第四話 : 嘘がつけない瞳
浮足立たないよう慎重に足を進める。途中で従者に何かを伝えると、シディリウスは城内へと足を踏み込ませる。当然、腕を掴んでいるローズマリーも城の絨毯を踏むことになる。ピカピカに磨き上げられた大理石の床に、ローズマリーのテンションは跳ね上がっていた。
エスコートされた先は、子爵家の大広間でも太刀打ちできないほど豪奢な部屋だった。
付け焼刃の仮面はポロリと剥がれた。ローズマリーは絶句しながら部屋を見渡す。はしたない行為だと気づいた時には、既に遅かった。こちらを見て眉を寄せているシディリウスに、目を伏せて謝罪する。
「君は心のままを曝け出してしまうようだ」
痛いところを突かれ、ローズマリーは更に首を下げた。不躾に薔薇に手を伸ばしたことも、おのぼりさん全開で部屋を眺めたことも、どちらも令嬢としてあまりにも相応しくない。
少女漫画とかだと、結構そこから「面白い女だな」とか顎クイされるんだけどな~……。
ちらりと見上げたシディリウスは、先ほどと変わらずに厳しい顔つきだった。すみません、全力で図に乗りました。調子こきました。本当すみませんでした。
慌てて頭を下げるローズマリーの頭上から、固い声が響く。
「厳罰はしないが、それ相応の対応はさせてもらうことになるだろう」
庭師のことだろうか。顔を上げるローズマリーに椅子を勧め、手を差し出しながらシディリウスはそう言った。薬箱を持ってやってきた従僕から薬瓶を受け取るシディリウスの意図を察し、ローズマリーはハンカチを膝の上に置くと、そっと彼の手の平に自らの手を置いた。
ハンカチと手袋にはピンク色の血が滲んでいる。ローズマリーにとって騒ぐほどのことではない。しかし、あの庭園にいたご令嬢達にとってはきっと、一大事となるだろう。
「わたくしが口を挟めることではないと承知しておりますが、どうぞ寛大なお心でのご配慮を……」
目を伏せつつそう告げたローズマリーに、シディリウスは消毒をする手を止めて顔を上げた。瞳と瞳がぶつかり合い、何故だか負けそうになる気持ちを奮い立たせる。
ローズマリーも、首が飛ばないのであれば注意は必要だと思っていた。しかしそれは、雇用主の立場からではない、随分と俗っぽい理由からだった。
この話を聞きつけた他の令嬢が、同じ手段で取り入ろうとしないとも限らないからだ。二番煎じには違いないが、二番目のせいで一番目が薄れてしまう可能性もある。出る杭は、打たねばならない。ローズマリーは真実、王太子妃の座を狙ってこの場にやってきたのだから。
シディリウスは言葉もなくローズマリーを見つめていた。ローズマリーも、しっかりと見つめ返す。男性の目を見つめることがどれほど破廉恥な行為かわかっていながら。庭師を心配する令嬢の熱を宿して。
シディリウスは感銘を受けているようだった。手当の為に触れ合う手が、ぎゅっと力を込めて握られた。
従者が部屋の脇に控えている。開かれたドアの向こうで職務を全うしている衛兵の姿も見える。決して二人きりではない。しかし、親密な距離ではないとは決して言いきれない行動だった。
王太子ともあろう人が軽率に未婚女性の素手に触れることはないだろう。これって、絶対、脈ありよね?
「なるほど。君が望むままに、応えよう」
意味深な言葉で笑顔を飾ると、シディリウスはローズマリーの手を優しく撫でた。浮かべているのは、しっとりとした笑み。
「レディ・オーグレン」
「……シディリウス殿下」
こういうの好きでしょう? ほら、なんて心の優しい女性なんだ。そんな目で見てる。
所詮は十代の男の子。実直で心優しい女の子なんて、そのお年頃の主食みたいなもんでしょ? どうぞ、ご安心なさって。食後のデザートでも、お風呂場でのおかずでも、何でもお好きなように調理してくださって結構よ。おーほっほっほっほっほ!
「アメージーーング!」
タウン・ハウスに帰宅したローズマリーは玄関扉を開けるなりにそう叫んだ。行儀悪くも両手を使い自分で扉を開けて入ってきた破天荒な彼女に、執事が呆気にとられる。
出迎えの挨拶の為に胸に手をやったまま硬直していた。彼に飛びつくと、ローズマリーはくるくるとホールで踊る。執事も年の甲か、呆然としながらもステップは間違えない。
ホールの騒ぎに気付いたのか、領地から共に赴いていた父と母もホールに顔を出した。
老年の執事が、自分の娘に振り回されている様を見て、父が慌てて駆け寄る。彼に気付いたローズマリーはパッと笑みを浮かべると、流れるような仕草で父の胸に飛びついた。そのまま背に手を当て再びステップを刻む。選手交代した執事は、息も絶え絶えに尻もちをつく。
「どうしたんだい、お姫様。そんなに嬉しそうに」
苦笑する父に、ローズマリーくるくると回りながらホール中に響くような大きな声で返答した。
「シディリウス殿下に一目置かれたわ!」
――のはずだったのに。
ローズマリーは苦々しい気持ちで窓の向こうを睨みつけていた。高くそびえる白亜の城では、今またお茶会が催されている。しかし今、ローズマリーはここにいる。それが全てを物語っているようで、全く持って面白くない。
「絶対にまた招待されるはずだから」と父を説得したのは一月前の事――ローズマリーは、強引にタウン・ハウスに残っていた。
ローズマリーの残留を随分と渋った父であったが、彼女の破天荒な行動を見てぶっ倒れてしまった母のため、やむを得ず了承した。少し距離を置いたほうが二人の為になるだろうと考えたのだ。
愛しい娘のためにと、領地から連れてきた執事を置いてくれた。そのため、ローズマリーは何一つ不自由なく暮らせている。領地よりも王都の方が、ずっと興味溢れるものも多く、いきいきと生活できているぐらいだ。
ローズマリーにとっても、万里にとっても目新しい活気あふれる王都を、彼女は思う存分楽しんでいた。
――風の噂で、王城で再びお茶会が開かれていると聞くまでは。
何故だ。何が悪かった。絶対いい線いってると思ったのに。確かな手ごたえを感じたのに。ローズマリーは窓際で塩をかけられたナメクジのように萎びていた。心なしか、窓の向こうから、薔薇の花びらのように豪華なドレスを着こんだ令嬢達の、笑い声が聞こえるようでもあった。
今頃あの庭園で、誰かをエスコートしているのだろうか。手を差し出し、手袋を脱がせ、素肌に触れているのだろうか――
それは駄目だとローズマリーは首を横に振った。何かに突き動かされるように、王太子を胸に思い描く。
彼は絶対に、自分が落とすのだから。
キラキラと輝く彼とは、一度しか会話をしたことがない。なのに、あまりにも鮮明にローズマリーの心に残っていた。
「セバスチャン!」
「チェスターでございます。ローズマリーお嬢様」
仕事中の執事を探し出したローズマリーは、つつつと彼に駆け寄る。
「この間頼んでおいたアレがそろそろ出来たんじゃなくて?」
「確認してまいりましょう」
悠長に答える執事の背を押したいのを我慢して、ローズマリーは待った。しばらくして、トレイを持って執事が部屋に訪れる。
トレイの上に並べられているものを見てローズマリーはにんまりと笑う。
そこには、茶色く色づいた花びらがいい香りを漂わせていた。
鮮やかな色合いは長期間干していたせいで失われている。その代わり、花びらはローズマリーが調合した香りを身に纏っていた。乾いた花びらに香油をじっとりとしみ込ませたもの――ポプリだ。
「素敵ね、ありがとう」
トレイごと執事から受け取ると、ローズマリーはさっそく裁縫箱を広げた。すでに刺繍を終えてあるレースで出来た袋にポプリを詰めていく。丁寧にサシェを仕上げると、ローズマリーは大きく息を吸った。
「いい匂い」
どう? とまだ後ろに控えていた執事にローズマリーは差し出した。サシェの匂いを嗅いだ執事が頷く。
「とても良い香りですね」
「そうでしょう。セージにカモミール、オレンジとローズマリーを混ぜたの」
そのどれも、薔薇のように上品な香りではない。嗅ぎ慣れた素朴な匂いばかり。男性にも受け入れやすいだろう。
「シディリウス殿下にいただいた薔薇よ――綺麗にポプリにしてくれた方々にお礼を言いたいわ。あとで教えてちょうだい」
既に書き上げていた田舎娘らしい気遣いと、優しさに溢れた手紙を添えて執事に手渡した。執事は心得たようにそれを受け取ると、スッと部屋から退室した。