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姉ちゃんは同級生 ~井の頭の青い空~  作者: 山崎空語
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エピローグ

 もう9月だと言うのに、まだ暑い日が続いていて、キャンパス周囲の楠の大木のどこかで時々ヒグラシが鳴いている。東門横の駐輪場に行くと、約束通り春香が待っていた。春香は雲間から射す陽光を、左手に持った赤いブックバインダーで縛ったノートで翳しながら僕を見て、小さく右手を振った。白い海人のTシャツにブルーデニムのジャケットとパンツだ。右肩で担いだショルダーのエンブレムが陽光をハネ返して眩しく光っている。島人のTシャツが黒い以外は僕もオソロの格好だ。デニムは洗い晒し感が出て来て、感じが良くなった。2人共左手薬指には例のペアリングをしている。僕は急ぎ足で春香が待つ僕の愛車バイクの傍に近付いた。

「お待たせ。」

「いつも待つのは私だね。」

「いつも待たせてごめん。」

そう言って僕が見詰めると、春香は微笑んで、

「さっき来たところよ。」

僕と春香は笑顔でもう1度見詰め合った。それから僕はトランクを開けて青とピンクのメットを取り出して、ピンクを春香に渡し、青いメットをとりあえずバックミラーに被せて、春香のブックバインダーとショルダーを受け取って、僕のザックと一緒にトランクに入れた。

「ザックかトートにすればノートも入ると思うけど。」

「そうね。でもこのショルダーが良いの。」

「確かに似合ってるけど。」

「うん、ありがと!・・・翔太お願い。」

「ああ。」

春香はブルーのシュシュを僕に渡すと、メットを左肘にぶら下げて、くるりと体を翻して後ろを向いた。僕は春香が両手で束ねた髪をシュシュに通してポニーテールにした。春香はまた僕の方に体を回しながら、ポニーテールを更に巻いてヘアピンで留めて、ピンクのメットを被った。僕は愛車バイクのハンドルロックを外し、右手をブレーキに掛けて、右太腿で車体を支えながら1度前に押してフルスタンドを外してから通路に引き出して、シートにまたがって左足でサイドスタンドを降ろした。一応、安全のためだ。両足を地面に置いて、車体を気持ち左に傾けた。そしてメットを被りながら、

「乗って!」

「うん。」

春香は左足で同乗者用のステップを出してシート後部に跨り、右足のステップも出した。そして、僕の腹に手をまわして背中に凭れかかった。僕の愛車に同乗するのももう慣れたものだ。僕は車体を真っ直ぐにして、左足でサイドスタンドをアップして、キーを回してオンにし、ニュートラルランプを確認して、クラッチを握って、セルボタンを押し、軽くアクセルを開いた。僕の愛車バイクはいつもと同じエキゾーストノートで始動した。そして僕はワイヤレスレシーバを確認した。

「聴こえる?」

「うん。良く聞こえるよ!」

「じゃあ行こうか!」

「うん。」

僕が左足をステップに乗せ、シフトレバーを踏み込むと、ミッションがカチャッと軽い音でローに入った。僕は春香を振り落とさない様にクラッチを滑らせながらゆっくり発進した。そして、キャンパスを出た所の交差点を左折した。

「ねえ、来週の解剖学Iは見学よね。」

「ああ、初見学。去年は失神者が出たらしい。」

「嫌だなぁー」

「先輩の軽い脅しだと思う。」

「そうよね。」

「それよっかレポート書きで徹夜になるらしい。」

「それ、一緒にしない?」

「お泊りしてくれれば。」

「サヤちゃんも良い?」

「もち。できれば母さんも来てくれると嬉しい。」

「じゃあ来週末もみんなでお泊りするわ!」

間もなく右折レーンに入って車列に並んだ。

「いつものコース?」

「うん。結局いつものコースが1番早いみたいだ。」

「そうね。皇居の緑が綺麗だわ!」

「つまり、内堀通りを抜けろって事だね。」

「そうね。」

「ナビの情報だと桜田門近くで事故ってて渋滞してるらしい。」

「もう通れるの?」

「流れが悪かったら日比谷通りを抜けるよ。」

「任せたわ!」

「お任せアレ!」


 僕の愛車は安定した低めのエンジン音で、本郷通りから内堀通りを経由して桜田通りを一路五反田の池田山に向かった。渋滞さえ無ければ目的地のマンションまで30分もかからない。僕は五反田の手前の池田山に入る交差点を右折した。マンションは目の前だ。

「しまった。IDカードをザックに入れっぱだ。」

「じゃあ私ので開けるわ!」

「サンキュ。」

僕は地下駐車場への入り口手前のリーダーに愛車を寄せて止まった。春香がIDカードを翳すと、ブザーが鳴ってゲートが開いた。春香を乗せたまま駐車場に入って、エレベータ近くの駐輪場に愛車を停め、メットと荷物を入れ替えて、地下エントランスのドアをIDカードで開けて、エレベータで5階に上がった。春香が玄関のインターホンのチャイムを押すと、暫くして、

「ハーイ、誰?」

という彩香の声がした。

「私よ!」

「お姉ちゃん? 待ってたよぅ!」

玄関のサムターンを回す音が2回とチェーンロックを外す音がした。僕が教えた通りの順番だ。春香がドアを開けると彩香の可愛い笑顔が出迎えた。

「髪束ねてっから、お姉ちゃんじゃないみたいに見えた。」

「そっか。そうだね。」

春香はヘアピンを外してシュシュも取って、髪を下ろした。春香と僕は玄関を上がってすぐ右の洗面室で手を洗って嗽をしてリビングに行った。そこには50インチのテレビを背にして母さんがソファーに座っていた。この頃の僕は綾香母さんを『母さん』と言い、翔子母さんを『お袋』と呼ぶ様になっていた。それから、春香と俺は、人前では今まで通り、互いに『翔ちゃん』『姉ちゃん』だが、2人きりになると『翔太』『春香』と名前で呼び合う様になっていた。

「どうだった?」と春香。

「ちょっと疲れたみたい。今は眠ってるわ。」と母さん。

「そう。ちょっと見てくるわ! 翔ちゃんも来る?」

「そうだね。」

僕と春香はリビング横の翔子母さんの寝室にそっと入って、お袋の寝顔を見て、睡眠時呼吸深度が教科書通りの正常範囲なのを確認した。そしてリビングに戻って彩香の前を通って母さんの対面に座った。春香はローテーブル横のベンチソファーに座った。

「母さんありがとう。お袋は我がまま言ったんじゃない?」

「病気なんだから仕方ないし、それに、何でも言ってくれないとね。」

「ねえ、主治医せんせいは何て?」と春香。

「治療は方針通りで、順調に進行が抑えられてるそうよ。」

「それは良かったわ!」

「・・・でもスキルス性だからね。」と僕。

「翔ちゃん・・・」

春香が僕を見て悲しそうな顔をした。


 3月のあの寒い日、姉弟妹で見に行った合格発表から半年、僕も春香も親達の関係の修復とお袋の資産の移動と大学の授業への出席とで慌ただしかった。その中でも1番の心配事はお袋の病状だった。僕も春香も調べれば調べる程、学習すればするだけ、お袋の余命が極端に短い事が解った。元々細身のお袋の手足が徐々に細って来ている様な気がする。ステージIVなので、根治治療は難しく、今は進行を遅くする事と痛みを緩和するのが治療方針だ。心情的には悔しい事だが、いわゆる終末期療養だ。


 お袋は1月の時点でロスの聖カルロナル総合クリニックの医師デューク・スミスから余命半年という非情な宣告とフロリダのホスピスへの入院を勧められた。親父はお袋の介護をするためと会社の経営を引き継ぐために、お袋と再婚してアメリカに移住する覚悟だった。それに僕を巻き込むつもりだった様だ。しかし、お袋の日本への郷愁は強く、帰国する道を模索した。親父がお袋のそう言う状況を僕達に打ち明けたのが4月末の連休前だった。僕はもちろん、母さんも姉ちゃんも彩香も、それまでの親父やお袋の言動が理解出来て、つまり、僕達家族と親子はお互いの気持ちが1つになった。そして、これからについて話し合った。お袋を穏やかに見送ろうという僕達家族と親子の方針が確定したのが5月の連休明けだった。


 それから3か月、病状の進行に伴ってお袋の気持ちが変化した事もあって、親父は綾香母さんとの離婚を思い止まった。代わりに僕がお袋の養子になって姓を継いだ。つまり今の僕の名前は『篠原翔太』だ。そして、まず、肉親枠を使ってお袋の会社のストックオプションを目一杯引き受けた。まあ、僕はお袋の大方の財産を引き継いだ様なものだ。次に、お袋はロスで上場してすぐ、会社を知り合いのネットマーケットの企業に売却した。その売却益の1部で新築したばかりのこの4SLDK+LOFTのマンションを購入した。このマンションから最寄りの総合病院の診察室まで5分もかからない。こうして、お袋の闘病生活と僕の大学生活がこのマンションで始まった。

 親父は6月から休職してロスでお袋のサポートを始めた。最初はお袋も自ら色々手続きをしていたが病状は確実に進行し、アメリカで出来る延命治療はもはや無いと言うので、7月の終わりに帰国した。僕は夏休みの間、ロスで親父を手伝った。相手の言っている事が100%理解できないし、自分の言いたい事が100%言えないと言うイライラとモヤモヤを実感した。ともあれ、僕の活躍と言う訳では無いが、必要な手続きはほぼ終了した。今は親父だけがロスに居て、お袋の会社と住居の整理の最終段階だ。その親父も来月には帰国する。


僕はソファーに浅く座って、ローテーブルの端に置いてあるリモコンを取ってテレビのスイッチを入れた。

「翔ちゃん、コーヒー飲む?」と姉ちゃん。

「うん。アイスが良い。」

「わかった。」

「氷たっぷりで。」

「はいはい。」

そう言うと春香はキッチンに向かった。それを目で見送っていた母さんが、

「そうだ、今のうちに買い物に行って来るわ!」

「サヤも行く!」

「僕も行こうか? 荷物持ちに。」

母さんは微笑んで、

「ありがとう。でも大丈夫よ! コーヒー飲むんでしょ!」

「うん。じゃあ、お願いします。」

母さんと彩香は買い物に出かけた。

「はい、コーヒー、氷タップリよ!」

春香が氷を入れたコップ2個とコーヒーのペットボトルと牛乳パックをトレイに載せて来て、それをローテーブルに置きながら僕の隣に密着して座った。

「ありがとう。」

「ミルクコーヒーにする?」

「そうだね。」

春香は僕と自分にミルクコーヒーを作った。2人共それを1口飲んで互いに凭れ合うようにしてテレビのニュースを見ていた。僕の左手と春香の右手を繋いで。ビルトインエアコンのソフトに調整された風が気持ち良かった。

「小母様は毎週大変ね。」

「うん。帰って来て数時間は辛いみたいだ。」

「もっと楽な治療は無いのかしら。」

「それでも新しい治療法だから、昔よりは楽になったそうだ。」

そこへお袋がゆっくり出て来た。

「小母様、大丈夫ですか?」

春香は慌てて立ち上がってお袋の傍に寄って腕を取って支えた。僕はその様子を微笑ましいと言うか、有難い気持ちで見詰めた。

「大丈夫よ、ありがとう。2人共帰ってたのね。」

「うん。30分ほど前。」

「そう。」

お袋は笑顔で春香に支えられながら俺の対面に座った。

「小母様、何か飲みますか?」

「そうね、麦茶があったと思うけど。」

「はい。」

春香はトレイを持ってキッチンに行き、氷と麦茶を入れたコップを乗せて戻って来た。お袋は春香が差し出したコップを左手で受け取って、1口美味そうにごくりと飲んでテーブルに置いた。春香はまた僕の横に座った。今度は少し離れて。

「ねえ、翔ちゃんと春香ちゃんは卒業したら結婚するのよね。」

「うん。そのつもり。」と僕。

「孫の顔は見られそうにないわね。」

「えっと、つまり、僕等が結婚する前に孫の顔が見たいって事?」

「もう、翔ちゃんったら、何言ってるの!」と春香。

「見れるものならね。」

「小母様、それまで元気で生きてください。」

お袋は少しはにかむ様に微笑んで春香を見詰めて、

「出来ればそうしたいわね。」

間もなく母さんと彩香が帰って来て、姉ちゃんも加わって夕食の準備を始めた。お袋の好きなパスタの様だった。


 この頃お袋はまだ元気で日常生活に支障は無かったが、毎週金曜日の理学療法ドーピングの後だけは動くのが辛い様子だった。なので、母さんと春香と彩香が毎週金曜日に我が家に来てくれて、日曜日に井の頭に帰るという生活パターンだった。10月5日に親父が帰国すると、そのパターンも少し変わった。時々僕が井の頭の中西家にお泊りして、親父とお袋の水入らずの時間を作った。もちろん綾香母さん公認だ。だが、それも数日で、お袋のQOLは急速に低下し、11月10日に入院した。

11月13日(木曜日)の夜、面会時間終了間際に僕が病室に行くと、お袋が起きていた。

「翔ちゃん、母さんいよいよダメみたいだわ。」

「何言ってんだい、治るとは言わないけど、もう少し僕との時間を作って欲しい。」

「そうね。母さんも出来るだけそうしたいわ!」

「親父との時間も頼むよ。」

「そうね。」

お袋は穏やかな笑顔で僕を見詰めた。

「翔ちゃんが春香ちゃんと結婚してくれて嬉しいわ!」

「そうかい。ありがとう。」

「なぜだか解らないけど、あなた達2人が結婚するのがとっても嬉しいのよ。」

僕はお袋のその言葉が嬉しくて、お袋の額にハラリと乱れた前髪を手で撫でて戻しながら微笑んだ。その時、これがお別れだと思った。お袋と僕はしばらく無言で見詰め合った。

15日には意識が戻らなくなり、19日の深夜、親父と母さんと春香と僕と彩香に看取られて息を引き取った。眠る様な穏やかな最期だった。


 2016年5月。あれから僕は1人でこの広いマンションに住んでいる・・・訳がない。今や春香と同棲状態だ。彩香も別宅代わりに頻繁に利用している。母さんは時々様子を見に来るが、親父は滅多に来ない。そう言えば、僕は単車を卒業して今は昨年カーオブサイヤーに輝いたワインレッドの国産のオープンカーに乗っている。関東ではマイナーな車だが、隠れファンはかなり居るらしい。春香を乗せてドライブに出かけると、パーキングで囲まれて話し掛けられることが多い。当然だが、ナタプロの仕事にはそれで行っている。まるで芸能人気分だったりする。

「翔太、私の事好き?」

「もちろん。大好き。」

「私達、生まれた時からこうなる運命だったって気がしない?」

「うん。する。」

「私、ハッキリは覚えてないけど、保育園で翔ちゃんに一目惚れした様な気がするの。」

「僕も。ハルちゃんが居なかったら心が折れてた様な気がする。」

「どうしてかしらね。」

「僕達の親が4人共大好きな関係だったからね。」

「どういう事?」

「親達4人の遺伝子が互いに引き合ったんだと思う。融合したいって。」

「そっかぁ、親友同士だったんだもんね。」

「うん。だから、僕と春香の子供の中に4人の遺伝子が引き継がれるって事だね。」

「なるほどね。」

「だから、お爺ちゃんお婆ちゃんの4人の名前を付けるべきかな。」

「えぇ~、そんなの止めようよ!」

「そうだね。」

僕と春香はいつものおやすみの儀式をして、『YES・・・をして』、密着して、手を繋いで眠った。

 幸福感は大好きな食べ物を食べると満たされ、大好きな人と共に居る事で満たされる。幸せになるには大好きになれば良い。大好きな所に自分の身を置く事が出来ればそれだけで幸せになれると思う。今、僕も春香もそう言う状態だと思う。そして、きっと明日も井の頭の上空にはレイリー散乱の青い空が拡がっているはずだ。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・おしまい。



あとがき?

 最後まで読んで下さったあなたへ・・・本当に有難うございました。こんな退屈なストーリーを読んで頂いたってだけで幸せです。文章もストーリーも思った様にはなりませんでした。それでも最後まで書き切ることが出来ました。わたし的には嬉しい反面、自己嫌悪に苛まれてしまいます。少し休憩してまた書きたくなったら、此処に帰って来たいと思います。その時には嫌がらずにまたお付き合いいただけたら幸せです。・・・(山崎空)

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