5-10 フラグが立った日(その4)~全裸の妹~
加代と俺はナタプロを4時前に出て、吉祥寺を経由して久我山に向かった。当然だが、加代の家、つまりエコサに戻るためだ。
「加代、おめでとう。良かったね。夢が目標に変わるね。」
「・・・うん。」
ナタプロから東中野駅に向かう道で加代は言葉少なかった。東中野のホームで三鷹行きの電車を待っている時、加代は俺の背中に顔を着けた。
「翔ちゃん、ごめんね。私・・・」
俺は背中に加代を感じたまま、
「加代、何言ってんだ。加代の夢が叶うんだ。タレントになれるんだよ!」
「私、わがままを言って、翔ちゃんがあんなに悩んで、いっぱい悩んで・・・私を選んでくれたのに・・・私・・・」
「良いって、俺は加代を応援できて、こんなに嬉しい事は無いよ。」
「私、春香に何て言って謝ればいいの?」
「それより、今はタレントになる事だけ考えれば良いと思う。」
「翔ちゃんと春香の間に無理やり割り込んだのよ・・・なのに・・・嫌な女だわ、私。」
「加代、俺を好きになってくれてありがとう。加代と特別な関係になれて、俺、嬉しかった。」
「でも・・・」
「姉ちゃんと俺との事は俺が何とかするから。」
「・・・・・」
電車が来たのでそれに乗った。電車が中野駅に止まった時、
「加代、リング。」
「・・・うん。」
加代はショルダーからリングを取り出して俺に渡した。俺はそれを加代の左手薬指に嵌めた。加代はそのリングを悲しそうに見つめた。
「私、春香にメールする。来てって。」
「姉ちゃんに今日の事言ったら、逆に怒るかもな。」
「春香はそんな人じゃないわ!」
「加代は良く解ってんだね。」
「うん。私、春香が大好きなの。翔ちゃんが居なかったら親友になれたと思う。」
「そっか。」
「でも、そっか。翔ちゃんが居なかったら、春香とも仲良くなれてないよね。」
「・・・」
あまり会話は続かなかった。ただ、帰宅ラッシュが始まりだして少し混んで来た電車の中でも、吉祥寺駅の雑踏の中でも、自動改札を通る時でさえ、俺と加代はずっと手を握って気持ちを伝えあった。もう誰に見られても構わない気持ちになれていた。
4時45分頃エコサの307号室に入った。俺は加代を初めて俺の方から抱きしめた。深いキスをした。俺も加代もこれが最後だって解っていた。俺は半日だけ、たったの半日だけだったけど、真剣に加代の彼氏だったと思う。少なくとも真剣にそうなろうとした。俺も加代もしばらく涙が止まらなかった。
6時前、307号室のドアを誰かがノックした。俺がドアを開けると姉ちゃんが入って来た。姉ちゃんはちらっと俺を見た後、加代に向かって、
「加代ちゃん。私に話があるって・・・」
加代は姉ちゃんの前に進み出て、真っ直ぐ姉ちゃんを見詰めた。そして・・・突然土下座した。姉ちゃんも俺もビックリだ。
「春香、ごめん。いつかこうして『翔ちゃんを下さい』ってお願いするつもりでした。」
「何言ってるの、止めて加代ちゃん。私が翔ちゃんに『加代ちゃんの傍に居てあげて』って言ったの。」
「それでも私はハルちゃんにちゃんと許してもらわないといけないと思うの。」
加代は土下座を一段と深くした。姉ちゃんの瞳から大粒の涙が落ちた。
「わかった。わかったわ、翔ちゃんは加代ちゃんにあげる。だからもう止めて!」
「おい、俺は・・・」
「翔ちゃんは黙ってて! これは私と加代ちゃんの問題なの。」
「・・・・・」
姉ちゃんは加代の傍にじゃがんで、加代の土下座を止めさせようとしている。加代は顔を上げた。そして姉ちゃんの顔を見上げた。
「ハルカ、許してくれる?」
「う、うん。」
「ありがとう・・・ハルちゃん。」
2人共涙を拭う事無く、床にポタポタ落ちた。しばらく見詰め合っていた。俺は加代の、いや2人の迫力に圧倒されて入り口近くの壁を背にして座り込んでしまった。
「ねえ、ハルちゃん、もうひとつ聞いて欲しい事があるの。」
「なに?」
「私のお古になっちゃったけど・・・翔ちゃんをハルちゃんに返したいの。」
「えぇー?」
「まだ新品同様よ! 私が保証するわ!」
「おい、俺・・・」
「翔太は黙ってて!」
「えぇー!」
「どう言う事? 気に入らなかったの?」
「ううん。春香が翔太を大好きなのが良く分かった。私も大好きになっちゃった。」
「じゃあ、どうして?」
「私ね、今日、ナタプロのタレントになることが決まったの。」
「え、ほんと?」
「うん。それで・・・勝手よね、嫌な女よね、私。」
「何言ってるの! 夢が叶うんでしょ!」
「うん。それは嬉しいんだけど、代わりに翔ちゃんと別れなきゃいけないの。でも私、翔ちゃんが大好きなの。だから、だから春香に返したい。春香が引き受けてくれたら安心だから。」
「うっうん、わかったわ! 返してもらうわ!」
「ありがとう、ハルカ。やっぱり春香は私の親友だわ!」
「うん、うん。」
「今日ね、翔ちゃんにリングを買って貰ったの、これ、私の宝物にするけど良い?」
加代はそう言って左手を姉ちゃんの前に差し出した。姉ちゃんはそれをちらっと見て、
「うん、良いよ!」
「ありがとう。大切にするから。」
「うん、わかった。」
「それから、もう1つわがまま言って良い?」
「なに?」
「辛くて挫けそうになった時には・・・貸してくれる?」
「うん、うん。良いよ! 1度はあげたんだから。」
「あのなあ・・・」
『黙ってて!』
「・・・・・」
加代と姉ちゃんは307号室の床に正座をする様に向かい合って座って手を取り合って微笑みながら涙を流している。俺は2人の迫力に圧倒されて割り込む事なんか出来なかった。こうして、加代に強奪されたナイト君は元のご主人様に正式に返還された。
・・・・・・・・・・
姉ちゃんと俺は7時前にエコサを出た。2人一緒に歩くのはたったの1週間振りなのに、もう何か月も別々の場所に居た様な気がする。エコサのエレベータでは、ばつが悪いというか、ちょっと恥ずくて、お互いに目を合わすことが出来なかった。久我山駅に向かって下る商店街の坂道は俺が姉ちゃんの2メートル位先を歩いた。駅の手前で左に曲がって、神田川に沿って歩く道は姉ちゃんが俺の2メートル位先を歩いた。無言で。道は街路灯の周辺以外は真っ暗で、知らない人が見たら俺はストーカーに見えたかも知れない。姉ちゃんもそうだと思うが、俺は何を話題にしたらいいのか、どう話し掛けていいのか分からなかった。姉ちゃんと俺はこの1週間で他人になってしまったのかも知れない。
神田川沿いの道から家の方に曲がる所で、家に帰る前にとにかく何か話さなければと思った。
「姉ちゃん、俺・・・」
振り返った姉ちゃんの顔が街路灯に照らされて妙に白く見えた。
「ごめん、翔ちゃん、今は早く家に帰りましょ。それで、今夜2人でお話ししない?」
「うん。」
姉ちゃんと俺は結局それ以外に言葉を交わすことなく家に帰った。
家に帰ると、夕食の準備が出来ていた。親父は仕事で遅くなると言う事だ。結局この時もこれまでの様には会話が弾まなかった。彩香がこう言った。
「お兄ちゃん、お姉ちゃんとまだ喧嘩してるの?」
「ううん、してないよ。」
「お姉ちゃんはお兄ちゃんが嫌いになったの?」
「ううん。そんな事無いよ!」
「そっかなあ?」
母さんは何も言わなかった。彩香だけが悲しそうな顔をした。家中に重苦しい空気を流してしまっているのは確かに俺達なんだと思うが、どうしたら良いのか判らなかった。食後テレビを視ても面白く感じないし、する事が無くて、結局2階に上がって部屋に寝っ転がってボオーッと天井を眺めた。暫らくそうしていると、ノックして母さんがドアを開けた。
「翔ちゃん、お風呂沸いたから入って。」
「うん。わかった。」
俺は着替えとパジャマを持って1階に向かった。階段を降りようとした時、母さんが姉ちゃんの部屋に入って行く気配を感じた。
俺はいつもの様に先に洗面台で歯磨きをしてそれから風呂に入った。体を洗って湯船につかりながら、漠然と今日の出来事を振り返っていたと思う。
・・・撮影が中止になった。姉ちゃんの覚悟を知った。加代を選んだ。加代がタレントに採用されて俺の手が届かない所へ行く事になった。加代が姉ちゃんに俺を返した。・・・間違いなく大盛りの1日だった。だけど、幸せな日じゃ無かった。結局、俺は姉ちゃんに返されたのだが、姉ちゃんはこれから俺をどうする気だろう。俺はどうしたら良いんだろう・・・
「お兄ちゃん、きたよー!」
返事をする間もなく全裸の彩香が入って来た。彩香は6歳。来年の4月には1年生だ。
「おお、彩香か、一緒に入るの久しぶりだな。」
「うん、彩香はお兄ちゃんが大好きだから一緒にお風呂入っても平気だよ。」
「そっか、ありがとう。お兄ちゃんも彩香とならゼンゼン大丈夫だ。」
「ねえ、頭洗って!」
「了解。」
俺は湯船から出て彩香の頭を洗って、体も洗った。次に・・・と考えていると、
「入るよ! 翔ちゃん。」
「えっ?」
突然姉ちゃんが入って来た。
「翔ちゃん、邪魔だから、湯船に入ってくれる?」
俺は不意を突かれて何が何だか分からないまま、仕方なく慌てて湯船につかった。
「こっち見ないで。」
「ああ、うん。」
そう言われても、見えたものは仕方が無い。姉ちゃんも全裸で、タオルで肝心な所だけ隠している。姉ちゃんは彩香を仕上げて、自分の体を洗い始めた。と思う。俺は天井に目を固定して聴こえてくる音からその気配だけを察していた。彩香が湯船に入って来て、俺の股間を覗き込むようにした。
「彩香、そこ見るな!」
「平気だよ、お父さんのいつも見てるから。」
「そうか・・・いやいや、そう言う事じゃないだろ!」
「座るから支えて。」
「ああ。」
彩香は俺の脚の上に座った。彩香の体を手で支えた。ツルツルでいい感触だ。
「わたしも入れるかなあ?」
「ええー! じゃあ俺が出るよ。」
「だめよ、3人で一緒に入るんだから、ね、彩ちゃん。」
「うん。そうだよー!」
「翔ちゃん、ちょっと前に行って!」
「う、うん。」
姉ちゃんが俺の背中側に入るとお湯が湯船一杯になって溢れた。姉ちゃんの体が俺に触れた。ツルツルの感触だった。が、徐々にその感触が密着してプルンプルンの感覚になった。その感覚が背中一杯に広がった。姉ちゃんの腕が俺の肩を抱きしめた。
「ね、姉ちゃん。」
「じっとしてて。」
「お兄ちゃん暴れんな!」
「な、何だよ2人共!」
姉ちゃんが耳元でささやくように言った。
「お帰り、翔ちゃん。」
「え?・・・た、ただいま・・・姉ちゃん。」
彩香も立ち上がって、俺に抱き付いた。
「お兄ちゃんお帰りぃ!」
「ああ、ただいま、彩香。」
「やったー、お姉ちゃんとお兄ちゃんが仲良しになったー!」
それからしばらく彩香の奇声が風呂場に響いた。いつの間にか1週間前の俺達に戻っていた。
姉ちゃんと一緒に入ったのはたぶん6年ぶり位だったと思う。
「お兄ちゃんはやっぱ男だー!」
「こら、だから見るんじゃない!」
「つまんでも良い?」
「良い訳ないだろ!」
「翔ちゃん、どさくさに紛れて触んないで!」
「事故だから。」
「サヤは触って良いよ!」
「ダメよ!」
「サヤ、危ないからそんな暴れんな!」
「お兄ちゃん大好き!」
「ああ、お兄ちゃんもサヤが大好きだ!」
「私は?」
「だ、大好きです。」
「うん。それで良し!」
湯船のお湯は結局ほとんどこぼれてしまった。お風呂を出ると、母さんがバスタオルを持って待っていた。優しい笑顔だった。俺は初めて母さんに裸を見られたと思う。かなり恥ずかった。このイベントはおそらく母さんの提案だったんだと思う。
その夜、10時過ぎ、俺は姉ちゃんの部屋に居た。姉ちゃんはピンクに白のドット柄、俺はブルーに白のドット柄、彩香はイエローに白のドット柄で、俺たちキョウダイですと主張しているパジャマだ。姉ちゃんはベッドに座って髪を梳いている。彩香は俺の胡坐の中に座って俺の左肩に凭れて既に眠ってしまっている。彩香の寝顔はいつもの様に可愛い。俺は彩香の頭を撫でながら、
「彩香は相変わらず可愛いね。」
「そうね。」
「今度も彩香に助けられたね。」
「そうね。特に翔ちゃんはね。」
「まあね。」
彩香を見詰める姉ちゃんの笑顔も可愛かった。
「姉ちゃん、ごめんな。俺がもっとしっかりしてればこんな事にはならなかったのに。」
「ううん、私が自分の気持ちを自分でちゃんと分かって無かったのがいけないの。」
「おれ、もう姉ちゃん以外に優しくしない。」
「だめよ。翔ちゃんは誰にでも優しくしないと、翔ちゃんじゃないわ!」
「だって、そうすると・・・」
「構わないわ、それはもう、1次的な事だって分ったから。」
「だけど、俺、断れないヘタレだから。」
「大丈夫よ。これからは、わたし、必ず帰って来てって言うわ!」
「帰れなかったら?」
「迎えに行くわ! 何処までも。」
「ありがとう、じゃあ安心だね。」
「あ、いい気になって、気を緩めたら承知しないからね!」
「えっ、うん。」
「わかれば良し!」
「帰って来た時は、今日みたいにまた一緒にお風呂入る?」
「ばかね、何言ってんの!」
姉ちゃんはそう言うと、俺に近付いてきて、俺を彩香ごとハグして、
「良いよ。」
「じ、冗談だから。」
姉ちゃんと俺の視線が重なった。姉ちゃんが優しく微笑んだ。意味ありげに。
「彩ちゃんはいつまで一緒に入ってくれるかしらね。」
「そうだね。今のうちだね。」
「ばか! あぁあ、翔ちゃんのスケベは何があっても治らないのね。」
「へいへい。」
姉ちゃんも彩香の頭を撫でた。そこへ、ノックして母さんが入って来た。母さんは俺たち3人の状態を見て、
「すっかり仲直りできたみたいね。3人共。」
「ありがとう母さん。」
「良かったわ、お父さんも結構心配してたけど・・・でも、結局自分達で解決するのね。」
姉ちゃんと俺は顔を見合わせた。
「あなた達、大人になったら結婚しても良いのよ!」
「お母さん、何を言い出すのよ!」
「まあ、まだどうなるか分からないわね。」
母さんは嬉しそうに微笑んでいた。
「じゃあ、彩香を連れて行くわ。あなた達も早く寝なさい!」
母さんは重そうに彩香を抱えて出て行った。
俺はしばらく姉ちゃんと並んで座ったまま黙って今日あった事を思い出そうとしていたと思う。やがて姉ちゃんが俺の右肩に凭れかかって来た。俺は姉ちゃんの右肩に手を回して抱き寄せるようにした。姉ちゃんは頭を俺の右耳の辺りに付けて俺に凭れかかった。しばらくそのまま黙って互いに凭れ合った。しばらくして、姉ちゃんが静かに言った。
「ねえ、加代ちゃんとどこまでしたの?」
「・・・加代の言った通りだよ。」
「うん。加代ちゃんは絶対嘘を言わないよね。」
「解ってんじゃん。」
「親友だもの。だけど、私、翔ちゃんからも聞きたいの。」
「・・・わかった。」
姉ちゃんの髪からはコンディショナーの甘い香りがしている。俺はこの1週間の学校や307号室の情景をなぞる様に思い出してみたが、たった1週間だと言うのにもうずうっと昔の様な気がして、かなり忘れかかっている。あまりにも沢山の事が起こって、覚えきれなかったのだろうか、それとも、俺の頭は不都合な事はサッサと忘れてしまうようになってるのだろうか、とにかく細かい事が思い出せないというかどうでも良く思えた。結局、なんか処し難い問題が全て上手く治まったという安堵感だけに浸っている穏やかな自分に気付いた。だが、同時に姉ちゃんの事後反撃が始まろうとしていた。
「ねえ、どうなの?」
「き、キスした。・・・ごめん、何度も。」
「それだけ?」
「う、うん。」
「加代ちゃんに確認するよ!」
「お、おっぱい、触った。」
「スケベ!」
「ごめん・・・」
「それだけ?」
「それだけって・・・だけど・・・どこまで言わせるつもり?」
「とりあえず今日の取り調べはここまでで良いわ。」
「あのねえ!」
「加代ちゃんは『新品同様』って言ったわ!」
「そうだと思う。」
「それは、新品じゃないって事よね。」
俺は溜息をついた。だが、幸いにも姉ちゃんの声は眠そうになっていた。
「姉ちゃん、もう眠いんでしょ?」
「ベッドに行こ!」
「連れて行けって事?」
「何言ってんの、今夜は一緒よ!」
「ええぇー!」
「翔ちゃんには加代ちゃんとはできなかったレベルまで進んでもらいます。」
「ゲームかい! だとしても、マスターが寝落ちしそうです。」
「そうね。翔ちゃんの所有権は今私にあるから、寝られないわね。」
「無理しないで寝てください。」
俺は姉ちゃんを抱えてベッドに寝かした。そして1度ベッドに腰掛ける様に座った。お休みを言って俺の部屋に逃げるつもりだった。すると、姉ちゃんが掛布団を広げて、俺に『入れ』という視線を投げてきた。その時の俺には拒否権は無かった。




