第五話 : 望まれる誠実な恋人
「アメージーーーーーーーーンッグ!」
手紙は驚くべき効果を発揮し、屋敷に喜びをもたらした。
ここ数日、手紙の配達が来る時間になるとホールへ降りてきていたローズマリーに本日手紙が届けられた。
執事によって検閲されたそれをお祝いの言葉とともに手渡されると、ローズマリーは両手を上げて喝采をあげ、執事の手を取って踊り始めた。
驚いて目を丸くしている侍女達が仕事の手を止めてこちらを見ていた。ローズマリーは執事から離れ、侍女から侍女へと渡り踊る。ステップなど知らない彼女達の手を取り、笑顔で足を踏み鳴らす。戸惑っていた侍女達も、踊り終わるころには笑顔がこぼれていた。
「王太子殿下に誘われたわ! 個人的に!」
ポプリと手紙は、シディリウスに宛てたものだった。手紙には、ポプリのお礼とともに、王城へ招待する旨が書かれていたのだ。
「ドレスにポプリを入れたいと思っているのだけれど……ポケットついているドレスなんて無いわよね?」
見たことも聞いたこともなかったが、一応侍女に尋ねてみた。侍女は申し訳なさそうに首を横に振る。
「そうよね、しょうがない。匂いはきつくなるけれど、香水にしましょう」
あくまでも純朴な田舎娘推しでいきたかったが、こればかりは仕方がない。これ見よがしにサシェをぶら下げて行くわけにもいかないので、香油で代用することにした。ポプリと同じ香りになるように調合すれば「らしさ」は出るだろう。
るるうららーと過ごしている内に、王城へ招待された日になった。
以前と同じような意匠では、「田舎娘」ではなく「学習能力のないお馬鹿娘」に見られてしまう可能性もある。流行は抑えてあるが、露出も抑えてある上品なドレスを侍女とともに選んだ。
「ローズマリー様、ケープはいかがでしょう」
侍女が手にしたケープの生地をめくる。
「こちらでしたら生地は薄いですが二重になっておりますので、内ポケットもあまり目立たないかと。仕立て屋に問い合わせたところ、同じ生地は既に店にも置いていないようでしたので、ここはレースなどでアクセントにされてはいかがでしょうか。急ごしらえではありますが、今から取り掛かれば昼前には――」
ローズマリーは侍女が全て言い終える前に、ぎゅっと彼女を抱きしめた。目を白黒とさせている侍女の手を取り、満面の笑みで叫ぶ。
「アメイジングッ! ありがとう、とても素敵! 私にもできることがあるならなんでもおっしゃって!」
出かけるまでに時間もない、ちゃっちゃとやってしまいましょう! と、ローズマリーが侍女の手を引く。一介の侍女の言葉をすぐに受け入れたローズマリーに、侍女は狼狽しながらも、顔を赤くさせた。
***
恐れ多い、恐縮です。
そんな仮面でしたり顔を隠し、ローズマリーはシディリウスを訪れた。シディリウスは柔らかい笑みでローズマリーを歓迎した。色とりどりの薔薇はおらず、呼ばれたのは本当に自分だけだと確信したローズマリーが心の中で拳を握る。
「急な誘いだったにもかかわらず、よく来てくれたね」
「お招きいただけてとても嬉しいです――お茶会があったと、伺っていたので……」
恨み言を吐けば、シディリウスは眉を下げてローズマリーに手を差し出す。
「茶会はあまりいい思い出ではなかっただろうと、招待を遠慮したんだ」
あら、うふ。そんなことありませんことよ。鼻の穴が大きくならないように注意しながら、ローズマリーはシディリウスの手を取った。自分を気遣っての配慮ならば、笑顔で受け取るのがいい女というものだろう。いい女はこんな風に嫌味を言ったりしないことは棚に上げて、ローズマリーは緩む頬を手で押さえた。
ゆっくりと窓までエスコートされる。窓の下の庭園は、もうほとんどの薔薇が枯れてしまっている。しかし形よく配置された緑が豊かに茂り、見る者の目を飽きさせない。
「夏のお庭も見事ですね」
「庭師が精を出しているからね」
結果だけを告げた王太子の横顔に、ローズマリーは微笑む。「なかったこと」に礼も謝罪も言えないが、気持ちだけでも笑顔に載せた。彼女の表情を見てシディリウスも眉を下げる。
「次は秋にまた見ごろになるだろう」
今は夏だ。秋まではさすがに王都に居続けることは厳しいだろう。そっと目を伏せ、淋しげな表情を浮かべる。それを見たシディリウスが、引いていた手をキュッと握った。
「その時には、厚手の手袋をプレゼントさせてくれないか」
気の利いた誘いに、ローズマリーはつい笑ってしまった。
「もう不用意に、手を伸ばしたりいたしませんわ」
「信頼しているよ。けれど、前日は寝ずに茨を点検してまわろう」
シディリウスの言葉にローズマリーが「もうっ」と怒った真似をする。それを見て笑っていた王太子が、ふと眉を上げる。
「如何なさいましたか?」
首を傾げて尋ねたローズマリーの手を、シディリウスが強く引っ張った。途端に近づく距離に、ローズマリーは自分が自覚するよりもずっと体を熱くさせた。顔が真っ赤になっていることが嫌でもわかるほど、熱が溜まっている。
なんでこんな、初心な反応を……!? これじゃまるで処女みたい!
首まで赤くなり、化粧が浮いてそうな顔を見られたくなくてローズマリーは顔を伏せた。窓から吹き込む強い風で、火照った体を冷まそうと必死だった。
火傷しそうなほど熱くなったローズマリーの耳に、そっとシディリウスが触れる。ビクリと大きく震える体と心臓に驚きながら、ローズマリーはきつく目を瞑った。
「君も、あの香りを?」
あぁ、なんだ。香りが気になっていたのか。ローズマリーは幾分か胸を撫で下ろす。
「少し手元に残しておりましたから……あのサシェがシディリウス殿下をお慰めできているのなら、共にいるような気がして――」
口先三寸の嘘八百は、真っ赤な顔でもすらすらと出てきた。冷静な頭と、初心な体がせめぎ合い、心の均衡が保てない。
「いい香りだ、サシェというのか。ベッドサイドに置いてある。あれを置いてからよく眠れるようになった」
セージにカモミール、それにオレンジ。どれもリラックス効果の高い香りだ。それに、自分の名前のローズマリーを混ぜた特製の香油を染み込ませている。彼に香りの知識はなくとも、気付くものは気づくだろう。自分がそばにいられずとも、同じ名前の香りだけでもその身の近くに――なんともいじらしい女ではないか。それを彼に、そっと教えてくれるだけで、ローズマリーの健気さが伝わるというわけだ。
そう、その程度の、アイテムだったはずなのに。
ローズマリーは今、自分がこの香りを纏っていることも、彼が眠るときにそばに置いていると言ったことも、何もかもが嬉しくて、気恥ずかしくて、胸の奥からじりじりと熱がほとばしるようだった。
「お役に立てていたのなら、とても光栄ですわ」
なんとか絞り出した声は、震えていた。顔を上げて目を合わすことも出来ず、彼の胸を凝視している。近すぎる距離のせいで、身じろぎ一つ出来なかった。耳に触れていた彼は、ローズマリーの髪に触れていた。見下ろしていることはわかるのに、どうすることもできない。
そんなローズマリーに気付いているのかいないのか。シディリウスは髪に触れていた手を、ローズマリーの腰に回した。ビクリと跳ねるローズマリーの反応に口角を上げると、耳に唇を近づける。息を吹き込むように囁かれた言葉に、ローズマリーは足の力が抜けた。
「君の隣も、よく眠れそうだ」
***
「アメーージーーーーーーーーングッッ!!」
玄関を両手で広げ、大股で帰ってくる令嬢に慣れてきた使用人達は、冷静な顔で帰還の挨拶を取る。
「やばいよやばいよー! このまんまじゃ、私、王太子妃一直線だよーー!!」
ベテランお笑い芸人の口癖を真似するが、もちろんわかってくれる者などいない。ローズマリーは浮かれきっていた。
踊りながら帰って来たローズマリーからケープを受け取った執事が眉を顰める。
「お嬢様、はしたのうございます」
「セバスチャーン!」
「チェスターでございます、お嬢様」
「私――どうしよう、絶対これ、脈ありだって! ああん、お茶会には侯爵家のお嬢様もいらしたのに……大人の魅力ってやつかしら……もし私が選ばれちゃったら……やーん! 針の筵ー! ローズマリー困っちゃーう!」
いつも以上のテンションの高さに、使用人達は少しばかり心配になり始める。しかも王太子とローズマリーは同じ年である。特に、こんな風にあられもなく声を張り上げホールで踊り出すような令嬢に、大人の魅力もなにもありはしないだろう。しかし、優秀な使用人たちは誰一人として、その事実を口に出さなかった。
ローズマリーはいつものように執事の手を取り、くるくるとホールを回る。
「ねぇ、どうする!? 私が王家に嫁いじゃったら、どうする!?」
どうするもこうするもない。そう言う心積もりがある家だけが、あのお茶会に呼ばれたのだ。
しかし、そんなこと、当然のようにローズマリーの知識としてあるだろう。それをもってしても冷静になれないほど、彼女は興奮していた。
「お寂しゅうなりますな」
「っえ」
そんな普通の回答が来るとは思っていなかったローズマリーはステップを止めた。いつの間にかきちんとホールドしてくれていた執事を見上げる。
もっとこう、取り立ててもらおうとか、オーグレ一族の者を役職に回そうとか、そう言う下世話な要望がたんまりあってしかるべきだと思っていたからだ。
「寂しく、なる?」
「ええ、最近のお嬢様は、とても耀うございましたから」
目を細めて見下ろす執事に、ローズマリーは狼狽した。
「ええと、でもほら、大丈夫よ。もちろん今すぐってわけじゃないし、お父様もお母様もご健勝だし……」
執事を懸命に慰めようとするローズマリーを、執事は慈しむような目で見下ろしている。えーと、と言葉がでなくなったローズマリーは、深く沈黙した。
「……」
「……」
「……踊りましょうか、チェスター」
「ええ、お役目務めさせていただきます。お嬢様」
いつものように振り回されるだけでなく、今度は執事がしっかりとリードを取った。ローズマリーは彼のリードに身を任せ、くるくるとホールを回った。