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天使




 十文字邸。訳あって今は栃木に構えていた。それも山中近くの人の寄り付かない場所に。



 十文字本家の人口は、十文字の名が四人。従者が二十四人だから、一般的には大世帯といえる。しかし殆どは一般家庭の家政婦みたいなもので、近くに屋敷を設けてそこに住まわせている。


 一人の老中と、秘書のような役割をしている女性を除いては。


 

 なので大きな屋敷内を少ない人数で持て余しているかと思いきや、日中はみなが屋敷内でなにかしらの雑務をしている為、賑やかであった。






 木製の廊下から庭には出る事ができた。砂利の地面の上には丸い石道があって、通り道となっている。

そこを丁寧に歩き、動物の象を模したじょうろを持っているのが、十文字千足≪ちたる≫だ。




 小さな顔に遠目からでも分かる大きな目がそつなくおさまっている。髪形はショートボブで綺麗なストレート。サイドの髪の一部だけを長く伸ばした変わったものにしている。


 落ち着いた中に、優美さと温かさを持ち、傍目からは独特で他にはない神秘的な雰囲気を醸し出している。


 基本的に和服などを身に着けていて、今も巫女服を着用している。上は普通の白衣だが、袴の方は薄いピンク色をしている。草履から足袋まできちんと着こなす様から、几帳面さが伺えた。







 三月の今は丁度、庭の右側にピンクのシダレウメが咲いている。雨が降り注ぐようなその姿からは凛々しさを覚える。他にもハナミズキや差し色となるブルーのアジュガなどが咲いている。


 その一本一本に丁寧に、千足は水をあげるのだった。



 時には顔を近づけ、言葉を投げかけたり。勿論、返ってはこないのを承知の上だが、孤独にいる花を見ると、やらずにはいられなかった。



 そんな時、背後からそそくさと従者の一人が近づいてきた。屋敷内には五人ほどしかいない男の従者だ。


「千足様、水やりくらい私どもがやります。お部屋で休んでください」


 少しきつめに言ったが、千足は止めようとはしなかった。

「これくらいじゃ、甘えられません。皆さんにはいつもお世話になってるんだから、水やりくらい自分でやらないと」



 従者達は当主であるアヤメに、十文字家の者には無理をさせずサポートをするようにときつく言われている。そのせいであのような口調になっているのだが、千足は毎度、気分を害した様子などなかった。


 それどころか……。足を注視し、ある事に気づいた。「足引きずってますね、怪我してるんじゃないですか? 見せてください」



 そのまま従者は千足に引かれ、庭の前の廊下に座らされた。大丈夫だと抵抗しながらも、相手の方が格段に立場が上となると、無理に拒否もできない。されるがままに、足首をさらすと痛々しい傷跡ができていた。



「やっぱり。どうしたのですかこれは」


 訊くやいなや、優しく手を当てて治癒の呪術をかけた。



 その概要は山に芝刈りに行ってる時に転んで怪我した。というつまらないものなのだが、千足は丁寧に治療を続けた。


 こんな千足と過ごす従者達は口を揃えて、『天使』と彼女の事を敬称する。その微笑みと優しさからは、背中から翼でも生えそうな程だ。




 従者が去り伸びをした千足を見て、老中の男が優しい笑みを浮かべている。この人も和服を綺麗に着こなし、白い髪や髭や整え清潔感がある。厳かさよりも優しが前にでるタイプのおじいさんだ。


「しっかりしていますな、千足様は」


「お爺様、いらして居たのですね」

「ずっと見ていましたぞ。千足様は孫同然に愛していますからな、当然です」


「なんだか少しゾッとしますね」苦笑いを浮かべても、老中は一切動じなかった。



 千足が座している隣に老中も座り、濃いお茶と団子を差し出した。

「これは花より団子というお爺様の洒落ですか?」


「滅相もございません。毎日、大切に愛でている花より上などとは」


 上品に小さく千足は微笑んだ。「冗談ですよ、からかってみただけです。私はお花もお団子も好きなので、花も団子もですね。……少し贅沢すぎますよね?」


「千足様の万人……いや、万物を愛でるお気持ちが伝わって来て、良いと思いますよ」

「大げさに言わないで下さい」


 否定し、一服したところで、老中が目を光らせた。「無い」



 え。小さく千足の口から漏れる。




 老中の方を見ると、串団子が先ほどまで三つあったはずなのに、一つが消えて二つになっている。


 老中と逆の方を見ると、黒猫が団子を加えていた。そして盗みをやらせたのは、千足よりも小さな女の子だった。



 銀色の髪をした幼女と呼べるほど、小柄な少女。十文字千夜だ。


「よくやった。チオマル。さあ、お団子を渡すです」

 手を差し出したが、千夜に団子を返す気配は見られない。寧ろシャーとなき、犯行の姿勢を示している。


「逆らうとは良い度胸です」


 そうして小さな黒猫と小さな少女の喧嘩――傍からはじゃれあいが始まった。




 二人のやりとりの仲裁に入ったのは、老中だった。「千夜様はなぜこうも子供っぽいのか! 団子一つで飼い猫と喧嘩とは……。千足様を見習ってください」


「うるせぇです」

 千夜に暴言を吐かれてから、今度は黒猫が老中の顔に飛びかかり、爪で引っ掻いて来た。呻く老中を見ていられず、千足は身体を乗り出す。



 ――チオマル。


 小さく呼びかけると、黒猫は千足の膝元に寄り沿ってきた。



「このお団子はお爺ちゃんのだから、返して」そう言って千足が手を出すと、黒猫はあっさりと団子を返した。


 それから――。三人と一匹は並んで団子を食べた。猫には猫用の団子を。






 こんな平凡で温かな日常を過ごす千足が、当主である十文字彩芽に呼び出されたのは暮れ始めだった。平凡だけではない。それは呪術家庭の上流に生まれた定めだった。



 緊張した面持ちで部屋に入ると、煙管を吹かした彩芽がひじ掛けに掛けて待っていた。


 頭の上に櫛で団子状に髪をまとめているのにも関わらず、長い髪は胸くらいまで流れている。櫛をとればかなり長い毛髪量なのが窺える。艶のある顔つきで、切れ長の目が特徴的だ。


 赤が差し色になっている和服は肩まではだけ、気怠さが窺えた。




「失礼します、お母さま」

「あら早いわね、千足」

 そのまま彩芽は座るように促した。千足は正面の少し離れた場所に正座をする。


「今の十文字家に足りないものがなにか分かる?」

 その問いかけに、千足は考え込む。


 新たな四術士として千夜も入り、領内も平定して安全ときている。足りないものなどあるのだろうか。少なくとも考えつきはしなかった。



「内政や外交は少し疎くて……」

 申し訳なさそうに千足は言った。


 どちらかといえば、従者の健康状態や悩み、花の様子、食材の貯蔵量。そういったものの方が、千足は詳しかった。


 温厚な性格や、争いが好きでは無い性質からなのだが、平和ボケしているのを偶に悔いる事もあった。




「そりゃあ、決まってるでしょ。人員不足よ」


 十文字家はある原因から女性の従者が圧倒的に多い。四術士もマントラ家系で唯一、女性を採用している。



「無理に増やす事もできないし……、そこで考えたのよ。六車と手を組む事をね。最近、あそこは急激に力を付けてるでしょ。といっても烏合の衆だけど」



 ここ数年程、なぜか六車は無作為に人員を集めている。それに乗じて、勢力として弱い十文字が手を組む。同盟を結ぼうという魂胆らしい。



「だから拠点を一旦、栃木に移したの。言ってなかったけど分かったでしょこれで」



 でもそれは――。「マントラ同士が一つの家系と同盟や、それに似た行為をするのは原則、禁止ですよね」

 生真面目な千足らしい切り返しだった。


 

 拮抗を崩さないよう、または悪だくみが起こらない様にと、創設者四之宮恵慈によって決められた事だ。そのマントラの意志ともいえる文書は、マントラ家系において絶対的な力をもっている。




「同盟なんて言ってないでしょ。親交を深めようって話よ。杯を交わすのなんて四之宮と百瀬の爺さん達もやってるでしょ。なにも違反じゃないわよ」


 裏を掻いた工作。そんな気がしてならなかった。それにまるで、戦争に備えての下準備みたいではないか。


 千足は賛成する気にはなれなかった。


 下を向き、好意的ではないのを察し、彩芽はある人物の名前を出した。

「これは千種≪ちぐさ≫の為でもあるのよ」


 低い彩芽の声に千足はハッとする。



 十文字千種。千足よりも十下の男の子で、血の繋がった弟。まだ五歳で千足や従者達に甘えている。だがそんな千種の事を、千足は溺愛していた。



 彩芽はこう言いたいのだろう。備えをしておかなければ、いつか千種に危険がおよぶかもしれない、と。


 優しい千足がその名を出されて、断れないのも分かって。





 煙管を吹かせてから、彩芽は告げる。「腹は決まったわね。千足には六車家本家にいって、親睦を深めてもらう。先ずはそこからよ」


 千足はただ頷くしかなかった。



 物心付いた頃には、女手一つで育ててくれていた彩芽の事は好きだ。けれど、強引なところには少しムッとしてしまう。



 そこで彩芽の横に、秘書として扱われている女従者が現れる。

 長いストレート髪に、すらっとした体つきで、できるお姉さんといった風貌の女性だ。しかし性格は、心配が人の形をしているような感じである。勿論、やる事はできるのだが。



「護衛にはこの子を含めた四人を付けるから、心配しなくていいわ」


「なにがあろうとも、千足様を守らせて頂きます」頭を下げる秘書。


 心配しているのは自分の身じゃなくて、千種の事だ。内心でそっと、千足は思った。



「決行は明日だから、宜しく」艶のある表情で彩芽は告げた。


 あまりに急すぎる……。せっかちなのは昔からだが。



 宜しくお願いします。と、秘書がもう一度頭を下げる。



 親睦なんて簡単に深められるものじゃない。最悪、自分が政略結婚なんて事もあるのではないか。そんな嫌な予感もしてくる。



 今日一日、億劫な気持ちで過ごすことになりそうだ。千足はそう感じた。









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