4-13 カメラを買った日(その3)~赤いミラーレス~
YAMABASHIカメラの2階カメラフロアーは結構広い。そこには1眼レフだけでなくコンパクトカメラのコーナーもあるし、盗撮用かと思える仕込カメラみたいなトリッキーなのや、かなりレトロな感じのフィルムカメラもひっそり置いてあったりする。1眼レフに酷似したフォルムのデジカメもある。それらを手に取ると、妙に軽かったり、ズームもできたりする上に、安かったりするから普通なら色々と迷うのだろうと思う。家族や仲間のスナップ写真をただ撮るだけならそう云うのでも充分良いと思うが、姉ちゃんは『写真部』に所属しているから、いわゆる『かなりヲタク』なコミュニティーでアイテムのアドバンテージを主張する必要がある。例えは良くないかも知れないが、RPGの勇者が最終的には聖剣エクスカリバーを持つ必要があるようなものだ。ただし、エクスカリバーを持ってさえいればどんな怪獣も退治できるとは限らない。おっと、話が脱線している。つまり、したがって、姉ちゃんと俺は色々見て回ってはみたものの、結局あの赤いミラーレスの所に戻って来たという訳だ。
「ねえ翔ちゃん、わたしやっぱりこれが良いわ!」
「じゃあ、それにする?」
「うん。」
「それじゃあ店員さんを呼ぼう。」
そう言って振り返ると、微笑んだ店員さんが俺達の後ろに立っていた。あまりのタイミングの良さにビックリした。俺はその店員さんに『買いたい』視線を繰り出しながら、
「あのー、すみません。いいですか?」
「はい。いらっしゃいませ。」
胸ポケットにネームプレートが挿してある。俺はそれに視力を集中した。『中里晶子』と書いてある。言い訳に聴こえると心外だが、店員さんの立派な胸を見たのではなく、ネームプレートに書いてある名前を見たのだ。俺は陳列棚に置いてある赤いミラーレスを指差して、
「このミラーレスを買いたいのですが・・・評判はどうですか?」
「評判ですか?」
「はい。」
「新製品ですのでまだ評判と言う程ではありませんが、このボディーカラーは女性に人気があります。」
俺はびっくりした。声と言い言い回しと言い佐野絵里にそっくりだ。俺が姉ちゃんの方を見ると姉ちゃんも驚いた様子で目が丸くなっている。もしこの人が声だけじゃなくて性格もそっくりだったら、小悪魔的にとんでもない物を売り付けられそうな気がする。
「や、やはりそうですか。」
「これまでにも赤はあったのですが、少し濃い色だったんです。男性も持って恥ずかしくない様にという事でしょうかね。でも、これはご覧のように明るい色になりました。」
おそらく、目を閉じるとエリが直近に居る様な気がすると思う。中里さんの髪の臭いを嗅ぎたくなるような衝動に襲われた。それはまあさすがに思いとどまった。しかし、俺は男性の赤と聞いて、あのアニメを連想した。
「なるほど。男の赤と言えば『シャー専用』ですよね。」
「そう言う訳ではないと思いますけど。」
「えーっと、これは第3世代と云う事ですけど何処が変わったんですか?」
「色々新しくなってますが、基本的には画素数が2000万画素を超えた事です。」
「そう言う事ですか。CCDが高精細になったんですね。」
「あら、専門的な事も良くご存知ですね。」
「あ、すみません。1夜漬けの浅い知識です。」
中里さんは明らかに苦笑だが微笑んで、
「そうなんですか?」
「はい。」
「えーっと、それから、モニターディスプレイもそれに応じて大きく高精細で発色が良くなりました。」
「なるほど。そうですか。」
俺は陳列棚の赤いミラーレスを左手に取って、
「本体はこれを買うとして、レンズキットはどんなのがありますか?」
「はい。今お持ちの標準レンズキットとダブルズームレンズキットがあります。」
「お勧めはどっちですか?」
「やはりダブルズームレンズキットがお勧めです。」
「当然ですよね。」
「はい。」
俺はカメラを姉ちゃんに渡して棚のポケットにある薦められたキットのパンフをとって広げた。
「14から42ミリと40から150ミリですね。」
「そうです。この辺りが丁度良いと思います。ポートレートは50ミリ位の所を良く使いますし、集合写真だと20ミリ位の写角が必要ですから。」
姉ちゃんは棚の値段表を見て、俺のTシャツの袖をちょっと引っ張って、そして小声で、
「翔ちゃん、予算オーバーだよ!」
俺は、表示価格は標準価格か定価だと思ったので、
「すみません。これ少し安くなりませんか?」
「ええ、少しでしたら。」
そう言って中里さんはメモ用紙に73500と書いた。
「ほら、ギリOKじゃん。」
「そうね。」
ホッとしたのか姉ちゃんの表情が緩んだ。中里さんはたぶんそれを見逃さなかった。姉ちゃんはそれに気付かず、手にしたカメラを撫でてる。中里さんが畳み掛ける。さすが店員さんだ。
「今でしたら、特別セールで、SDカードとクリーニングキットをサービスしております。」
「それ、どんな物ですか?」
「SDカードは16ギガバイトで、クリーニングキットは筆形のハケとブロアーとマイクロクロスのセットです。」
そう言いながら中里さんは陳列棚の下の箱からそのクリーニングキットを取り出して見せた。黒いソフトケースだった。
「他の色もありますか?」と姉ちゃん。
「すみません。黒しか無いんです。そうですね。女性向けに色のバリエーションがあった方が良かったですよね。」
「キャリーバックみたいなのありますか?」と俺。
「カメラメーカ純正の物でしたら、ちょっと見え難いのですが、右手の柱の向こう側にあります。一般のバック類は地下1階になります。」
「じゃあ、後で行ってみます。ところで、ミラーレスってファインダーが無いので屋外の明るい所だとディスプレイが見えなくなりませんか? 携帯みたいに。」
「そうですね。そういう事もあります。登山などに持っていくという方には、電子ビューファインダーをご紹介しています。」
「それはどんな物ですか?」
「アクセサリーポートに取り付ける物で、中に小型のディスプレイが入っています。今お持ちいたしますので少々お待ちください。」
そう言うと中里さんはサービスカウンターに早足で向かった。
「翔ちゃん、ファインダーは無くても良いんじゃない?」
「まあ、どんな物か知っといて損は無いと思う。」
「そうね。」
「てか、1眼レフって、カメラ買うだけじゃ駄目なんだね。」
「どういう事?」
「掃除キットとかアクセとか。」
「そうね。でも、まあゆっくり揃えれば良いんじゃない?」
「そっか。きっとそれが楽しいんだ。」
「そうね。次は何を買おうかってね。」
「にしてもエリに声そっくりだと思わないか?」
「そう。びっくりしたわ。」
そこへ中里さんが戻ってきた。
「こちらになります。取り付けてみますか?」
「あ、はいお願いします。」
姉ちゃんが持っていたカメラを中里さんに渡すと、中里さんはアクセサリーポートの蓋を取って電子ビューファインダーを取り付けた。
「こんな具合になります。」
俺はカメラを受け取ってその電子ビューファインダーを覗いた。
「なるほど、普通にファインダーですね。」
「これでしたら、宮古島のビーチでも見えます。」
俺はファインダーを覗いたまま、
「宮古島?」
「あ、ごめんなさい。沖縄の離島です。」
「ねえ、私にも見せて!」
「うん。」
姉ちゃんに渡すと、早速姉ちゃんも覗いた。
「ほんとだ。ディスプレイと同じなのね。」
「これは幾らですか?」
「税込みで9800円です。」
「ぅひょー! でも必要ですよね、これ。屋外は特に。」
「そうですね。」
「俺、これプレゼントするよ!。」
「まだファインダーはいいよ!」
「いや、姉ちゃん、これ、絶対持っといた方が良いって。」
「あら、ごキョウダイだったんですか?」
「はい。そうですけど?」
「ずいぶん仲がよろしそうだったので、恋人さんかと思ってました。」
「え? ・・・って事はだいぶ前からマークされてたんですか俺達!」
「そうですね。ずいぶん熱心に見て頂いてました。」
「変ですよね私たち。」
「そんな事ありませんわ! 仲良しごキョウダイで羨ましい位です。」
「ちょっとはしゃぎ過ぎですよね。」
「お楽しそうでしたわ! それにそのTシャツ。私も沖縄大好きですから。」
「うわっ! なんかハズいです。このTシャツはお土産にもらった物で、行った事無いんです。沖縄。」
「そうですか、機会があったらぜひ行ってみてください。きっと気に入りますよ!」
話がカメラから逸れてきていて、なんか親切店員さんのペースに巻き込まれて話がまとまりそうな気がしてきた。とにかく俺は冷静に相場価格を調べないと後で後悔するかもしれないと思った。
「・・・えっと、すみません。ちょっと2人だけで相談しても良いですか?」
「はい、もちろん。私はカウンターに居りますので、ごゆっくり。」
俺はスマホをザックから取り出して相場を確認した。意外な結果だった。
「姉ちゃん、ここ安いんじゃね?『相場もドットコム』は79800円だって。」
「ほんとね。しかも、今日は確かポイント5倍セールだったわ!」
「じゃあぁ、買う?」
「うん。」
俺達はカウンターからこちらをチラチラ見ている中里さんに手を振って合図した。中里さんが近くに来たので、姉ちゃんが意を決して、
「このダブルズームレンズキットをください。」
「はい。お買い上げ、ありがとうございます。ファインダーはどうなさいますか?」
「あ、それは俺が買います。」
「はい。かしこまりました。ありがとうございます。・・・それでは、お姉さん思いの弟さんに当店から交換レンズ用のソフトケースをプレゼントいたしましょう。」
「本当ですか?」
「はい。特別ですよ!」
「ありがとうございます。やったね!」
「これがあれば、交換レンズを今お姉さんがお持ちのショルダーに一緒に入れても大丈夫ですよ!」
「どう言う事ですか?」
「レンズにもバックの中の物にも傷が付きません。」
「つまり、カメラ専用のキャリーバックは要らないって事ですか?」
「はい。女性はやっぱりお気に入りのバックを持ちたいですものね。そのショルダーバックはとてもお似合いです。」
「そうですか、ありがとうございます。」
「そうだ。小物類はバックインバックに整理すると良いですよ!」
「そっか。それ良いですね。」
「それでは、商品を準備いたしますので、カウンターの方へおこしください。」
「はい。」
姉ちゃんのこの弾んだ声の返事がとても嬉しそうだった。こうして姉ちゃんは赤いミラーレスを買った。俺も姉ちゃんにプレゼントができて少し嬉しかった。これが恩返しになってるかは判らないが、こうして少しずつ姉ちゃんの役に立ったり姉ちゃんが喜ぶ事を重ねて行きたいと思った。
姉ちゃんと俺は4時過ぎにYAMABASHIカメラを出た。俺は何も考えずに井の頭線に向かった。姉ちゃんは、写真部に入ってから、ずっと欲しかったミラーレスが買えて嬉しそうだ。YAMABASHIカメラの紙袋を大事そうに持っている。
「それ、俺が持とうか?」
「ううん。私が持つわ。」
「そっか・・・姉ちゃん、良いの買えて良かったね。」
「うん。これで何でも来いだわ!」
「高尾山とか行く?」
「そうね。ランドも良いわね。」
「なんか、姉ちゃんの行動範囲が急に広くなりそうだね。」
「あら、翔ちゃんも一緒だからね。」
「あれ? 俺、放送部なんですけど。」
「所属部活はこの際関係なし。翔ちゃんも撮りたいなら私が今使ってるデジカメをあげるわ。」
「それって、親父のお古の?」
「うん。」
「あれ、彩香に行くんだと思ってた。」
「そうか、サヤちゃんにあげる約束してたかも知れないわね。」
「覚えてないの?」
「たぶんしてると思うわ!。」
「なんか、姉ちゃんにしてはいい加減だね。」
「そうかも。」
吉祥寺駅の東のガード下で、大通りを渡る信号に来た。赤だ。姉ちゃんは紙袋の中身が気になるのか、両手で手提げを持って、下を向いて紙袋の中を覗いている。よほど嬉しいのだと思う。
「姉ちゃん、青になったよ!」
「うん。」
そう言って歩き出した時、突然姉ちゃんが思いついた様に言った。
「ねえ、デートしよ!」
「えっ!」
「公園行こ!」
「早速だね。」
「うん。」
「だけど、その前にそれ、準備しないと。」
「準備って?」
「電池とかメモリとか初期設定とか。」
「そうなの?・・・じゃあ直ぐは使えないか。」
「いや、どこかで広げて準備できればすぐ使える様になると思う。」
「難しいの?」
「そんな事ない。・・・どっかでする?」
「うん。手伝ってね。」
「てか、全面的に頼るつもりでしょ!」
「わかった?」
「まあ任せなさい!」
「うん。頼りにしてるわ!」
「じゃあ、お茶してからにしよう。」
「うん。」
「どっか近くに良い喫茶店知ってる?」
「私、知らないわ!」
「そっか・・・じゃあ、あそこにしよう!」
「何処?」
「行けばわかるよ。」
「そう?」
そう言って姉ちゃんはちょっと怪訝な表情で俺を見上げた。姉ちゃんの視線と俺のそれが重なったので、思わず俺がちょっと微笑むと、姉ちゃんも微笑み返した。それがなんか可愛かった。横断歩道をもうすぐ渡り切ろうとしていた。いつの間にか姉ちゃんと俺はお互いの腕がくっつく位に接近して歩いていた。




