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第二話 : 不審な花


 王太子――シディリウスを、ローズマリーは一目でわかった。


 とはいえ、ドレスの花が咲く庭園で、ただ一人ジャケットを羽織っている男性がいれば、どれほどのボンクラでもわかるようなものだろう。


 しかし、きっとローズマリーはシディリウスがドレスを着こんでいたとしても、その人だとわかったはずだ。


 ローズマリーがシディリウスを見たことがあるのは、ただ一度。デビュタントのために、王宮へ赴いた時のことだ。

 社交嫌いの父により、ローズマリーはそれ以後の社交界に顔を出したことがない。社交シーズン以外はもちろんのこと、どんな子女だってドレス選びに余念がなくなる初夏にだって、ローズマリーは粛々と領地で過ごした。デビュタントのためにと新調した靴を履き、一人で何度も、何度も、思い出のステップを刻んだものだ。


 だからこそ、より鮮明に色づいているのかもしれない。ローズマリーとしての記憶の中で、一等彼は強く心に刻まれている。


 同じ年頃の男性を見たことがあまりなかったローズマリーにとって、彼はとても特別だった。明るいシャンデリアの元、贅を尽くしたセンスのいい衣装に身を包み、誠実な笑みを浮かべる王太子シディリウス。

 もちろんのことながら、王太子と踊れたわけでも、会話が出来たわけでもない。それでもローズマリーにとって、その一晩は、何度も何度も開ける宝箱のように大切な思い出だった。


 ローズマリーの瞳を通してみる彼は、そこだけ輝いているかのように見える。キラキラと陽の光が彼のオーラに反射しているかのように。


 そんな彼をよく見るために、ローズマリーは目を細めた。

 眩しさからではない。あまりにも遠すぎて、目を凝らしたのだ。


 かろうじで見える彼の周りには、色とりどりのドレス、ドレス、ドレス。もう、ドレスの後ろ姿しかローズマリーには見ることが出来なかった。


 わかっていたことだったが、令嬢たちは皆、誰も彼もが気に溢れていた。


 王太子妃の座を狙い、腕によりをかけて自らを磨き上げてきている。

 肩を大きく開き、白く美しいデコルテがはっきりと見えるシルエット。クリノリンで大きく幅を持たせたスカートを、色や細部は違えども皆一様に着こんでいた。詰まった襟に、パニエで少しばかり広げたスカートを身に纏うローズマリーにも、これが今の流行なのだとわかった。


 社交界に顔を出さないローズマリーは、この世界の流行に疎かった。


 ドレスを新調したのはいいものの――父の采配により出来上がったドレスは、まこと美しい淑女の纏うそれへと仕立て上げられていた。


 しかし、それが時代遅れのドレスだなどと思ってもいなかったローズマリーは、届けられたドレスを見て歓声を上げた。

 ハイネックのフレンチスリーブはとても精密なレースで、覆っているのに重くならない絶妙なデザインだと感激した。スカートに関しても、ペチコートぐらいしか穿いたことがなかったため、パニエにとても感動していたのだ。

 年々呼ばれる回数が増える友達の結婚式くらいでしか、ドレスなんてお目にかかるものではない。ましてや、総手縫いである。刺繍やアンティークフリルが惜しげなく使われているこのドレスが、日本の価値観でどれほどの値が付けられるか、わかったものではない。

 更には、こんな風に手を取ったことも、袖を通したこともない。本物のドレスと、玉の輿という言葉に、ローズマリーはそれはそれは浮かれた。


 社交嫌いの父がお茶会の参加に積極的だったのも、先だっての事故があったせいだろう。引っ込み思案で目立つことが嫌いなローズマリーのためにと、父が用意してくれた立派なドレス。


 ――しかし。

 年頃のお洒落な娘達の中、一人だけださい格好で立たされる娘の心情までは、娘思いの父も配慮が行き届かなかったらしい。


 女の序列は、ほぼ第一印象で生まれる。お茶会に集まった淑女達はローズマリーを一瞥し、鼻で笑った。

 田舎娘がよくもまぁしゃしゃり出てこれたものなのだと、侮蔑の視線を隠しもせずに。


 最初の張り切りはどこへやら。一瞬のうちにヒエラルキーの最下層へと追いやられてしまったローズマリーは、王妃が挨拶の為に話しかけてきてくれた時以外、誰とも話すことなくただそこに立っていた。

 おしゃれに身を包む少女達の中に割り込む勢いは、会場に足を踏み入れた瞬間に消え去ってしまった。


 あーぁ、やだやだ。どこの世界もやっぱり、顔が可愛くておしゃれで親が権力者で、自信がある女の子が、発言権を持つのよねぇ。


 自分が合コン前に奮発した化粧品やドレスを思い出す。あれは立派な、戦闘服だった。自分を美しく見せるための、自分の自信を促すための、自分を後に引かせなくするだけの、贅沢な品だった。


 例えオートクチュールの上品なドレスを着ていたって、それがどれだけ似合っていたって、それには何の意味もない。お洒落とは、流行なのだ。最先端を追えていない者には、スタートラインに立つ資格さえない。何処の世界でも、女の世界は厳しいものだ。


 とは言えこれは、チャンスとも言える。

 装いが美しくなくていいのだ。自信がなくていいのだ。後に引いてもいいのだ。


 華やかな社交の場で、地味な子娘が一人ぽつんと佇んでいる姿は、さぞや目立っていることだろう。


 ローズマリーは、17歳の娘・・・・では思い浮かばないだろう下種さを持って、扇子の裏で口角を上げた。


 流行りの衣装に身を包む、可愛らしい女の子。あまりにも見慣れたその光景に、王太子様、少しばかり食傷気味じゃございませんこと? 自然の香りがする、素朴な娘に心を慰めてほしい――なんて。ロマンス小説のようなこと、夢見るお年頃じゃあ、ございませんこと?


 ローズマリーは今、目立っている自信があった。しかもありがたいことに、この光景はあまりにも自然だ。


 社交界嫌いな父を持つ、田舎育ちの流行に疎い少女が、薔薇の大輪のような美しい淑女達に爪はじき――いかにも語り部が好みそうな設定である。


 同じアタック方法をしていても、埋もれるばかり。

 ローズマリーはただ、恥ずかしそうに俯き、身の置き所がない少女のように振る舞っていればいいだけである。


 ――いいだけで、あるはずだった。


 しかし先ほども言ったように、ここは女の世界。

 そう甘くはないようだ。


 王太子はあの防波堤を越えられそうな気配も、越えて来そうな気配もなかった。引っ切り無しに訪れる少女達を対応している王妃に至っては、完全に静観を決め込んでいる。


 お茶会は息子の嫁の面接会場。たかがこの程度の人数の中で這い上がれない者に、王太子妃の座は相応しくないということだろう――なるほど、と納得する他ない。


 かといって、急に突撃に行くのも難しい。前述したとおり、ローズマリーは目立ち過ぎていた。庭の片隅で心細さに震える静粛な少女が、突然あの人垣を割って入るような真似はしない。

 スタンスを変えることは、自滅を意味する。せめてこのお茶会の間だけでも、当初の設定を貫き通さねば、今後のローズマリーの足場が完全に消え去ってしまうだろう。


 ローズマリーは悪あがきをするために、庭園に美しく咲いている花へと近づいた。薔薇のアーチをくぐり、薔薇の茂みを進んでいく。迷路のように趣向を凝らしているためか、茂みは高く道幅は狭い。クリノリンを付けたお嬢様方は少しばかり通りにくいだろう。貧相なスカートでよかったと、ローズマリーはくすりと笑った。


 咲き誇る薔薇を目にし、感嘆の声を漏らした。その拍子に、木の上にとまっていた小鳥が飛び立つ。ローズマリーは小さな声で「こんにちは」と挨拶をした。


 ――完全に、痛い子である。


 所詮は小娘達よ! と侮っていた罰が当たったに違いない。ローズマリーは、若さに負けていた。酔ったふりをして太腿に手をかけながらしなだれる術は持っていても、人を引き付けるような純粋な言葉は持っていなかったからだ。


 それにしても、見事な薔薇である。ローズマリーは丁寧に手入れされている庭をじっくりと見つめた。

 この時代、これほど綺麗に咲かせることが容易いことではないことぐらい、安易に予想が付いた。薔薇には虫食いの痕も見られず、枯れた花弁は一枚もない。丹念に丹念に、日々世話を続けているのだろう。


 そっと薔薇に手を伸ばした。その時、ちくりと手が痛むのを感じて慌てて引っ込める。

 白い絹の手袋に、赤い染みが広がっていく。太く禍々しい棘を抜き、ローズマリーは止血するために慌てて指を強く掴んだ。


 基本的に、薔薇の棘は庭師によって丁寧に抜かれている。薔薇に棘があることを知らぬ令嬢だって、この世界にはごまんといるほどだ。それほどに、この世界で薔薇に棘がないことは、当たり前のことだった。


 自らの軽率な行動を恥じる。

 ローズマリーにとっては、ただ手袋を買い替えればいいだけのこと。しかし、この赤い染み一つで、きっと庭師は職を失うだろう。それがどれほど厳しいことか……この場の誰よりも痛切に感じ取ることができるのは自分だとローズマリーは知っていた。


 この場にいる人間は皆、雇う側の者達だ。給金を払い、対価を求める者。

 しかし、自分は給金を貰い、対価を生み出す立場にいた。


 たかだか、棘を一つ、抜き忘れただけのこと。会社が傾くような致命的なミスではない。王城が危険にさらされるわけじゃない。けれど、城の権威は落ちるだろう。その程度の庭師しか雇えていない――と。

 庭師の代えなんて、いくらでもいるのだ。まるで城のペンキを塗り替えるように、汚点は塗りつぶされる。蝋燭の火を消すよりも、簡単に。


 それは、きっと。雇われたことのある人間にしかわからない恐怖。生まれてこのかた、雇う側にしか立ったことがない人間には、備わっていない危機感であった。


 だからこそ、ローズマリーは手をきつく握った。この赤い印さえ隠きってしまえば、ここであったことはすべて隠蔽できる。この茂みを抜けるまでに、なんとかやり過ごせば――


「如何なさいましたか」


 なのに、こんな時になって。

 先ほどまでずっと待望していた声がローズマリーの背後から聞こえた。





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