5-34 チョコをもらった日(その3)~お泊りセット~
姉ちゃんが優しい表情になったので俺はすっかり安心した。元々姉ちゃんはたぶん俺を信用してくれている。だから、緑ちゃんからの怪しい写真データの提供については、俺を疑うと言うのではないと思う。つまり、俺に何が起こったのか、てか、俺が何に巻き込まれたのか、その状況を確認したいのだと思う。もっとも、これは俺の勝手な解釈ではある。
姉ちゃんは深呼吸した後、少し声を低くして、
「じゃあ、最後の1枚の写真の解説をして頂戴。」
そう言うと、アプリ右下の『次の写真』ボタンをクリックした。すると、最後の1枚の写真がノーパソのディスプレイに全面表示された。俺を追い詰めるには、ある意味良く出来たアプリだ。客観的には意味深で、主観的には衝撃的な写真だった。つまり、一般的に喫茶店での座り方としてはかなり不自然で、4人掛けのテーブルの同じ側の席に半分向かい合うように座っている高校生カップルが写っていて、JKがDKの胸に額を着けて、DKがJKの肩に優しく抱えるように両手を置いている絵柄だからだ。
「ああっ!」
「これはどういう事かなあ?」
「望遠だね。入り口側の席から撮ったんだね。」
「そんな事は解ってるわ!」
「緑ちゃんはパパラッチもするんだ。」
「あのね・・・話を逸らさない!」
「へい!」
「だから?」
俺は思わず姉ちゃんを見た。姉ちゃんの目は怒ってると言うよりも、呆れているという感じだ。くっついているのは円ちゃんの方だという訳じゃなく、そういう状況に持ち込んだ俺に呆れているのだと思う。ただ、今の空気感で明らかな事は、褒めてくれている視線ではないと言う事だ。こういう時は誤魔化しは禁物だ。
「えっと・・・これはつまり『俺に任せろ』って言った直後の状態です。」
「やっぱり。」
「お見通しでしたか。」
「自分から巻き込まれたのよね。」
「はい。その様です。」
姉ちゃんは1つ深い息をした。
「写真の事はとりあえず全部わかったから良いわ!」
「ねえ、姉ちゃんはこのスクープを撮ったパパラッチに俺の説明フィードバックする?」
「仕方が無いでしょ!」
「そっか。」
「どうしたの?」
「緑探偵社は、パパラッチからゴシップ記者になって、最後にはBSになりそうな・・・」
「BSって?」
「Broadcasting Station つまり、放送局。」
「緑ちゃんはそんな娘じゃ無いわ! 私達を心配してくれたのよ!」
「善意だよね。」
「善意の塊だから。」
「へいへい。善意のチクリですよね。」
姉ちゃんは呆れ顔でまた俺を見詰めて大きく息を吸った。
「お姉ちゃん怒るよ!」
「ごめん。」
姉ちゃんはノーパソをシャットダウンしてそれを枕元のラック上に置くと、ベッドに入った。俺は1度机に戻って、明日の準備の確認をしてベッドに入った。いつもの様に、姉ちゃんは俺の右腕で腕枕だ。眠くなるまで大きな瞳で俺を見詰める。なんかたまらなく可愛くて、もうひと押しされたら、俺はどうにかなってしまいそうだ。
「翔ちゃん、好きよ!」
「俺も。」
「省略するのね。」
「俺も姉ちゃんが大好きです。」
「円ちゃんにも明莉ちゃんにも優しくしてあげていいわ。けど、必ず戻って来てね。」
「うん。必ず姉ちゃんの所に戻ってくるから。」
「うん。それで良し!」
俺を見詰める姉ちゃんの大きな瞳に俺が映っていた。俺は少し姉ちゃんに密着するように寄り添って天井に視線を投じた。そう言えば、あの時の円ちゃんの瞳にも俺が映っていた。俺に期待した眼差しだった。
「円ちゃんはどうしたら自分に自信を持ってくれるかなぁ。」
「ほんの少し遅れるのよね。」
「うん。どんどん遅れが拡がるんじゃなくて、一定時間ズレるってのが正解。」
「少し遅くすればぴったり合うようになるのにね。」
「うん。そうだったね。」
姉ちゃんと俺はしばらく考え込んだ。
「皆より速いテンポで練習すれば良いんじゃない?」
「速いのに慣れればOKになるんなら、練習でとっくに出来てるはず。」
「でも、普通のテンポで練習してたから、少し遅くしたらぴったりになったんじゃない?」
「テンポを遅くしたらぴったり合ったんじゃなくて、遅さが感じられなくなったのかも。」
「それって、どんな曲でも必ず少し遅れてるのよね。」
「そうだね。なんか考え事してるみたくね。ほんの少しなんだけど。」
「どんな曲でも必ず遅れるって、キーボードのレイテンシみたいね。」
「えっ! 姉ちゃん、もう1度言って!」
「うん、だからレイテンシ。」
「それだ! USBインターフェース経由でモニターすると。」
「音が遅れて聴こえてグチャグチャになるわ!」
「そういう時は転送バッファサイズを少し大きくする。」
「そうなの?」
「うん。総合レイテンシを50ミリ秒以内に調整すれば遅れが感じられなくなる。」
「あのねぇ、それはそうだけど、円ちゃんは機械じゃないから。」
「うん。つまり何でその遅延が起こってるのか判ればいいんだ。」
「どういう事?」
「きっと原因があると思う。ヘッダ処理のオーバーヘッド時間みたいな。」
「そうだとしても、どうやって原因を捜すの?」
「やっぱりリズムゲームだね。」
「どうするの?」
「映像とサウンドをずらす。」
「どうやって?」
「映像信号と音声信号が分離できれば簡単だと思う。」
「ふう~ん。」
「姉ちゃん凄いよ! 何とかなりそうな気がしてきた。ありがとう。」
「良く解らないけど、上手くいくと良いね。」
「いくって! アプリの使い方を工夫してみるよ。」
俺はなんか先が開けた気がした。姉ちゃんの大きな瞳も輝いて見えた。それで姉ちゃんの額に思わずキスをした。
「翔ちゃん、私、眠くなったわ!」
姉ちゃんと俺はいつもの儀式をして、腕枕を外して布団の中で手を繋いだ。姉ちゃんの手は柔らかくて暖かだった。俺はたまらなく嬉しかった。なんか嬉しさで体が震える様だった。
「おやすみ姉ちゃん。」
「おやすみ翔ちゃん。」
・・・・・・・・・・
2月15日金曜日。俺は部活をパスして早く帰った。俺だけで良いと言ったけど、姉ちゃんもだ一緒だ。4時過ぎに帰って、部屋の片付けと掃除をして円ちゃんと明莉ちゃんの受け入れ体勢を整えた。俺は更にSANYのゲーム機OR3をPCにHDMIキャプチャ経由で繋いで、久我高祭の打ち込み兼ゲーム用に買った27インチのディスプレイに表示できるようにした。このHDMIキャプチャは映像と音声を分離できる優れ物で、音声をDAWアプリのサウンドトラックに設定すれば、映像と音声の間のレイテンシを、逆転は出来ないが、任意に遅らせれる様になる。俺的にはかなり良い方法だと思う。そう思って確かめてみると、思った通りだ。ブロスのボタンの反応は映像に一致しているから、音声のレイテンシを長くしてサウンドが映像よりひどく遅れるようにすると、気を取られて、スコアがボロボロになる。要するに、例の超絶腹話術でやってる昔の衛星中継みたいに映像より音をかなり遅らせることが出来るわけだ。
6時前、円ちゃんと明莉ちゃんからほぼ同時にメールが来た。
『お世話になります:吉祥寺で電車が出るのを待ってます:円』
『もうすぐです:吉祥寺で各停に乗りました。お迎え結構です:明莉』
俺は2人に、
『無題:了解。三鷹台改札の出口で落合いましょう:翔太』
とレスして、急ぎ三鷹台駅に向かった。辺りはもうかなり薄暗くなっていた。
三鷹台駅の改札の出口にはスカイブルーのダウンジャケットの円ちゃん、ホワイトのダウンジャケットの明莉ちゃんに加えて、シックなグレーのウールコートの加代が居た。円ちゃんと明莉ちゃんは小さいスーツケースを足元に置いてハンドルを持っている。最初に明莉ちゃんが俺に気付いた。
「師匠、おはようございます。」
「おはよう。皆お揃いだね。どうしたの加代ちゃんまで?」
「私も仲間に入れてよ。」
「ああ、もちろん。だけど、お泊り可能かは要相談。」
加代は俺を睨むように見て、
「泊まる積りは無い。歩いて帰れる距離だから。ひ・と・り・で・も!」
「あ、いや、送っていくから。」
加代はニヤリと微笑んで、
「ありがとう。やっぱり翔ちゃんだ。」
「ああぁ! なんか怪しいです。加代さんと師匠!」
「じゃあ、明莉ちゃんが送ってく?」
「えぇ~! 帰りはどうするんですか?」
「そのまま加代ちゃん家に泊まれば良いじゃん。」
「え、えぇ~! お師匠様ぁ!」
「明莉!」
「はい、師匠。」
「冗談だから。」
「ハイ!」
そう言って、円ちゃんを見ると、若干放置気味で、加代と明莉と俺の会話に入れないで困った顔をしている。俺は円ちゃんに微笑みかけて、
「じゃぁ、行きましょうか。」
「はい。」
「良い返事です。」
「ハイ! よろしくお願いします。」
スワイプ・イン・ドリームと俺の4人は、三鷹台駅の階段を下りて三鷹台商店会の薄暗い道を我が家に向かって結構賑やかに話しながら歩いた。
「今日はレッスン無かったんだよね。」
「うん。無かったけど、一応ナタプロには顔を出したの。」と加代。
「えっと、円ちゃん。今日の事はナタプロの誰かに言った?」
「はい。樋口さんに。私の『どんくさい』のをショウさんに治してもらうって。お泊りで。」
「そっか。」
「あの顔は、たぶん、信じて無い。」と加代。
「その方が良いよ。」と俺。
「えぇ~、なんでですかぁ?」と円。
「過渡な期待はしないでくださいですよね。師匠!」
「えぇ~! 明莉も信じて無いのぉ?」
「師匠は信じるけど、円には過渡な期待してないわ!」
「ひど~い!」
「きっとサプライズになるから! まあ、任せなさい!」と俺。
「嬉しいですぅ! 有難うございますぅ。」
2つ目の送電線の下に差し掛かる頃、前を円ちゃんと並んで歩いていた明莉ちゃんが突然振り返って、俺の前に立ちはだかった。
「師匠、1日遅くなりましたけど、弟子の証です。」
「おお!」
明莉ちゃんは、赤いすべすべの袋をゴールドとピンクが裏表のリボンで括った、間違いなくチョコが入った袋を右手で差し出している。
「有難う。嬉しいです。」
「本命・です。」
「はい、解ってます。よーく考えてお返事します。」
「はぁ~い! よろしくお願いしまぁす。」
「これで欲しい人からは全員頂きました。」
「そうなんですかぁ?」
「うん。」
加代が俺を見て微笑んだ。
「私のはどうだった?」
「それはまあ後で。」
「そっか。」
「ああぁ、またまた怪しいですぅ!」
「だけど、翔ちゃんも結局そう言うの欲しいんだ。」
「うん。それはそうさ。DKだから。」
「ふう~ん、そんなもんか。」
「来月のお返事楽しみで~す。」と明莉。
「乞うご期待!」
「はぁ~い!」
俺達は間もなく家に到着した。チャイムを鳴らして玄関に入ると、母さんと姉ちゃんが迎えた。挨拶の順序は『あかま』だ。
「小母さま、またお世話になります。」と明莉。
「いらっしゃい、久しぶりね。」
「すみません。私も来ました。」と加代。
「大歓迎よ! 泊まっていくのよね?」
「良いですか?」
「もちろん。」
「よろしくお願いしますぅ。」と円。
「いらっしゃい。翔ちゃんが何か準備してたわよ。」
「そうですか? 楽しみですぅ。」
「どんな事をするのか知らないけど、頑張ってね!」
「はーい。」
スワイプ・イン・ドリームの3人はブーツを脱いで上がった。そこへ彩香が小走りで出て来た。2階から降りて来たみたいだった。
「加代姉ちゃん、明莉姉ちゃん、円姉ちゃん、いらっしゃい。」
「サヤちゃ~ん、来たよ~」と加代。
彩香は加代の手を引いて洗面台に向かった。俺達4人は半分仕方無く手洗いと嗽をした。
「皆、夕飯まだでしょ?」と姉ちゃん。
「5時前に軽く食べました。」と明莉。
「そっか、でも作っちゃったから食べない?」
「はい。食べれますぅ!」
「私の分もある?」と加代。
「もちろん。」
「ありがとう。実はちょっとお腹が空いてたの。」
そこへ親父が寝室から出てきてダイニングの常席に座った。親父は元気娘たちをにこやかに見詰めたが、どう声をかけて良いか判らない感じだった。結局、スワイプ・イン・ドリームの3人の方から挨拶してくれて助かったみたいだ。
「小父様、お騒がせします。」と加代。
「いらっしゃい。なんだか知らないけど、練習だそうだね。」
「はい。この子の特訓です。」
「米田円です。よろしくお願いします。」
「いらっしゃい。大歓迎です。頑張ってください。」
「はい、有難うございます。」
「小父様、お久しぶりです。」と明莉。
「いらっしゃい。元気そうで何よりです。」
「はい。元気でーす。1日遅れですけど、これは私達3人から小父様に・・・」
「ああ、これはどうもありがとう。嬉しいです。」
親父は予期せず可愛いJKからチョコをもらってかなり嬉しそうだった。
「良かったですね。あなた。」
「こんなことも有るんだな。長生きはするもんだ。」
「なに言ってるの!」
親父の照れた顔を見て、そこに居た全員が笑顔になった。
「小父様かわいい!」
「いやあ、明莉ちゃんにそう言われると年甲斐も無く照れます。」
こうして、スワイプ・イン・ドリームの3人はリビングで、中西家一家はダイニングで少し遅い夕飯を食べた。例によって野菜たっぷりのハンバーグだった。俺は大好きだから美味かった。皆の皿を見ると全員完食だった。
ダイニングで俺が仕上げの牛乳を飲んで、それからリビングに移動してお茶をすすっていた時、玄関のチャイムが鳴った。母さんが玄関を開けると、エコサのマスターつまり加代のお父さんだった。
「夜分恐れ入ります。田中です。加代がお世話になります。」
「あら。田中さん。どうかなさいました?」
「加代の着替えを持参いたしました。」
「着替えなら春香のをお貸し出来ましたのに。」
「いえいえ、ご迷惑ですから。それから、これ、つまらない物ですが。」
「あ、はい。お気遣い頂きまして、すみません。」
2人の声を聴いて、加代も玄関に向かった。
「ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いいたします。」
「迷惑だなんて、賑やかで楽しいですわ。」
「もうすぐ改装が終わりますので、その時には皆さんにまた・・・」
「父さん、そんなのどうでも良いから!」
「ああ、わかった。それでは私はこれで失礼いたします。」
「ご苦労様でございました。」
「ありがとう、父さん。」
「ああ、それじゃあ!」
加代がスーツケースを持ってリビングに引き返して来た。俺はわざとらしいお決まりの質問だ。
「そのスーツケースの中身は?」
「お泊りセット。」
意外と素直な返事に拍子抜けだった。こうして加代のお泊りも確定した。俺は良い切っ掛けなので、特訓を始めようと思った。もう7時半を回っていた。
「じゃあ、円ちゃん、始めよっか!」
「はい。」
「何が始まるんだ?」と加代。
「特別なゲームさ!」
「ゲーム?」
「ああ。」
「ふうーん。」
「それじゃあ皆、特訓の説明をするから、2階の俺の部屋に来てくれ。」
『はーい。』
俺を先頭にして、円ちゃん、明莉ちゃん、加代ちゃん、姉ちゃん、そして姉ちゃんにくっ付いた彩香の順で俺の部屋に入った。俺の部屋は6人入るとさすがに狭い。皆くっ付く様に小さくなって座った。まあ、俺以外は全員女子だから大きな問題は無い。見様によってはハーレム状態だ。ただし、俺はアプリ操作のために1人机の椅子に座らなければならないのが残念と言えば残念だ。