4-21 学校で朝を迎えた日(その7)~抱き枕~
3年生の男子先輩が帰ってしまったので、男は俺1人になった。なんか3人にいじられそうで不安だ。たぶんそのせいで無意識に会話を避けてギターに専念している。すると、
「次の曲は?」と加代。
「何が良い?」
「そうだな、たまには翔太の弾き語りが聴きたい。」
「えぇー、レパ無いから。」
「ねえ、お父さんが良く弾くのは?」
「どんなんだっけ?」
「その本の最後の方にあったよ! ドラマの主題歌かなんかで、サボテンだか何だか?」
「サボテンダー?・・・ジャンボだったら手強いよね。」
「何の事?・・・エンディングだったかも。」
俺はスコアブックをめくって探した。
「ああ、これだ。『サボテンの花』だね。」
「それそれ!」
「じゃあ、これで。」
俺はコードG始まりで全部アルペジオの『サボテンの花』を弾き語りした。もちろん練習してないから何度も引っかかった。テレビドラマの主題歌だが、曲そのものはかなりレトロだと思う。歌い終わると加代の講評だ。
「優しい曲だけど男目線ね。下手くそ!」
「さよですか。」
「言っときますけど、女はそんなに弱くないんだから!」
「それは『加代は』だろ!」
「あら、それなら『春香も』よ!」
「おぉー恐ワ!・・・しかし、この中ではヨッコ先輩が最強ですよね!」
と言って突っ込まれ期待で正面の先輩を見ると・・・眠っていた。
「疲れたんだね。」
「先輩達が帰ったんで気が抜けたんだわ!」
「かもね。」
俺達はヨッコ先輩を起こさぬように歌を止めてしばらく話し込んだ。
11時少し前、放送室のドアをノックする音がした。
「誰か来たみたいだ。」と加代。
「生徒会の見回りだよきっと。」
「そうね。私が出るわ。」
姉ちゃんはそう言ってスタジオを出て行った。・・・が、すぐに帰って来た。
「木村さんって言う人だった。大学生っぽいよ! OB?」
「あ、それ!」
俺は直接話をした事は無いが、横山先輩の彼氏だ。軽音OB演奏会で録音補助をした時チラッと見かけた位だ。姉ちゃんと交代して俺が出ようと立ち上がると同時に木村先輩がスタジオに入って来た。まず加代を見てそれから横山先輩を見た。姉ちゃんと俺も見たが興味無いって感じだった。
「あ!」
加代が驚きの声を上げた。
「君は確か『なんチャラ』のディーバの・・・」
「はい。田中加代です。軽音の打ち上げでは挨拶もしないで、ごめんなさい。」
「コンサートで歌聴きました。上手いね。1年だって聞いて驚いたよ。」
「ありがとうございます。」
「素晴らしいヴォーカルだった。できれば僕の学校に来て欲しいよ。」
「3年後になりますけど。」
「待ってるよ。今の調子じゃあ卒業に5年位はかかりそうだから。」
木村先輩はそう言って微笑んだ。それから横山先輩の肩を人差し指でつつく様に叩いて、優しい声で、
「ヨッコ、起きてくれ。」
横山先輩は目を開けた。
「あ、マサシ!」
「やっと開放された。待った?」
「ううん。」
「じゃ、帰ろうか。」
「うん。」
横山先輩はゆっくり立ち上がった。眠そうだ。
「その前に紹介してくれないか?」
「うん。この男子が中西君。」
「中西翔太です。初めまして。」
木村先輩の表情がひときわ明るくなった。
「ああ、君が中西君か! 初めまして、木村将司です。ヨッコの話の中に良く出てくるヨッコの彼氏だね。」
「えぇー!」
「ははは、ヨッコに好かれる男は僕と君くらいなものだ。」
「はあ。どう言って良いのか判りませんが、有難うございます。」
「君とはライバルになりそうだけど、負けないよ!」
「あ、俺では勝負になりませんから、ヨッコ先輩はお譲りします。」
「それは有難う。助かるよ。・・・それで、そちらは?」
「中西君のお姉さんの春香ちゃん。」
「ああ、弟さんと同学年の!」
「はい。中西春香です。はじめまして。」
「いやあ、ヨッコから聞いてはいたけど、美人さんだね。しかもさすが姉弟だ。2人共体格が良い。」
「そうですか?」
「流石はモデルさんです。」
「あ、有難うございます。」
姉ちゃんはなんかはにかんでいる。
「それじゃ、ヨッコと帰ります。」
「中西君、すまないけど、後をよろしく頼む。」
「はい。了解しました。」
「じゃあ、お先に。」
「お疲れ様でした。」
横山先輩は木村先輩にぶら下がる様にくっついて放送室を出て行った。俺達はしばらく木村先輩から漂い出た優しい男の『気』の余韻に浸った。俺もあんな優しくて包容力が滲み出るような男になりたいと思った。
「ヨッコ先輩、可愛かったね。」
「順平に見せてやりたかった。これでも『女傑』かって!」
「そうね。普通に恋するJKだわ!」
加代がちょっと顔を曇らせて言った。
「だけど、去年は大変だったらしいよ。」
「何が?」
「うん。三角関係。」
「誰の?」
「だから、木村先輩と横山先輩ともう1人、名前は知らないけど放送部員だって。」
「そうなの?」
「うん。軽音で聞いた。」
「へえー」
「なんか、自殺騒ぎになって、負けた女は転校したって。」
「そ、そうなのか?」
「うん。」
「三角関係、恐―!」
「でも、本当の事は良く解らないから、人には言わないでね。」
「そうよ翔ちゃん、口軽いの駄目だからね。」
「わ、わかりました。」
「わかれば良し!」
「えっと、順平も駄目?」
「ダーメ!」
「へいへい。」
「返事が変よ!」
「はい。」
「ふふふ、やっぱ春香はお姉さんなんだね。」
「そうよ! 最近は大きくなって棚の上の物が取れるようになったけど、翔ちゃんはずうーっと弟なの。」
「姉ちゃんそれ、なんか論理無視してないか?」
「良いの! お姉ちゃんなんだから!」
「えぇー!」
横山先輩と日誌の名前欄に書かれた橋本先輩との間に何か重大なドラマがあった事がわかった。村井部長の言葉も納得した。俺の妄想だが、男勝りの横山先輩が命懸けの恋をして、そして色々あって、今の平穏を勝ち取ったのかと思うと、なんか凄い人なんだと思う。俺なんか足元にも及ばない。
「あーあ、結局私達だけになっちゃったね。」
加代がため息混じりに言った。
「そうだね。」
時刻は11時になっていた。
「そろそろシャワーに行かないと、温水は12時までだよ!」
「そうね。加代ちゃん、行こっか!」
「うん。その前にこれ着替えたい。」
姉ちゃんと加代が俺を睨んだ。これ位の空気を読むのは簡単だ。
「じゃあ、俺先にシャワー行くよ。」
「えっと、翔ちゃんが帰って来るの待つの?」
「ドアはオートロックにしてあるから待たなくて良いよ。」
「わかった。」
俺は先週から置きっぱのジャージが入った体操袋を持ってシャワーに向かった。今夜はジャージがパジャマだ。
シャワーから帰って来てスタジオに入ると、食べ散らかしていたスナック菓子の袋や紙コップがすっかり片付いていた。俺は調整室で寝るつもりで、調整室に行って今日の日誌を書いた。長い1日だった。講堂のゴングの件。山中先輩と篠原先輩の良いコンビネーション。ナッちゃんの制服。体育館の吹部のド迫力。琥珀露の軽快なトーク。コスプレの大騒ぎ。そしてフェアウエル・コンサート。加代の衣装。日誌に書けない事も沢山あった。色々な事がぎっしり詰まった大盛りの1日だった。
日誌を書き終えて、コンソールの前に寝場所を作ろうと、椅子を3つ並べて荷造り紐で縛っていると、2人が帰って来た。2人共グリーンのジャージだ。俺も同じだ。・・・ダサイ。2人はスタジオの奥の壁に凭れて座った。姉ちゃんが俺に気付いて、加代と1言2言話してから手招きした。俺は仕方なくスタジオに行った。なんか嫌な予感がする。
「なあに?」
「翔ちゃんもこっちで寝るんだよね。」
「いや、俺は調整室で寝るよ。」
「何言ってんの、だめよ!」
「どうして?」
「だって、こっちから調整室は見えにくいでしょ。監視されてるみたいで嫌だわ!」
「監視なんかしないから。」
「見るでしょ!」
「あえては見ないけど、目に入るのは仕方が無いじゃん。」
「反対なら良いよ!」と加代。
溜息が出た。
「・・・判りました。では遠慮なくご一緒させて頂きます。」
「それが良いわ!」
俺は姉ちゃんの右に腰を下ろした。姉ちゃんの左に加代が座って何やら手鏡を見ながら顔の手入れをしている。スタジオは吸音のために毛足が長いカーペットが敷きつめてある。校内は上履きだから細かい事を気にしなければそんなに汚れてはいない。アナウンステーブルは重く、カーペットに痕が着き易いので動かせないが、椅子を片寄せれば3人が並んで寝るには十分だ。しかも個別空調があるからタオルケットで充分だ。もう12時を過ぎている。
「おやすみ、姉ちゃん、カヨちゃん。」
俺は横になって右を下にして2人に背を向けて寝るつもりだった。
「あれ、もう寝ちゃうの?」
手入れの手を動かしたまま加代が言った。
「え、寝ないのか?」
「これからジャン!」
「何すんの? トランプ?」
「何言ってんの、ガールズトークに決まってんじゃん。」
「おいおい、俺は健全な男子の積もりなんだけど?」
「どうかな。」
また溜息がひとつ出た。
「翔ちゃん眠いの?」
「そうじゃないけど、目をつぶれば5分以内の自信はある。」
「お子ちゃまだね。」
「で、お題は?」
「恋バナさ!」
「ダメだ。それに関してはネタを持ち合わせてない。」
「そう言う加代はどうなんだ?」
「無い。」
「何て言って慰めればいいんだ?」
「お前、殺すぞ!」
「ごめん。」
「ハルカはどうなの?」
「ダメよ。私、ずっと翔ちゃんのお姉ちゃんしてるから。」
「え、俺のせいなのか?」
「ううん。そうじゃ無くて・・・でも、そうなのかも。」
「どう言う事?」
「たぶん、翔ちゃんはずっと私の弟してるから、お互い様って言ったら・・・お互い様よね。」
「なんか傍でお前ら見てっと、それ解るような気がする。」
「じゃあ、姉ちゃんも俺も恋は出来ないって事?」
「解らない。けど、普通の人よりチャンスは少ないんじゃないかしら。」
「早い話が、お前達2人が恋すれば良いじゃん。」
「また、加代は過激だね。」
「シスコンの弟にブラコンの姉じゃ、そこに割り込む他人様は心が折れると思う。」
「あら、翔ちゃんはシスコンを認めてるけど、私はブラコン認めてないから。」
「なにそれ!」
「まあ、本人が認めるかどうかの問題じゃないかもな。」
「まとめると、お前等、姉弟以上恋人未満をやってる限り本当の恋は出来ないって事だね。」
「まあ、そうなるか。」
「そうね。」
「お前らそれで良いのか?」
「今の所。でも、加代ありがとう。『姉弟以上恋人未満』って的を射てると思う。姉ちゃんと俺の関係がこれではっきりしたよ。」
「そうだったのね、私と翔ちゃん。」
「まあ、それがお前等にとって幸福な事かどうか私には判断できないけどね。」
「加代は自由に恋できるね。」
「嫌よ。私はタレントになりたい。だから恋なんて邪魔だわ!」
「もったいないね。そんだけ可愛いのに。」
「そう思ってくれるなら、なおさらさ可愛いうちにならないとね。」
「応援するよ。ファン2号だし。」
「よろしく。」
「でも、今日はハルちゃんに半分コしてもらったから。」
「何を?」
「まあ良いって。後のお楽しみ!」
「姉ちゃんどう言う事?」
「そう言う事よ!」
「わかりません。もっと具体的に言って欲しい。」
「そろそろ寝よっか。」
「そうね。」
「おい、なんか誤魔化してないか?」
「電気何処で消すの?」
「ああ、俺が消すよ、調整室の手元灯点けてあるから真っ暗にはならない。」
「じゃあお願い。」
俺はスタジオの入り口に行って電気を消して、元の場所に戻って横になった。目をつぶって、今日あった事を思い出しながら、姉ちゃんと加代と同じ空間の空気を吸って、なんか順平に申し訳ない気がして、妙な優越感に浸ったりした。・・・そして、宣言通り5分以内に眠りに落ちた・・・と思う。
たぶん体がなんかしんどくて無理に寝返りをして右に体を動かしたので、何かに当たって目が覚めた。いつの間にか姉ちゃんが俺の右に寝ていて、しかも俺の腕を抱え込んでいる。それだけなら別にこれまでにも有った事だからどうって事はない。だが、左側は違う。加代が寝ている。しかも、姉ちゃんと同じように俺の腕に絡みつくようにしている。
『どうなってんだ?』
俺は状況が理解できない。両側から腕を取り押さえられて、寝返りできない状態だ。俺が信用できなくて2人で押さえ付けているという事か?・・・とにかく冷静になろうと考えていると、加代が目覚めた。
「翔太、起きてんの?」
「ああ、これ、どういう・・・?」
「ハルちゃんにお前の左側を借りたんだ。」
「あのなあ。」
「良いじゃん、今夜だけなんだから。」
そう言うと、加代はますます俺にくっついて来た。俺としては・・・まあ悪くない。けど、これを姉ちゃんに見られるとマズイ。何とかしなければ。と思いつつ、右を見ると、ああぁー最悪だ! 姉ちゃんの目が開いている。
「姉ちゃん、こ、これは・・・」
「こっち側は私だから。」
「へ?・・・どういう事?」
「加代ちゃんにそっち側貸してあげたの。」
「えっと・・・どういう契約かは判りませんが、本人の意思確認はしてくれないのでしょうか?」
「うん。とりあえず必要ないわ!」
「ええぇー」
姉ちゃんはそう言うと加代と同じ様に俺に体をくっつけて来た。結局俺は両側に女子をくっつけてハーレム状態なっている。・・・と言うのは男のプライドを保った言い方で、実際は、本人の承諾など無く、俺は女子2人の抱き枕にされている。これって、セクハラじゃないかと思う。嫌じゃないんだけど。ただ、事故でもどっかに触ったら、激しく攻撃されるに違いない。
「す、すみませんが、背中が痛いので寝返りしたいのですが。」
「いいよ!」と姉ちゃん。
「そうか、仕方が無い。」と加代。
2人が手を離してくれたので、俺は右を下にして姉ちゃんの方を向いた。
「チッ、そっちかよ!」
「え?」
「まあいい。」
そう言うと、加代が背中にくっついた。姉ちゃんが俺の胸に頭をつけた。俺はため息が出た。しかし、この体勢が男子の正常な反応を誘起してしまった。しかも、ジャージってのが最悪だ! 俺はかなりマズい状態のままピクリとも動けなくなった。
『翔太、知ってるか? そう言う時は暗算するのが一番なんだぜ!』
と順平が言ってたのを思い出して、11×11は121・・・なんて簡単すぎる。25×25は625・・・ああぁ駄目だこんなんじゃ! その時姉ちゃんが動いて、たぶん太腿が俺の、その、例の物に触れた。超ーマズい。姉ちゃんが目を見開いた。当然、俺と視線が重なった。気まずく見詰め合った。
「・・・・・?」
「・・・・・!」
『姉ちゃん、頼む、離れてくれ!』
と云うおれの願いも空しく、姉ちゃんは俺の腰に手を回してくっついて来た。それだけじゃない。加代もだ。加代のたぶん胸の感触が俺の背中に感じられた。この2人、状況に慣れて来たのか、だんだん行動が大胆になって来ている様な気がする。その結果、俺の体は益々簡単には説明できない状態になった。たぶんこの2人の女子は同い年の男子の重大な生理的変化について全く理解してないと思う。だが、今ここで説明する事などできる訳が無い。俺は本当に困った。
暫くして、また寝返りを打たせてもらって。今度は加代の方にも向いた。加代は『待ってました』って感じだった。直近で見る加代は物凄く可愛かったし良い匂いだった。結局、朝まで俺はたっぷりとハーレム状態を堪能した。もちろん男のプライドを保つ言い方だ。こんなに熟睡できなくて、全身の筋肉が強張った夜はこれまで経験が無かった。『いつか仕返ししてやる!』と心に決めた。
・・・・・・・・・・
翌朝結構早く目が覚めた。てか、寝られなかった。緑色の小悪魔2匹は満足そうだった。簡単に朝の身繕いをして、3人共ジャージのまま帰る事にした。実行委員会に『帰る』と告げて、校内泊者リストの帰宅確認欄にレ点を入れて、お互いに労いの言葉を交わして、校舎の外に出ると、しとしと雨だった。加代が傘を持ってなかったので、姉ちゃんと俺は『エコサ』に加代を送って行って帰った。もちろん加代は姉ちゃんの傘に入った。加代のスーツケースは俺の傘だった。それから少し引き返して神田川に沿って帰った。睡眠不足のせいで俺はちょっと機嫌が悪い。
「翔ちゃん、昨夜はごめんね。」
「なにが?」
「加代ちゃんが半分貸してって言うから、良いよって言ったの。」
「それで、ああなったの?」
「うん。・・・それに、わたしちょっと張り合っちゃった。」
「あのねえ!」
俺はまた溜息だ。
「説明しようと思ったんだけど、翔ちゃん寝ちゃったから。」
「えぇー、そうでしたか?」
「ちゃんと説明したらOKしてくれた?」
「するわけ無いでしょ!」
「そうよね。」
「ハッキリ言いますけど、異常ですから!」
「ごめん。」
「だけど、まあ・・・・・」
「なに?」
「まあ・・・」
「なによ!」
「・・・悪くなかったし!」
「ウフフ、そうでしょ! 翔ちゃん頑張ったからご褒美よ!」
「・・・有難うございました。」
姉ちゃんを見ると嬉しそうに微笑んでいた。たぶん俺も締りの無い表情だったと思う。
7時半頃家に着いた。彩香の熱烈なお出迎えを受けた。
「あれ? お兄ちゃんの服、なんか変な匂いがする!」
俺の心臓が止まりそうになった事は言うまでもない。
「た、たぶん、放送室のカーペットの匂いだよ!」
「ふぅーん。」
朝食を食べて、シャワーして、暴睡した。やっぱり自分のベッドが1番だ。学校に泊るのは・・・当面懲り懲りだ。




