1-1 姉と俺と妹のことを語り始める日
2014年3月10日月曜日
早春の関東は晴れの日が多い。今日も快晴だが・・・寒い。僕達3人はキャンパスに到着した。正面に時計塔がある。
「掲示される場所って、弓道場の横・・・だよね。」
「入試要綱には確かそう書いてあったよ!」
「ってことは・・・こっちだね。」
案内板に従って弓道場に行くと、たぶん矢が飛び出すのを避けるために建てられた高くて長い板塀に沿って、臨時の掲示板がズラリと並べて立ててあり、その掲示板の周辺が通勤ラッシュ並みの人混みになっていた。もっとも、通勤ラッシュの頃に電車に乗った事はない。
大学の合格発表の会場に来るなんて、滅多に無い事なので、今年小学2年になる妹の彩香を風邪気味と言って・・・要するにずる休みさせて連れて来たのだが、人混みに埋もれてしまって機嫌が悪い。
「空しか見えないよぅ!」
「彩香、迷子になるから、お兄ちゃん達から離れんな!」
僕と妹の前を歩いていた姉の春香は、一度立ち止まってつま先立ちで背伸びをするようにして掲示板を覗き見ながら、
「どの掲示板かなあ」
「左側の、あれじゃないか?」
左前方の掲示板には合格者リストらしい紙がずらりと張り出されているが、どれが何番だかわからない。
背伸びをしながらよく見ると、どうやら左から番号が若い順に張り出されているようだ。
「ねえ、翔太の受験番号何番?」
春香にそう聞かれた僕はコートの右ポケットからかなり皺くちゃになった受験票を取り出した。
「えっとね。2661018」
「最初の3桁が上に大きく書いてあるみたい。正面のが270で、その左が268よ!」
「2コずつ減るみたいだね。」
僕達は左の掲示板の前に移動した。
「ああ、これだわ! 266」
「お兄ちゃん見えない。肩車して!」
「よし。」
僕はコートの襟を少し背中にずらしながら屈んで、彩香の腰を両手で掴んだ。
「いいか?」
「うん、いいよ!」
彩香を持ち上げながら、ブルーデニムの股間に頭を入れた。
「あれ?・・・彩香、重たくなったなぁ!」
彩香は僕の感想をスルーして、
「お姉ちゃんこれ持って!」
と言って持っていたポーチを春香に差し出した。
「落ちないようにしっかり掴まるのよ。それから、寒いからちゃんとマフラーして!」
そう言って、春香はそれを受け取った。
彩香はマフラーを巻きなおしてから両手で僕の頭につかまって、
「お兄ちゃん、何番だっけ?」
「1018」
「あるかなあ・・・0885、0967、1018! ああっ、あったよ! ほら、あそこ!」
彩香が指差す先のリストに確かに僕の受験番号が印刷されてあった。僕は左手で彩香の足を支えながら、右手に皺くちゃの受験票を握った状態でガッツポーズをとった。僕もドヤ顔だったと思うが、振り返った姉も満面の笑顔だった。
「やったね。翔太はやっぱりクラス1番だけのことはある。うん。」
「じゃあ、次は春香だね。・・・何番だっけ?」
「翔太に勝てるのは英語だけ。」
「いや、そうじゃなくてさ。」
「えっとね。・・・内緒!」
その時、彩香が姉の手元を覗こうとして大きく前のめりになった。僕の首がかなりキツイ状況になった。
「なんか今、姉ちゃんのボケに付き合える余裕がないんだけど。」
「えへへ、ごめん。2580098よ!」
「258かぁ・・・たぶんあっちのだね!」
彩香はその掲示板の方向に腕を伸ばして体を傾けた。
「そう言われてもなあ彩香、直ぐには動けないよ。・・・すみません。ちょっと通してください。」
僕達は人垣を縫うようにして3つくらい左側の掲示板に移動した。彩香を肩車したままで。
「ああ、これだ!」
「うん、それだね。」
僕は身体をねじるようにして振り返って、春香と顔を見合わせて微笑んだ。
「お兄ちゃん、前を向いてよ!」
「おお、そうだな。」
僕が再度掲示板に体を向けると、彩香は早速読み始めた。
「0098で良いんでしょ?」
「うん。」
「0031、0062、0098、0146、えっ? あった。あったよ!」
「0098あったねー。」
「僕達・・・すごくね?」
「すごいよ。すごいよ。これでまた翔太と一緒だね。」
「彩香も?」
「そうだよ! みんな一緒だ。」
「記念写真取るからこっち見て!」
彩香を落とさないようにしながら声の方に向くと、春香は愛用の赤いミラーレスを構えている。
『ピッ』
こうして、人混みで、コートが半分脱げそうな状態で、妹を肩車してデニムの裾から出た虹色のタイツの左足を左手で巻くように抱えて、かなり嬉しそうに笑っている僕のスナップが春香のコレクションに加わった。
「お姉ちゃん。渋谷でお祝いするんでしょ!」
「その前にお母さんに電話しなきゃね!」
姉と僕は同じ大学を受けて2人共合格した。実は今朝レタックスが来て、合格している事は分かっていた。それでも、記念になるからと、姉と僕と妹の3人で発表会場に来た。そして、合格を確認して喜ぶ人たちの中に居られることにちょっと感動している。僕達家族はこれから新しい段階に進むのかと、今、なんか妙な感慨に浸っている。今日から入学式まで少し時間があるから、ここまでの僕の『あゆみ』を話したいと思う。それは、僕達家族の成り立ちと思いやりと葛藤と、それから・・・恋物語でもある。飽きたらそこで聞くのを止めてもらって構わない。たかが僕の家族の話だから、世の中のためになるとか、そんなだいそれた話ってなはずないから。
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少し前まで僕は自分の事を『俺』と言っていた。つい先日、ちょっとした心境の変化があって、意識的に『僕』と言うようになったが、まだ言い馴れてないので、時々は『俺』に戻るかもしれない。実をいうと、自分の呼び方はこれまでにも何度か『俺』になったり『僕』になったりしている。とにかく、話は僕が自分を『俺』と言っていた頃から始めたい。
俺には姉『春香』と妹『彩香』がいる。それだけなら、普通に良くある『3キョウダイ』で片付くのだが、俺達の場合は心情的に少し複雑だ。どうしてなのか。最初にこの状況について聞いて欲しい。まず、姉ちゃんと俺との事だ。
姉ちゃんは『中西春香』1995年4月10日生まれの18歳で高3。
そんで俺は『中西翔太』1996年3月25日生まれの17歳で高3。
つまり、同学年。
そもそも、なんでこんな事になったかと言うと、俺達が小4の時、親達
『中西健太』と『上原綾香』
が再婚したからだ。
その日から、姉ちゃんと俺は連れ子同士ってことで、一言では言えない特別で微妙な関係になった。姉ちゃんと俺が互いにどう思っているかは、長い話になるので、これから少しずつ聞いてもらいたい。言い訳になるかもしれないが、俺もまだ子供で、なんかよく解らなくて、モヤモヤして、うまく説明できない事が多い。たとえば、少し前の事になるが、こんな感じだ。
ある日の夕食後、俺はリビングのソファーに浅く腰掛けてローテーブルに広げた新聞を読んでいる。そこへ姉ちゃん、つまり、春香がやってきて隣に座るなりこう言った。
「翔ちゃん、今度の模試の願書出しといたからね。」
俺はびっくり目で姉ちゃんを見て、
「えっ、まだ志望校決めてなかったんだけど!」
「理学大の薬学にしといた。」
「なんで?」
「私と一緒でいいよね。」
姉ちゃんはまったく悪気なく俺を無視して事を進める事がある。
「姉弟で薬剤師になる気? ドラッグストアやんの? マチキヨみたいな?」
「そこまで考えてないってば。模試なんだから! でもオープンキャンパスで、すっごい綺麗だったじゃない。広々してたし、明るかったし。」
「それはまあそうだけど、あそこは千葉の野田だよ・・・通えないだろ!」
「通わないよ。アパート!」
俺は当然別々のアパートを想像した。隣同士でも良いが・・・。
「経済的に無理っしょ!」
「なんで? 2人で住むんだから、2部屋あれば問題なし。広めのワンルームでもいいよ!」
そんなこと考えた事もなかった。焦った。
「俺、姉ちゃんの頭の中でどういう扱いになってるの? 男じゃあないの?」
しまった。これは地雷を踏んだか?
姉ちゃんは意に介さない様子で、ダイニングでお茶を飲んでいる綾香母さんに向かって、
「翔ちゃんは翔ちゃんだよ。ねえお母さん、大丈夫だよね。」
綾香母さんはにっこり微笑んで、
「そうね。翔ちゃんならたぶん大丈夫ね。経済的にもなんとかなるわ! ね、あなた!」
と、隣に座っているおやじに同意を求めた。
「まあ通ってくれるのが一番なんだけど、2人一緒なら何処でもいいぞー」
「なんで反対しない!」
「子供が親の懐なんか探るもんじゃない。」
「そういう事じゃなくてさ!」
しまった。これは2つ目の地雷だ。
すると、姉ちゃんが勝利宣言するかのように、
「ご飯とか作ってあげられるし・・・翔ちゃんは私と一緒は嫌なの?」
「そ、そんな事はないけど・・・」
俺は同棲みたいなシチュには絶対的な自信が無い。
「お前は、言動はともかく、春香ちゃんと変なことにはならないと思うが?」
これではっきりした。おやじも俺を追い詰めるのを楽しんでいる。
「へ、変なことって、・・・つまりその・・・エロい?」
ああ、やってしまった。3つ目だ。
「ほー、お前の心配事はそれか。」
姉ちゃんは完全勝利を目前にして、今にも吹き出しそうに、
「翔ちゃんは結構スケベだけど悪気はないって事、私よく知ってるから。大丈夫だよ!」
「そうか、翔太はやっぱりスケベなのか。」
「え、えぇー・・・」
やっぱり。俺だけが追い詰められている。
「ちょっと待ってくれ!・・・みんな、俺のスケベ路線を一度離れてくれ!」
「翔ちゃんが言い出したんだよ!」
そこへ、ようやく妹の彩香が助け舟を出してくれる。もう完全に遅いんだが。
「よく分かんないけど、サヤも行きたい。」
「そうだねー3人で暮らせばきっと楽しいわね!」
これが姉ちゃんの勝利宣言だ。
そして、たいてい俺が敗北宣言をするのだ。
「へいへい。模試それでいいです。出願ありがとうございました。」
次に、俺達姉弟と妹とのことだ。俺達が小5の7月、中西夫婦に「彩香」が生まれた。つまり、姉ちゃんと俺と彩香は、3人共気が付いたら自分の意思と無関係に微妙な状況に放り込まれていたのだ。それは俺達が選べなかった展開だから仕方がない。だけど、だから、俺達はいつの間にか自然にお互いの関係を微妙に調整し合いながら暮らしている。
・・・こんな具合だ。
姉ちゃんの部屋をノックする俺。
「なあに?」
引き戸を少し開けて、
「姉ちゃん、古文の宿題やった?」
姉ちゃんは机に向かっていたが、上体だけこちらを向いて、
「とっく!・・・写したい?」
「できれば。」
「いいよ。・・・入って!」
「お邪魔。」
その時、1階のリビングから上がって来た彩香が姉ちゃんの部屋に入ろうとしている俺を見つけて、
「あっ! お兄ちゃん! 私も一緒にあそぶ!」
彩香が俺を押しのけて先に入る。
「彩香、遊びじゃないんだ。」
「いいなあ、お姉ちゃんとお兄ちゃんは」
「なんで?」
彩香は振り返って、
「だって、なんでも一緒にしてるでしょ!」
姉ちゃんは座ったまま椅子をくるりと回して、やさしく微笑みながら、
「サヤちゃんは私とお兄ちゃんとで遊んであげられるよ! いつだってみんな一緒!」
彩香は姉ちゃんの膝にまとわりつきながら、瞳を輝かせ、
「じゃあ、居てもいい?」
「もちろんいいよ!」
おれは、壁に立てかけてあった角丸の小机の脚を広げて置いて、それに向かって胡坐をかいた。
すると、俺の胡坐の中に彩香が座る。
「彩香、お兄ちゃんはこれから大事なお仕事をしないといけないんだ。」
「やだ、ここがいい。」
姉ちゃんは微笑ましそうに俺達を見ていたが、
「サヤちゃん、本読んであげよっか。」
「うん。じゃあ取ってくる。」
彩香は小走りに出て行った。
「ありがとう、姉ちゃん」
「サヤちゃんは特別だからね。」
「ああ、特別だね。」
「お父さんとお母さんに感謝だね。」
「うん。」
彩香が居るから俺達が姉弟でいられる。姉ちゃんも俺もその事に疑問はなかった。
姉ちゃんは机の右のワゴンから古文のノートを取り出して・・・俺の正面に座った。
「はい、どうぞ」
「ありがとう。感謝いたします。」
「代わりに置換積分教えてね。」
「へい! お易いご用です。」
俺はノートを受け取って宿題を書き写し始めた。
そこへ彩香が全速力で帰ってきた。
「とってきたー」
「危ないよ! そんなに走ったら!」
「へいきへいき!」
今度は姉ちゃんの膝の上に座った。
「どこから読もうか。」
彩香は全身から嬉しさを溢れさせながら、
「初めから!」