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姉ちゃんは同級生 ~井の頭の青い空~  作者: 山崎空語
第2章 小学校の頃の俺達 ~たぬきさんの縫いぐるみ~
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2-3 ハルちゃんとお別れした日

 学校にも慣れて、友達も出来て、仲良くなって、そして一緒に走り回る様になって、もうすぐ梅雨が明けようとしていた7月初めの金曜日の事だ。僕の隣の教室1年1組ではこんな事になっていた。らしい。

 4時間目はホームルームだ。その頃はホームルームの意味はよく分からなかったが、その日あった楽しかった事、悲しかった事を話し合う。それから先生のお話しがあって、終わりのチャイムが鳴ったら、連絡帳という、先生と親との交換日記みたいなのを受け取って帰るのだ。その先生のお話しの様子がその日はいつもと少し違っていた。


「春香ちゃん、前に来て!」

「はい。」

ハルちゃんは大きいから、たいてい後ろ方の席だ。席から立ちあがって教室の前の教壇の右横に移動した。少し緊張している。クラスの皆はそれを目で追った。廊下でも綾香おばちゃんが同じように娘の姿を見詰めていた。

「えっと、上原春香ちゃんは転校することになった。」

児童たちは無反応だった。

「転校というのは、学校を変わってみんなとは別の学校に行くということだ。だから、春香ちゃんがみんなと一緒に勉強できるのは今日でおしまいということになった。」

『えぇーッ!、どこに行くのー・・・』教室は一気に騒々しくなった。

「静かにー。」

先生は教室を見渡し、話を続けた。

「春香ちゃんは、お母さんと実家、つまり、田舎に帰ってそこの学校に行く事になったんだ。・・・じゃあ、春香ちゃんお別れの挨拶をしようか。」

ハルちゃんは先生が話している間下を向いていた。スカートのポケットあたりを指でつまんでいた。そして、スカートを放してから手のひらを広げて両横に着け、顔を上げた。大きな瞳が涙でいっぱいになっていた。そして、練習した挨拶を言った。練習した通り全部一気に言うつもりだった。

「わたしは学校を変わることになりました。みんな、今日まで仲良くしてくれて、ありがとうございました。」

そこまで言ったら、もう次の言葉が出て来なくなった。代わりに大粒の涙が両方の頬を伝わってポタポタと床に落ちた。先生がフォローした。

「もう少しで夏休みなんだけど、お家の準備なんかが色々あって、少し早いし急な事になったのだけど、転校することになった。」

『もう少し一緒に居たーい』

『いつ行っちゃうのー』

ハルちゃんは『急に転校することになってごめんなさい。』と言いたかったのだけど、もう何も声に出せる状態ではなくなっていて、今にも両肩を揺らして泣き出しそうだった。

『キン・コン・カン・コン』終わりのチャイムが鳴った。

「それじゃあ、連絡帳を配ります。」

先生は連絡帳の束の紐を解いた。そして一番上の名前を呼んだ。

「赤木君」

「はい。」

先生は1人ずつ、いつもよりゆっくり名前を呼んで連絡帳を渡した。クラスの皆はそれを受け取ると、先生の横に居るハルちゃんに近寄って声をかけた。ハルちゃんは唇をかみしめて、でも涙が止まらなくて、握手したり、抱き合ったりして皆とお別れをした。


 僕は2組で、みんなでさよならの挨拶をして、同じように連絡帳を受け取って教室を出た。学校の玄関は1組の先の職員室のその先にある。廊下に出ると隣の1組の様子を見詰めている綾香おばちゃんが居た。いつもなら1組の事は気にせずに通過して玄関に行くのだが、どういう訳か知ってるおばちゃんに挨拶した。

「ハルちゃんのおばちゃん、さよなら」

おばちゃんはちょっと驚いたように見えた。

「あら、翔太君じゃない。」

「うん。」

「ねえ、翔太君、ちょっと待っててくれないかしら?」

「うんいいよ。」

 僕はハルちゃんのおばちゃんの横に立った。僕はいつもは玄関を出た所でハルちゃんを待つ。ハルちゃんが待っている事もある。そして一緒に児童館に行く。ハルちゃんが児童館に行かない日はそこから校門を出るまで一緒に帰る。学校を出たら帰る方向が違うから、そこで『またねー』を言う事になっている。


 1組の連中が1人また1人と廊下に出てきて小走りで玄関の方に行く。でも何故か男子ばかりだ。女子はなかなか出て来ない。しばらく待っていると、1組の女子のほぼ全員が一緒に出てきた。ハルちゃんを取り囲んでいる。ハルちゃんが泣いている。

「あ、ハルちゃんをいじめたらだめ。」僕は咄嗟にそう言った。

『いじめてないよー』1組の女子達はそんな事を言って、そして、皆、それぞれに

『ハルちゃん、さようなら、元気でね!手紙書くね!』と言うような事を言って玄関の方に走って行った。そして、最後に飯島先生が出てきた。ハルちゃんのおばちゃんは先生にお辞儀をしてお礼を言った。

「今日はどうもありがとうございました。この子がクラスのみんなとちゃんとお別れが出来て本当に良かったと思います。」

「そうですね。最後は涙になりましたが、春香ちゃんは1年生にしてはシッカリしてますから、新しい学校でも春香ちゃんなら大丈夫です。」

その横で、僕は何の事だか状況がわからないまま、ハルちゃんに話しかけた。

「ハルちゃん、なんで泣いてんの?」

「翔ちゃん、わたし、転校するの。」

「転校って?」

「学校を変わるんだよ。」

「どこの学校?」

「お父さんの田舎にお母さんと帰るの。だから、そこの学校に行くの。」

「へぇー、夏休みが終わったらまた帰って来るの?」

「お母さん、どうだったっけ?」

ハルちゃんのおばちゃんは少し困って、そしてにっこり笑って、

「もうここには帰って来られないの。春香はずっと向こうの学校に通うのよ!。」と言った。

飯島先生はそれを微笑ましそうに聞いていたが、

「それでは私はこれで失礼いたします。春香ちゃん元気でね。」と言った。

「はい。先生、さようなら。」とハルちゃんが答えると、

先生は職員室の方にゆっくり歩いて行った。その後についてゆくように、僕たちも玄関の方に歩き始めた。ハルちゃんが続けた。

「だから、翔ちゃん、今日でお別れなんだよ!」

「じゃあ、もうハルちゃんとは遊べないの?」

と言っておばちゃんの顔を見上げたら、

「そうね。ごめんね翔ちゃん。さびしいけど、仕方がないの。」

僕は、またいつでも遊べると言って欲しかった。まだハルちゃんが居なくなる事の実感が無かった。ただ、ハルちゃんと『お別れ』って事が僕にとって重大な危機である予感がした。玄関で靴を履きかえて外に出た。少し遅れてハルちゃんとおばちゃんも出てきた。おばちゃんは少し申し訳なさそうな表情で、それでも少し微笑んで優しいまなざしで僕達2人を見守っている。

「よく分からないけど、僕、ハルちゃんが近くに居てくれないと困ると思う。」

「なんで?」

「だって・・・・・・。」

僕はそう言って立ち止まって下を向いた。その時は分からなかったけど、後から思うと、僕は僕のつまらない男のプライドが本当の気持ちを言葉にして口から出さないように押えこんでしまったんだと思う。

「翔ちゃん、急に転校することになってごめんね。」

「ううん。ハルちゃんのせいじゃないでしょ。でも、僕は・・・ぼくは・・・」

僕は涙がこぼれ落ちそうだ。

「ごめんね。」

ハルちゃんの瞳から大粒の涙がポタポタと落ちた。それにつられて、いや、それより一瞬早く僕の目からも涙が落ちた。ハルちゃんは泣きながら僕の手を取って、

「きっとまた遊びに来るからね。」

「うん。きっとだよ!」

僕はもう顔を上げてハルちゃんを見ることができなかったんだと思う。その時のハルちゃんの表情を思い出すことができない。ただ、きっと、うつむいた僕の頭をハルちゃんの大きな瞳が見ていたと思う。


 その時、4組の順平が通りかかって声をかけた。

「どうしたの2人共、なんで泣いてんの?」

「あ、順平ちゃん。わたし、転校するの。」

「転校?」

「うん、田舎の学校に変わるの。」

「えっ?、じゃあ、お別れなの?」

「うん。」

順平は立ちすくんだ。

「・・・翔ちゃんはそれで泣いてんだ。」

「ぼく、本当はお別れしたくない。」

「・・・翔ちゃん。仕方ないんだぜ、こういうの。・・・この前、僕の組の山口君も引っ越したんだけど、みんなお別れしたくなかった。」

「どうしたの?」

「みんな『行かないで』って言ったんだ。」

「どうだった?」

「だめだった。その時先生が言ってたけど、こういう時は『元気で頑張ってね』って言ってあげる方がいいんだ。」

「そうなの?」

「ああ。」

「じゃあ、ぼくもハルちゃんにそう言うね。」

「ああ。」

「・・・ハルちゃん、元気でね。田舎の学校でも頑張ってね。」

「ありがとう。翔ちゃん、順平君。わたし、がんばる。」

「うん。」

「ああ。」

僕とハルちゃんの涙はいつの間にか止まっていた。順平のおかげだ。すると、ハルちゃんが何か思いついたみたいだ。

「ねえ、順平君、お願いがあるの。」

「なんだい?」

「翔ちゃんの味方になってあげて!」

「僕、前から味方だよ。翔ちゃん大好きだから。」

「そう?ありがとう。安心した。約束だからね!」

「ああ。」

これで十分とは思わなかったし、了承した訳でもないけど、僕の暗黙の保護者がハルちゃんから順平に引き継がれた。こうして僕たちは『お別れ』をした。学校を出た所でいつものようにハルちゃんと最後の『またねー』をした。・・・つもりだった。


 翌日土曜日の昼前、テレビの前でうとうとしていると突然親父に起こされた。

「翔太、起きろ。」

「どうしたの?」

「出かける。」

「どこへ?」

「吉祥寺」

「どうして?」

「春香ちゃんが引っ越すらしいから、お別れしよう。」

「昨日学校でしたよ!」

「お父さんはまだだから、行くぞ!。春香ちゃんに何かあげられる物があると良いんだが。」

「だったら、タヌキさんをあげる。だいじなんだけど。」

「ああ、それがいい。」

僕は広島のお爺ちゃんに江の島で買ってもらったお気に入りのタヌキのぬいぐるみを袋に入れて出かけた。もちろん埃を掃って。


 井の頭線の改札を出て左に下ると吉祥寺駅の南口だ。僕たちは、そこから道を渡って1分もかからないビルの2階の喫茶店に入った。そこにはもう綾香おばちゃんとハルちゃんが来ていて、窓際の4人掛けの席に向かい合って座っていた。

「やあ、上原」

「こんにちは中西君、わざわざありがとう。」

「驚いたよ。突然なんで。」

「こんにちは、翔ちゃんの小父さん」

「こんにちは、春香ちゃん。」

「こんにちは、翔ちゃん。」

「こんにちは、ハルちゃん、おばちゃん。」

「こんにちは、翔太君。」

親父はおばちゃんの隣に、僕はハルちゃんの隣に座った。なんだか家族みたいだと思った。

「いらっしゃいませ。」店員さんが水を二つ持ってきて、親父と僕の前に置いた。

「何か軽く食べますか?」と親父が言うと、

「そうね。春香なにがいい?」

「スパゲッティ。ミートソースがいい。」

「ぼくも食べていい?」

「いいよ」

「それじゃあ、みんな同じにしよう。」

親父はそれにアイスコーヒー、他の3人はオレンジジュースを付けた。店員さんは注文を確認して行った。


親父と綾香おばちゃんとの話はよく分からないが、こんな感じだった。

「春樹の実家に入るんだって?」

「そうなの。茂樹さんの商売を手伝う事になると思うわ。」

「大丈夫なのか?」

「どうして?」

「昔、春樹にちょっと愚痴られたことがあってね。お兄さんの事で。」

「あら、心配してくれるの?、ありがとう。でも、たぶん大丈夫よ。優しい人達だから。」

「そうか。それならいいんだけど。」

「私、春香の母親だし、もう子供じゃいられないから、何かしなきゃね。」

「そっか」

親たちの話を理解できないでぼーっと聞いている僕に親父が促した。

「翔太、春香ちゃんにお別れを言いなさい。」

「うん。でも昨日もう言ったんだよ。」

綾香おばちゃんがにっこり笑って、

「そうね。昨日はありがとう。」

すると親父が、

「それ、あげるんだろ」

「うん」

するとハルちゃんが、

「なあに?翔ちゃん。」

「タヌキさんだよ」

そう言って僕が袋を渡すと、ハルちゃんはそれを開けて『タヌキさん』を取り出した。

「わー、かわいい。いいの?」

「うん。ずっと大事にしてたんだけど、あげる。」

「うれしい。ありがとう。」

ハルちゃんはタヌキさんを抱きしめて、ちょっと匂いを嗅いだ。

「あっ、翔ちゃんの匂いがする。」

「ええっ!、臭い?・・・どうしよう。」

「ううん。そうじゃないよ。」

そう言うと、ハルちゃんは内緒話の様に僕の左耳に口を近づけて、

「いい匂いだよ。」

と言った。僕は急に恥ずかしくなった。

「翔太、なに赤くなってんだ?」

とニヤリとしながら親父が言った。

「あら、春香も赤くなった。」

と綾香おばちゃんも微笑んだ。

「なんでもいいでしょ!、わたし、翔ちゃんにこれあげるの。」

「うわー、格好いいペンだね。」

「うん、お父さんにもらった外国のボールペンだよ!」

「いいの?大事なものなんじゃあないの?」

「もうひとつあるからいいよ。」

「ありがとう。大切にするよ。」

「喜んでくれて嬉しいわ。お揃いだね。」


 僕たちは出てきたスパゲッティを食べて、ジュースを飲みながら色々とお話をして別れを惜しんだ。でも昨日みたいにもう泣くことは無かった。実を言うと、スパゲッティは僕には多くて、お腹がパンパンになった。苦しいくらいだった。

「そろそろ行かなくっちゃ、3時過ぎの飛行機なの。」

「そうだね。ここから羽田までは2時間くらいだけど、お土産買う時間も必要だろうから。」

「ええ。」

「これ、餞別。」

「あら、そんな。・・・そうね、遠慮なくいただくわ。ありがとう。」


 僕たちは一緒に井の頭線のホームに行った。ハルちゃんとおばちゃんは急行に乗って先に行った。僕は、『ボク危ないよー』という誰かの声を無視して、ホームを走りながら、ハルちゃんに『またねー』って言った。ハルちゃんもそう言っていたような気がする。それから反対側のホームに行って、各停に乗って三鷹台に帰った。小雨が降り始めていた。

 その夜、僕は新しい『ガクモン』のノートを1ページ破って、ハルちゃんにもらった外国のボールペンで

『だいすきなハルちゃんとおわかれしました。』

と書いた。そして、そのノートの紙でボールペンを包んでセロテープで封印して机の一番上の引き出しの奥にしまった。また少し涙が出た。

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