2-13 ナツの初恋が終わって順平の初恋が始まった日(その2)~ニ・ブ・イ~
その日の夜7時頃、電話が鳴った。ちょうど散髪から帰って来た親父がそれを取った。
「おーい、翔太、友達から電話だぞー!」
「わかった。すぐ行く。」
俺はリビングに走って行って、子機を取ってソファーにドスンと座った。
「もしもし」
「翔太か?」
「ああ、順平か?」
「おお、お父さんが出たんでビビった。」
「親父は化け物か!」
「ははは、そんなつもりじゃないよ。」
「解ってるって。で、なに?」
「明後日の昼、時間あるか?」
「ああ、いいよ。」
「ハルちゃんもいいか?」
「そいつぁ分からないが、なんで?」
「牟礼小のナッちゃんとユミちゃんが会いたいんだって。」
「ナッちゃんとユミちゃん?牟礼小?・・・ってひょっとしてあの甲虫展の?」
俺は子機で話をしながら立ち上がって、リビングを出て二階に上がり、姉ちゃんの部屋の前に移動する。
「ああ、それ。」
「仕返しか?」
「違うよ。中学入学の前に友達になりたいって事になった。」
「どうしてそういう事になるの?」
「マサちゃんと僕とあいつら、塾で一緒だから、そういう話になった。」
「ふぅーん・・・で、どこで会うんだ?」
「東八道路のメック」
「わかった。ちょっと待ってくれ。」
俺は姉ちゃんの部屋に近付いたので子機を左手に持ち替えた。そしてノックした。
「姉ちゃん、入っていいか?」
「ちょっと待って!」
「うん。」
すぐに、カチャッとロックが外れる音がして、姉ちゃんが部屋の引き戸を開けた。
「どうしたの?」
姉ちゃんはさっき風呂から出たところだ。今は白地にピンクのドット柄の暖かそうなパジャマを着ている。少し髪が湿ってるみたいだ。
「いま、順平と電話してんだけど、明後日の昼、姉ちゃん時間ある?」
「そんなとこに立ってないで入って。」
姉ちゃんはコンディショナーのいい香りに包まれている。
「ああ、じゃあ。」
俺は部屋の真ん中に座った。
姉ちゃんは長い髪をタオルで押さえながらベットに座った。
「べつに、時間はあるけど、なあに?」
「えっと、・・・説明ムズイ。順平と話してくれないか?」
「うん。いいよ!」
「もしもし、順平、姉ちゃんと直接話してくれる?」
「ええぇー・・・わかった。」
俺は左手をカーペットについて腰を浮かせ伸び上って、子機を姉ちゃんに差し出した。姉ちゃんはタオルを首にして、髪の毛を両手でサラリと外に出してから、伸びるようにして受け取った。
「もしもし、順平君?わたし。」
「・・・・・・」(順平の声は聞こえない。)
「へー、塾に行ったんだ。」
「・・・・・・」
「仲良くなりたいって・・・急に言われてもねぇ。」
「・・・・・・」
「メックね。わかったわ。いいよ、行くわ。」
「・・・・・・」
「じゃあ、翔ちゃんに代わるね。」
姉ちゃんはそう言ってまたベットから腰を浮かせて、子機を俺に差し出した。俺は今度は両膝で立って、姉ちゃんに少し近付いてそれを受け取った。姉ちゃんはまた髪の毛にタオルを当て始めた。
「もしもし、OKだったみたいだね。」
「ああ、カブト、クワガタ同盟に入ってくれるって。」
「そうか、それは良かった。じゃあ明後日な!」
「おう、1時半にメックに来てくれ。」
「わかった。」
「バイバイ」
「バイバイ」
俺は子機の通話ボタンを押して電話を切った。
「ねえ、翔ちゃん、牟礼小のナッちゃんとユミちゃんってどんな人たちなの?」
「俺も知らない。小4の夏休みに、カブトムシ展ってのが市役所であって、それを見に行ったときにすごい事になったんだ。」
俺は、あの日の事、つまり、順平のクワガタ虫事件と玉川上水転落事件という大盛りの1日について20分以上かけて詳しく話した。最後に、かつ丼が美味かった事も付け加えた。
「す、すごい1日だったんだね。」
「ああ、すごかった。」
「おかげ様で髪がすっかり乾いたわ!」
「へい、話が長くて申し訳ありませんでした。」
「ねえ、ちょっとブラッシング手伝ってくれない?」
「どうすれば良いの?」
「後ろ側お願い。自分だと一回で下まで出来ないの。」
「わかった。おやすいご用です。」
・・・・・・・・・・
月曜日の1時頃、姉ちゃんと俺は東八道路にあるメックに行った。出掛け際に綾香母さんがメックのクーポンをくれた。新聞の折り込みチラシに付いていたそうだ。
「順平たち来てるかなあ?」
「翔ちゃん、あそこ。伊藤君じゃない?」
「あ、本当だ。」
マサちゃんは一番奥の隅の6人掛けの席に深く座って陣取っている。
姉ちゃんと俺はそこへ近づいて、
「マサちゃん、来てたんだ。」
「うん。さっきね。」
「他の人はまだみたいだね。」
「うん。1時半が約束だからまだ15分ある。」
「こんにちは、伊藤君。」
「こんにちは、中西さん。」
「ハルでいいよ。」
「じゃあ、ハルちゃんで。・・・僕はマサでいいから。」
「わかったわマサくん。」
「ありがとう。」
「じゃあ翔ちゃん、座って待ってよか。」
「うん。」
俺と姉ちゃんはマサちゃんと反対側に並んで座った。俺が奥の壁際だ。
そこへ順平が来た。
「おう、早いなみんな。けど、牟礼小はまだみたいだね。」
順平はマサちゃんの隣に座った。
「こんにちは、順平君。」
「こんちは、ハルちゃん。わざわざありがとう。」
「ううん。いいよ。私も楽しみだわ!」
「俺も。」
「なあ、先になんか食べとくか?」
と順平が言った時、ナツとユミが入ってきた。
「こんにちは、遅れてないよね。」とユミ。
「ああ。」とマサちゃん。
「こんにちは、初めまして、わたし『中西春香』です。」
と言いながら姉ちゃんが立ったので、俺も立った。
「こんにちは、俺、『翔太』です。」
「あ、こんにちは、私が『島崎由美』でこっちがナッちゃんです。」
「こんにちは、『清田奈津子』です。ごめんなさい。突然呼び出したみたくなって。」
「そんな事ないです。呼んでくれてありがとう。今日はよろしくお願いします。」
俺達はこうして一通りあいさつを交わして座った。
「中西君はあの時以来ね。覚えてる?」とユミ
「うん。もちろん。」
「ありがとう。私の印象あったんだ。」
「もち、それに、俺、そっちの清田さんに突き飛ばされて尻もちついた。」
「ああぁ、ごめんなさい。」
「いや、あの時は仕方がなかったと思います。こいつが悪いんだから。」
「ええぇー・・・じゃあ、なんか買ってくる?」と順平が話を逸らした。
「いいよ、私たちが買ってくるから。」とユミ。
「この前と同じメック・ライトセットでいいよね。」
そう言うとユミとナツが席を立った。すると、慌てるように姉ちゃんも席を立って、
「私も行くわ!」
そう言って、女子3人は注文カウンターに向かった。
女子3人の後ろ姿を見送りながら、順平が言った。
「なあ、翔ちゃん。やっぱハルちゃんデカいよね。」
「うん。160センチは無いと思うけど。」
「逆に、翔ちゃんは小さいから、足して2で割ったらちょうどいいのにな。」とマサがからかう。
「悪かったな。どうせ俺は140センチのちび助さ。」
俺は話の方向を変えようと、単刀直入で聞いてみる。
「ところで、順平はあのナッちゃんてのが好きなんだろ?」
「そんな訳あるか、何言い出すんだ翔太!」
「そうなのか?マサちゃんはどう思う?」
「いやいやいや、そんな訳大ありなんじゃね!」
「なんだよそれ!」
「順平、こういう事って、自分の気持ちを裏切ったら後悔するらしいぜ!」
と言って、マサちゃんが背中を押そうとする。
「放っといてくれ。」
「あいよ!」
「じゃあ、マサちゃんは、ユミちゃんだね。けっこう可愛いし。」と俺。
「ああ、いいぜ!。口悪いけど。」
「じゃあ翔太はどうすんだよ?」と順平。
「俺は今のところ姉ちゃんで手一杯ですよ。」
「え?お姉さんと付き合ってんの?」とマサ。
「そうじゃないけど、姉弟で同学年だからどうしても他の女子とはね。」
「まあそうだな。分かるような気がする。」
「ある意味サ、可哀そうでもあるし、羨ましくもある。」と順平。
「なんだそれ?」
その頃、注文の列に女子3人が並んでいた。ユミが先頭でナツ、ハルの順だ。
ユミが残念そうに、
「この前クーポン使っちゃった。今日探してみたけどもう無かった。」
「私持ってきた。2枚あるよ。」とハル。
「さすが中西さん。ありがとう。」
「メックに行くって言ったら、お母さんがくれたの。あ、それから、私『ハル』でいいわ。」
「わかった。じゃあ『ハルちゃん』って言うね。私は『ユミ』でいいよ。」
「わかったわ『ユミちゃん』」
「私は『ナツ』って呼んで」
「はい。じゃあ、『ナッちゃん』」
「ねえ、ハルちゃん。翔太君可愛いね。」とユミが言うと、
「そうかなあ?・・・うん。・・・そうね。カワイイかな?」とハルが答えた。
「いいなあ、あんな可愛い弟が居て。」とナツも続いた。
「あ、本人には言わないで。自惚れると困るから。」
「姉としては、心配ですか?」とユミ。
「ああ見えて、結構プライドが高いの。」
「男子ってそうだよね。面倒くさくない?」とナツが突っ込む。
「そうね。時々ね。」
「たとえばだけど、私が翔太君好きになったら困る?」とユミが探るように言うと、
「わからないわ。・・・けど、なんか心配になるかも。」
「どっちが心配?弟と私と。」
「うーん・・・両方・・・かな。」
「だよね。もし私に弟が居て、彼女ができたら・・・やっぱ心配するかもね。」
「ぜんぜんできなくても心配かも。」
とナツが茶々を入れたのをきっかけにして、ユミとナツが『キョウダイ』談義を始めた。
ハルは少々引き気味に聞いている。
「そうだね。できないってのもあるか。」(ユミ)
「姉としては、やっぱ親心みたくなるよね。」(ナツ)
「たぶんね。・・・妹の方が気楽かも。」(ユミ)
「自分が妹?」(ナツ)
「そうよ。だからサ、『お兄ちゃん』が理想的?」(ユミ)
「お兄ちゃんか。いいかもそれ。」(ナツ)
「おとうさん程『ウザ』くなくて、色々可愛がってくれるの。」(ユミ)
「そうだね。・・・だったら、お姉ちゃんは?」(ナツ)
「やだ!超うるさそう。」(ユミ)
「お母さんより細かいかもね。」(ナツ)
「あ、ごめん。ハルちゃんの事じゃないから。」とユミ。
「そっか。そうかも知れないわ。気を付けよ。」とハル。
そうしているうちに、注文の順番が近づいてきた。
すると、ナツがこの前の事を思い出した。
「ねえ、順平君って、結構緊張するんだよ。」
「えっ?それどういう事?」
「この前ここで一緒になったじゃん。で、注文のするのに緊張して結構噛んでた。」
「ナッちゃん。それはサ、たぶんナッちゃんのせいだと思うよ。」
「どうして?」
「ナッちゃんはちょっとね、ニ・ブ・イ!」
「なによ!」
その時列の前が空いた。
「いらっしゃいませ。お待たせしました。ご注文は?」
「あ、はい。メック・ライトセットをクーポンで6つください。」とユミが注文した。
「飲み物は、全部ストロベリーシェイクでお願いします。」とナツが補足。
「これ、クーポンです。2枚あります。」とハルも続いた。
しばらくして女子3人が帰って来た。
姉ちゃんは俺の隣に、その隣にユミ、順平の隣にナツが座った。つまり、ナツとユミが通路側だ。セットを配りながら、ユミが言った。
「順平君とマサ君、300円。ナッちゃんに渡して。」
「あれ?またクーポン割?」
「うん。ハルちゃんが2枚持ってきてくれたの。」
「へー、もう『ハルちゃん』になってる。」と順平が言うと、
「うん。だいいち、中西姉弟は名前で呼ばないとどっちか分からないでしょ!」とナツ。
「俺は、じゃあ『翔太』でいいよ」
「うん。『翔ちゃん』ってことで。」とユミ。
「へー、翔太だけ『ちゃん』付けかい!」とマサが突っ込むと、
「だって、カワイイじゃん。あ、ごめん。」
「いやあ。まあ、そう言われるの慣れてます。でも、なんか複雑な気持ちです。」
すると姉ちゃんが、
「ふふっ」っと笑った。
ナツが、
「食べよ!」
ユミも
「うん。食べよ!」
俺達はハンバーガーにかぶりついた。
甘くて香ばしい旨味が口いっぱいに広がった。もぐもぐと噛み砕いて、
それをごくりと飲み込んで、シェイクをすすった後、マサちゃんが会話を続けた。
「ナッちゃんとユミちゃんは、翔ちゃんが順平の弟だと思ってたんだってサ。」
ナツもシェイクをすすってから、それに続いた。
「そうなのよ。あれからずっとそうに違いないって思ってたんだけど、この前同い年だって聞いてびっくりしたわ。」
ユミもさらにそれに続いた。
「それで、その翔太君にサ、学年が同じお姉さんがいるって聞いてまたびっくりした。つまり、お姉さんのハルちゃんも同い年なんだよねぇ?」
姉ちゃんと俺は予想通りの疑問をぶつけられて、どこからどう説明したものかと顔を見合わせた。すると、順平が言い訳がましく言葉をつないだ。
「それでサ、僕はそのことが上手く説明できなくてサ。」
ナツがちょっと矢継早過ぎた気がしたのか、取り繕って、
「あのー、私達、ハルちゃんと翔ちゃんと友達になりたいって思ってんの。でサ、二人の関係がどうだとか言うつもりじゃ無いから。」
ユミはそれに比べて少し積極的だ。
「でも、少しは聞きたいんだけどね。」
姉ちゃんは露骨に首をかしげて俺の方を見た。俺に説明しろと言いたいのだと思った。
「えーっと。姉ちゃんは4月生まれで、俺は3月生まれなんだ。」
「翔ちゃん。それじゃ分からないかも。」
「そうだね。つまり、姉ちゃんと俺とは、ほとんど1才違うんだけど、俺が早生れだから同学年って訳。」
「ああ、そういう事ね。」
とまずはナツが納得した様子だ。
しかし、順平がここぞとばかりに永年の疑問をぶつけて来た。
「だけど、元々は姉弟じゃ無かったよね。保育園の頃さ。」
「そうだよ。4年の時、俺の父親と姉ちゃんの母親が結婚したんだ。姉ちゃんが転校して来た時そう言ったじゃん。」
「うん。あの時はなんか納得したんだよね。その説明で。」
「なんか変?」
「変じゃないけど、ハルちゃんと翔ちゃんは保育園の頃から家族みたいだったじゃん。」
「あぁあ、そう言う事か。・・・俺たちの親はずっと前から知り合いだったんじゃないかなぁ?」
俺は姉ちゃんに同意を求めた。
「そうね。たぶんそうだわ。」
「で、2人が4年の時に結婚したのね。」とユミ。
「それって、クワガタ事件より前?」とナツ。
「あの直ぐ後だよ。」
「それで姉弟になったのね。」
とユミも納得した様子だ。だが、マサちゃんはさらに突っ込みたいようだ。
「なあ、じゃあ、お前たちは『血縁』って言ったっけ?そういう姉弟じゃあ無いんだよな?」
順平がすかさずフォローする。
「そういうの、義理の姉弟って言うんだ。」
「ふうーん。」とナツ。
すると、ユミが目を輝かせて、
「それってサ、姉弟でも結婚できるんだよね。」
そう来たか。俺は驚いて、少し焦った。で、冷静を装った。
「さあ、どうだろう。できるのかも知れないね。・・・てか、姉ちゃんと結婚とか考えてないし。」
姉ちゃんもたぶん冷静を装っている。
「そうね。私も翔ちゃんは『弟』でいいわ!」