第八話
ゾワッとした嫌な感覚が大樹の背中を走った。冷たい汗は背筋に垂れ、ペダルを回す際に前傾姿勢となっていた身体を起こさせる。
違和感、次いで危機感、そして恐怖。漕いでいた自転車に急ブレーキをかけ、ショッピングモールの駐輪場入り口付近で立ち止まる。
「……ふざけんなよ」
休日の昼前、本来ならば人でごった返しているであろうショッピングモール。にも関わらず、駐車場に車は一台もなく、警備員を含め人の気配がまるでしない。
そんな不自然なまでに閑散としているショッピングモールに、能力者の気配が都合五つ。
間違いない。ここは──戦場だ。
正直なところ逃げたかった。大樹の能力は正面戦闘にまったくもって向かない物であり、避けるべきものである。乱戦となればまだやりようはあるが、厳しいものであるのは変わらない。
しかも今の大樹は装備が悪すぎた。いざという時のために最低限の護身具は隠し持っているが、戦場に立つのにはまるで足りない。一般人が多く居るハズの場所に武装を持ち込むのは躊躇われたし、そんな場所が戦場となるなんて思ってもみなかった。
なら当然逃げるべきである。撤退は恥ずべき事ではない。無謀に突っ込む事こそ周りが見えていない馬鹿のする愚行であり、それは誉められる勇気ではなく嘲笑される蛮勇だ。
だがしかし。大樹には退けない理由があった。
「智子ちゃん……!」
親友の妹の名を口にする。今日は彼女と会う為にこの場に来たのであり、そうなると彼女もまたこの戦場に立っている可能性があった。
人の気配のないこの場だ、もしかしたら彼女も不審に思って帰ったかもしれない。だが、もし戦場と知らず、大樹との約束の為にショッピングモールへと入ったとすれば。
絶対に、ここで逃げる訳にはいかなかった。
「クソッタレ!」
吐き捨てて、自転車を漕ぐ。
親友を二人喪った。その親友の妹までも喪う、そんな事が許容出来るハズがない。しかもその可能性を目の当たりにしておいて逃げれば、一生自分を赦せない。
携帯があれば確認する事も出来たのだが、あいにくとそれも智子が持っている。ならば自らの目で彼女の無事を確かめるしかない。
智子が居なければそれでよし、さっさと撤退する。もし居たのなら、彼女を連れて撤退する。それだけの事だ。
どんな方法かは分からないものの、わざわざ人を排除しているのだから、おそらく一般人である智子ちゃんが攻撃される事はないだろう。
そんな考えを抱きながら、大樹は入り口の自動ドアの前で自転車を降り、戦場へと足を踏み入れた。
──待ち合わせ人が既に能力者になっている事など、まるで想像していなかったが故に。
◇
榎田葉月がその違和感に気づいたのは、ショッピングモール三階のロータリーに居る時だった。
「人が、居ない……?」
能力によって透明のまま、全力疾走による対価を払っていた彼女は、息絶え絶えにそう呟く。
さっきまでは、少なくとも最初に襲われた時には人影はあった。反撃しようとし、返り討ちにあった時もまだ気配がした。
だが今は、この周囲に彼女以外の人間は存在しない。店の中を覗き込んでも、店員一人居なかった。
彼女がここに逃げ込んだのは、人の目がある所では襲ってこないだろうと考えたからだ。だが、これではその目論見は大外れ、襲撃者はなんの遠慮もなく彼女に襲い掛かるだろう。
「……仕方ない、か」
それでも、彼女はこの場に残る事を選んだ。消火器を手に取り、敵が何処から来ても良いようロータリーの真ん中で待ち構える。
隠れられるような所は袋小路である事が多く、見付かればいっかんの終わりだろう。そんな場所よりも、見通しの良い場所の方が敵を早く見付けられるし、逃げられる可能性は高い。
このショッピングモールから抜け出す、という事も考えはしたのだが、二階には二人、一階には一人能力者が居る。敵の正体も分からないというのに、むやみな行動は出来ない。センサーが訴えてくる警告に彼女は従った。
そして、今彼女が居る三階。そこには一人の能力者の反応。嫌らしい事に、階段付近に陣取っている。
更にセンサーに感知されない敵が、一人。
一階の反応はエスカレーターを登ってきている。このままだと、二階に居る二人と遭遇するだろう。それが敵同士の開戦なのか、それとも仲間同士の合流なのか。
最悪なのは四人の能力者と襲撃者が全員仲間である場合。そうであったのならもう死ぬしかない。
だが、その可能性は低いと葉月は考える。全員が仲間であるのなら、今すぐにでも彼女の退路を塞いであっさりと殺す事が出来るのだから。
二階の二人は、争う気配がないため仲間だと見て良い。また、少なくとも二人と襲撃者は繋がってないだろう。
一階と三階の能力者はまだ未知数。情報が足らな過ぎる。
「……こんな時、彼が居れば」
彼女の脳裏に浮かぶのは一人の少年。一見平凡な、けれど凄い、彼女を負かした発光の能力者。
一人というのは心細い。命を狙われているとなれば、なおさら。その不安感から、思わず少女は彼の幻影にすがる。
「柏木、君……」
小さくその名を呼ぶ。呟きは虚空に消えて、次の瞬間彼女は顔を上げた。
新たな能力者の気配。その影は、まっすぐショッピングモールへと向かってきている。
一つの場所に六人もの能力者が集まる。前代未聞かどうかは分からないが、少なくとも彼女にとっては初めてだ。
願わくば。新たな能力者が、襲撃者と相対する者なら。もっと言えば、柏木大樹なら。
「……流石に、そう上手くはいかないわよね」
だが、あの弱っちい能力者が、戦いの場に身を投じるとは考えづらい。彼のような人間の真価は、正面戦闘以外のところで生かされる物だ。
例えばそう、策謀、罠、欺き、撹乱、不意討ち。そんな正義のヒーローには程遠い、悪辣な手管。それでこそ、死んだ二人の影に隠れていた〝忍者〟だ。
そんな忍者がこの場に助けになんて来るハズがない。しかも彼には葉月が今現在襲われている事など知るよしもないのだから。
それに、と葉月は一人ごちる。
──元々私は、ずっと独りだったじゃない。
彼との共同戦線にはなんの意味はなかった。結局のところ、死線は自分で潜り抜けるしかない。一人孤独に、ずっとやって来た事。
だから。でも。
「ごめんね、柏木君。こんな私と手を組もうって言ってくれて、嬉しかったよ。……ありがとう」
そう、呟いて。少女は自身の透明化を解除、明確な殺意に首を回す。
スーツ姿の青年、彼女を攻撃してくる襲撃者。その男は、葉月を見つめゆっくり近付きつつも、透明になるというアドバンテージを自ら捨てた彼女を警戒する。
「ねぇ、お兄さん。貴方はなんで私を襲うの?」
その問いに青年は答えない。
それに対し、葉月は悲しそうに目を伏せ、残念だわと立ち尽くす。
一歩、また一歩と青年は近付いて、
「なら……これでも喰らいなさいな!」
透明になっていた消火器の射出を浴びせられた。
「んな、が、ごほ、がほっ!」
淡紅色に着色された粉末が散布される。それを顔面に直接当てられ、青年は吸い込んでしまった。
その粉末の正体はリン酸アンモニウム。瞳や喉の粘膜に溶け込んだリン酸アンモニウムは、青年に耐え難い激痛を容赦なく与え、葉月は更に追い打ちをかけるように青年目掛け消火器を投げ付ける。
そして身軽になった彼女は再び透明化、悶える青年に背を向け一目散に逃げ出した。
「こんの、クソアマがぁあああああああ!」
しばらくして背後で怒声が爆発する。葉月は駆けながらペロリと舌を出し、ザマアミロと内心毒づいた。か弱い乙女を襲う不埒者には当然の罰よ、とも。
おそらく、いや確実にあの青年は葉月を追って来るだろう。能力者でないというのに彼女の位置を把握しているのだ、背後に能力者が居る可能性が高い。
そして、センサーの効果範囲にも限りがあるのだ。その能力者は間違いなくこのショッピングモールに居るだろう。
それは三階に居る一人だと葉月は予想する。この人が居ない状況を作り出したのもそいつかもしれない。
「おっと、こっちは駄目ね」
そんな事を考えつつ、三階の能力者に近づかないようなルートで逃げていたが、床を汚す粉を見て反転する。
敵さんはこちらの居場所が分かるというのに、こちらは分からないのは不公平だろう。その不公平を正す為に、彼女は消火器をぶちまけた。この粉は青年がこの場を通った証左に他ならない。
この鬼ごっこは果たしていつまで続くのか。ただ逃げ回っているだけではじり貧であるし、賭けになるが何処かで階を下るしかない。問題は階段付近の能力者だが。
「あれ……?」
その能力者が移動を始めた。葉月の方へと近付いてくる。
これは、好機か。今のうちに下の階に行けるかもしれない。だが罠の危険性もある。
葉月は悩み、とりあえず様子を見る事にした。粉とセンサーが教えてくる敵の気配から逃げつつ、隙を窺おうと決める。
「いたっ!」
だがその決意をつかの間、彼女は何かにぶつかり、たたらを踏んだ。
ぶつけた額をさすりながら前を見る。そこには廊下が続いており、道を塞ぐような物など何もない。しかし手を伸ばすと指先に壁のような物が存在しているのが分かる。
葉月は歯噛みをした。これが敵の能力なのだろうが、逃げるのには厄介極まりない。
仕方ないと引き返そうとして、彼女は足を止める。止めざるを得なかった。
「鬼ごっこは終わりだ、クソアマ」
青年が、ナイフ片手に立っていた。
額に青筋を浮かべ、頑張って笑おうとしているが口元がひくついている。葉月の行いの結果、青年はこの上なく怒っていた。
「なぁ、そこに居るんだろ? 透明人間さんよぉ」
「…………」
どうするべきか、悩みは一瞬。生きて帰るには、青年の横をすり抜けるしかない。
返事を返す事なく、ゆっくり、音をたてないよう歩を進める。どこら辺に居るかは分かっても、透明な彼女を目視する事は叶わないのだ。
大丈夫、まだ逃げられる。葉月はそう自分に言い聞かせた。
それが間違っていると、ほどなく気付く事になる。
「無駄ですよ、榎田さん。貴女は今、不可視の壁に囲まれているのですから」
能力者の反応と共に、背後から聞こえる男の声。どこか聞き覚えのあるその声に、振り向く動きはぎこちない。
信じられないという気持ちと、信じたくないという気持ちが混ざりあい、葉月は目の前の現実をしばらく受け入れられなかった。
スラッとしたスタイルの良い体躯。女子生徒に人気の甘いマスク。そしてトレードマークの、ワインレッドのシャープな眼鏡。
「中曽根先生……」
奈楼学園の名物教師は、自らの名を呼ぶ学園のアイドルに、そっと微笑みかけた。
「こんにちは、榎田さん。いやぁ、教え子を手にかける事になるとは、本当に残念ですよ」
そう言いながら、中曽根の微笑は崩れない。言葉とは裏腹に、悲しんでいない事は一目瞭然だった。
何よりその目。冷徹な、情なんて物は介在しない、明確な獲物を見る目。あるいはモルモットを見下ろす研究者のそれ。
射竦められ、葉月は背筋が冷たくなる。だがそれでも意地で睨み返した。尤も、中曽根には見えないだろうが。
前後を挟まれたせいか、心なしか息苦しい。葉月は絞り出すように口を開いた。
「中曽根先生。貴方が、この状況を作り出したのですか?」
「この状況、だけでは何が聞きたいのか分かりませんよ。条件はキッチリと定めませんと」
「……私達以外の人を追い出したのは貴方の仕業ですか」
「それなら答えられますね。ええ、私の能力です。他に質問はありますか?」
彼の態度は平時とまったく同じ。まるで出来の悪い生徒に特別授業を行うように、中曽根は葉月に対応する。
殺し合いの場という異常な空間の中でのそれはひどく歪で嫌味っぽく、気味が悪い。
「……私は学校で貴方に何度も会ってます。ですが貴方から能力者の反応はなかった。どういう手品を使っていたのですか?」
「手品のタネを公開するのはマジシャンのタブーですが……まぁ、私はマジシャンではなく教師です。愛する生徒に質問されれば、答えない訳にはいきませんね」
白々しい、と葉月は口には出さずに罵る。その愛する生徒とやらを殺そうとしているクセに。
だが、教えてくれるというのは好都合だ。センサーを誤魔化す手段さえあれば、透明になれる葉月の隠密性は格段に上がる。例えそれが中曽根の能力によるもので、真似出来ない方法だとしても、彼の能力を推測するヒントにもなりうる。
そして何より、時間を稼げばこの場から逃げ出す手段が見付かるかもしれない。
「残念な事に榎田さんの実になるような事ではありませんがね。簡単な話です、私の能力を応用したのですよ」
「それはまた、ずいぶんと優秀な能力ですね。私のとは段違い」
「榎田さんの能力は……透明化、といったところでしょうかね。なるほど、厳しい」
透明な壁にペタペタと手をついて穴を探しながら、葉月は自嘲する。
そう。実のところ、大樹の発光よりはまだマシとはいえ、葉月の能力はかなりのハズレなのだ。
透明になれる、というのは確かに悪くない。だが、能力者には同類を感知するセンサーが備わっている。それにより『見えないけれどそこに居る』と分かってしまうのだ。
近接戦闘ならば多少はアドバンテージになるだろう。だが武術の心得も喧嘩の経験もない葉月に近接戦闘なんて出来るハズもなし、またいかに透明であろうとも面の攻撃を避けるのには無意味だ。今まで生き延びてこれたのは相当運が良かったと言って良い。
そんな葉月の能力の欠点に気付いたのか、納得したようにフムフムと頷く中曽根。そんな彼に、青年が苛立ち混じりに声をかけた。
「おい、中曽根。お前は強敵感出しておきながら油断してあっさり殺される悪役か。ペチャクチャ喋ってねーで、さっさとその女を解剖させてくれよ」
ひっ、という悲鳴。微かなそれを確かに聞いて、青年は唇を三日月状に歪める。それはそれは愉しそうに。
「そうしたいのはやまやまなんですけどねぇ……。今榎田さんを逃がさないよう〝隔離〟していますが、そのせいでこちらからも干渉出来ないんですよ」
「はぁ? んじゃなんだ、餓死するまでこのまま待つってか?」
「まさか。流石にそこまでは能力を維持出来ません。……そして、そんな時間をかける必要もありません」
中曽根の言葉と同時に、二人の中心でぺたりと小さな音が響く。そして、葉月のへたりこむ姿があらわになった。
ハアハアと、さして動いていないにも関わらず彼女の息は荒い。頭がクラクラし、気持ち悪さと吐き気が沸き上がる。
苦しそうに表情を歪め、その唇は薄紫色。膝と手を床につき、少女は囚われの籠の中、今にも崩れ落ちそうに弱っていた。
「……中曽根、何をした?」
「言ったでしょう、〝隔離〟したと。彼女は閉じ込められ、限られた、淀んだ空気しか吸えないのですよ」
そうなればいずれ酸素不足に陥るのは当然の事です、という淡々とした声が、意識の薄れゆくある葉月の耳へと届く。
もはや透明にはなれない。能力を行使するにはイメージが必要で、今の彼女にそんな余裕はなかった。
それでも。諦めたくないと、少女はフラフラと立ち上がり、壁を叩く。
「おやおや……。何をそんなに足掻くのですか」
嘲笑うかのような中曽根の声に、葉月は答えない。
死にたくなかった。死ぬ訳にはいかなかった。
だが、そんな彼女の気持ちを逆撫でするように、中曽根は言葉を紡ぐ。
「不思議だ。貴女には生きている理由などないでしょう? 貴女の透明になるというその能力、なによりもそれがその証拠だ」
「……うる、さい」
「消えたい、という願望。能力になるほどです、一時的なやけくそではなく、強く、長い間そう思い続けてきた事でしょう」
「黙りなさい……!」
「どんな経験があったんでしょうか。いじめ? 家庭環境? それとも……」
「やめてっ!」
叫ぶ。空気を無駄遣いする行為だと分かってはいても、トラウマを抉ってくる言葉をそれ以上聞きたくなかった。
だが中曽根は止めない。淡々と、冷たく言葉を重ねていく。
「それにしても、貴女は卑怯だ。柏木君までその顔でたらしこんで。また、自分本意に周囲を掻き回すのですか?」
それはまるですべて分かっているような口振りで。先の質問は、葉月の過去を知っていながらわざと訊ねたのか。
酸欠で思考能力が落ちた頭に、中曽根の言葉が染み込んでいく。
中曽根の問いにより、葉月の頭にいくつものシーンが断片的にフラッシュバックする。
親友だった少女。好きな人が出来たと頬を染める少女。下駄箱に入っていたラブレター。泣き叫び、葉月を殴り付ける少女。
捨てられた筆箱。切り裂かれた上履き。頭から被る冷たい水。自分を遠巻きにする皆。
ずっとついてくる男。鳴り続ける電話の音。玄関前から響く怒声。雨の夜に灯る赤いランプ。
──ねぇ、なんでこんな事をするの。こんな思いをするくらいなら、こんな顔いらない。やだ。やめて。私に関わらないで。
…………もう、消えたい。
「今度は、誰の人生を狂わせるんですか?」
最後の一押しは、耳元で囁かれた。
〝隔離〟は解除されたのか、息苦しさは和らいでおり、中曽根が葉月の近くに立っている。
思い浮かんだのは共闘関係にある少年。
彼が、あんな弱い能力で殺し合いに巻き込まれたのは、私のせいじゃないのか。私が間違えなければ。私が攻撃しなければ。能力を見せなければ。
彼はこの戦いに参加する事はなかった。
私が、彼の人生を狂わせた。
嗚咽混じりに、葉月は崩れ落ちる。
彼女を覆っていくのは罪悪感。気付かないフリをしていた事を叩き付けられた。
そうだ、なんで逃げようとしている。中曽根の言う通り、もとより自分に生きている意味などなにもないし、人に迷惑をかけるだけならば──
「っ!?」
心が折れかけたその時、彼女が立つ床が割れた。
◇
「おうおう、嬢ちゃん。お前さんも能力者かい。やる気は……十分みたいだな?」
ショッピングモール二階フードコート。そこに入ってきた小柄な少女を見据え、新城竜也は息を吐いた。
彼に少女をいたぶる趣味はない。故に最初彼女の姿を見た時は酷くガッカリし、さっさと追い払おうと考えた。
が、その少女が濃密な殺意をみなぎらせているとなれば話は別だ。
戦闘狂である彼は活きの良い獲物を前に舌舐めずりをし、彼と一緒に居た美形の少年は巻き込まれてはたまらないと距離をとる。
「…………やる」
「その殺る気、良いねぇ。そんじょそこらの奴とは訳が違う」
「……殺してやる」
「さぁ、来いよ嬢ちゃん。お前の力はどれ程だ!」
「能力者は、全員、殺してやるっ!」
先に動いたのは少女──杉山智子の方だった。
右手を掲げ、竜也に向けて大きくその手を振り下ろす。放たれたのは、ドス黒く、悪意に満ち溢れた波動。
それを、竜也はどれ程のものか確かめてやる、とあえて喰らおうとし、触れる直前に走った悪寒により咄嗟に大きく横に跳んだ。
対象を見失った黒弾は壁に触れ、何の変化ももたらす事なくかき消えた。
だが、竜也の冷や汗は止まらない。彼の野生の勘があれに触れてはならないと警鐘を鳴らす。
「殺してやる、殺してやる、殺してやるっ!」
少女は怒気と殺意に呑み込まれ、絶叫しながらひたすらに腕を振り回す。四方八方に射出されるその黒弾を、竜也と園崎は全力で避け続けた。
敵の能力が何なのか。それを見極める事が、能力者達の戦いでは最も重要とされる。能力が分かれば、対処法もおのずと見えてくるからだ。
故に園崎は智子を観察する。願いが能力の元になっているため、能力の形だけでなく本人の振る舞いも推測するのに重要な情報だからだ。
しかし少女を見て分かる事と言えば、ひたすら竜也と園崎を殺そうとしている事、あとはあまり能力を使い慣れていないであろう事のみ。
黒弾の性質を考察しようにも、壁や床も抉らないそれは、一見脅威には思えない。だが、あの竜也がひたすら逃げ回っているのだ。ならば当たるのはマズイと、園崎は二人から更に離れる。
「ったくよう、好き放題やっているが、こっちにもやらせてくれよ!」
だが、新城竜也という男はずっと逃げ回っている事を良しとしなかった。
相手の能力がなんなのか、そんな事はどうでもいい。考えている暇があったらぶちのめせ、それが彼のモットーだ。
キュッと反転。そして黒弾をしゃがんで避け、床を蹴った。目指すは黒弾の発射口。
当然、近付けさせまいと智子は弾幕を作る。それを竜也は近くの机を盾にして防いだ。黒弾は机を傷付ける事すら叶わない。
それを確認し、竜也はニヤリと牙を剥く。後は近付いて殴るだけだと、咆哮を上げた。
「オラオラオラァ、どうした、その程度か!」
突貫する。間にあった椅子や机は蹴り飛ばされ、冗談のように宙を舞い、天井や柱を破壊していく。彼が走る事で発生した風圧が、ショッピングモールの壁面を切り刻んだ。
「ちょ、やり過ぎだ! ここをさら地にするつもりかい!?」
崩れかける天井に目を剥き、園崎は抗議の声を上げる。だが竜也はまるっきり無視を決め込んだ。
黒弾は一直線に飛んでくるだけではない。机に遮られないよう横から、あるいは上、はては旋回して後ろからも竜也を狙ってくる。
それらを竜也はことごとく避ける。金髪をたなびかせながら、時に跳び退いて、時に回って、時に落ちているトレイで弾いて。絶対に直接は触れないよう注意しながら、着実に前に進んでいく。
決して黒弾が遅い訳ではない。弾幕が薄い訳でもない。
常人ならば無様に逃げ回るしかない雨の中、戦闘狂は笑う。ギリギリの緊張感、下手すれば殺されるという状況こそ、命の灯火は輝くのだと。
何かに触れた黒弾は暗い粒子となって、その隙間で金の影はステップを踏む。
殺し合いは、双方の抱く純粋さによって一種の美しさを魅せ始めた。
片や戦いを楽しむ闘争心。片や兄の仇をとらんとする復讐心。どちらも曇りのない、ただひたすらに磨かれた刃。
それはまるで戯曲のよう。名前を持たない悪趣味な劇作家が書いた、筋道の無い台本をなぞらえ、男と少女は命を賭して舞い踊る。心を、願いをぶつけ合いながら。
舞台のジャンルは喜劇か、悲劇か、あるいはオペラかもしれない。人智を越えた戦いは、下手なバイオリン奏者の演奏のごとくけたたましい。
……やがて、二人の能力者の奏でる輪舞曲は最終楽章を迎える。
智子と竜也の距離は縮まり、あと数歩で手が届く程。男の激しい熱情は少女を焦がさんと猛り、今まさにその身を捉えようとしている。
勝った。そう確信し、竜也は勢いそのままに智子を机で叩き付け、押し潰そうとして。
「捕 ま え た」
舞台の幕が下りる。指揮者の腕が止まる。
「な、んだ、これ……」
いつの間にか智子の足下から流れ出て広がっていた黒いもや。それが踏み入れた竜也の足に絡み付き、じわじわと競り上がってくる。
竜也は逃げようとし、しかし足は動かない。侵食していくその黒は、竜也の体温を奪い、感覚を殺していく。
そこに無数の黒弾が襲来。グチョリ、グチャリと汚ならしい咀嚼音にも似た不快な音を発しながら、飽和する黒が男を埋葬する。
劇の盛り上がりとは裏腹に、幕切れは至極あっさりと。全身を黒が覆い尽くし、新城竜也は呆気なく息絶えた。
どさりと、力の抜けたその遺体が床に落ちる。
「そういう、事か……」
その光景を見て、園崎は智子の能力を理解した。また、今のこの状況では彼女には勝てないであろう事も。
なぜ気づかなかったのか。この戦いの最中、彼女は自らの願望を全力で表現していたではないか。能力者を殺したいという呪いを。
杉山智子。彼女の能力は──〝死〟。
死の能力者が死体を踏み潰し、次の標的を見定める。
だが、それを座して待つ園崎ではなかった。
──カーテンコールには、まだ早い。
「そら、よっと!」
能力を使って筋肉を増し、砲丸投げ選手もかくやとなったその巨体で手近な椅子を猛スピードで放り投げる。
椅子は竜也によって痛め付けられた柱に当たり、それが最後の一押しとなって建物を支えていた柱を粉砕した。
たった一柱、普段だったら折れてもさして問題はなかっただろう。だが、天井にもまた竜也による破壊の爪痕が残っている。
結果。
天井が、崩落した。
執筆者:蓑虫