3-3 庭球部に入部した日(その1)~ナッちゃんの神通力~
あの事故以来、俺は姉ちゃんの保護の下、一緒に登校している。
4月もあと1週間程になった火曜日の朝、玉川上水沿いの遊歩道を順平が元気なく登校していた。そう言えば、先週末姉ちゃんが庭球部に入部届を出したらしいが、その時顧問の田崎先生の机の上に順平の入部届が置いてあったそうだ。
姉ちゃんと俺は順平の10メートル程後ろから声を掛けた。
「おはよう順平君!」
「・・・・・」
「おはよう順平!」
「・・・・・」
順平は何か考え事をしてるみたいで、姉ちゃんの声も俺の声も聴こえないらしい。
「順平君どうしたのかしら?」
「さあ? また弟と喧嘩して叱られたりして凹んでんじゃね?」
姉ちゃんと俺は少し早足になって順平に追いついた。
俺は順平の左肩に叩くようにして手を置いた。
「おはよう!順平、どうしたんだよ!」
順平は少し驚いたように俺を見て、それから姉ちゃんを見た。
「あ、あぁ、翔太か。おはよう。ハルちゃんもおはよう。」
「おはよう、順平君。」
「なんか元気無いじゃん、朝から。」
「べつに! ちょっと考え事してた。」
「だろうな。で、どんな?」
「だから、ちょっとだって。」
「そうは見えないよ。俺が何か出来そうな事か?」
「いや、たぶん無理。」
「そっか。」
「なんだか解らないけど、わたしでも駄目?」
「うーん。ハルちゃんなら、もしかしたら何とかなるかも知れないけど・・・言えない。」
「なんで?」
「なんかバカにされそうで。」
「あら、私が順平君をバカにした事ある?」
「ない。」
「だったら、教えてくれてもいいんじゃない?」
「・・・やっぱ、言えない。これが最初になりそうだから・・・いいって。」
「姉ちゃん、順平は自分で解決したいんじゃないか?」
「そうなの?」
「ま、まあね。」
「じゃあ、お節介は止めるわ!でも、私に出来ることがあったら言ってね。」
「ありがとう。」
俺達はしばらく黙ったまま一緒に歩いた。
よく解らないけど、順平はいつになく深刻な問題で悩んでいるように見えた。出来れば一緒に考えてあげたいと思うが、言えないんじゃあしょうがない。第一、俺には無理で姉ちゃんならもしかしたらとか、ちょっと気に入らない。
姉ちゃんが最初に沈黙を破った。
「ねえ、順平君も庭球部入ったのね。」
「エ、エッ! な、なんで知ってんの?」
「そんなに驚かなくてもいいじゃない。ナッちゃんに急かされて、私も先週入部届出したの。」
「そっか。じゃあ、ナッちゃんに聞いたんだ。」
「ううん、入部届提出した時、田崎先生の机の上に順平君の入部届が置いてあったの見たわ。」
「そっか。・・・僕、それ取り消すかも。」
「どうして?」
「まだ判らないけど、最悪そうなるかも。」
「なんか解らんけど、訳有りって事だね。」と俺。
「ああ」
「ねえ、翔ちゃんはどうするの?」
「どうするって?」
「庭球部」
「もう暫くは激しい運動はダメって言われてるけど、まあ、入っても良いよ。」
「じゃあ、入ろ!」
「なあ、俺もテニスやるから、お前、止めないでくれよ。」
「なんで?」
「俺とペア組もうぜ!」
「そうだな。そういうのもあるな。」
「何だよ、はっきりしない奴だなぁ!」
あと数メートルで北門と言う所で向こう側からナッちゃんが近付いて来るのが見えた。当然だが、姉ちゃんと俺は手を振った。
「ナッちゃん、おはよう」
「あ、ハルちゃん、おはよう」
すると順平が、
「俺、ちょっと先に行く。」
そう言って走って北門に入って行った。
「おい、待てよ!」
俺も順平を追って走ろうとしたが、姉ちゃんにベルトを掴まれた。
「こら、走っちゃダメ!」
「そっか。」
「ほらね。私が一緒じゃないと駄目でしょ!」
「へいへい。ありがとうございます。」
その頃の俺は頭のタンコブも引いて、包帯もネットも取れて、紫色だった痣も色が黄色に変わって、輪郭がぼやけて、しかも元あった場所から下半身に移動していた。俺的にはもう完治の状態だけど、来月の中頃までは跳んだり走ったりするなと言われていた。
中1の俺には守るのがムズい条件だ。姉ちゃんが保護してくれている事は認めざるを得ない。
北門でナッちゃんと合流した。
「翔太君、おはよう。」
「おはようナッちゃん」
「ハルちゃん、ラケット買いに行かない? 今度。」
「そうね。ユミちゃんも一緒?」
「うん、そう言ってた。」
「今週末がいいわね。」
「翔太君も入部するんでしょ?」
「たぶん。けど、順平が入部取り消すかもって言ってたから、そうなったら俺もどうするか判らない。」
「順平君が?・・・そんなこと言ってたの?」
「なんか深刻な事情があるみたいだったわ。」
「親に反対されて、ラケット買えないとか!」
「まさか」とナツ。
「ナッちゃん、何か知ってるの?」
「どうかなあ?・・・分かったわ、一応心当たりがあるから、私に任せて。」
「さすがナッちゃん。順平の事は何でも知ってんだ。」
「そんなんじゃ無いわ!」
「私にも出来ることがあったら言ってね。」
「ありがとう。そん時は頼むわ!」
こうして俺達は登校した。
・・・・・
昼休みになった。俺は順平に相談したい事があってE組に行った。当然だが相談と言うのは庭球部の事だ。けど、順平は居なかった。給食を食べ終わったら、即どこかへ出て行ったそうだ。ただ、マサちゃんによると、2時間目の前にナッちゃんがメモを渡すのを見たと云うから、俺は早速ナッちゃんが行動を起こしてくれたんだと思った。仕方がないから俺は自分の席に戻って午後の英語の授業の『1から12までの数』について参考書を読んでいた。
そこへ順平がやって来た。
「翔太、何か用か?」
俺は参考書をひっくり返して、机に置いて、
「ああ、庭球部の事だ。順平は結局どうすんの?」
「僕はやるよ!テニス。だから翔太も入れよ!」
「そっか。わかった。」
俺は順平がなんか元気になってるのが嬉しくて、ついそう言ってしまった。
「じゃあ、入部届の用紙もらってくる。」
俺が立ち上がろうとすると、
「そう思って、持って来た。」
順平はA4の入部届を俺の机の上に置いた。
「おお、サンキュ。」
俺はそれを手に取って読んだ。
「保護者の了解が要るのか。」
「ああ」
「じゃあ、今すぐ提出って訳には行かないね。」
「そうだな。」
「ところで順平、元気回復してないか?」
「どういう事?」
「いや、なんかそんな気がしただけだけど。」
「僕は何も変わってないと思うけど?」
「本当か?・・・まあ、いいや。いつもの順平になってくれたから。」
「変な奴だなあ!」
「で、今朝の考え事の原因は解決したのか?」
「何の事?」
「俺にはムリっての。」
「あ、あぁ、たぶん。」
「そっか。さすがは順平だな。自己解決したんだ。」
「そんなんじゃあ無いけどな!」
「どんな事だったんだ?」
「あぁ、それは聞かないでくれ。ブシの情けじゃ!」
「そっか。」
その時、午後の予鈴が鳴った。
「じゃあな!」
俺は、去ろうとする順平に後ろからもう一度礼を言った。
「ありがとう。これ!」
「おお、良いって事よ! 今度ラケット買いに行こうぜ!」
順平はそう言いながら俺の方を振り向かずに右手を振って教室を出て行った。すごく元気になったみたいで、俺はなんかほっとした。姉ちゃんも何かとすごいが、ナッちゃんにもなんかすごい神通力があるんじゃないかと思った。
・・・・・
放課後、俺が帰り支度をしているところへ姉ちゃんがやって来た。
「ちょっと待ってて、すぐだから。」
「ごめん翔ちゃん。わたし、今日から部活に出なきゃいけなくなったの。」
「・・・つまり、俺は解放されるんだね!」
「何言ってんの! 冗談言ってないでちゃんと帰るのよ!」
「はいはい。」
「返事はひとつでいいから。」
「へい。」
「そうだ。翔ちゃんも入部するんだったら、来ても良いんじゃないかなあ。それなら一緒に帰れるし。」
「悪いけど、残りわずかな自由を楽しみたい。」
「・・・なんか企んでない?」
「俺が姉ちゃんに『企み』なんかする訳ないよ。・・・仕返しが・・・」
「何か言った?・・・まあいいわ! 本当に、走ったりしないで帰るのよ!」
姉ちゃんはそう言って、急いで出て行った。