交渉
まるで状況を把握できなかったが、断る事も出来ずに部屋に入れた。とはいえ、あんなふうにお願いされるなんて、俺がしどろもどろになってしまった。
お茶を淹れるかと訊いたが遠慮されたので、座布団を引いて腰かけてもらった。少し距離をとったところで対面する。
家に女子を入れるというのが初めての経験のせいで、どうも落ち着かない。変なものはないだろうか。直ぐに確認して、目の届く場所からは消したので大丈夫なはずだが……。
一方の薫子は、沈んだ顔をしている。
そしてこんな状況が既に、五分続いていた……。
「いい加減になんか言えよ」
ついつい大きな声を出してしまったが、薫子は俯いたままだ。なんだか調子が狂う。
「そうね。こうしててもなんの解決にならない」
「俺はその問題すら教えられてないんだが。……なんの為にここに来たんだよ」
まさか俺に悩む姿を見せたい。なんて事は言わないだろう。
そこで薫子はようやく重い口を開いた。
「実は……母親が来るの」
多分、口をあんぐりしていたと思う、
「良かったじゃないか」
母親が態々、東京にまで会いに来てくれる。そんな嬉しい事は無い。思春期となればうざいとか思うかもしれないが、やはり感謝するべきだ。
前に四之宮家に行った時は会わなかったが、どんな人なんだろう。
「良く無いわ。だって母は、私を連れ戻そうとしているんですもの」
それから薫子は家族について話してくれた。
烏枢沙摩高校に通う事の一番の問題は、父ではなく母だったのだそうだ。あの時は、母親が海外に行っている間の強行作戦とのこと。俺はまるで知らなかった。
光茂さんが過保護なのは知っているが、母はもっとやばいらしい。
とはいえ――。「家族間の問題を俺に相談されても困るんだが」
「どうすればいいかを訊く気はないわ。気持ちは決まってる。だから回避方法を考えてほしいの」
なぜ俺に相談するか謎だ。
訊いてみると、「水無君はこういうの得意だから」とあやふや回答された。
それではまるで、悪知恵が働くみたいではないか。頭が良いとか、気が利く返答をしてくれれば、少しくらいやる気になったのに。
とはいったものの、いきなり作戦を考えろと言われても案なんて浮かんでこない。第一、俺はその人の細かな性格も知らない。
「それでいつ来るんだ?」
少しでも情報はあった方が良いであろう。そう思って訊いたのだが、答えは俺の想定を超えていた。
「今日」
あまりに突拍子が無く、俺は同じ言葉を訊き返した。するとまた、今日と返って来た。
どんなに訊き返しても答えは変わらないらしい。二人でため息を漏らした。
取り合えずこれから作戦を考案しよう。そんな流れになった時。突如にインターフォンが鳴った。
俺と薫子で顔を合わせる。
薫子の親なのだから、俺のところのインターフォンを押すわけがない。だがもし、俺の話を聞いて会いに来るという可能性も考えられなくはないだろう。そのせいもあって、俺と薫子の間に緊張がはしったのだ。
薫子は半笑いで言った。
「水無君は友達多いものね。日曜日もインターフォンが良く鳴るのね」
「生憎、東京に来てからインターフォンは腐ったも同然でな」
みるみるうちに薫子の顔色が悪くなる。
旧式の寮のインターフォンは、扉の穴を見なければ誰が来たか確認できない。
忍び足で扉の前まで近づき、小さな穴から外の様子を窺った。すると、薄い青のつなぎを着たお兄さんがいた。手には段ボール。どうやら宅配便らしい。携帯もパソコンもないので頼んだ覚えはないが。とはいえ一安心。
後ろで座っている薫子に、親指を立てる。大丈夫だという合図だ。
扉を開けて、貰った荷物に判子を押した。空いてるスペースにそれを置いたところで、今度は安堵の息が漏れる。
「母が来た時に、水無君の部屋にいるのはまずいわ。一旦、部屋に戻る」
それには俺も同意だ。例え、キスをした相手だと知らされていたとしても、それは故意ではなかった。だが俺の家に上がっているとなったら話は別だ。しかも真昼間から。
「そうだな。連絡は電話でとりあおう」
薫子が部屋を出ようとして、扉を開けた時だ。……動きが止まった。
なにかと思い近付くと、扉の先には和服を綺麗に着飾った大人の女性がいた。遠目から見れば、二十代にすら見えてしまう美しい顔立ち。
その瞬間、この人が薫子の母なのだと確信した。
――最悪のタイミングだ。
「また大きくなったわね、薫子」
そこで俺を見て来た。
「そちらの人は?」
更には部屋の番号まで確認し出す。これはもう察しているだろう。
明らかに焦っている薫子が、「同級生の水無君」と紹介した。
冷や汗が出るのを感じながら、「どうも」と頭を下げる。
その人は上品に笑ってから、「薫子の母の、四之宮小枝子≪さえこ≫です」と自己紹介をした。
小枝子さんか。古風な名前だ。
それにしても、薫子がこっちでは水無と名乗っている事くらいは聞かされているだろう。なのに躊躇なく四之宮と名乗った……。
「今日で薫子は実家に帰りますので。色々、迷惑かけたと思いますが……」
既に決定事項のように告げて、小枝子さんは薫子の手を取った。しかしその薫子はすぐさま手を振り払う。
「帰らないわ。私はここに残る」
「なにを言っているの? ここに残ったって得は無いでしょ。昼間から友達の家に居座るなんて。しかも男の子」
そこを突かれるのはまずい。しかし既に、小枝子さんの目は俺を捉えていた。今すぐドアを閉めたい衝動に駆られる。
「水無君との関係がわたくしには、良いものに思えないわ」
本人を前にしてこの言い様。光茂さんとは大違いだ。凄く怖い。桜子さんとも違った怖さだ。
いうなれば、友達の家に遊びに行った時にお母さんが凄く冷たいときの感じだ。
なにも言い返せず、俺が黙っていると、薫子が口を開いた。
「ここに来てから、私は成長できた」
小枝子さんが鼻を鳴らす。
「呪術は成長したの?」
薫子は俯いたまま、なにも言い返せないでいる。
「ほらやっぱり」
「でも……!」
一度は反抗をしかけた、しかし方法が無いと思ったのだろう。また俯いてしまう。
本当に世話の焼けるお嬢様だ。ここは俺がビシッと言ってやるしかない。
「お言葉ですが、お母さま」
なんと呼んでいいか分からず、語弊を生む呼び方をしてしまった。だが後戻りはできない。
「薫子はこっちに来て、なにかと成長しました。呪術もそうですが、もっと大事なものが」
俺は高校から薫子の事を知っているのだ。人当たり詳しいつもりだ。その薫子がこれまでのような行為をする事は、成長という他ならない。
「では、どこが成長したのか見せてもらいましょう」
見せる。いや、それは困るぞ。俺はこう内面のものを言っているわけで、示せと言われて示せるものではない。
どっと汗が噴き出る
「まあ、その……。見てれば分かります」
なんとも抽象的な案だろうか。だが今はこれしかないのだ。分かってくれ薫子。
小枝子さんが手をぽんと叩く。
「だったら買い物でも行きましょうかしら。久しぶりの東京ですし」
という流れで俺までその買い物に付き合う事になってしまった。まるで桜子さんの時のデジャヴみたいだ。
急いでそれっぽい服装に着替えたが、やはり和服を着こなす小枝子さんには見劣りしてしまう。薫子も
支度をしてから、駅へと買い物に出る事になった。それにしたって、東京まで来るのに和服というのは凄い。世間体を大事にする家系なのか、そういう人なのかもしれない。
駅までは小枝子さんがタクシーを捕まえてくれた。車内では普段の薫子の様子や、家族水入らずの会話をしたりとそれなりに楽しかった。これで頑固でなければ良い母親だろう。
駅に着くと、高校生が好んで行かないようなデパートに入った。高そうな物が並んでいて、高級感溢れる雰囲気。まさにデパートだ。
香水やらネックレスを楽しそうに小枝子さんは見ている。そんな隙を狙って、俺と薫子は会話を交わす。
「どうやって母さんを納得させるつもり?」
いきなりそんな質問かよ。
「ちょっと人任せ過ぎやしないか」
「だって……」
薫子が寂しそうな顔をする。これには少し弱い。
「とにかく、普段通りでいればきっと分かってくれるはずだ」
「普段通りって――」
そこで小枝子さんに薫子が呼ばれてしまう。止むを得ずといった感じで、薫子はそちらに向かった。ネックレスを首元に当てられたりしている。遠目から見れば、やはり仲の良い家族だ。
それから幾つかの買い物を終えてから、デパートを出た。今のところはまるで納得してくれていないだろう。
「そろそろお腹も空いたわね」
と小枝子さんが言ったので、昼飯を食べる事になった。
その途中で出会ってしまった……。朝陽と天津だ。なぜ二人でいるかは不明だが、またもや最悪のタイミングだ。
お願いだから話しかけないでくれ。朝陽がデリカシーがないのは分かるが、今だけ異常なデリカシーと察しの良さを発揮してくれ。
「あ、良太郎に薫子ちゃん」
まあやっぱりそうなるよな。
話がこじれないうちに、さっさと消えてもらおう。
二人が近づいて来てから、天津は小枝子さんに目を向けた。
「あの、そちらの方は……」
「わたくし、薫子の母でしのみ――」
その瞬間、俺と薫子は大きな声を出した。言葉にならない言葉を。
小枝子さんは連れ戻すつもりだから、薫子を四之宮と打ち明けてもなんの問題もないと思っている。だがこちらとしては違う。四之宮と名乗られては困るのだ。
天津が戸惑いながら訊いてくる。
「どうしたの二人共?」
「息ぴったりだな!」
ここで朝陽も小枝子さんに目を向けて、「さっきはなにを言おうとしてたんですか」と要らない事を訊き始める。
その質問に慌てて俺が答える。
「し、シノノメって言おうとしてたんだよ」
なんで酷い弁明だ。シノノメってなんだよと思いつつも、それで押し通す事にした。
天津が、「なんでゲームの話?」とわけのわからない事を言いだした。
それは無視するとして、困った状況だ。
薫子が、「私の母です」と無理やりに話を巻き戻す。
そこで朝陽と天津も挨拶をしたのだが、小枝子さんがこんな提案をしたのだ、「二人に薫子の話を聞きたい」と。
まるで桜子さんのよう……。本当に親子だ。
そんな流れで、俺達は和食料理店に入る事になってしまった。周りは年配や家族連れが多く、高校生ばかりの俺達は少し浮いている。
席に座り、それぞれが注文を終えると話は勿論、薫子の話題になる。学校での様子などを窺っている。
「薫子ちゃんはD組と思えないくらい優秀ですよ。実践の成績でも一番だし」
「薫子ちゃんはわたしとも仲良くしてくれてます」
と二人は薫子を褒めている。けっして打ち合わせなどではなく、気を遣っているわけでもないのだろう。薫子はそれだけ高校で頑張っているのだ。
少しは響くかと思ったのだが、小枝子さんは当然だとばかりの顔をしている。
それからは昔の薫子の話やらをして、盛り上がっていた。ただ俺と薫子は気が気ではなかった。いつ危ない発言をするか。
そんな矢先、朝陽が言った。
「そーいや、お母さんに言ったの?」
俺の目を見ているので、俺に言っているのだろうが、いまいちピンとこない。
「なにがだよ」
「こ・ん・や・くだよ。ほら、娘さんを下さい。的なあれ」
本当に空気が読めないな、朝陽のやつは。
恐る恐る、小枝子さんの方を窺うと、異常なまでの笑みでこちらを見ている。あー、帰りたい。直ぐ帰りたい。
昼を食べ終え、一度、解散になった。朝陽と天津は遠慮して、そこで別れたのだが、もう少し早く遠慮してほしかった。
日も暮れて来たので、寮の薫子の家に戻る事になったのだが、その途中で小枝子さんは俺に言って来た。
「今日一日、薫子を見ていたけど――。やっぱり得られるものはなさそうね」
薫子は面食らった様子だった。
「ちょっと、母さん……!」
どうすれば、小枝子さんを納得させられるだろうか。薫子が実家に戻れば、俺が守る義務も無くなるわけだから、止めないのもありかもしれない。
一瞬、そう考えたのだが、あくまで一瞬しか可能性は残らなかった。多分、俺は納得できないだろう。それに薫子は残りたいと言っているのだ。あの薫子が。
だとしたら、納得させる方法は――。
「あの、後一日だけ待ってくれませんか」
なんの確証もなく言ったわけではない。
「一日も二日も変わらないわ。今すぐ、帰ります」
簡単に見知らぬ男の言う事なんて聞いてくれないらしい。分かってはいた事だが。
「明日は、クラスで呪術を使っての球技大会があるんです。せめてそれを見てください」
はったりなどではない。明日はクラス対抗での球技大会がある。学校では息抜き程度に毎年企画されているらしい。
そこで初めて、小枝子さんは考える素振りをみせた。
「ふーむ。――確かに、薫子の授業参観は行った事がなかったので、良い機会かもしれないわね」
よし。
「交渉成立ですね」
「迷惑でしょうし、私はホテルでも探して泊りますわ。ごきげんよう」
素早い流れで小枝子さんは去った。嵐のように来て去っていくところも、桜子さんにそっくりだ。
ともあれ、これで可能性は広がった。
「水無君。なにか策はあるの?」
仏頂面で問うてくる。
「まあ――お前、次第だな」
「私、次第……?」
特になんの説明する事も無く、自分の部屋に戻った。変に説明して力まれても困る。いつも通りでいれば、きっと納得してもらえる事だろう。




