狂喜
朝陽が限界だったので、大きな石の上に寝かせた。距離はかなり取ったはずだ。直ぐには追いついて来ないだろう。
だが、疲れているのは朝陽だけでなく、薫子もだった。
「大丈夫かよ」
「あの式神に殆どの呪力を持ってかれたから、追いついてこられればどうしようもないわ」
薫子の少ない呪力で、あんな大きなのを召喚したら、それはそうか。
とはいえ、距離は取れたしまだなんとかなりそうだ。新たに手を打てば。
不意に、天津に手当をされていた朝陽が言った。
「あー、だっせぇ。呪術合戦の時も今も、みんなに助けられて俺はなにもできない」
「ダメだよ、喋っちゃ」
天津に咎められたが、朝陽は口を止めない。
「だからさ。……みんなは逃げてよ」
誰よりも早く、俺は朝陽の胸ぐらを掴んだ。
「今更んなこと言うのかよ!」
その先の言葉は出てこなかった。
朝陽のいう事は最善の策なのかもしれない。ただ最良ではない。だが俺が守るなんて言葉は、口からは出なかった。寧ろ、自分の無力さを恥じた。
いざという時には、なにもできない。あの時となにも変わってはいない。
天津に促され、俺は朝陽から手を放した。
確かに、派閥の奴等は四之宮を捕まえようとしてたらしい。だったら同じマントラの家系である六車もそうするはずだ。捕まえられるだけで死ぬとは限らない。
それでも、朝陽だけを置いていくという作戦はありえない。
しかし、薫子から発せられた言葉は耳を疑うものだった。
「もし追いつかれたら、朝陽君を置いてくしかなさそうね」
俺と天津は歪んだ顔で、薫子を見ていたと思う。
同じ考えまで到達しての発言かもしれない。または自分が助かりたいだけかもしれない。どっちにしても、俺はその発言が許せなかった。
「どうかしてんじゃねえのか。お前、人間としてなんの成長もしてねえな!」
「朝陽君だけなら殺されない。でも四人で残ったら貴方達まで殺されてしまうかもしれない! そんな簡単な事が分らないの?」
簡単、簡単って……。なんだよそれ、卑怯だろ。
自分の正しさを押し通すだけじゃ、なにも守れないのかよ。
大人になるしか――。
「だったら俺が残るよ。まだ呪力も残ってるしな」
気づけば、そんな事を口から吐いていた。
アホだと自分でも分かる。ただこれしか納得する方法がなかった。ガキっぽいかもしれないな。
「人の話を聞いていたの? 貴方では殺されるの!」
薫子も声を荒げている。それだけ必死なのだろう。
でも――。「それでも……。誰かを見捨てるよりはましだ」
きっぱりと言った。しかし薫子も引く様子はなかった。
そして次の策が決まらないうちに、事態は更に最悪な物になってしまった。
「うるわしい友情ごっこですか! 見れて感激です!」
聞くと耳が腐るような声。
――帽子男だ。
木の陰から姿を現し、不敵に笑った。
くそっ。決まらないまま、これかよ。最悪だ。
「話し合いは終わりよ。私が食い止める」
「でも、薫子さんはもう呪力が!」
そんな最中、帽子男はただ笑っているのみだった。嘲笑っているのだ。俺達を。
「だーかーらー!」
その声は、朝陽のものだった。
振りむくと、石の上から立ち上がっていた。しかしまだボロボロで、立つのがやっとといった様子だ。
「俺一人でいいって言ってるだろ」
そう言い終えた後に、朝陽は吐血した。
「そんな身体で何言ってんだ! じっとしてろ!」
俺の言葉など聞かずに、朝陽はよろけながら肩を掴んできた。それから笑みを浮かべる。「少しは俺の事も信じろよ」
信じろってこんなボロボロで、呪力もろくに無いやつのどこに期待すればいいんだよ。戦っても結果は明白だ。
――ただ一つだけ。無理して笑う朝陽の表情には、強がり以上の何かがある気がした。
「作戦会議は終わりました? そろそろわたしのターンにしてほしいですね。退屈ですから」
「ああ決まったぜ」
朝陽は薫子の手を引くと、少し下がって、と小さな声で言った。薫子は黙って、一歩を退く。
それから朝陽は振り返る
「みんなの事、任せたぜ」
その後に発した名は、薫子でもなく、天津でもなく、俺の名だった。
――良太郎。
朝陽は帽子男の方を真っすぐ見つめる。
「一戦、交えますか」
「いいですが、貴方では一瞬で終わりますよ」
なぜか朝陽は笑った。
「一瞬あればいいんだよ!」
次の瞬間、朝陽は道着の中から小型の注射器を取り出した。それに反応して、帽子男は慌てて護の指紋をする。
注射器の中身は血。俺は即座に、血の受け渡しを連想した。しかしそれは、誰とでもやっていいものではなく、あんな注射器から取った血で成功するとも思えない。どう考えても無謀だ。
朝陽はそれを自分の腕につき立て、差した。中からドンドン血が流れていく。
「自棄になりましたか? そんな簡単なものではありませんよ、血の受け渡しは――」
余裕の顔だった帽子男の顔が、明らかに変わった。そして朝陽も。いや、あれは朝陽じゃない。
一瞬、そう感じた。
だがそれくらいに変化があったのだ。いつもの喜怒哀楽がまるでなくなり、無だった。
と思いきや、顔がはりさけるほど口角を上げて、大きな笑い声をあげる。
「おかしな子ですねぇ」
「あははははははははははははははははは!」
まるで子供のようにも聞こえるその声は、全員の動きを制止させるには十分な程、異様だった。
刹那、帽子男よりも、薫子よりも早い指紋を朝陽がした。いや――朝陽ではない何かが。
かろうじて見えているのか、「本当に六車君?」と薫子が呟いた。
「分からないが、とにかく離れるぞ!」
咄嗟の判断だった。朝陽でないと仮定するならば、近くにいるのはまずいと思ったからだ。
自分のもてる全ての呪力を使うつもりで、護をした。これからはなにが起こるか分からない。
朝陽が発動させた呪術は、本来使えるはずの発でも、護でも、縛でもなかった。
渦のように回転した炎が、帽子男を襲う。
帽子男は避けるというよりも、朝陽に向かってきた。攻撃は最大の防御とでも言わんばかりに。
「こういった輩は、術者を直接狙うのに限る!」
しかし二人の間に、一瞬にして断崖ができた。地面が動いたのだ。というより、動かしたというのが正しいだろう。
二人の攻防は一方的なものだった。朝陽が押している。
「神級……」
ぽつりと薫子が呟いたのを、俺は見逃さなかった。
「なんだよそれ」
「八戒以上は他とは呪術としてのレベルが違うの。八戒は天、九戒は空、十戒を神。そして朝陽君が使っているのは八戒の天」
まだ俺が習っていない戒だ。字体で見てはいるが。
「八戒は自然現象を自在に引き起こす事ができる。九戒は空気を操る。それらは神とも呼べる呪術。だから神級。……私もまだできていない」
そういえば前に、薫子は七戒までと言っていた。
んなことよりも、今はそれを朝陽が軽々やっている事に驚くべきだ。しかもいくつもの自然現象を同時に起こしている。
黙ってみていた天津が、不意に疑問を漏らした。
「でもおかしいです。あんな炎を操ってるのに、木が一本も燃えていません!」
言われてから気づいたが、そういえばそうだ。
その時、はっと感じたものがあった。
あの燃えた古家は――。
「考えられる可能性は一つ、木一本、一本に呪力が籠められている」
「でもそんなのって……」
「六車家と、その配下の家系全員で手間と労力を惜しまなければ可能だわ」
「そんな事に態々――」
天津の考えは少し浅い。普通に聞けば、無駄な労力と思うかもしれない。ただ。
「朝陽がああなる事を想定していたのなら、それくらいの労力をつぎ込むだろ」そしておそらく、一度目はここ一帯を焼き払ってしまった。
いくつかの仮設はある。どれも完全に当たってはいないだろうが。だから直接聞く必要がある。
「水無君、集中して!」
俺達の方に渦巻いた炎が迫っていた。更に多くの呪力を護に籠める。
「荒い部分は私が修復するから、維持すること徹して!」
しかし炎のいきおいは凄まじく、正直、長くは持ちそうになかった。一部は既に欠け始めている。
「仲間でもお構いなしですか。暴走しているなら――ここは撤退しますか」
そう言って、戦闘していた帽子男が消えた。
朝陽はこちらを向いて、大きな声で笑う。
さっきまで帽子男に向けられていた呪術が、今度はこちらに向けられる。
「止めてよ六車君! 正気を取り戻して!」
そんな天津の声にも、朝陽には届いていないようだった。今も子供のように笑い声をあげている。
「無駄みたいね」
「そんな――」
天津は膝から崩れ落ちる。そんな彼女を、薫子は叱咤した。
「諦める前にできる事をやりなさい!」
天津はもう一度欠けた部分の修復を始めた。
しかし護が崩れるのは時間の問題だった。炎のいきおいに明らかに負けている。
そして朝陽は地面に向けて指紋をした。
これはやばい。直感的にそう思った。
伝えるよりも早く、それは現実のものとなり地面が割れた。これも自然現象の一つなのだ。
死を覚悟した瞬間、突如として、全ての自然現象が収まった。
朝陽を見ると、鎖繋がれ膝を付いていた。その朝陽の前に、一瞬にして赤髪の男が現れた。
笑っている朝陽の額に、臆せず指をつき立てる。
封。
男はその一言で朝陽を御した。あの不気味な笑いが消えて、朝陽が地面に倒れた。
「もういい」
赤毛の男がそういうと、鎖は解かれた。
その男は、片手で朝陽を抱き上げた。悠々と。
髪をオールバックにしていて、服装は黒のロングコート。コートに備え付けてあるフードは、もふもふしている。反面、強面の顔。どこからどう見ても悪役だ。ただ、帽子男の味方ではないらしい。俺達を見
ても何もしてこない。
その男を見て、天津が驚きの表情を浮かべる。
「あれって、四術士の六車大我さん!」
その名を聞いて、薫子も驚いているようだった。さすがは箱入り娘。
「あれ? 俺、結構有名なのか」
六車大我は振り返り、こちらを見てにたりと笑った。天津は既に怯えきっている。
あんなヤクザさながらの人の前では仕方ない。
一人の男が六車大我に近付き、腰を落とした。
「大我様、敵は逃げたようです。それと……四之宮の従者を発見しました」
その言葉に悪寒が走った。
六車大我は俺達を横から一人ずつ、舐めるように見た。
「なるほどなぁ」
それしか言わなかったが、おそらく全てばれたのかもしれない。
このままではまずいと思い、俺は一人で六車大我に向かって歩き出した。咄嗟の判断だった。
先程、報告をした男は、俺に敵意を出している。が、六車大我はまるで気にしていな表情で、虫の一匹でも観察しているようだった。
「俺、水無良太郎っていいます。こっちの事も全て話します。だから――朝陽の事を、教えてください」




