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真実





 血界解放によって超スピードを手に入れ、圧倒していたのだが、エジがその速さに慣れるのも時間の問題だった。



 四方に瞬時に移動し攻撃をかましても、全体防御によって通らない。それもただの護ではなく複雑な術式を編んでいる為、容易に破壊もできない。そしてもう一つ分が悪いのは……。



 両手を前に突き出すと、世界に何気なく存在する呪力がエジに吸収される。それはエジの呪力が無尽蔵であるという事を意味する。このまま消耗戦をしていても埒が明かないどころか、こっちがばてる。


 一度、攻撃を止め思考を巡らせる。なにか打開策はないかと。




「今度はこっちの番だ」

 呪符を出したエジがそれに呪力を籠めた。作戦会議はさせてくれないようだ。


「式神召喚――鴉」


 呪符から黒い鳥が多量に出現し、襲い掛かって来る。それ自体に大した殺傷能力は無かったが、俺の視界からエジが消えてる事に気づいた。これは……目くらましだ。



 察するとほぼ同時に、エジの腕が俺の首元へと伸びる。間一髪でそれを躱したが、間違いなく呪力を吸い取るあの術式が施されていた。一度でも触れられればゲームオーバーか。





 相手に主導権を与えないため、こちらから仕掛ける。といっても全体に護をはられれば、如何なる攻撃も意味をなさない。


 唯一、つけ入る隙があるとするならば、俺の呪力を奪おうとする一瞬。その瞬間だけは護をはれない。だがそこを狙うのは現実味に欠けている。



 もっと決定的な弱点はないだろうか。転生した身体ならなにか不都合があっても良いような気がする。エジは完璧過ぎるのだ。心、技、体。その中に何か一つでも付け入る隙があれば――。




「このまま時間が経てば、どちらにしろ良太郎の呪力は尽きる。諦めろ」


 言い返してやる。そんな気持ちもあった。ただその前に、なんだろうか。繋がるものがある気がした。


 ――縛。


 その言葉で意識が戻り、自分に無数の鎖が迫っている事に気づく。それも炎纏った。


 それぞれに意思があるような動きをする鎖を一度、躱したかと思えば、エジから多量の発。どうやら仕留めに来たらしい。



 腕で弾き返している途中、地が割れてバランスを崩す。が右足で踏ん張り、力の入れた方向へなんとか逃れる。


 だがそれは、エジの予定調和だったようだ。俺の目の前に、力を溜めたエジが立っていた。護で強化された拳が確実に俺のみぞおちを捉えて来た。


 勿論、止められる術は無く、身体は壁に打ち付けられる。





 これはさすがに効くな……。維持してられる時間も後、数秒だろう。



「俺は、哀れで呪力に縋る弱い術士達に天誅を下す。だから良太郎、……友であろうと容赦はしない」


 思わず、笑い声が出る。「なんだよそれ、父さんの受け売りか」



 一瞬、エジが戸惑った。その時を見逃さず、走り出す。正面に向かって来た俺に向けて、神の力を発動させた。



「お前の意思はどこにあんだ」


 最後の呪力を使い、エジの背後へと移動する。

 そこで完全に、俺の呪力は切れた。血界解放は終わり、立っているのも苦であるくらいに身体が怠くなる。



 けど最初から決めてた。一発だけ、それだけでいいからコイツを殴って目を覚まさせてやりたいと。


 だから――「いい加減、目ぇ覚ませよ!」


 俺の拳は、後ろを振り返っていたエジの頬にクリーンヒットした。


 勢いに乗ってそのまま吹き飛び、壁に打ち付けられる形でエジは止まる。自分自身も倒れそうになるが、なんとか足で踏ん張り耐えた。



「なぜだ……なにが起こって……」

「簡単だよ。俺はもう呪力が切れた。だからお前に感知ができなくなったんだ」


 転生の代償は大きかったのだろう、だからエジには普通の人間とは違った劣った部分もできた。


 先ずは髪。理由は分からないが、白い髪は色素が抜け落ちている。

 そしてもう一つは目。あの虚ろで焦点の合っていない目は、本当に見えていなかったのだ。最初に会った時から違和感はあった。そしてエジが人の場所を知り得る方法は精度の高い感知能力。体内に呪力を宿している人間の位置なら正確に分かるのだろう。


 あくまで推測の積み重ねだが、今のエジの顔は恐怖に歪んでいる。


 生まれながら普通の暮らしとは全く異なる生き方をし、世界を救う事が生きがいであったエジにとって……。

 神の力を授かり、最高技術のスキルを得たエジにとって……。



 その恐怖がどこから来るものなのか、俺には分かりかねる。


「けどなぁ、俺でも一つ言える。ガキならガキらしくしろよ。辛気臭い顔すんな、明日に楽しみがあるって思ってりゃいんだよ」


 本当、昔の薫子を思い出す。


「理解できないぞ、良太郎。明日、世界が消えるかもしれない。大好きな人間も消えるかもしれない。それなのに楽しいと思えるはずがないだろ?」


 一歩、エジに近付く。


「違うよ。完全偽悪の世界の孤高なヒーローの時代は終わったんだ。世界を救うっていうなら……俺も一緒に背負わせろよ」


「一緒に……。そんな事が可能なのか?」

「あー、どうだろうな。けど俺を友達って言ってくれた以上、有無じゃ語れない」


 彼の前に立った俺は、手を差し出す。

「だからその一歩としてさ、お前の本当の名前教えてくれよ。他人の名前じゃ窮屈だろ」


 俺の手を掴んでから、その名は自然と出て来た。

「――晴明≪せいめい≫だ」


「良い名前じゃん。他人をなぞるより断然」




 やり終えたからか、途端に身体が怠くなり、後方に倒れた。背中に痛みがはしったが、アドレナリンが出ているのか痛みはあまり感じない。


「水無君!」

 薫子の声が聞こえた。けど、反応してやる余裕は無かった。寧ろ、死後の世界での再開という可能性もある。


 いや――無いな。死んでまで薫子の顔を見るなんてごめんだ。しかもなんか悲しそうな顔をしている。俺は強気で、強気すぎるくらいの方が好みだ。


 その時だった――。夢の中でキスをされたのは。


 というか、予期はしていたから拒もうとしなかった俺も悪いんだが。段々と顔が近づいて来ていたし、なんか途中から目を瞑ってたし。


 だからその……。「これ、夢じゃないだろ」

 勢いよく声を発すると、泣きながらに薫子が微笑んだ。「良かった、走馬燈にならなくて」


 こんな時まで皮肉かよ。



 ただ責める気にはなれないな。

 薫子の呪力を受け取ったせいもあってか、ほんの少しだけ身体が楽になった。



 俺の中ではエジ……ではなく晴明とも和解して取り敢えずは解決。という事になったのだが、薫子はそうはいかないらしく。鋭い視線を向けている。


「貴方達のやった事は簡単に済まされる事じゃないわ。呪力によって世界が滅亡するという確かな根拠があるわけじゃないし。一度、四之宮家で事情聴取という形になると思うけど。構わないわね」



 晴明は無反応で、ただ状況を把握するのに手間取っている感じだ。


 ただこのやり方には了承しかねる。話が変に拗れて、晴明にあらぬ疑いがかけられては溜まったものじゃない。


「おい、薫子。そんな――」

「そんな事をする必要は無いわ」


 俺の言葉は途中で途切れた。別の人物によって紡がれたからだ。


 その声は、俺の近くから聞こえたものではない。いつの間にか、俺とエジの戦いで壊れた外壁と天井。その一部に腰降ろした人がいた。逆光となっている月で直ぐに判別はできなかった。


 ただ次の言葉を聞いて、俺は身体が震えた。

「ハロー♪」


 この状況の中で笑って、楽しそうにしていられる人物を俺は一人しかしらない。


 ――四之宮桜子。





「なんで姉さんがここに」

 薫子が何気なく訊いている。


 実際、桜子さんがここにいるのは変な話だ。派閥の件で東京に勢力が集結しているはずだし、なにより桜子さんは本家の長野にいるはずだ。偶々とは到底、考えられない。



「それはその子に訊くのが早いんじゃない」


 桜子さんが示した人物は、晴明だった。なぜここで彼が出て来るのか、全く理解できない。

 だって、それじゃあ……。



「あの人は、父に計画を持ち掛けた人だ」

 晴明の言葉を直ぐに信じる事はできなかった。嘘を付いているとかじゃなくて、桜子さんの怪しさ、不気味さは、黒幕とかそういう類いのものじゃない気がしたからだ。



「冗談は止めて下さいよ。確かに、暗躍とか好きそうですけど」 

「嘘は好きだけど冗談は嫌いなのよね」


「……なら本当に桜子さんが」

 問いの答えは、短く感情の動きの無いYESだった。


「ええ、アタシよ」




 もしこれが本当なら、合点のいく部分も数多く存在する。それは桜子さんが知り過ぎていた事。


 キスの件を桜子さんが知っていた事も説明が付く。派閥と関りがあるなら、告げ口されてもなんの不思議でもない。俺は彼女ならなんでも知っているのだと、非科学的な論理で納得していた。それがそもそもの間違いだった。


 ただ知っていた場合、四之宮家ので言動には意味がある事になる。



「薫子を学校に通わせるように仕向けた理由は……」

「いない方が都合が良かったからよ。派閥の連中と会ったり計画を進めるのに」


 おかし過ぎる程、合理的だ。だから余計に腹が立つ。


「こんな計画のせいで晴明の人生は狂ったんだぞ! なんでそんな平然としてられるんだよ!」


 桜子は微笑を浮かべるのみだった。その表情からは一切の人間らしさや、感情の変動を感じられない。


「狂わせたのはアタシのせいじゃないわよ。七瀬さんと接触する前から、言葉もまだ喋れないエジ君に転生の術をしていたもの。アタシがしたのは計画の成功率を上げる提案に過ぎない」


「なんの責任逃れだよ……。大人なんだろ? 子供の間違いを正すのが当たり前だろ。その時に晴明を救えたんじゃなかったのか。間違ってるって、言ってやれたんじゃないのかよ!」


「間違ってる、か……」


 その時、背後から数人の足音が聞こえて来た。

「良太郎!」「水無君!」


 後ろを振り返ると、朝陽と天津。そしてなぜか、仁先生が増えている。ともかく、二人が無事で助かったが。



 ただ仁先生は朝陽に支えられる形で立っている為、かなり手負いらしい。


「僕の聞いていた話より、進展しすぎて頭が追いつかないんだけど」

 そこで仁先生は、桜子へと目線を移す。

「なんで君が?」



 朝陽と天津にも違和感はあるはずだ。ただ雰囲気に押されてか、桜子に対して一言も発していない。


「あら、妹が上手くやれているか見に来ただけですよ。先生」

「それなら次からは学校に来てほしいね、こんな物騒なところじゃなくて」


「それはすいません。でも妹は四之宮の娘ですから、なにかと御不都合あったんじゃありません?」

 不敵に、桜子が笑った。



 その言葉で混乱するのは、朝陽と天津。

「四之宮の娘って……。良太郎の姉ちゃんじゃなかったっけ?」

「そうだよ、なんの冗談……」


 まずい。

 このままじゃ桜子のペースだ。


 考えなしに、俺は叫んでいた。「適当な事を言うのは止めろ! 確かに、アンタは俺の姉じゃないが、薫子も――」


 薫子は手で俺の言葉を制した。

「今更、否定しても意味ないわよ。いつかはばれる事」


 桜子は口笛を吹く。まるで全てを愉しんでいるかのように。

「前より頭良くなったじゃない」



 なにが起きてるか、なにが嘘でなにが真実なのか、理解できずに悩んでいる朝陽と天津の姿を一瞥して、薫子は悲しい顔をした。

「ごめんなさい、今まで騙していて」



 その時、桜子の笑い声が響く。

「薫子が人に謝るなんて、嘘みたい。苦労して学校に行かせた甲斐があったわね」


 この人は……。人を、自分の家族でさえも、なにも分っていない。


 薫子は可愛げなくて、強情で、一言余計でムカつく。嫌な思い出も多くて苦労ばっかりだったけど、人並みに優しいところもあるし気を遣えたりもする。時には悔しがるし、泣いたり、自分の過ちを反省したりもする。

 普通に接していれば、そんな当たり前の事は分かる。なのに、この人はなにも分ってない。



 睨みつける俺に、桜子は冷たく笑いかけて来た。

「良太郎君に感情論なんて似合わないよ。合理的で余計な思考が介入しない、論じ合い。そういうのをしてくれると思ったんだけど」


「それはアンタの想像で、俺じゃない」

「もう、桜子さんとは呼んでくれないんだ」

 残念そうに頬を膨らませているが、どこまでが本当か分からない。




「じゃあ、さっきの話の続きをしよっか。一言でまとめるなら……間違っているのは世界の方」

「違う。子供が犠牲になって、皆で喜び合う世界のどこが正しいんだ」


「極論ね。でもそっちの方が正しいわよ。世界はなにかを犠牲にして、いつも廻っている。受け入れられないなら死ねばいい。けどそれは勿体ないから、世界平和への有効活用へ。凄く合理的で頭が良いと思わない? ……あれ、アタシなにか変な事言ったかな」


「変だよ、狂ってる」

「だったら貴方が死ねばいいじゃない」


 一瞬、世界が黒く染まるようなそんな鈍い感覚に囚われた。


 責務の転嫁。もし本当にそれしか方法が無いというのなら、俺はそうして自分自身を殺してしまうのではないか。そんな気がしたからだ。


 ただそれを認めてしまえば、俺の言い分に矛盾が生まれて壊れる。

 だから怖くて……仕方がなかった。




 俺のそんな畏怖とは関係無しに、彼女はまだ話を続ける。まるで俺に教えを説くように。神の啓示のように……。


「良太郎君は正しさを一度、見つめ直すべきね。アタシを間違いという程、自分の正しさに囚われているのなら、アタシも同じくらい正しいと思っていても不思議じゃないでしょ? だからそこに正義なんてものは存在しないのよ。第三者からしたら自己満足の押し付け合い。滑稽でしょ」


 彼女の意見に反論はできなかった。黙って聞く事しか。



 桜子さんは人差し指を立ててから、話し始めた。「じゃあここで一つ、授業♪ 正って言葉の語源はなんでしょう?」


 鼻歌でカウントダウンを始め、急かす。ただ俺に答えは解らない。だから答える事もできない。


 不意に鼻歌は終わり、気づけば俺の目前に桜子さんの姿はあった。


「正解はね、敵を滅ぼして正す事……。でした♪」


 じゃあ……それじゃあ、俺は今まで相手を滅ぼして、自分の正しさを押し付けていただけって事か。洗脳みたいに。


 それが極論で、少しおかしな考えだというのは分かる。

 けどもう、俺には何が正しくて、なにがおかしいのか分からない。自分が今までやってきた事は理不尽な世界での反撥に過ぎず、本当に自己満足だったんじゃないかと。 


 ――世界の渦に呑み込まれそうになる。



 今なら少しだけ、ほんの少し、彼女の表情の、目の奥にある闇が理解できる気がした。

 知ってしまったのだ。自分の生きている世界の恐怖、理不尽さ、可笑しさ、狂気のような世界の前ではどんな思考も無意味であると。



「ほら、これで全部振り出し。だから皆で答えの無い正解を探しましょうよ。なにを守って、なにを犠牲にするべきか」



「ふざけないで!」

 薫子の声だ。


 今更、なにを反論しようというのか。彼女の理論は完璧とかそういうんじゃない、それでも反論の余地が無いくらいに壊れていて洗礼されている。



「聞いてれば姉さんも水無君も、まるで自分が神様気取り。おかしいってもんじゃないわよ」


 桜子は見下すように、薫子を見た。「良太郎君は直ぐに理解したわよ、やっぱり貴方は幼稚ね」


「幼稚でもいいわ。世界なんかに呑み込まれ、自分を見失うよりは」

 二人は睨みあうように見つめ合った。


 でもそれじゃあ、結局は一緒じゃないか。どんな考えも全部、無意味なんだ。



「へー、良い顔するようになったわね」

 そこで桜子さんは伸びをする。それから俺達に背を向けて歩き出す。「七瀬さんが上手くやってくれれば、こんな面倒をする必要は無かったのに。あー疲れた」


 その時、崩れた岩陰からあの時の男が姿を現す。


「……父さん」それを見て、晴明はすぐさま駆けだした。


 無理やり止められる程、力を残したものもいなければ、自分に止める権利があるのか疑い始めていた。


 だから彼らが俺達の前から姿を消すのを、黙って見ているしかなかった――。










次に目が覚めたのは自室のベッドの上。といっても宿舎のだ。 いつの間にか家まで送り届けてくれている。などと甘い考えは通らなかった。


 しかし朝の授業は形的にさぼってしまい、今は閉会式真っ只中となっている。先生の話もまるで入ってこない。





 先程、聞いた話だが、薫子と朝陽は家族の迎えが来て早々に帰ったらしい。まあ俺達とは身分も違うし、当然だが。四之宮家はなにかとごたごたしているかもしれない。


 残った天津と俺はこうして閉会式に参加させられているわけだ。ここでまた小碇先生の一発ギャグが炸裂した。とりあえず苦笑しておく。



 千夜はといえば手練れの術士三人を一人で相手したとあって、軽傷では済まなかったらしい。ただ十文字家には戻らず、合宿先に留まっている。今回同行したのはあくまで四術士としての仕事だから、最後まで見届けるとの事だ。プロ意識が高い。


 そして桜子、七瀬桐蔭、晴明は――。未だに消息が分からない。計画を遂行しているのか、他の方法を模索しているのか……。



 だがもう俺達の出番は無いかもしれない。今回は偶々、遭遇したというだけであって、まだ子供なのだ。大人の事情に首を突っ込むのはもう……。




「なにを呆けてるんだい、みんなバスに移動してるよ」


 辺りを見回すと、移動を始めている。どうやら考えすぎていたようだ。


 目の前には腕を包帯で固定し、ところどころに絆創膏を貼っている仁先生がいる。

 俺は黙って生徒の流れに乗り、バスへと移動しようとした。のだが、背後から声をかけられて足は止まる。



「お別れの言葉も無しかい。東京もんは薄情やなぁ」

 俺はどちらかといえば、長野だ。


 振り返ると、京花さんが微笑んでいた。


「なんや暗いのぉ」

 鏡は見ていないが、沈んだ表情をしているかもしれない。あんな事が起こった後に明るくいろという方が、まあ無理な話だろう。


「色々あったんです、だから一人にしてくれませんか」

「失恋か?」


 この人はなぜこうも能天気なのだ。「違います」


「けどなぁ、暗い時こそスマイルやで」

「スマイルって……。形だけじゃなにも変わらないだろ」 


 自信満々に京花さんは指を振った。「そうとも限らんで。かに道楽!」


 すると次の瞬間、京花さんは腕を上下に高速で振った。それはどことなく、カニに見えないでもな――。ははっ。


 笑うつもりはなかった。なのに馬鹿馬鹿し過ぎて、自然と……笑いが。「あはははははっ!」


「ほれほれ! 笑うと気分楽になるやろ?」


 急に真剣になった京花さんの前で、笑っているのが恥ずかしくなり、口を閉じる。

「ま、まあ多少は……」

「せやろ。だったら東京に帰っても、笑顔でいなあかんで。分かったか?」

「善処しますよ」



 それから別れの言葉を告げ、バスへと乗り込んだ。


 もしかしたらあの人と会うのはこれで最後かもしれない。けど最後に大切な事を教えて貰えた気がする。多分、みんな色んな思惑に惑わされて先を失いそうになっている。




 だから俺まで沈んでいてどうすんだ。帰ったらまた、D組のみんなでいつも通りに過ごすんだ。それを大人の事情なんかで奪われてたまるか。



 バスからの風景はいつの間にか、見慣れたものに変わっていた。良い事も悪い事も沢山あった街だったが、最後となるとやっぱり名残惜しい……。





 

 帰った日は金曜日で、土日を挟んで休むことができた。そして今日、月曜日は久しぶりの登校日だ。だ

からといって変わるつもりは無い。今まで通りに俺は、扉を開け外に出た。


 だが無情にも世界は変化し続け、いつも通りを望んだ俺は、昨日に取り残されたのかもしれない。

 扉を開けた先に、彼女の姿は無かった――。









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