栃木
八月初め、普通の高校なら夏休みのこの時期にも、烏枢沙摩高校は授業日だった。しかし、D組の生徒達は和気あいあいといった様子だった。
それもそのはず――。
日役先生が帰りのホームルームになり、教室に入ってくる。
「よーし、今日から夏休み。みんなよく耐えたね」
と生徒達に向けて言うと、みな大きな声を出して喜ぶ。
それにしたって、先生が耐えたとか言っていいのか。まあ先生っぽくないからいいのか。
珍しく隣に座っている薫子に、「ちゃんと休めよ」などと夫らしい事を言ってみる。
「水無君は努力しなさい」
と返されたので、俺はそっぽを向いた。
恩を仇で返すとはこの事だ。いや、恩着せがましいか。
課題を幾つか出され、短い先生の言葉が終わると、夏休みへと相成った。その瞬間、突風のように、迅速に、朝陽が現れた。
「水無夫婦! 夏休みに俺の実家でお泊り会でもしね?」
その提案は嬉しいのだが、夫婦などと同じくくりにされるのは腹が立つ。
「新婚旅行的なさ!」
追い打ちのような言葉をかけてきた。
俺の新婚旅行はもっと夢に溢れている。好きな女の子と日本一周旅行をして、イチャイチャして、あれが東京タワーだよーなんて言ったりして――。こんな貧乳で乱暴な女なんかじゃなくて。
「って、なに夫婦揃ってぶつぶつ呟いてんの? ほんと仲良しだな」
気づけば、目の前の朝陽が笑っていた。
ともあれ夏休みに旅行は学生時代の青春の一ページとして重要だ。長野の時はそんな事できなかったし、都会のよさとはこれかもしれない。
「楽しそうだし行くか」
「水無君が行くなら」
薫子も付いてくる発言をした。
やはり誓いを重要視しているのだろうか。
「決まりだな」
「けれど、女子が一人だけなのは懸念すべき点だわ。一夜を共にして、発情しなかった事が無いほどのクズ男なのよ水無君は」
心外な物言いだった。
「一度も無かったを事を口にするな。白々しい」
「ごめんなさい。欲望に忠実で男らしいというべきね」
その発言、男の子を全員敵にまわしてるぞ。怖いものなしかよ。
目の前の朝陽は苦い顔をしている。お構いなしで話をしたのは悪かった。
「よくわかんねえけど、天津さんも声かけてあるから心配いらねえよ。日にちは……。二人とも携帯持ってないから決めづらいな」
田舎済みの悪いところがでてしまった。まあ周りはみんな携帯持ってたけど。
男子二人で苦悩していると、薫子があっさりと告げる。
「同じ寮なんだし、話がまとまったら六車君が天津さんにメールすればいいでしょ」
二人して、あっと声が漏れる。
それは盲点だった。寮とは素晴らしいな。
解散した後に、俺は一人でどこかにある図書室に向かった。迷う事数十分――。二号館にあるそこにやっとたどり着いた。
もしかしたら方向音痴なのかもしれないと、初めて念頭に置いた。
ともあれ見つけたからには呪術で使えそうな本を探そう。旅行中の暇なときに読むとか、それくらいの努力はしないとな。
適当に右往左往していると、背中辺りに衝撃が奔った。誰かとぶつかってしまったらしい。
振り返ると、小さな女の子が倒れていた。
「いたっ」
グレーのふさふさした髪の女の子で、幼い顔立ちをしている。身長なんかも140センチくらいしかなさそうだ。小学生でも迷い込んだかと思ったが、スーツのようになってしまっているうちの制服を着ているので、そういうわけでもないのだろう。
「悪い、気づかなかった」
手を差し出すと、それをスルーされてその子は立ち上がった。
「君のような、私を見下している者の手は取らない」
「いや、してないから」
「ならばなぜ、そんなに腰を曲げている」
「だって小さいから」
これは地雷だと、言ってから気づいた。
あからさまに顔をしかめられてしまう。
「やはりしている。もう君とは口を利かない」
勝手に怒ってその子はいってしまった。まあそれはいいにしても、手に持っていた本のタイトル。はっきりとは見えなかったが、鮮血とか、神聖だとか、そんな言葉が目に留まった。
それって血の受け渡しの事だよな? あんな子が既に――。今の世は恐ろしいな。
思わぬ寄り道があったが、その後にいい感じの本が見つけれた。
呪術士が術の発動の前に唱えている、詠唱。これは授業で習ったのだが。前までは意味が無いと思っていた。なぜなら言わなくても発動しているパターンがあるからだ。しかしそうでもないらしい。
あれを唱える事によって、術の威力を上げたりと効果があるらしい。そして烏枢沙摩高校の生徒と薫子の詠唱が似ているのは、四之宮家の呪術を元にしているからのようだ。
俺はそんな詠唱の本を取って、図書室を出た。自主的に勉強をするのは、これが初めてかもしれない。東京でも長野でも。
夏休みからだいたい一週間。俺達は東京を飛び出し、六車の実家があるという栃木に向けて電車で向かった。
電車なのかと突っ込むのは野暮であろう。
栃木といえば餃子、日光とかあるが、やはり田舎だ。なぜ呪術士の家系は田舎に置きたがるのか。住宅街にあって困るとは思うが。
まあ田舎住の俺にとっては、帰省みたいでワクワクしたりもする。
電車で大きい駅まで来て、そこからまた乗り換え。そして最後にはバスで山道を上るという辛い移動を終え、ようやく地に足が付いた。
ずっとムードメーカーをやってくれていた朝陽も、今はもうへとへとだ。
そこは四之宮家の時よりも森閑としていて、大きな山の一部だった。
ふと振り返ると、天津が眼鏡を抑えながら、辺りを何度も見回していた。
珍しい動きをしている。
どうしたんだ。と声をかけると、凄い形相で「ここって虫いますよね! だとしたらまずいです!」と言われた。
呪術士に虫は天敵なのか。
「平気だって。山に虫はいないから」
朝陽の言葉に天津さんが胸を撫でおろす。
深読みしすぎた。都会人によくある虫が苦手なあれか。毛虫くらいなら素手で触れないとは、軟弱な。
朝陽が振り返ると、懸念する声色で言う。
「こっから少し歩くけど、体力大丈夫?」
その言い方は大丈夫と言わなければダメなやつだろう。
まあ、体力には自信あるし、こっちに来てから体力作りもしている。ちょっとやそっとじゃへこたれない。
しかし、まるでそれがフラグかのように、山道は辛く厳しいものだった。膝に手を当て、息が荒くなる。
朝陽と薫子はまだ平然とした顔をしている。本当に人間か。
やっと思いで歩いた山道も終わりを迎え、ついに六車家が見えてきた。
まるで旅館のように大きな家。四之宮よりも現代的な作りで、外からでも沢山の施設があると分かる。
「今更だけど」そう切り出したのは薫子だった。
「前に家出をしたって言っていたけれど、大丈夫なの?」
本当に今更だ。
今からそうだった。とか言われて、引き返そうとなったら俺は泣くぞ。いやもっと酷い仕打ちをするぞ。
「平気、平気。疎遠ってわけじゃないし、その辺は色々と事情があんのよ」
事情か。十年以上も生きていれば、人に踏み込んで欲しくない事もできるだろう。俺は黙って、頷いた。
そんな流れで、俺達は六車家に泊まらせて貰う事になった。
玄関がどこか分からず、きょろきょろとする。朝陽は勿論、迷わずに歩を進めるので、それに付いて行くと普通に辿り着けた。
ここも旅館のように広々としていて、靴をしまう場所も沢山ある。適当でいいよと言われたので、言葉に甘えた。とはいえ乱雑に置くとかではなく、自分なりに綺麗に揃えておいたが。
そんな庶民の俺とは裏腹に、気品な動きで玄関に上がり、薫子は朝陽と話をしている。
「ご両親に挨拶したいのだけれど」
手には風呂敷で包まれた手土産がある。
朝陽は頭の後ろに手を回す。「あ、ごめん。うちの親は放任主義でさ、勝手に使っていいって言われたけど、挨拶とかはいいってさ。客が来てるのに失礼だよな、悪い」
と軽く頭を下げた。
「別に気にしないわ。これだけでも渡しておいてくれる?」
「それなら大丈夫」
それに便乗して、俺と天津も手土産を渡した。
一旦、朝陽が消える、
そんな時、俺は思考に老けていた。
四之宮も六車も本家をばれ難い場所に隠している。その理由は敵に襲われないようにだとか言っていたが、それが少し納得いかなかった。
四之宮や六車にとっての敵とはなんだろうか? 四家は結託しているようだし、呪術士内でのいざこざも無さそうだ。同じ宿舎で学んでいるのだから。
考えられる可能性は――二つある。
一つは呪術士以外の人。つまりは呪力を持たざるものを恐れている。
もう一つは派閥。だがこれは最近、現れたという矛盾がある。だが、もしそれを予期していたとしたら――。
考えすぎだな。
つか、薫子に聞けば早いんじゃ。大人だけじゃなくて、コイツまで信用しなくなったら本当に終わりだし。
薫子の袖を引いて、天津から距離を取る。
先程の考えをぶつけると、笑われてしまった。
「一度、貴方の脳みそ調べてみたいわ」
怖いこと言うなよ。
「さっきの質問だけど。簡単なことよ」
気前よくあっさりと教えてくれるようだ。俺は適当に相槌を打つ。
「昔にマントラの家系内で争いが起きたのよ、第一次呪術大戦なんて気取った名前を付けられたりしてるけど」
なんだそれ。まだ習ってないな。つか、そんな過去があったのか。呪術家系も色々あるらしい。
だがそれなら寧ろ、四之宮薫子が家に立ち入る事を警戒すべきじゃないだろうか。
「それに勝った百瀬は停戦協定を持ちかけたの。それで今は平定されて、特に問題は無しって感じかしら」
平定とは悪い言い方をする。
とはいえ、これで納得はした。
それから丁度よいタイミングで、朝陽が戻って来た。




