葉は口にしなかった。変わりに謎の笑いが漏れてしまう。
「え、急にどうしたの」
「少し可笑しくて」
数分待ったところで、今度は千足がなぜここにいるか、という話題になった。
「ここなんもないし、なんで君こそこんな所に」
その疑問は当然のものだった。六車の本家がある事など、少年が知るはずもない。
しかし呪力を知らない人に偽りなく話すのは、禁止事項。だとすれば適当にはぐらかせねば。
「えーと、その……」
頭がパンクしてしまう。
「なんだか秘密だらけだね」
すいませんと、千足は頭を下げる。
「じゃあ、すいませんついでに名前だけでも教えてよ」
名前……。
十文字の名は簡単には口にはできない。危険が付きまとうからだ。
けど下の名前くらい……。助けたお礼にはならないけれど、名乗るくらい安いものだ。
「千足です。数字の千に、この足で」
自分の足を指してみせる。
「良い名前だね」
少年は微笑んだ。
「貴方の名前も教えていただけませんか」
千足のお願いと被るように、背後から声がした。それは自分の名前を呼ぶ、従者のものであった。
「迎え来たみたいだし、俺行くわ」少年は素早く立ち上がり、去り際に言った。
「名前は朝陽。朝昼晩の朝に、太陽で!」
息を切らした梓が心配の眼差しを向ける。「怪我はありませんか!」
「大丈夫ですよ、そんなに心配しなくても」
その言葉を聞いて、従者全員が安堵の息を漏らす。
原因を作った従者が前に出て、深くお辞儀をして謝罪の言葉を口にした。しかし千足はそれを制止する。
「そういうの禁止です。みんな無事だったから、それでいいじゃないですか」
さながら天使の様な笑顔。従者の瞳にはそう映った。
それに楽しい会話もできた。
朝陽君。名前の通り、太陽みたいに優しい笑顔をする男の子。
木々を払うと、六車本家は見えてきた。幾つか、小ぶりな家はあったが、正面の大きな敷地の屋敷がそれだろうと見当を付ける。
警護の従者に十文字と名乗り、紋所を見せると、あっさり通してくれた。
屋敷の近くに来ると、表札に六車と記してある。間違いないだろう。
インターホンを押す。
「十文字家からやってまいりました。――」
と、秘書が云々と言ったあと、 数秒後にドタドタと足音がし、扉が開いた。
「随分、朝早くから来たなぁ」
眠たそうに濡れた髪と顔を拭うのは、赤い髪の人相の悪い男。
寝起きというのもあるかもしれないが、ヤクザのボスでもやってそうだ。
その赤い髪の男を見た瞬間、十文字の四人の従者は膝を地面に付けた。
「大我様。詳細な時間を伝えず、早朝からの訪問誠に――」
「ああ、そういうのいいから」大我と呼ばれた男は、秘書の詫びを一蹴した。
大我……。六車大我……。
千足はその名を思い出そうとした。そして数秒後、ハッと思い出す。
「六車家、四術士の大我さんですね。お初にお目に掛かります。十文字千足と申します」
丁寧に頭を下げられると、大我は頭を掻いた。形式的な事が苦手なようで、少し戸惑った様子。
「十文字のとこの千足ちゃんか。まあ適当にもてなすから応接間で休んでてくれ――って、場所分かんねえよな」
すると、従者が一人現れ、手招きをする。その人もまた、顔つきが良いとはいえない。
「コイツしっかりしてるから、付いてけば間違いねえ」
欠伸を噛み殺しながら言うと、大我は廊下を曲がり消えて行った。
未だに膝を付いている従者達に千足は声をかける。「みなさん、膝を立ててください。お家に失礼しますよ」
こうして五人は無事、六車家にお邪魔する事ができた。
案内された応接間の前に来ると、秘書以外の三人の従者を待たせ、千足と梓は中へと踏み入った。
そこには座部団が三つ置かれていて、二つ並びになっている方に座す。もう一度、大我が姿を現したのは三分後の事だった。
襖が開き、仰々しい態度で座す。「待たせちまったな」
悪びれた様子もなくそういう大我だが、先程とは打って変わって、髪はオールバックにきっちりとセットされ、服装も正されている。
こういう場に当主ではなく大我が出てくるのは、その程度の話し合いと思われているのか。またはあの噂――六車五典が病を患っているという話が本当かのどちらかだろう。
「話す前に一つ。俺は堅苦しいのは嫌いでな。崩して喋っていいぞ」
「そういう訳には行きません」
きっぱりと否定したのは勿論、秘書だ。
「なんか面倒な姉ちゃんだな」
三人の元にお茶が出たところで、十文字が来た理由を話し始める。なぜか六車側が。
「昨日の夜分。偶々、近くに引っ越して来たから、挨拶を使わすとか、そっちの当主さんが急に電話してきたけどよ。まさか本当に来るとは……。相変わらず、唐突な人だな」
偶々とは、嘘も良いところだ。本当は親睦を深めるという名の同盟工作。そして無防備な時に来てしまったのは、彩芽の適当な電話が原因だったらしい。今も代わりに秘書が頭を下げている。
「屋敷内に従者は入れてないのですね」
こちらの訪問にわざわざ四術士の大我が出てきた事から考えると、他の従者はいないのだろう。
千足の質問に、大我は答える。「朝から家族以外の顔を見るとか嫌だろ? だから出勤は昼からって事になってる」
分からなくもないが、千足は既に従者までが家族の一員と思っているので、完全に頷く事はできなかった。
そこで大我は千足の顔をじっと見る。傍から見ればヤクザが少女を睨んでいる光景だ。
「随分としっかりしてるな。彩芽のばーさんとは大違いだ。血は争えないっていうが、本当にあの人の子供か?」
「そんなに疑わないで下さい」千足は苦笑する。
「では――」話を切り替えたのは、秘書だった。「本題に入るとしましょう」
真剣な顔つきに、場の緊張感が高まった。千足も思わず息を呑む。
しかし大我は懐から、大きな瓶を取り出した。焼酎だ。
「先ずはコイツで楽しんでから、話合いといこうぜ。あーでも、千足ちゃんは飲めねえよな。アイツがいりゃ、良い話相手になったかもしんねえのに」
千足は十五でまだ飲める年ではないが、日中から飲むのもどうかと思われる。
そして千足はアイツとは誰なのかが気にかかった。
「その……アイツというのは、どなたなのでしょうか?」
「丁度同じくらいのガキがいるんだよ。朝陽って言うんだけどな」
「え、朝陽――」
その名を聞いた瞬間、千足は目に見えて驚いた顔した。
「なんだ、知ってんのか?」
それから、早朝に朝陽に助けられた経緯が話された。
大我は自分の事のように嬉しそうに笑う。「アイツも立派になったなぁ。義理の兄として嬉しいもん
だ」
先程までの怖いイメージとは打って変わって、親バカならぬ、兄バカを感じた。
気分が上がったのか、大我は酒を注ぎ豪快に飲んだ。その高揚は秘書にも向けられ、酒が注がれる。
「職務中ですので、飲酒は……」
拒否する秘書に、酒を近づける。
「固い事言うなって、これも仕事の内だよ」
何度も強要され、秘書は渋々といった感じで応じた。
そしてその行為は帰りに響く事となる。
話も積もり、数時間ほど雑談をしたところで、十文字は六車家を後にした。話が逸れたせいで本題は特に話せなかったが、偵察程度と考えればいいのかもしれないが。
ただ、千足を含め従者三人には、寧ろ偵察されたようにしかみえない。酔いつぶれた秘書を見てしまっては。
「負けませんよぉー、大我しゃーん」
礼儀を重んじるところが長所だというのに、この醜態だ。
「おいおい大丈夫か? 危なそうならうちの従者に送らせるが」
大我の方は相手を気遣う余裕を残している。酒には強いようだ。
「全然平気でしゅよ。心配ごむよー」
平気と言いながら今も、従者の肩に手を置かなければ立っていられない始末だ。とはいえ、千足も迷惑はかけられないと思っていたところだった。
「ご心配、感謝します。ですが、勝手にお邪魔したのは私達ですので、付き添いは御無用です」
「ホントにしっかりしてんな。んじゃ、任せたわ」
大我とも別れの挨拶を交わし、十文字一行は山を下りるのだった……。
帰宅してから酔いつぶれた秘書に代わり、千足が事の顛末を伝えると、意外にも彩芽は満足した様子だった。どうやら大我と酒を交わして近づけた事が理由らしい。
ともあれホッとした千足は、その日、早くに眠りついた。まるで死んでいるかのようにぐっすりと……。




