4-2 加代を仲間にしたいと思った日(その2)~父親譲り~
放送室は2階にあって、出て左の美術倉庫の先の階段を下りるとすぐに下駄箱が並ぶ玄関になる。その階段を姉ちゃんと2人で下りていると、俺の担任の黒田先生が上がってきた。
「おう、中西姉弟、いつも仲いいな!」
「先生からかわないでください。」
「姉ちゃんと俺はもう5年も付き合ってますから。」
「翔ちゃん!」
そのとき先生は何かを思い出した。
「でだ、中西。・・・連絡票。」
「エッ!あれ?・・・提出してませんか?、田中。」
「帰ったぞ。」
「しょうがないなあ。あれだけ言ったのに。」
「うーん。中西が言ってもダメなのか。」
「どう言う事ですか?」
「根は良い娘なんだけどなぁ。」
「そうですか?」
「僕のクラスに悪者は居ない。」
「へいへい。」
「明日の朝必ず出せと言ってくれ。」
「今日中にファックスしていいですか?」
「オフコース」
「(げ)・・・じゃあ、帰りに寄ってみます。」
「あれ?携帯番号知らんのか?」
「知りませんよ。付き合ってないし。」
「そうか。じゃあ悪いが頼んだぞー」
「へえーい。」
「お先に失礼します。」
「おお、さようなら、春香君。」
俺達は玄関に向かって歩きながら、
「つか、先生が電話してもいいんじゃね?」
「先生は忙しいし、突然学校から電話があったら親が心配するでしょ!」
「そんなもんすか。」
「そうよ。」
靴を履き替えて外に出た。
「すっかり暗くなっちゃったね。」
「うん。遅くなったときは必ず一緒に帰るから。」
「ありがとう。頼もしい騎士さん。」
と姉ちゃんは語尾を少し上げて、本気なのか冗談なのか。
「姉ちゃんゴメン田中ん家寄ってく事になって。」
「やっぱ、先帰ってよか?」
「いや、こんなに暗いから。」
「そうね。家まで送ってくれるんだったね。」
「部屋の前までお供します。・・・あっ、田中ん家、知らねえや!」
姉ちゃんはチラッと俺のほうを見て、微笑んで、
「知ってるよ!」
「ほんと?」
「うん。翔ちゃんも知ってると思うよ。」
「知らないよ、田中の家なんて。」
「じゃあ連れてってあげるわ!」
「やっぱ姉ちゃん。頼りになる。」
「尊敬しなさい!」
「ええっ、こんくらいの事で?」
「でも助かったって顔してる。」
「うん。・・・助かった。」
姉ちゃんと俺は久我山駅に向かって下る坂道に来た。その時塾の帰りだろうか、後ろから走って来た小学生位の子供達数人に追い抜かれた。姉ちゃんはその子供たちを見送りながら、
「私達もあんな感じだったのよね、あの頃は。」
「そうだったっけ?」
「そうよ。」
「姉ちゃんはあの頃に戻りたい?」
「ううん。今の方が良いわ!」
「俺も。」
「また高校入試とかするの嫌だもの。」
「俺はチビに戻りたくないよ。」
「翔ちゃんは可愛かったわ!」
「姉ちゃんは頼もしかった。」
「それ、どう言う事かしら?」
「・・・今の方が可愛いって事かな!」
「あら、どうもありがとう。」
姉ちゃんと俺の視線が重なった。姉ちゃんの頬っぺが少し赤くなった。俺もハズくて耳が熱くなった。俺を見つめた姉ちゃんがなんか可愛かった。少しの沈黙があった。その時坂の下からバイクが上って来て短くクラクションを鳴らした。俺は姉ちゃんの肩を抱えて道の右端に寄った。
「翔ちゃんは私を追い抜いただけじゃなくて、順平君より大きくなったものね。」
「うん、いつの間にかね。」
そう言ったとき、今朝の順平との約束を思い出した。
「あ、そうだ。順平に頼まれたんだけど、連休のどこかで『ランド』に行かないかって。」
「良いよ、お昼にナッちゃんからもそのメール来たわ!」
「そっか。じゃあ話は早いね。」
「でも、ナッちゃんはテニスの練習や試合があって、ピンポイントみたいだよ。」
「じゃあ簡単だ。」
「どうして?」
「ナッちゃんの予定に合わせれば良いんじゃん。」
「そっか。」
姉ちゃんと俺は井の頭線の久我山駅を通り過ぎて神田川を渡り、久我山の商店街に入った。そして、田中ビルの前に来た。
「ここよ!」
俺は姉ちゃんが指差した先のネオンサインを見上げながら、
「へえー。田中ん家って、エコーサウンドの上なんだ。」
エコーサウンドはこの辺に数少ないカラオケ店だ。普通の人ならたぶん吉祥寺に行くのだが、高校生には人気の店だ。特に女子に人気の新曲の入荷が早いのでJK御用達である。マスターが良い人で、時々安くしてくれるのも大助かりだ。あと、定番の焼きそばと焼うどんが美味い。
「そうよ。1階から3階がお店で、4階、5階は知らないけど、6階が加代ちゃんの家ね。」
「なんで知ってんの?」
「中3の時に招待してもらった事があるの。」
「へー・・・けど、あいつ、こんな金持ちの割には、お嬢様っぽくないよな。」
「そおお?優しい娘だよ」
お店に向かって左横の通りに面してエントランスとエレベータがある。
そこで呼び鈴を押す俺。(ピンポーン)
「はい田中です。」
「お母様よ!」
「こんばんは。加代さんの同級生の中西と言います。加代さんはご在宅でしょうか?」
「加代ですか?・・・ご用件は?」
「学校で配られた連絡票の記入をお願いしていまして、先生が急いでいましたので、受け取りに来ました。」
「あら、加代ったら、きっとまた忘れたんですね。」
「・・・はあ。」
俺はとっさに語尾を下げた返事で知らない分からないふりをした。
「加代は3階の307号室に居ります。・・・すみませんが、お店の方のエレベータで3階に上がってみてください。店には主人が居りますから。連絡しておきます。」
「はい、わかりました。そうします。ありがとうございました。」
俺達はエントランスを出て、大通りに面した店の入り口に移動している。
「翔ちゃんってやっぱり優しいね。」
「なんで?」
「ううん、なんでもない。」
「変なの」
「先週も来たよね。ここ」
「姉ちゃんはピアノ上手いけど、歌は・・・」
「あれ?そういう翔ちゃんもギター本気で練習しないとね。」
「ヤブヘビだったね。」
自動ドアが開いて、お店に入ると、最近流行の西原カナの16ビートの歌が流れていた。正面に大きなカウンターがあって、その中でマスターつまり加代のお父さんが待っていた。俺達を見てアベックだったので少し戸惑った様子だ。
「先ほどご自宅に伺いましたら、こちらに回るようにと・・・」
「中西君?ですね。」
「はいそうです。」
「妻から電話がありました。いつも加代がお世話になっています。」
「いえ、こちらこそ。」
マスターは姉ちゃんが気になっているようだ。
「失礼ですが、そちらの御嬢さんは?」
「姉です。」
「そうですか、『ごきょうだい』でしたか。」
「一緒に帰る途中なんです。」
姉ちゃんのこの簡単な説明ではなんか納得できない様子だ。しかしそれ以上の詮索はなかった。
「そうですか。加代は307号室にいます。一番奥のエレベータで3階に上がってください。降りると目の前の部屋です。」
「ありがとうございます。」
「ごゆっくり。・・・あ、そうか、オケのお客さんじゃなかったね。」
俺達3人は顔を見合わせて少し苦笑した。俺達がエレベータの方に向かうと、マスターお父さんはインターフォンを取った。たぶん加代に俺達が行くことを知らせているのだろう。一番奥のエレベータのボタンを押すとすぐ扉があいた。俺達はそれに乗った。もちろん姉ちゃんが先だ。俺が乗るとすでに3階のランプが点いていた。俺は閉ボタンを押した。
「カヨちゃん、誰とカラオケしてるんだろうね。」
「田中の仲良し知らないから想像がつかない。」
「ねえ翔ちゃん、すぐ入らないで、曲が終わるまで待ってね。」
「なんで?」
「だって、歌の途中で邪魔しちゃダメでしょ!」
「そっか」
3階でございます。というアナウンスが流れてエレベータが止まり、ドアが開いた。すると正面に学校の制服を着た加代が腕を組んで307号室のドアにもたれかかって立っていた。しかも目が怖い。
「父さん、なんかものすごく誤解してて、ごめんなさい。最悪だったでしょ?」
「カヨちゃん、それどういうこと?」
「父さんはあんたたちが見かけ姉弟だって信じられないワケ」
「じゃあ俺達はその・・・」
「エロい関係? だから、学校の用事ってもの信じてない。きっと。」
「おいおい、それは困ったね。帰りにもう一度詳しく説明するよ。」
「無駄無駄。その必要はないわ。ガツンと入れといたから。」
「・・・?・・・」
「ねえ、わざわざ来てくれたお礼に少しやってく?」
加代は右手を握って口元に近付けた。こうやって、また肝心なことを後回しにするつもりなのだろう。その手には乗らない。
「それより連絡票早く書いてくれ!」
「それならもう書いてある。先生に渡すのを忘れちゃったんだ。ほらこれ。」
「じゃあそれ向かいのコンビニでファックスして来るよ」
「フロントにファックスがあるから後でお父さんにしてもらうよ。」
俺は一つ息をした。
「田中、悪く思うなよ。俺がこれからフロントに行って、ファックスしてもらってくる。」
「勝手にしろよ!」
「ああ勝手にさせてもらうよ!」
「翔ちゃん!」
加代はこの会話の数秒の間に連絡票の事など意識から消滅したらしく、全く気にする様子も無く、
「ハルちゃん、2、3曲付き合ってくれる?」
「いいよ!私音痴だけど」
「もうずっとひとカラだから、飽きちゃいそう。でもほんとは飽きないのよね。」
「好きなんだね」
「うん。歌うの大好き。」
そこで307号室のドアが閉まった。ほぼ同時にエレベータのドアも閉まった。
『1階でございます。』というアナウンスでエレベータのドアが開いた。フロントに行くと恐縮した感じでマスターお父さんが待っていた。
「すみません。加代に罵倒されました。」
「あ、あぁ、大丈夫です。俺達あちこちで間違われますからもう慣れっこです。気にしないでください。」
「大変だね。姉弟で同学年は。」
ああ、分ってくれたみたいだ。それなら、これ以上深入りされると、めんどい。
「すみません。この連絡票を学校にファックスしたいのですが。」
「ハイハイ。このファックスを使ってください。」
俺はフロントのカウンターの中に入って生徒手帳を広げ、連絡票をファックスにセットして学校の電話番号を押した。
「もしもし、1年C組の中西です。黒田先生にこれからファックスを送りたいので、受信に切り替えて頂けますか?」
俺は受信ビーコンを確認してから送信ボタンを押した。送信完了を待っていると、お父さんマスターが、
「送信が終わったら、後で307に持って行きますから、先に上がっていてください。」
「いえ、すぐ帰りますから。」
「いや、そんなこと言わないで、加代と仲良くしてやってください。あの子に友達が来るなんて珍しい事なので。」
「そうですか?」
「ええ、307は家族用で無料ですから。」
「ではすこしだけ、お言葉に甘えさせていただきます。」
俺はまた一番奥のエレベータで3階に上がった。
307号室を覗くと姉ちゃんが「ぼくはくま」を歌っていた。加代が俺に気付いてドアを開けた。予想以上の大音量だ。俺は室に入ってすぐの入口に近いところに座った。
「姉ちゃん時々外すだろ。」
「いやあ、上手いもんだよ。ピアノやってんだろ?」
「ああ。そっちはかなりだと思うよ。」
「お前はギターかなんかやるのか?」
「アコギ始めたばかりで、下手くそなんだ。」
姉ちゃんの歌が終わった。軽く拍手。礼儀で。次は加代の番だ。「Flavor Of Life」と表示された。イントロがない曲だ。
「♪タタタタタター♪」
その瞬間、俺の思考が止まった。歌い出しのわずか6文字で、俺は後頭部に柔らかくて暖かくて重い物をズーンと投げつけられて、全身の力が抜けたみたいになった。そして俺の全身は加代の優しさに包まれた。息が止まるかと思った。俺はただ加代を見詰めた。今までこんな上手い生歌を聴いた事がなかった。
「ねえ翔ちゃん。加代ちゃんって上手だよね。」
「上手とかの域を超えてるよ。」
「私たちもっと練習して、加代ちゃんにボーカルしてもらいたいね。」
「そうだ。それだ。」
姉ちゃんと俺は加代の歌に背筋を伸ばして聞き惚れた。息遣いもなんかセクシーで、元歌の雰囲気を壊さない感じで、でもすっかり加代のものになってるって気がした。できれば、ずうーと加代の歌を聴いていたいと思った。・・・その歌がもうすぐ終わる頃ドアが開いた。
スナック菓子とコーラとオレンジジュースをトレイに乗せたマスターお父さんが入って来て、そして、すまなさそうに言った。
「・・・加代これで勘弁してくれるか?」
「ウザイ。早く出てって。」
俺はまたビックリした。加代の奴、父親にもツンツンなんだ。
「おいおい。いくらなんでもそれは実の父親に言う台詞じゃあないよ。しかもマイクで。」
「いいの。私たちそういう関係だから。」
俺はそのトレイをありがたく受け取って、それから、
「・・・すみません。ファックスの原稿は?」
「あっ。忘れました。後でお届けします。」
「いえ、帰りにいただきますから、フロントに置いといてください。」
「そうですね。そうします。」
加代の『後回しの忘れん坊』は父親譲りだというのが判った。なんか微笑ましく思えた。姉ちゃんが言うように、いつか加代に俺達の仲間になってもらいたいと思った。




