2-6 親父が何処かへ出かけた日(その2)~棘は抜けたの?~
4月28日、親父は会社を休んだらしい。1日中たぶん出張だと思うが何処かへお泊りで出掛ける準備をしていたみたいだ。俺は4時頃学校から帰って来た。宿題をして、ゲームをして、・・・夕方、田舎から爺ちゃんと婆ちゃんが来た。3日程前に親父に電話があったのか親父が電話したのか、とにかく今日来る事は判っていた。気配を感じて1階に降りた。
実を言うと、俺は爺ちゃんが何を言っているのか解らない事がある。かなり年季が入った広島弁だからだ。
「お爺ちゃん、お婆ちゃん、いらっしゃい。」
「おぉ、こりゃあ、翔太君じゃないか!、大きゅうなったのぉ!」
「翔太君、これ、お土産。」
「あ、ありがとう。お婆ちゃん。」
例によって、もみじ饅頭だ。包み紙で判る。お婆ちゃんはすぐにキッチンに行って、持って来たタッパーを並べて料理を皿に盛り始めた。爺ちゃんと親父はリビングで何か話をしている。
「明日は何時頃出るんね。」
「7時10分の電車に乗るから、7時には出る。」
「ほうね。じゃあワシラぁ適当な事にするけえ。」
「ああ」
俺はダイニングの椅子に座ってお婆ちゃんの相手をした。婆ちゃんは食事の準備の手を休める事無く俺に話しかけた。
「翔太君は何年になったんかいねぇ。」
「4年生。」
「ほうじゃったねえ。大きゅうなったねぇ。」
「でも、学校じゃあチビ助だよ。」
「あ、ほうねぇ。でも、まあ心配せんでもええよ。あんたのお父さんもお母さんも大きいけえ、そのうち大きゅうなるわいね。」
「そうなの?」
「ほうよ、あんたぁ絶対大きゅうなるけえ。」
「ふうーん。」
「もうすぐ出来るけぇ、もうちょっと待っとりんさいよ!」
「うん。」
ほどなく夕食の準備が出来た。俺は皿や茶碗を並べるのを手伝った。大勢の、と言っても4人分だが、食器がたくさん並ぶのは久しぶりだった。
「ケンちゃん、父ちゃん出来たよ!」
「はい。」
爺ちゃんと親父は立ち上がってダイニングに来た。親父は冷蔵庫から缶ビールを2本出して、まず爺ちゃんのコップに注いだ。
「母さんは?」
「うちゃあ、ええけえ、飲みんさい。」
爺ちゃんも親父のコップに注いだ。
「じゃあ、父さん、母さん頼みます。」
「ああ、任せんさい。」
そう言って、親父達はビールを飲んで料理を食べ始めた。フキと昆布の煮物。ワラビの佃煮。豚肉の甘辛い角煮。そして煮玉子。全部お婆ちゃんの名物手料理だ。俺は全部大好きで、これが一番の楽しみだったりする。
「翔太君、『おこわ』はいっぱい作って来たけぇ、お代わりしんさいよ!」
お婆ちゃんが言う『おこわ』と言うのは東京ではたぶん『赤飯』と言うはずだ。ただ、もち米の量が多いのと、小豆の粒が大きいのと、それほど赤くないところが少し違うのかもしれない。けど、この『おこわ』が美味い。ごま塩を軽く振りかけて食べる。俺の大好物だ。
「翔太君、どうね、美味しかろう?」
「うん。全部大好き。」
「ほうねぇ。ようけえ食べんさい。食べりゃあ大きゅうなるけえ。」
「うん。」
俺は久しぶりにお婆ちゃんの名物料理を鱈腹食べた。こんなのが食べられるのなら、もっと頻繁にこっちに来てほしいと思う。
翌29日昭和の日(金曜日)は6時半頃起きた。俺が顔を洗ってダイニングに行くと婆ちゃんも爺ちゃんも座っていて、お茶を飲みながら何か話をしていた。
「おはよう、お爺ちゃん、お婆ちゃん。」
「おお、起きたか、おはよう翔太君。」
「今朝も『おこわ』じゃけどええかいねぇ。」
「うん、いいよ。」
好物だから嫌なはずが無い。お婆ちゃんは『おこわ』をレンジでチンして茶碗に入れてくれた。それから、角煮と煮玉子も温めてくれた。俺がそれを食べていると、親父がスーツ姿で寝室から出て来た。
「それじゃあ行ってくるから。」
「気い付けんさいよ!」
「翔太、爺ちゃんと婆ちゃんの言う事を聞いて、世話を掛けるなよ!」
「うん、わかった。」
婆ちゃんは俺のお茶をテーブルに置きながら、
「ケンちゃん、何回も言うようじゃけど、上原との縁は切ってもらうんよ。」
「ああ」
「うちが迷惑をこうむるのはゴメンじゃけぇ。」
「ああ、判ってるって。」
「まあ、綾さんはええ人じゃけえ、わしゃあええ事じゃ思うとる。」
「あんたら、恰好ばっかしええ事ぁ言いんさんな!」
「母さん、もう時間が無いから出る。」
「ほうじゃねえ。」
「翔太、行ってくるから。」
「うん。行ってらっしゃい。」
俺は親父達の話の内容はさっぱり理解できて無かった。が、親父がお婆ちゃんに叱られている様な感じがして、少し可哀そうな気がした。玄関を出る親父の後ろ姿がなんかホッとしたように見えた。
9時前、爺ちゃんと婆ちゃんに連れられて出かけた。いつもより少しよそ行きの格好で。吉祥寺で赤い電車(中央線)に乗り換えて新宿で緑ストライプの電車(山手線)の外回りに乗った。俺は新宿には興味が無いが、池袋にはかなり興味がある。まず、駅の上のデパートのおもちゃ売り場がすごい。1日かかっても全部は見れないと思う。それから、サンシャインシティ―がいい。水族館もいいけど、地下のファーストフード街が捨てがたいのだ。家が池袋の近くだったらいいのにと思う。
「爺ちゃん、池袋に行くの?」
「今日は行かんのんよ!」
「何処へ行くの?」
「巣鴨じゃけえ。」
「スガモ?」
「ほうよ。今日は9が付く日じゃけぇ、縁日じゃ。」
「ふうーん。」
縁日というのはお祭りの事だと思っていた。
やがて山手線は池袋、大塚を過ぎて巣鴨に到着した。休みの日は渋谷や原宿も物凄い人混みだが、俺はこの日、巣鴨の縁日の物凄い人混みを初めて経験した。とにかく、俺が知っている他の街の人混みとは一味違う。大勢の人がひしめいているのに、静かだし、小父さんや小母さんがやたらと多い。中学生や高校生やOLのお姉さんやお兄さんがなんかすごく少ない。てか、ほとんど居ない。だけど、混み具合は渋谷や原宿と同じだ。ちょっとずつしか前に進めない。しかもチビの俺には周りの景色が見えないのだ。
我慢しながらしばらく進むと、空に赤い文字のゲートが見えた。「巣鴨地蔵通商店街」と漢字だけで書いてある。なんか、中国とか香港とかをイメージした怪しいダンジョンの気配がする。この人混みはきっとNPCの大群だ。そう思えば、静か過ぎるのが理解できる。普通の小父さんや小母さんに見えるが、実際は何かのガーディアンかも知れない。うっかりチョッカイを出すと集中攻撃を受けそうな気がする。だから・・・黙って歩いた。
お爺ちゃんとお婆ちゃんの目的の『刺抜き地蔵尊』に辿りつくまでに1時間位かかった。俺は爺ちゃんと婆ちゃんがお参りして出て来るまで囲いの外で待った。帰り道も同じ道だから混み具合は同じで、やっと通りの両側のお店のウインドショッピングが出来る程度だった。なんか赤くてでかい下着がこの町のキーアイテムの様だ。基本は無地だが、黄色い線で模様が描いてある物もあった。俺の印象に残ったのは、デカボンのお父さんやケティ―ちゃんやペカチュウ等のキャラ物だった。ムルトラの母もあったような気がする。どれも赤くてデカいパンツだった。原宿を歩いているお姉さん達は原宿で買った服を着ていて、俺から見るとなんか皆同じ格好に見える。って事は、まさかとは思うが、この通りを歩いている小父さんや小母さん達もこんな赤いのを着ているのだろうか?・・・俺は沸き出て来る妄想を必死で掻き消しながら歩いた。
1時半過ぎ、爺ちゃんと婆ちゃんと俺は山手線大塚駅北口に居た。巣鴨からここまで歩いてきた。20分も掛からなかったと思う。
「お爺ちゃん、どこへ行くの?」
「ここにはカレーの専門店があるけえ。」
「爺ちゃんはカレーが好物じゃけぇ、付き合うてあげんさい。」
「うん、いいよ。俺も好きだから。」
「ほうね。やっぱり翔太はワシの孫じゃ!」
お爺ちゃんはカレーが大好きで、何処へ行ってもカレーを必ず食べるらしい。ロータリーの左にある銀行の更に左にあるビルの2階の専門店でお爺ちゃんお奨めのナンカレーを食べた。不思議な美味さだった。俺は久しぶりにラッシーを飲んだ。
4時前吉祥寺まで帰って来た。食べて帰るにはまだ早いと云うので、夕食の買い物をして帰ることになった。
「翔太君、何が食べたいん?」
とお婆ちゃんに聞かれた。俺はなんか魚が食べたくて、
「ネギトロ」
と言った。
「ほうねぇ」
お婆ちゃんはそう言って駅ビル1階奥の鮮魚店に向かった。爺ちゃんは買い物に付き合うのが苦手らしく、1階に降りた所で、
「翔太君、なんか買うたげようか?」
「ほんと?」
「何が要るん?」
「ブロス」
「そりゃあ何ねぇ?」
「ゲーム機のコントローラ。」
「何処にあるん?」
「ヤマバシ」
俺は北口ロータリーの右奥にちらっと見える看板を指さした。
「ああ、あそこかいね。」
「うん。ちょっと歩くけど。」
「母さん、ワシと翔太ぁおもちゃぁ買うて帰るけぇ」
「ええよ! 鍵は持っとるん?」
「うん、俺が持ってる。」
「ほいじゃあここで別れてもええねぇ。」
こうして俺は爺ちゃんに赤いスケルトンのブロスを買ってもらった。対戦ゲームが出来るようになった。
7時前、夕食になった。リクエスト通り『ネギトロ』だった。それだけではない。魚のアラの吸い物、ハマチの刺身、カブの酢の物、残り物のワラビの佃煮、シバ漬け。まるで料亭だ。
「翔太君、ようけえ食べんさい。」
「うん。」
「翔太も大きゅうなって、よう歩くようになったのぉ。」
「疲れたろう?」
「ううん。大丈夫。」
「ほうねぇ。」
「ねえ、お爺ちゃんとお婆ちゃんはスガモに何をしに行ったの?」
「棘ぇ抜いてもらいに行ったんよ。」
「トゲ?」
「解らんじゃろうねぇ。」
「うん。」
お爺ちゃんの難解極まりない解説が始まった。
「トゲっちゅうなぁ、病気やらイライラやらの悪いもんの素の事を言うんよ。」
「ふーん。・・・何処に刺さってるの?」
「そらぁ、人によって違うんじゃ。」
「へー」
「翔太はまだ小さいけぇ、棘なんか刺さっとるまい?」
「この前学校のすのこで刺さった。」
「そりゃあ違う棘じゃ。ワシが言うとるんは、見えんのんよ!」
「なんで見えないの?」
「なんでかぃのぉ? 見えんだけじゃあのうて、自分じゃあ抜けんのんよ!」
「・・・?・・・わかんない。」
「ほうか・・・たいがい何時どこに刺さったか判らんもんよ。じゃけぇ困るんじゃ。」
「じゃあ、今日、棘は抜けたの?」
「ほりゃぁ抜けたろうよ!」
「ふうーん。」
「刺さったのが判らん位じゃけえ、抜けたのも判るまいで!」
俺は爺ちゃんの解説はいつも半分も解らない。
翌々日の5月1日の昼前、親父が帰って来た。お土産は『鱒寿司』だった。熊笹の香りが沁みたそれは、何年か前、保育園の頃にハルちゃんの小母ちゃんにもらって食べたことが有った。同じ味だった。
「で、どうじゃったんね?」
「まあ、ゆっくり話す。」
「もらうんじゃろぉ?」
「ああ、結論はそうなった。」
「ほうか。」
俺には親父達の話はなんかよく判らなかった。なので、自分の部屋で新しいブロスの動作テストに励んだ。
翌朝、お爺ちゃんとお婆ちゃんは広島に帰った。
「翔太君、広島にも来んさい。」
「うん。」
「翔太は賢い子じゃけえ、どうね、お爺ちゃん所の子にならんか?」
「なりません。」
「そがい、キッパリ言わんでもえかろう!」
「ケンちゃん、あの事ぁ、ちゃんとしんさいよ!」
「ああ、わかってる。」
「ほいじゃあ帰るけぇ」
「父さん、母さん・・・ありがとう。」
「また来るけえ。」
俺は、お爺ちゃんとお婆ちゃんを見送った後、学校に行った。赤いブロスが手に入った事を順平とマサちゃんと剛ちゃんに言って、連休に対戦ゲームをする事になった。ソフトはマサちゃんがカート物を持って来る事になった。順平と剛ちゃんがブロス持参するから、4人対戦が楽しみだ。おもちゃが買ってもらえるのだったら、爺ちゃんと婆ちゃんに時々来てもらうのも悪くないと思った。もちろん、お爺ちゃんがおもちゃ担当で、お婆ちゃんが料理担当だ。