2-14 ナツの初恋が終わって順平の初恋が始まった日(その3)~スッキリしたわ~
俺達はまたハンバーガーやフライドポテトを口に運び、シェイクをすすった。一頻り食べた後、ユミがちょっと羨ましそうに言った。そしてそれは、その場に居る男子への探りにもなっていた。
「順平君やハルちゃんは良いなあ! カワイイ弟がいて・・・」
順平が引っかかった。
「翔ちゃんみたいな出来がいいのならいいけど、弟なんて居ない方がいいぜ。」
と口をとがらせた。
「なんで?」とナツが追及すると、
「あれして、これしてって面倒くさいしサ、やたらと突っかかって来るし、うざいし。」
「へー、順平君とこはそうなんだ。」
「うん。でもまあ、どこでもじゃね?」
ユミがちょっと深刻そうに、
「ナッちゃんも私も一人っ子だから、そういうの羨ましいわ。」
ナツも乗っかって、
「1人だと喧嘩もできないものね。」
順平がしみじみと答える。
「いや、いや。喧嘩なんかしたくねーし。一人っ子の方が気楽でいいって。」
「順平君の弟は何て言う名前?」とナツ。
「陽平」
「あら、なんか陽気で優しそうな名前じゃん。」
「何てったっけ?先生が前に言ってた。」
「名は体を表す?」とユミ。
「それそれ。」
「だが、実態はそうじゃないのだ。」と順平。
ユミは納得できない様子で、ハルの方を向いた。
「そうかなあ?ハルちゃんは翔ちゃんと喧嘩しないの?」
「するよ。時々。でも、なんとなくすぐに仲直りするの。いつも。」
「へえー」
「だいたい俺が悪いって事になるんだけどね。」
「あら、わたしの方がたいてい先に謝ってなかったかしら?」
「そうだね。謝るのはいつも先を越されている。」
「ええー、それってどういう事なの?」とユミ。
「よく分からないけど、俺達、先に謝った方が楽な気分になるんだ。」
「つまり、仲が良いって事だね。」とマサが分析。
俺達はしばらくきょうだい談義で盛り上がった。これまで考えた事は無かったが、元々は姉ちゃんも俺も一人っ子だった。姉ちゃんが俺と姉弟になった4年の夏休み明けまでは、姉ちゃんもそうだと思うけど、家に帰ってもたいてい誰も居なくて、1人っきりだった。その頃はそれが普通で、疑問なんか全然無かった。だけど、今はもうそんな事には戻りたくない。綾香母さんや姉ちゃんや1歳になった彩香が居て、7時過ぎには親父が帰って来るのが普通だと思う。
「なあ、順平。俺はやっぱりお前には弟が居る方がいいと思う。」
「なんで?」
「弟の陽平ちゃんが居るから、順平なんだと思う。」
「また訳の解らんことを言う。」
「うまく言えないけど、お前が玉川上水に落ちて救急車で病院に行った後、マサちゃんとお前ん家に自転車を運んだんだ。」
「ああ、あの時、そうだ、家にお前の弟居たよ。」
とマサちゃんも思い出した。
「泣き出しそうな顔でサ、『お兄ちゃん大丈夫?』って言ってた。」
「そうだよ。すっごい心配してたよ。」
「お母さんと救急車で病院に行った事やレスキュー隊の人が『心配ないって言ってた』って言ったら、安心してた。」
「ああそうだった。かわいい弟じゃないか!」
順平はあの時の弟の様子を初めて知ったみたいで、黙って聞いていた。そして、
「あの時はやっぱ弟にも心配かけたかなあ?」とつぶやいた。
一度兄弟になったら、片方を切り取ってしまうことなんか出来っこないと思った。たぶん、弟が居るから目の前に居る順平が順平なんだと思う。弟が居ない順平が居るとしたら、それは今目の前に居る順平とは違う順平なんだろうと思った。
「あ、もうこんな時間。」
とユミが言った。壁の時計は3時を回っている。
「私とナッちゃんはこれから図書館に行くんだけど、ハルちゃんも一緒に行かない?」
「そうね。行くわ。」
マサちゃんがすかさず、
「あれ?僕たちは誘ってくれないの?」
ナツが即答した。
「うん。ここからは男女別行動よ!」
マサちゃんが残念そうに、
「そうですか。じゃあ、今日はこれで解散だね。」
ユミが続けた。
「今日はけっこう楽しかったわ!」
そして、ナツが締めくくった。
「中西姉弟と友達にもなれたしね。」
俺達はトレイを片付けてメックを出た。
男子3人は『じゃあまたな』と言って、女子3人と別れて、マサちゃんの家に行き、5時過ぎまでゲームをして遊んだ。
・・・・・・・・・・
その夜、俺は姉ちゃんの部屋に行った。
「姉ちゃん、入っていいか?」
「うん。いいよ。開いてる。」
俺は姉ちゃんの部屋に入って、後ろ手に引き戸を閉めて、部屋の真ん中に座った。姉ちゃんは机に向かって図書館から借りてきた児童全集を読んでいたらしい。机の上にそれが伏せてある。
「今日はありがとう。順平の頼みきいてくれて。」
「ううん。別にいいよ。・・・ナッちゃんとユミちゃんっていい人達だったね。」
「うん。あん時はすごく怒ってたから、てっきり仕返しかと思ったんだけど。」
「中学楽しみだわ!・・・私テニス部に入るかも。」
「えっ?こういうの藪から棒って言うんだよね。」
「わたし、誘われちゃったの。」
「姉ちゃんは中学でやりたいことは無いの?」
「わからない。でも、テニスもいいかなあって思うわ。」
「ウインブルドン行く?」
「まさか!」
「俺はどうすっかな?部活」
「翔ちゃんもテニスしない?」
「そうだね。考えとくよ。」
実を言うと俺は『もやもや』の中に気が散っていて、中学のしかもテニスの事なんか頭に入って来てなかった。だからかもしれないが、言葉が途切れて、少し沈黙があった。
「ねえ、私に何か用事があったんじゃない?」
「うん。ちょっと気になる事があるんだ。前から。」
「なに?」
「なんだかどうもはっきりしてなかったんだけど、今日メックで順平兄弟の事話してて、それがなんか分かったような気がするんだ。」
「なあに?言ってみて。」
「怒らない?」
「怒らないよ。・・・めったに!」
「怒るんだ。」
「そこまで言っといて止めたら怒るわ!」
「だよね。」
姉ちゃんは何かを期待するような目で俺を見詰めている。
俺は決心して、言う事にしたが、それがどうもうまく言えそうにない。
「えーっと、姉ちゃんと俺ってサ、本気で喧嘩した事無いよね。」
「そうね。その必要も無いし。」
「俺って、ウザイ弟じゃないか?」
「そんな事ないよ。わたし、翔ちゃんが弟で良かったわ。」
「ほんと?じゃあ聞くけど、姉ちゃん我慢してる事無いか?俺に。」
「無いよ。・・・それに、もしそうでも、その方が良いわ! 喧嘩して嫌いになるより。」
「俺は、姉ちゃんに我慢して欲しくない。」
「つまりぃ・・・喧嘩したいの?・・・言っとくけど、そうなったら私負けないよ!」
「ああぁ、そうじゃなくて・・・どう言ったらいいのか分からないけど、姉ちゃんは俺の恩人だから、俺は姉ちゃんに恩返ししたいんだ。・・・今はまだ無理かもだけど。」
「どう云う事か分からないわ。」
やっぱり。言いたい気持ちがうまく言えてない。
なんだか『もやもや』が余計ひどくなってきた。
・・・俺は、少し考えて、
「時々、姉ちゃんが居なかったらどうだったかって考えることがあるんだ。」
「私が居なかったら?」
「うん。そしたら、俺はみんなに虐められてたと思う。・・・チビで弱虫で泣き虫で自分で自分が嫌なんだ。」
「そんな事ないよ。翔ちゃんは正直で優しくて・・・」
「それは、姉ちゃんがいつも一緒に居てくれるからだと思う。姉ちゃんがなんか助けてくれるから俺は『俺』って言えてるんだ。」
「わたし、何もしてないよ!」
「いいんだ。姉ちゃんが居るから、みんなは俺を認めてくれるような気がするんだ。」
「そうかなあ?」
「うん。そうだよ。姉ちゃんは俺を守ってくれてると思う。だから、恩人なんだ。」
「そう言えば、4年のあの時、母さんと父さんが結婚した時もそんな事言ってたね。」
「うん。そのずっと前からそうだったと思う。だから、我慢なんかしないで、気に入らない事があったり、俺にしてほしい事があったら何でも言って欲しいんだ。」
「わかったわ。翔ちゃんがそう言うなら、これからは我慢しないわ!」
「うん。ありがとう。そうしてくれ。」
「今も我慢なんかしてないけどね。」
俺はひとまず言いたいことが伝わったような気がした。
これで、小さい頃からの本当の姉弟の様にお互いに何でも言い合えるようになれるような気がした。
「そうだ、翔ちゃん。わたし翔ちゃんに聞いて欲しいことがあるの。」
「早速だね。」
「ううん。我慢の事じゃないの。」
「・・・?」
「4年のあの時の事言うね。」
「あの時って、親父と綾香母さんが結婚した時?・・・何かあったの?」
「うん。あったよ。誰にも言わないで!。翔ちゃんだけに言うんだから。」
「わかった。」
「約束だからね!」
「うん。」
俺はてっきり姉ちゃんが俺の姉ちゃんにならないといけなくなった事が嫌だったんだと思った。だから、姉ちゃんがこれから言う事をちゃんと聞いて、姉ちゃんのためにできる事は何でもしようと思った。
「お父さん、あ、春樹父さんが事故で死んだ時なんだけど、私、まだ小さかったからよく分からなかったけど、保険金や退職金やらで、『私が大人になるまで働かなくてもいい』って母さんに銀行の人が言ってた。」
「へー、そうなんだ。つまり、春樹小父さんは財産を残してくれたって事だよね。」
「うん。だけど、今はもう無いの。」
「え?どうして?」
「私にはね、茂樹伯父さんっていう人が居るの。」
「知ってる。確か、綾香母さんのお兄さんだよね。」
「ううん。春樹父さんのお兄さん。・・・なんか、色々商売して、次々に失敗する人なんだって。」
「へえー。」
「それでね、『これが最後だから』ってお婆ちゃんに頼まれて、伯父さんの借金を返してあげたの。そしたら、私達、・・・お金が無くなって・・・食べ物も少なくなった。」
「それは大変だったね。」
「お母さんは近所のスーパーで働くようになったわ。」
「そうだったんだ。大変だったんだね。」
「それにね、もうひとつ聞いてくれる?」
「うん。」
「伯父さんがね、なんか書類に名前を書くのに、ペンが書けなくなったって言ってて、その時私がたまたまボールペンを使って懸賞の葉書を書いてたから貸してあげたの。」
「あ、それ、ひょっとしたら、お父さんに貰ったあのボールペン?」
「うん。あれで書くとお父さんが応援してくれるような気がしたの。」
「へー・・・それでどうなったの?」
「返って来なかったわ。」
「返してって言えば良かったのに。」
「言ったわ!何度も。」
「そしたら?」
「『今度返す』って言うだけ。私、悲しくて・・・たくさん泣いた。」
「そんな悲しい事があったんだね。」
「うん、誰にも言えなかったの。」
「俺が姉ちゃんにしてあげるられることは何かない?」
「ううん。私が言いたいのは、お父さんは母さんと結婚して私達を救ってくれたのよ。そしたらボールペンも翔ちゃんが返してくれたし。・・・つまり私には健太父さんが恩人だわ。」
「だからって、俺に我慢することないよ。」
「我慢なんかしてないって!・・・本当の事言うとね、お母さんが再婚したいって言った時、わたし、なんかとても悲しかった。(春樹)お父さんを忘れなきゃいけないような気がしたの。」
「じゃあ、やっぱり嫌だったんだ。」
「そう。知らない人だったらね。でも、迎えに来た人が見た事ある人だった。翔ちゃんのお父さんだったの。」
「俺の親父だからOKだったの?」
「うん。翔ちゃんとまた一緒に遊べると思ったの。それに何より、健太父さんを見詰めてる母さんが幸せそうだったの。」
「そっか。なんか安心した。」
「だからね。私、少しくらい我慢するの平気なんだよ!」
「だめだ!そんなの。俺が困る。」
「なんで?」
「俺は姉ちゃんに、何て言うか・・・言いたいことを遠慮なく言いたい。だから、姉ちゃんもそうして欲しい。」
「本当にいいの?」
「だからそうしてくれって言ってる。」
「じゃあそうするね。」
「うん、ありがとう。」
「私こそだよ!」
おれは、胸の真ん中を握りこぶしで押さえて、
「なんか、ずっと胸のこの辺が変だったのがすっきりした気がするよ。」
「私も誰にも言えなかったことを聞いてもらってすっきりしたわ!」
「じゃあ、俺、部屋に戻るよ。」
「うん。おやすみ」
「おやすみ。」
俺は姉ちゃんの部屋を出て、自分の部屋に戻った。そしてトラクエの続きを始めた。天空に続く階段の下の隠しアイテムを探して歩いた。やがて、もう何も出てこなくなって、どうしようかと思っていると、ノックの音がした。11時半を過ぎていた。
「翔ちゃん、いい?」
「うん。いいよ。開いてる。」
姉ちゃんはドアを15センチほど開けて俺の部屋を覗きこんで、小声で、
「なんか眠れないの。もう少し一緒に居ていい?」
「うん。」
俺はゲームを止めて机からベットに移動して座った。
いつもなら部屋の真ん中に座るのに、なぜか姉ちゃんも俺の隣に座った。
「どうしたの?」
「翔ちゃん、私ね翔ちゃんと姉弟になれて良かったわ。」
「俺もそう思う。」
「あのね。私、翔ちゃんにして欲しい、てか、してあげたい・・・じゃなくて、したい事があるんだけど・・・。」
「なんだい?それ。」
「うん・・・」
なんか妙な予感がする。
「今?」
「うん、今。」
「・・・い、いいけど。」
「本当だね!」
「ああ。」
「じゃあ、目をつぶってくれる?」
「えっ?・・・こう?」
「いいって言うまで開けないでね。じっとしててね。」
「うん。」
「絶対動かないでね。」
「ああ。」
姉ちゃんは俺を抱きしめた。予感はあったが、本当にそうなると、俺はびっくりした。でも、約束だから目を閉じたまま少し硬直してじっとしていた。
・・・しばらくして、
「もういいよ、目を開けても。」
姉ちゃんは俺を抱きしめたままだ。
「姉ちゃん、お、俺」
「黙ってて、もう少し。」
「・・・・・」
「私ね、こうして翔ちゃんを抱きしめたかったの。ずっと前から。」
「えぇー!」
「弟なんだから、こうしてもいいでしょ!」
「えぇー!」
「ダメかなあ?」
「い、いいけど、こんなとこ親父や母さんに見られたら大変だ!」
「べつに構わないよ!」
「えぇー!」
「私、翔ちゃんの『お姉ちゃん』なんだからね。いいじゃん。」
「それ、変だよ。俺はこ、こんな事じゃなくてサ、」
「私はこうしたいわ!」
俺はまたしばらく姉ちゃんに抱きしめられた。
「ねえ、そろそろ離れないか?」
「だぁめ!2年半分だから。」
「えぇー!」
俺は姉ちゃんの胸に顔を押しつけられて、かろうじて息が出来るくらいだった。最初はなんかはずかったが、抱きしめられてるうちに姉ちゃんがこうしたい気持ちがなんか解ったような気がした。
「姉ちゃんは俺なんかよりずっと、ずっと沢山悲しい思いをしたんだね。」
「どう言う事?」
「だって、お父さんが事故で死んじゃって、そのお父さんが残してくれた財産も形見のボールペンも無くなって・・・」
「翔ちゃん・・・わたし・・・」
姉ちゃんの声が少し泣き声みたくなった。
「姉ちゃんごめん。泣かないで。俺、姉ちゃんがもう泣かなくて済むように、姉ちゃんがして欲しい事だったら何でもしてあげたい。姉ちゃんは俺の恩人だから。だから、何でも言ってくれ!」
「翔ちゃん・・・嬉しい。」
姉ちゃんは俺を一層強く抱きしめた。バランスが崩れて、姉ちゃんと俺はベットに倒れこんだ。そのタイミングで俺も姉ちゃんの背中に手を回して逆に抱きしめてみた。でもそれは姉ちゃんを抱きしめたのではなくて、俺が抱き着いたみたいな恰好だった。姉ちゃんはクスリと笑ったように思う。姉ちゃんはコンディショナーのいい香りに包まれていた。姉ちゃんの体は暖かかった。何より、姉ちゃんの胸はもう大きくて柔らかだった。俺はもうどうしていいか分からなかった。
・・・そして・・・2人共眠ってしまった。
姉ちゃんが動いたので、俺も目が覚めた。いつのまにか、2人はベットに並んで寝ていて、毛布をかぶっている。時計は3時半過ぎを指していた。
「ごめん。起きた?」
「うん。」
「私、部屋に戻るね。」
「うん。」
「ありがとう。翔ちゃん。」
「なんで?」
「おかげさまで、スッキリしたわ!」
「ああ、てか、ありがとう。俺も。」
「どういう事?」
「姉ちゃん、俺、順平に自慢できるよ。」
「なにを?」
「女子の胸の柔らかさ知ってるって。」
「ばか!そんなこと言ったら大変な事になるわ!」
「だね。」
「えぇー、翔ちゃんって、思ってた以上にスケベなんだ。」
「なんか俺もびっくりだよ!」
「・・・まあいいわ!行くね。」
「うん。」
姉ちゃんはそーっと自分の部屋に帰って行った。俺は部屋の電気を消して、まだ姉ちゃんの香りに包まれた感覚ですごくいい気持ちで眠った。たぶん、ぐっすりと。
その時は考えもしなかったけど、たぶんこの時、俺は翔子母さんに抱きしめられた穏やかで幸せな感覚の記憶を忘れるか封印できたのだと思う。翔子母さんが居なくなって、ぽっかり空いた場所を姉ちゃんが埋めてくれたのだと思う。とにかく、俺は姉ちゃんには何をしてもかなわないと思った。