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第三話 : 弱み


 ローズマリーはゆっくりと後ろを振り返った。手はさりげなく後ろに隠している。

 そこには、あれほど近づけずにいた王太子が、共も付けずにたった一人で立っていたのだ。


 なんて間の悪い!

 あぁけど、近くで見てもイケメン。金の匂いのするイケメン。若い肢体、滑らかな肌。きっとキスの時に煙草の匂いなんて絶対にしない。ベッドでがっついてきそうな、イイ男。


 ドラマのように、映画のように。笑顔を浮かべる輝かしいイケメンに、ローズマリーは内心を押し隠してゆっくりと膝を折った。片手を背に隠しているため、淑女の礼が乱れてしまう。

 その様子に、王太子シディリウスがくいっと綺麗な柳型の眉を上げた。


「お加減が?」

 ローズマリーが隠した左手を不審に思っていることは、ありありと伝わっていた。しかし、彼女はそれを出来るだけ受け流したかった。田舎出の礼儀知らずと思われようとも、多少の不敬に繋がろうとも、人の首が飛ぶよりかはましだと思ったのだ。


 微笑みを浮かべだんまりを決め込んだローズマリーに、王太子がスッと目を細めた。何かを警戒するように視線を巡らせ、ローズマリーをきつく睨みつける。


「それとも何か、人には言えぬ企みでも?」


 あ、このままじゃ、物理的に私の首が飛ぶわ。

 ローズマリーは正確に悟った。


「申し訳ございません――わたくしの不注意が招いた事なのですが……」

 ローズマリーは音速で庭師を売った。ごめん。もし解雇になったら、待遇は保障できないけど子爵家が口添えするから。


 ローズマリーが差し出した手についている赤い染みを見て、シディリウスは様子を改めた。

 絹の手袋は性質上、必要以上に色が広がりやすかったようだ。ローズマリーの指先は、痛みよりも随分大げさに赤く染まっていた。


 シディリウスは視線を動かし、ローズマリーの隣で咲き誇っている薔薇を見た。

「手当の必要があります。虫でしょうか、棘でしょうか」

 顔つきを厳しくして人を呼ぼうとしたシディリウスを、ローズマリーは悲鳴を上げるように止める。

「――シディリウス殿下!」

 思っていたよりも強い口調に、呼び止められたシディリウスも、そして発した本人であるローズマリーも驚いた。


 しかし、それほどまでに必死だったのだ。

 ハローワーク通いだけは、勘弁させてやりたかった。減俸でも、ボーナスカットでも、お尻百叩きの刑でも、好きにすればいい。けれど、ハロワ通いは、本当に胃が痛むのだ!


 平日の昼間に堂々と出歩くことさえ出来ない罪悪感。正常に仕事をしている人達に、仕事を斡旋してもらいに行くという、あの居心地の悪さ。息も詰まるようなベンチで、自らの駄目さを再確認する資料に目を通し、自分は人並みですらないのだと欝々と掃き溜めの中をたゆたうような毎日だけは――もう二度と味わいたくない!


 新卒採用された会社を三ヶ月という短期間でやめてしまった過去を持つ万里は、ローズマリーの皮の裏で心から震えていた。


「ご挨拶もせず、大変失礼いたしました。わたくしはローズマリー・オーグレンと申します。どうかご慈悲を賜れるのなら……さもしい私に、この可憐な花を一輪、譲ってはいただけませんか」

 ローズマリーは顔を伏せ懇願した。自分の軽率さに対する反省文なら何十枚でも書きますから!

 祈りが通じたのか、頭を下げたままじっと地面を睨みつけていたローズマリーの耳に、しばらくしてそっと何かが触れた。


 顔を上げるローズマリーに、シディリウスが苦笑する。先ほど何かが触れた耳元にローズマリーが手をやれば、そこには柔らかな花弁をふんわりと身に纏った薔薇が活けられていた。シンプルなローズマリーの意匠に、鮮やかな生花は見事に映えるだろう。


「――殿下のお手を煩わせましたこと、心よりお詫びいたします」


 なんて腰を落としつつも、ローズマリーは心の中でガッツポーズを握る。


「こちらの薔薇はとても綺麗に咲き誇っていますね。丁寧に手を入れられているのでしょう。世話をする者の真心が伝わってくるようです」


 王太子と接点を持てたこと、彼直々に贈り物を賜ったこと、そして怪我を負わせた元凶の薔薇の持ち主がローズマリーになったこと。

 そのどれもが、一人ぽつねんと痛い子を演じた値打ち以上のものであった。


 言外に庭師を責めるなと伝えると、王太子は目を見張る。

「――レディ・オーグレン。本当によろしいのですか」

「勿論です。元を正せば私の不躾な行動が招いた事――どうぞ、よろしくお取り計らいください」

 王太子は厳しく顰めていた顔を緩める。

「ご厚意に感謝しよう。ですが、手当だけはさせていただきたい」

 ローズマリーはその言葉に戸惑った。手当の記録を残すことに不安を感じたのだ。

「心配は無用です、こちらへ」

 シディリウスが胸からハンカチを取り出すと、ローズマリーに差し出した。ローズマリーはハンカチを手に取り、胸に寄せる。それを見てシディリウスはそっと腕を差し出した。

 シディリウスの示唆するところをローズマリーはきちんと受け取れていたようだ。ハンカチを握ることで不自然にならないよう、指先を隠すことができたローズマリーは、そのままシディリウスにエスコートされて薔薇の茂みを抜ける。


 お茶会の会場へ戻ると、場は一気に騒然とした。どうやらシディリウスはこっそりと薔薇の茂みにやってきていたらしい。

 シディリウスの不在で荒れる心を笑顔の裏に隠していた淑女達が、彼にエスコートされるローズマリーを見て唖然としている。立ちすくみ、あらんかぎり瞳を広げて二人を見つめていた。ぽかりと開いた口を扇子で隠すことも忘れるほどに。


「母上、彼女をお茶に誘いたいのですが」

「おやまぁ、茶会から誘い出す先が、茶とは。それほど気の利かない男に育てたつもりはなかったのですがね――客間をひとつお使いなさい」

 王太子の言葉に息を飲んでいた少女達が、王妃の言葉によって顔色を失った。晴れ渡る空よりも真っ青な顔をして、先ほど値踏みしたローズマリーに渋々道を譲る。


 アメージーーーッング!


 どうだ見たか! シディリウスの腕に体を預け、恥ずかしげに俯いているローズマリーは心で叫んだ。


 これでは、誰がどう見ても――王太子は、この見事に咲き誇る薔薇の中から、自分を胸に刺す一輪に選んだのだと、宣言しているようではないか。


 輝かんばかりの美しい王子様の腕には、悲しみに暮れていたみすぼらしい少女――あまりにも王道のラブロマンスを目の前にした少女達は、自分達が意地悪な悪役になっていた事実を知る。これではもう、何がどうあっても覆せないではないかと、少女達は臍を噛んだ。


 名も知らぬハローワーク通いを免れた庭師に、ローズマリーは与えられるだけの褒美を与えたい気分だった。






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