4-1 加代を仲間にしたいと思った日(その1)~ウザイなお前~
姉ちゃんと俺は高校生になった。井の頭線の久我山駅を出て左に坂を登ってしばらく歩いた所にある都立久我山高校だ。そう言えば合格発表の日、姉ちゃんと俺はこの坂道を黙ったまま不安に押しつぶされそうになりながら登って・・・そして・・・天にも昇る気持ちで『気勢』と言うより『奇声』を上げながら下った。もちろん奇声をあげたのは俺だけだったけど。
姉ちゃんは写真部に、俺は放送部に入った。どちらも緩い部活で、どっちかと言えば帰宅部に近い。俺が姉ちゃんと同じ部活に入らなかったのには漠然とした理由がある。中学を卒業した直後から姉ちゃんと俺とで密かにユニットを組んで下手な演奏を楽しんでいた。共通の趣味ってやつだが、そのうちプロになれるような幻想も抱いていた。このユニットが姉ちゃんと俺が姉弟でいられる必要条件のひとつのような気がしていた。そう言えば、中学時代のテニスもそうだったと思う。同じ部活で時間と経験を共有する事が姉ちゃんと仲良く出来ている証拠の様な気がした。だから、ユニットを組んだ事で同じ部活をする必要が無い様な気がしたし、校内で何かと一緒に居て、目立って、変な誤解を招く事が少なくなる様な気がしたからだと思う。
入学式の頃、花吹雪を降らせていた神田川沿いの桜が完全に若葉になって、玉川上水に生えている藤に大きな房の花が咲いて、新緑が街に映えて、暖かい風と香りが心地良い季節になった。そんなある日の2時限目が始まる前の事だ。俺は、誰もが『変人』と言う同級生、田中加代の肩を人差し指で軽くたたいて『仕方なく』話しかけた。
「ちょっといいか?」
加代はイヤホンからシャカシャカと音を出して、たぶんその歌詞を独り言のように口ずさんでいる。そして、すごく迷惑そうに右のイヤホンを片方だけ外した。
「なんだよ!」
「『なんだよ』は無いんじゃないか?」
俺がそう言うと、『面倒臭い奴』と云う意思を露骨に表情に出して、
「何か御用でしょうか?」
と声にまで『嫌々』を混ぜてもう片方も外した。だが、俺はそれ位では怯まない。
「えっと、田中さんは俺と通学路がほぼ同じって知ってるよね。」
白いプレーヤーのストップボタンを押しながら、
「だから?・・・まさか!・・・一緒に帰るとか無いし!」
「違うよ!、風邪とかで休んだ時なんかに、プリントとか届けたりする役!、相互援助とかで。」
「で?」
「この連絡票に名前と地図を書いて提出するって朝渡されたじゃん。」
先生はまず俺に連絡票を渡した方が確実に回収できる事がたぶん分かっている。田中は何でも後回しにして忘却してしまうのが得意だからだ。
「ええー めんどいなあ。だいいち、お前が休んでも持ってかない。」
「なんで?」
「だって、お前ん家の方が遠いじゃん。なんか一方的に損な感じがする。」
俺には田中の思考パターンが分からない。こんな損得勘定があるのものかと思った。どう言えばいいものかと考えながらついこんな具合に言ってしまった。
「そう・・・カヨ!」
「人の名前をダジャレっぽく会話に挟むな」
「わりぃ。まあ、そん時は姉ちゃんに渡してくれたんでいいよ。とにかく、先生わりと急いでたみたいだから、名前と略地図書いてくれ。地図は俺のがもう書いてあるから、田中さんの家の場所だけ丸印しでもいいから書いてくれればいい。」
田中はものすごい面倒に巻き込まれたような表情で、
「ああ、後で書く。」
「そんな露骨に嫌な顔するなよ!、今書いてくれたら俺が提出してくるけど?」
「べつに、今でなくてもいいだろ?」
「お前サ、きっとまた忘れんだろ!」
「・・・ウザイなお前。勝手に人の行動予測とかすんな。」
「悪かった。じゃあな。今日中に提出だかんな。」
俺はなんか加代が苦手だ。俺だけじゃないかも知れないが。
2時限目の授業が早目に終わった。3時限目は英会話でLL教室だから、俺はテキストとノートと蛍光ペンを持って、移動の途中の渡り廊下の端でスマホをチェックしていた。そこへ順平からレイン(メール)が来た。
『相談がある。』
俺は当然の反応をした。
『何だ?』
すると、
『今授業中!』
と返って来た。まあ、その通りだ。
『LLの前のベンチで待つ』
と返した。そして俺はLL教室に移動し、指定席に荷物を置いて、外のベンチに座って待つ事にした。5分程して終鈴が鳴ると同時に順平が現れた。
「お待たせ。」
「授業だから仕方が無い。てか、早くね?」
「即出て来た。・・・ちょっとフライングだったかも。」
「で、何だ?」
「連休の何処かで遊びに行かないか?」
「そうだと思った。でも、順平はナッちゃんと2人きりが良いんじゃないの?」
「あぁぁ、僕等は極めて健全な交際をしてますから。」
「へいへい、じゃぁナッちゃん抜きって事?」
「翔太、お前なんか性格変わって来てないか?」
「あぁ・・・ここんとこ同時進行のイベントが多くてね。」
「ストレスで思考が曲がってるって事か?」
「そんな事無いと思うけど、・・・で、何処へ行く?」
「第1候補は『ランド』なんだけど。」
「ランドなら2人でOKじゃん。」
「あそこ行くと『エレパレ』観たいだろ!」
「まあね。」
「結果的にすごく遅くなるだろ!」
「つまりそれって、お泊りしたいって事?」
「その線は確かに考えた。」
「やっぱり。」
「いやいや、そうじゃ無くて、帰りがかなり遅くなるって事。」
「それに何で俺の協力が必要なんだ?」
「いや、だから。」
「判ってるって。親の了解貰うには予定の申告が条件なんだろ!」
「お前本当に性格変わって来てないか?」
「そんな事無いよ。俺は満月のランドにオオカミとなった順平を解き離してみたいだけさ。」
「やっぱお前おかしい。ストレスじゃなくて欲求不満かもな。」
「あ、俺そうなのか?」
「なんかあったのか?」
「ま、まあそう言えば心当たりが・・・」
俺は心の中で『加代だ』と呟いた。
「で、予定だけど、頼むわ。」
「了解。」
「ハルちゃんも来るだろ!」
「ああ、たぶん。部活があるかもだから確認してみる。」
「じゃあよろしく!」
そう言って順平は左手を上げた。その手の人差し指に包帯が巻かれている。
「その手どうした?」
「これか?」
「どう見ってもそれ以外に無いと思うけど?」
「硯で切った。」
「え、硯で切るって?」
「書道部武闘派の天野麗子様が教室で商売道具が入った袋を落とした。その時硯が飛び出して割れた。」
「で?」
「僕がそれを親切に拾ってあげたら、この指が切れたという訳。」
「ふうーん。それはついて無かったな。2人共。」
「かえって天野に迷惑だったような。指先だったから結構出血した。」
「まあ、親切から出た事だからOKじゃん。」
「だけど、不思議なんだ。」
「なにが?」
「あれ、石だよな、硯って。」
「だと思う。プラスチックの軽さじゃない。」
「拾った時、なんか熱かったんだ。」
「破片が?」
「うん。」
「割れた時の摩擦熱か何かじゃないか?」
「はっきり見た訳じゃないけど、破片拾った時光った様な気がした。その光で手が切れた様な気がするんだ。」
「そんなバカな!」
「だよな。」
「気のせいだよ。痛さが光や熱に感じたんじゃないか?」
「ああ、なるほど、それだな。」
その時始業のチャイムが鳴った。
「お、始まる。」
「じゃあな翔太!」
「うん。また!」
順平は走って教室に戻り、俺は急いでLLの指定席に座ってヘッドセットをかぶった。と同時に先生の挨拶がヘッドセットからというより、直接聴こえた。
「Good morning everybody !」
「Good morning teacher !」
「I’ll call your name, then please answer pushing the button on your desk.」
こうしてLLの授業が始まった。まずは出席確認から。
その日の放課後、俺は放送室に居た。そこで2年の横山頼子先輩のありがたいご指導を受けている。横山先輩は中学は違うんだけど、放送委員として何度も三鷹、武蔵野地区の会合や教育委員会の行事で会ったことがある人だった。男勝りで、言うことがはっきりしていて、皆一様に彼女の豪腕に頼っていたものだ。しかも、俺が何かと逃げ足が遅い巻き込まれ体質である事も一瞬にして洞察してしまうような人で、結構面倒な役割を何度も押し付けてくれた大変迷惑な人でもある。逃げ足と言えば、順平のやつ、何かを察したらしく、来てない。
俺はミキシングコンソールを背にして、直立で後ろで手を組んで、プロデューサ席に座ってる先輩と対峙している。
「中西、報道ってのはなあ、事実を事実のまま伝えるわけ。」
「はい。その通りです。」
「今朝の臨時ニュースで『野球部がまた負けました。』って言ったのは、お前が全面的に悪い。しかもお前は1年だ。で、野球部の吉田部長の憤りを鎮めるためにだ、明日の朝のニュースで謝罪する。お前が。」
「どうしてですか? 事実でしょ? 先輩!」
「あのなあ、『また』ってのが駄目なんだ。」
「なんで・・・ですか?・・・」
「分からんのか?『また』にはお前の個人的感情が篭ってんだ。」
「この前も負けてるって事が言外に伝わるでしょ!一石二鳥で。」
「中西。報道に言外とか込めようとするなよ!」
「じゃあ、今週の試合で負けたら、『3週連続で負けました。』って言いますよ。『また』抜きで。これなら事実ですよね。」
「お前なあ、そこまでして私と野球部を敵に回したいのか?」
「いえ、めっそうも無い。野球部はともかく、先輩は味方でお願いします。」
「じゃあ、謝罪頼んだよ。」
「はい。かしこまりました。」
すると、今度は言いにくそうに、
「それからなあ、中西、来週の土曜の午後なんだけど、・・・暇か?」
「なんすか? デートのお誘いならご勘弁・・・ってか、悪い予感がするんすけど。」
「うん、まあ、あたり。軽音OBの演奏会の録音補助。」
「機材運搬ですか?」
「いや、ひも係」
『ひも』と云うのは有線マイクなどのシールドケーブルの事で、床や地面を這わすのでかなり汚れる。それを取り扱う人も当然汚れるのだ。しかも結構重くて、力仕事でもある。引き回しやコネクションが下手だと雑音が入るので、経験者が歓迎される。放送部のいわゆる3K仕事だ。順平の奴、さては察知してたな!
「うわっ。汚れ役っすか。」
「まあな。経験者でないと出来ないし、お前、男だろ!」
「そう云うのって、パワハラって言いませんか?」
先輩はいつになく期待を込めた眼差しを投げてきている。ああ、俺はなんでこう云うのに抗えないんだろう。
「・・・ああもう。わかりましたよ。」
「ありがとー。さすが私の愛しい中西君だ。」
「都合のいい人ですね。・・・木村先輩に。」
「エヘヘ」
「否定しないんだ。」
木村先輩というのは卒業生で軽音の部長だったそうだ。といっても、俺が入学する前に卒業して、今は高田馬場の大学でバンドをやっているらしい。横山先輩と付き合っているという噂だが、詳しいことは知らない。
そこへノックして、姉ちゃんがドアを開けた。
「翔ちゃんいる?」
「あっ、居ますよー。中西、お姉さんだ。」
姉ちゃんは今は鉢植えを使って草花の接写の練習をしているそうだ。おやじのお下がりのデジカメを使っているが、実は一眼レフが欲しいらしい。高価なので小遣いを貯めているところだ。夏休みにはバイトしないと無理だろう。
「ああ、姉ちゃん。終わった?」
「うん。翔ちゃん、私帰るけど、どうする?」
「へえーい。ちょっと待ってて!一緒に帰るから。」
俺はニュースの原稿とキューシートをスクールバックに入れて帰り支度を始めた。
腰を上げた俺に先輩が念を押した。
「中西、来週頼んだぞー」
「了解しましたー。この埋め合わせは何にしてもらいましょうか?」
「私の熱い抱擁でどうだ」
「もっと実利があるものがいいです。」
「じゃあ、今度のバレンタイン楽しみにしろや!」
「先過ぎでしょ。今日はもう色々とありがたいご指導を頂きましたので。」
「お前はいい奴だ。」
「さっきまで敵になる予定だったんですよね。」
と言って、俺は放送室のドアを閉めた。
「なあに?敵って!」
「いや、そのー、説明ムズい。」
「なんだか聞き捨てならないわ!」
「まあ俺が悪いんだけど・・・」
俺は姉ちゃんに野球部が練習試合で連敗している事とニュースの件とそれから軽音OBの件も説明した。
「翔ちゃんも大変だね。」
「そうでも無いけど、文化部の活動って、結局人付き合いみたいな物だね。」
「そうね。運動部みたいに実力が見えにくいわね。」
「だね。」
こんな風に姉ちゃんに慰められて、俺は明日の謝罪放送に立ち向かう勇気と覚悟が湧いて来た。




