法螺
薄暗い廊下に、それはいた――。
黒と赤のマントに身を包み、肌色は驚くほど白い。白いワイシャツに黒ベスト。そして二本の突き出た歯。
まるで絵に描いたような吸血鬼がそこにいたのだ。
素早く女子生徒に近付き、首筋に吸血する。
その悍ましい姿を前に、女子生徒は大きな悲鳴を上げた。
そこで朝陽は机を叩く。それも大きな音をたてて。
「どうだ! みんなビビっただろ!」と周りに意見まで求めている。
なぜ吸血鬼の話なんかしているかというと……。夏休みといえば怖い話。そんな安直な連想からだ。百夜物語とかそんな手の込んだ事はせず、ワンエピソード話して終わりだが。
それにしたって――。「吸血鬼は無いだろ。リアリティ無さすぎだ」
しかし朝陽は人指し指を横に振った。
「これは本当の話なんだよ。ノンフィクション」
態々、英語で言い直さなくても。
吸血鬼を見ただけとか、絶対作り話だろ。それかなにかの見間違いだな。俺はこの手の話を信じない。
呪術は置いておいてだ。
「その顔、信じてねえなぁ! 実際に吸血鬼に咬まれたって生徒もいるんだぞ!」
朝陽の話だと、首筋に二本の歯形があり、吸血までされたそうだ。
まあ偶々だろう。それか吸血鬼のふりをした誰かの仕業だ。
隣にいた薫子に、俺は同意を求めた。
「吸血鬼なんて下らないと思わないか?」
しかし薫子は吸血鬼の本を手に、ぶつぶつとなにかを呟いている。
「弱点は日光、炎、十字架、ニンニク、流水……。なるほど、これだけ弱点があれば対処できる」
なんかこの子、対処法考えてる。さすがは名門のご令嬢、自己防衛意識はんぱねえ。
つか吸血鬼弱点多過ぎだろ。……まあいいか。
俺は吸血鬼なんかよりも早く確かめなければならない事がある。日役先生の正体についてだ。朝から図書室に行って昨日の続きを読んだので、ほぼ確信はしているのだが。確証が欲しい。
そして昼休み終わりの次の授業は呪術演習。担当は日役先生だった。
チャイムが鳴ると、今日も気怠そうに教室に入ってくる。
出席の確認をした後に、日役先生は今日の授業の説明を始めた。
「呪符は知っているかな?」
質問の反応はまちまちだった。知っているという者もいれば、首を振るものもいる。俺は勿論、後者だ。
「では一から説明しよう。呪符というのは元は厄災を避けるために身に着ける札。しかし呪術ができた今は、予め術式を描く事で、簡単に呪術を発動できるようにするサポートアイテムといったところだね」
呪符に呪力を籠めれば発動できるとの事らしい。
「描くといっても指紋で描くから、手間は掛かる。なにしろこのサイズだからね」
手に持って見せた呪符は、俺達がよく見る札のサイズだった。長方形で十センチ程度の。
「複雑な術式になればなるほど、量産は難しくなる。まあ長話はこれくらいにして。実際に、みんなにも
描いてもらおうか」
それから呪符が配られる。一人五枚ずつ。
今は日役先生の事を気にせずにやってみるか。
しかし結果は散々だった。どうも呪力が多いせいではみだしてしまう。昼休みの流れから隣に座っている薫子も苦戦しているようだった。
全然、上手くいかずにため息まで漏らしている。
「だいたい、なぜこんなに小さいものに描かなければいけないの」
本末転倒な事を。
生徒達のできを見るために、回っていて偶々、近くにいた日役先生がそれに答えた。
「大きいと持ち運びに不便ででしょ。それに呪力を吸収する特別な紙をしようしているからね。これ以上、大きくするとなにかとね」
ざまあみろ。怒られてやんの。
「できたぜ」
不意に朝陽を声をあげる。
見せて来た呪符にはごく簡単な術式が施されていた。
「その程度でよく喜べるな」
つい、毒を吐いてしまった。
俺と朝陽の言い合いが始まるかと思ったら、他の生徒の歓声で、注意はそちらにいってしまう。
「天津さんすげぇー」
「まじで、みしてみして」
とかそんな事を、ひとつ前の席に座っている奴らがいっている。
天津は照れて顔を赤らめているが、いったいなにをしたのだろうか。
薫子にさりげなく訊いてみると、「一番、複雑といわれる召喚の術式を描いたのね」と説明してくれた。
遠目からでよくわかるもんだ。
なにかと驚かれる事が多い天津はやっぱり凄いのかもしれない。そしてかなり器用だ。
それを聞いてた日役先生が思い出したかのようにこんな事を言いだした。
「あー、呪符に召の術式を描くのは本当に複雑で難しいんだけど、それゆえ実戦ではやはり、呪符で予め描いてから呪力を籠めて発動。なんてパターンが主流だ。だから式神を使う術士は少ない」
日役先生は天津に笑顔を向ける。
「だから君は凄いよ。よく頑張ったね」
「先生……。は、はい!」
今度は顔全体を真っ赤にしている。
天津も凄いが、俺は実戦中に式神の術式を描いた薫子も評価したい。褒めても、そっちのが簡単だったから。とか言われて終わりそうだから口には出さないが。
結局、俺と薫子は一枚も呪符を描けないまま授業が終わった。
しかし俺にはまだやるべき事がある。学校名簿を持って、日役先生に近付く。丁度、廊下で捕まえられた。
「あの、先生」
声をかけると、日役先生はすぐさま振り向き、笑顔でこちらを見ている。
「ん、なにかな?」
大人の笑顔というのはどうも裏がある感じがしてしまう。だが今は単刀直入に問いただすべきだ。
「これを見てください」
示したページには百瀬仁。と書かれた顔写真つきの名簿がある。今よりも若いが、面影がある。特に怠そうにしている顔とか。
日役先生は無言のまま、顔写真を確認している。
「うん。それがどうかしたの?」
意外な反応だった。まるで動揺していない。俺如きにばれてもなんだっていいってか。
推測が正しければ、百瀬である事を隠しているのだ。日役先生は。理由は薫子と同様な可能性もあるし、他にも色々考えられる。だから苗字まで変えて担任をやっている。
俺はその自分の推理を述べて、日役先生にぶつけた。
「30点かな」
返って来た言葉はそれだけだった。
「30点ってどういう事ですか」
「隠してはいるけど、君の推理ではまるでばれてはまずいと言わんばかりだ。けどそうだとするなら、学校名簿なんて残さないし、仁なんて名前も変える。それになりより――ひやくなんて安直な名前にはしないよ」
あっ……。
開いた口が塞がらないとはこの事だ。
確かによく考えればそうだ。なんて浅はかな推理を披露したんだ、恥ずかしい。
けどそれだったらなぜ偽名を――。
「なんで日役なんですか?」
「君が百瀬を調べようとした理由はなにかな」
俺が考え出した瞬間、日役先生は踵を返してしまう。
「これは宿題だよ。分かったら放課後に職員室に来なさい」
と言葉を残して。
宿題って――。だが自分で考えるのは好きだ。
何か大事な話を忘れている気がするが、まあいいか……。
六時限目の授業の為に、俺は教室に戻り、いつもの席に座った。普段より冴えた頭で。
それから全ての授業が終わったのだが、日役先生に出された宿題を解くためにずっと頭を使っていた。
そのせいでまるで内容は入ってきていない。
「おーい、良太郎」
朝陽に声をかけられてはっとした。
「もう、学校終わりだぞ」
なに。もうそんな時間か。
まずい、まだ宿題を解けていない。
それに帰りは薫子と帰らなければいけない。夫婦という建前もあるが、やはり守ると言ってしまった事もあるし。
だが今は日役先生の事も大事だ。
帰りの支度をしている薫子に、俺は声をかけた。
「ちょっと用があるんだ。少しだけ待っていてくれないか」
お願いすると、意外にもあっけなく承諾してくれた。
「そんなに短気な女じゃないわ」
との言葉をいただいた。これは大丈夫という事だろう。お礼を言ってから、職員室に向かう。
途中で天津に声をかけられた。
「水無君。日役先生の事はどうだったの?」
やはり天津も気になっていたのだろう。
「ビンゴだったよ。お前のおかげだ」
「そっか。それなら良かった」と笑いかけられる。
これから日役先生に会うからと言って、天津とも別れる。さて、ここで日役先生の宿題のおさらい
だ。
なぜ百瀬を調べようとしたか……。その原因は誠司さんだ。つまりそこから逆算して答えを出せばいいのだ。もっと楽観的に考えればいい。誠司さんのように。
考えがまとまってから職員室の扉を開ける。
直ぐに日役先生と目が合った。
「それじゃあ、答えを聞こうか」
直ぐに答え合わせはしてはくれず、面談室と呼ばれる場所に通された。丸テーブルに椅子が四つしかない小さな部屋だ。
わざわざ移動してきたからには意味があるのだろう。それか他の職員にも秘密なのだろうか。
とにかく、俺はまとめた自分の意見を述べる事にした。
「俺は誠司さんから百瀬先生の事を知りました。四術士を育てる程に凄い先生。そういうふうに聞かされました。そうするとどうでしょう?」
そこで日役先生の顔色を窺う。だが得られる事はない。
「噂を聞いて百瀬先生のところに沢山、人が来てしまう。天然な誠司さんですから、それにも気づかない。そこで名前を変えて、それをやり過ごす事にした。どうでしょうか?」
これで俺の考えは全てだ。
少しの沈黙の後、日役先生が笑顔になる。
「うん、完璧だ。合格だね」
よしっ。内心でガッツポーズをする。
「僕が百瀬だと知った以上、日役先生と呼ぶのは気が引けるよね。これから仁先生って呼んでいいよ。あ、勿論、僕の事は秘密だけど」
分っているとは思うけど。そんな顔をされた。
日役先生――ではなく仁先生が百瀬だと分かった以上、俺はこの人にどうしても呪術を教えてもらいたい。
「あの、仁先生。……頼みがあるんですが」
「あー、言いたい事は分かるよ。僕に呪術を習いたいんでしょ」
まるで全てを見据えてるかのような目で、俺を観察している。
鋭いっていうか、勘が良いっていうか。
そうですと、ふて腐れながら言う。言い当てられたのが少し気に入らなかった。
「でもね、本当は弟子なんかとらないんだよ。誠司君は才能あったしそれに意気込みもあったからね」
まずい。この流れは俺に教えてくれない。ここまで頑張って探し当てたのだ。それはだめだ。なんとしても強行せねば。
「俺だってやる気はあります! 薫子や朝陽……それに天津だって守らなければいけない。その為には力がいるんです」
仁先生は小さく微笑んだ。
「誰も教えてあげないなんて言ってないよ」
「って事は……」
「いいよ。教えてあげる」
やった……! 最強の四術士を育てた先生に教えてもらえる。こんな嬉しい事は無い。
「でも力の使い方を間違えるような事があったら、僕は許さない」
いつも通りの笑顔なのだが、どこか強い意志みたいなものを感じられた。だから凄く怖かったし、咎められているのだと思った。
は、はい。と俺は頷いた。
正直、そこに俺の強い意志があったかどうかの自信は無い。
「じゃあ早速、修行をお願いします」
仁先生は頭を掻いた。「気が早いなぁ。今日は吸血鬼事件の調査をしなきゃいけないんだよ」
吸血鬼って。先生までそんな話を。あんなの明らかにでたらめだろう。なのに調査なんて。
「する必要なんてないでしょ。吸血鬼なんて存在しない。空想上の生き物だ」
「そうとも言ってられないから困ってるんだよ」
それは実際に咬まれた生徒がいるからだろうか。だがそんなのは幾らでも偽装ができる。これは女子高生を狙った異常犯罪者の仕業だ。
だが、もし俺の予想が当たってるなら、確かに調査は必要か。
「実際に被害にあった生徒がいるんだけど、その狙いはおそらく、血の受け渡しなんだよ」
血の受け渡し……。初めて俺と薫子が出会った時に行われた儀式。呪術界では高貴なものと言われている。
その言葉がここで出て来るとは思わなかった。
「なんでそんな事……」
しかも無作為に取るなんて。そもそも四之宮家じゃ誰とでもしていい行為じゃないって説明されたし。
「君は四之宮家の人と繋がりがあるから、それを重いものと取っていると思うけど……」
仁先生が言った言葉に、俺は唖然とした。
なんでこの人が……知っているんだ。
「ちょっと待ってください! なんで俺が四之宮と関りがある事を」
「だって誠司君の名前を出していたじゃないか」
そこではっとする。そうだ、確かに出していた。なのに俺は慌て過ぎた。これは少しまずかっただろうか。
「それに、四之宮薫子君とも」
革新的な言葉だった。
俺は思わず距離をとってしまう。今はその笑みが少し怖いものに感じる。
「なんでそれを」
低いトーンで訊いたが、まるで表情は変わらない。
「だって僕の前で言ってたよ。自分達で」
自分達で――。俺は仁先生との会話を覚えてる限りに思い出した。しかしまるで思い出せない。
だが溯る事、自己紹介。
「水無君なんかと結婚するだなんて思われるなんて……」
四之宮は俺を愚弄していた。
これには堪忍袋の緒が切れるというものだ。
「大体、お前が名前の確認を怠ったのが悪いんだろ!」
気づけば、指を差して悪いところを指摘していた。
「名前なんて私にはなんでもよかった。それにこれは謀略よ!」
「四之宮家の謀略だとしたら、お前にも責任がある!」
俺と四之宮は額を近づかせ、間には電気が迸っていた。――そんな気がした。
確かに、言っていた。直接的ではないが、仁先生なら勘付くであろうレベルで。俺も薫子も不注意すぎた……。
今も仁先生は敵意の無い笑みを浮かべている。
「大丈夫、告げ口はしないよ。先生の役目は生徒を守る事だからね」
どうだろうか、この大人は信じられるか。油断させるつもりかもしれない。それに俺はやっぱり、簡単に大人を信じられない。
「信じられません」
気づけばそう口にしていた。 仁先生は少し寂しそうな顔をしている。
そういえば吸血鬼の話をしている途中だった。血の受け渡しだ。改めて問うと、仁先生は俺にもわかりやすく答えてくれた。
「四之宮では受け渡しを敷居の高いものとしているけど、それは他の家系では違ったりするんだよ。極一般的に行われていたり」
それは初耳だった。六車の一件から、呪術の家系内ではある程度の決まりや縛りがあるのかと思っていた。それとは別の行為という事だろう。
「けど今起きている事件は受け渡しとも違くて、一方的な吸飲だ」
まさに吸血鬼というわけか。
これは確かに、先生も手いっぱいになるわけだ。
不意に時計を見ると、かなりの時間が過ぎていた。まだ十分くらいかと思っていたのに。
そういえばなにかを忘れているような――そうだ、薫子だ。待ってくれと言ってずっと放置していた。
慌てて面談室の扉を開ける。
「今日は帰ります! また明日、修行に付き合ってください! それじゃ」
「はい。さようなら」
仁先生の挨拶を背に浴び、廊下をかけた。他の先生に怒られたりしたが、構わずに走る。
そして自分達の教室に行ったが、誰もいない。先に帰られてしまったらしい。それからいつもの通学路を辿る。
すると、途中で薫子の背中を発見した。今も一人で歩いている。
「薫子!」
後ろから声をかけたが、振り向いてもくれなかった。
走って隣まで来てから、また声をかける。「無視する事ないだろ。悪かったよ」
「別に怒ってないわ」
こちらも見ずに薫子は言った。
絶対に怒っている。
「だから悪かったって」
薫子は急に立ち止まった。自然と俺も合わせて立ち止まる。
「これからは一緒に帰らなくていい」
冷たい言葉を言い放ち、薫子はまた歩き出した。
俺は呆然と立ち尽くしまま、そこから動かなかった。いや――動けなかった。
都会に来て初めて、車の走行音を煩わしく感じた……。




