第七話
夜の帳が下りて数時間が経過した頃。
茶髪の少年――佐藤俊平が薄暗い闇の中を歩く影を視認できたのは、まったくの偶然に過ぎなかった。
「あぁ? 何だァお前?」
俊平は手に持つ煙草の火を消しながら、訝しげな声を漏らす。
深夜の路地裏で大きなビニール袋を持っている男がいれば、誰だって怪しむに決まっているだろう。
そう、俊平はいたって常識的な判断をしてしまったのだ。
己が参加しているこの闘争は、常識など露ほども通用しないと理解していながら――俊平は不用心にも声をかけた。
彼の最大のミスは、目の前の男が闘争の参加者であることに気づいていないというたった一点だった。
その男が、不良である俊平に近い外見をしていることも関与していたのだろう。
俊平は無意識に同類だと思ったので、気安く声をかけてしまったのだ。
染めた金髪に大柄な肉体をした彼が振り向いた刹那、俊平は自らの失敗を悟った。
――百獣の王が顕現する。
「よぉ」
ぶわっと、薄ら寒い風が頬を撫でた。
金髪の男は、炯々とした眼光で俊平を捉える。それだけで、全身の血の気が引いていく感覚があった。
男は獣のように獰猛な笑みを刻みながら、黒いビニール袋をその場に投げ捨てる。
どさり、と重そうな音を立てて地面が音を鳴らす。
待て。
俊平は嫌な予感に駆られた。
あの袋――ちょうど人体が収められる大きさではないのか?
袋のシルエットから浮かび上がるあの形状は何なのだ?
まさか、と思わず呻く。
知らず知らずのうちに、俊平の掌は汗でびっしょりだった。
そこで、ようやく気づいた。
――目の前の男が、自身と同じ『能力者』であるという事実に。
「まさか……こ、殺したのか?」
「あん?」
俊平の震えるような声音に、男はひどく怪訝そうに眉を顰めた。
その質問が心の底から不思議だというように、適当に返答する。
「俺じゃねえがな。これは『能力者』の殺し合いだぜ? 普通は死んだ奴の死体は残らねえ」
「じゃ、じゃあ、それはいったい……」
「答えると思うか?」
適当に嘯く男から得体の知れない恐怖を感じ、俊平は思わず呟いてしまった。
「ひ、人殺し……」
「あん。これは俺じゃねえって言ってるだろうに。つーか、何だぁテメェ? まさか――人を殺す覚悟もなしにこの闘争に参加してんのかよ」
「お、俺は……っ!」
「あー、もういいわ。テメェには興味が失せた。せっかく、今日は二度も戦えると思ったのによ。こんな小物が相手じゃテンションも上がりゃしねぇ」
男は侮蔑の瞳で俊平を見た。
さっさと片付けるか、とでも言うように無造作に歩み寄ってくる。
俊平は咄嗟に身を翻しそうになり――ギリギリで、踏みとどまった。
そうだ。
この男の言う通りだ。
この戦いは、人を殺せないようでは何も始まらない。どれだけ人道に反したとしても、絶対に願いを叶えると誓った者だけが集う闘争なのだ。
脳裏に過ぎるのは、不治の病にかかった母親の顔。余命は残り半年。
失いたくなかった。だから、藁にも縋るような思いでこの戦いに足を踏み入れた。
その、思いを。
母親の元気な姿を取り戻す為の、その願いを。
――こんな男に踏み躙らせはしない。
「お、おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
俊平は絶叫で恐怖を吹き飛ばし、挑むように一歩、前に足を踏み出した。
それを見て男が嗤う。
「――へぇ。来いよ、三下」
「舐めるなよ……ッ!! 俺は、お前の言う覚悟ってヤツは十分にある! お前を殺して……俺は先に行くんだ……!!」
気炎万条、能力が解放される。
直後、路地裏に莫大な炎が顕現した。
単純な発火能力。母親の境遇に対する沸々とした怒りの熱が生み出した力。
しかし、それ故に殺傷性は非常に高く、今まで使用を躊躇してきた。
だが、もう力を抑える必要は何処にもない。
――今から、この男を殺すのだから。
「何だ何だ、やれんじゃねえか!? いいぜぇ、楽しくなってきた!! それでこそ"戦い"ってヤツだよなぁ!?」
炎が周囲の建物に燃え移る。しかし今の俊平にとって、最早そんなことはどうでも良かった。
炎に全霊の力を込める。男に向けて、炎の槍を発射する。
轟音と共に炎の槍は、まるで龍のように肉薄して男に向けて大口を開いた。
炎が男を包み込むと同時、濃密な熱気が渦を巻いて鎌首をもたげる。
俊平は勝利を確信した。
こんな熱に包まれて、生きていられる人間などいる筈もない。
これで、ようやく一人を殺した。
殺し合いのスタートラインに立ったのだ――そう思った。
その瞬間。
「――でも、駄目なんだよなぁ」
轟、と。
男の右腕がすべてを薙ぎ払った。
「……………………………………………は?」
呆然。
俊平には、目の前の光景を理解できる処理能力がない。
「足りねぇわ、やっぱりお前じゃ物足りねえ。……ったく、園崎の野郎はどこ行ったんだか知らねえが、もうちょっとマシな獲物を用意しやがれ」
ここにはいない誰かに向けてぼやく金髪の男は、確かに炎に包まれていた。
だが、彼が腕をふるうたび、確かに周囲の炎が吹き消されていく。
それ以前に、男はあれだけの炎に包まれながら、火傷ひとつとして負ってはいなかった。
――怪物。
それを体現するように、男は超然と佇んでいる。
飢えた虎のような猛然とした視線が俊平に食いかかった。
「冥土の土産に教えてやる――俺の名は新城竜也だ。その胸に刻んどけ。テメェを殺した男の名を、な」
その刹那。
俊平が知覚できたのは、爆発した大地と眼前に迫る拳だけだった。
炸裂。
激痛が脳内を暴れ回る。
撃ち出された砲弾のように吹き飛ばされたときにはもう、俊平の命の炎は呆気なく途切れていた。
「――もっと、強ぇ奴はいねえのか」
そんな声を聴き取ることもできずに。
☆
「……火事?」
大輝がベッドから身を起こしたとき、テレビから聴こえたのはニュースの現場中継だった。
どうやら、知らぬ間に寝てしまったようである。
意識を切り替えてテレビを見やると、そこに映っているのは確かに大輝が住む街だった。
カーテンを開いて外を見ると、現場からはいまだに煙が立ち昇っている。
本当に大きい火事だったようだ。
――能力者の仕業か?
考えを巡らすが、不確定要素が多すぎて答えが出る筈もない。
その間にニュースは次の報道に移っていた。それは、大輝が遭遇した殺人事件についてである。
物騒だな、と他人事のように考える。
脳裏に、少年が殺される瞬間の映像が回帰した。
あくまで大輝の勘に過ぎないが、もしかして少年を殺したのは、恭也と大輔を殺した者と同一人物なのではないか。
「何なんだ……アレは……ッ!!」
恐怖の波が大輝に押し寄せる。
その人物は、まるで気配を感じ取ることができなかった。
――やはり、園崎と手を組むしかないのか。
大輝はそう覚悟を決める。あの犯人の手がかりの為ならば、多少のリスクは背負ってしかるべきだ。
その件について、榎田とも相談しなければならない。
連絡しようとしたが、携帯を智子に預けたままだったことを思い出す。
今日は休日。学校はないが、携帯を返してもらわないといけない。
家の電話で智子を呼び出すと、ついでに昼食も一緒に食べようということになり、ショッピングモールのフードコートで待ち合わせることになった。
所謂デートと呼べるものだったが、大輝達にとってはそれどころではなく、電話に甘い雰囲気など微塵もなかった。
時刻はもう11時だ。
約束の12時までにショッピングモールに向かわなくてはならない。
幸い大した距離はないので、自転車に乗ってその場に向かう。
――智子が能力者になったことなど、何一つ知らぬまま。
☆
「よぉ園崎」
新城竜也は、ショッピングモール2階のフードコートで、ステーキを何個も平らげていた。
彼は目的の人物を見つけると、何の気なさそうに手を上げる。
美形の少年――園崎は、そんな竜也を見て面倒臭そうにため息をついた。
「まったく……こんなところに僕を呼び出して、いったい何の用だい?」
「見ろよ、いるぜ」
「うん?」
「センサーに反応がある。コイツはきっと強えぞ」
「……ああ、確かにこれは能力者だね」
楽しそうに笑う竜也は、その能力者と戦いたいと思っているようだった。
相変わらずの戦闘狂っぷりである。
園崎にその思考は理解できないが、交渉相手としては利用しやすい。
その反面、金や情では動かない以上、裏切られやすいわけでもある。
能力者ですらないあの男と手を組んでいる竜也とは、正直あまり関わりたくないと園崎は思っていた。
「それで、それが僕を呼び出したことと何の関係があるんだ?」
「――二人でやろうぜ」
「は?」
「例のアイツが能力者についてる。つまり、俺一人じゃ倒せねぇ。でも逃すには惜しい。そこでテメェに白羽の矢が立ったわけだ。喜べ」
「いや喜ばないし。……でも、君は奴と手を結んでいたんじゃないのかい? この前も死体を処理していただろう」
「まーな。でも関係ねえよ。戦いたいと思ったから戦うだけだ」
「……あ、そう。それにしても、君が警戒する能力者、か。それは少し興味があるかな」
「ま、あくまで勘だけどな。案外やりゃあ余裕で倒せるかもしんねぇ」
竜也は適当に嘯きながら、追加のステーキを頼んでいた。どうやらこの男、まだ食べるらしい。
見ているだけでお腹いっぱいの園崎はその光景にうんざりしながら、
「……でも、君が見かけたときに仕掛けてこなかったってことは、向こうに敵意はないんだろう?」
「まあ一応味方だし、そうなんだろうが……アレは、俺以外の獲物に集中してる目だった」
「ああ、確かにもう一人、このショッピングモールには能力者がいるね。これを狙っているのか」
「隠れるのが上手な野郎みたいでな。俺もさっき追ってみたが、センサーには反応があるのに何処にいるのか特定できねぇ」
「ふぅん。ま、とりあえず様子を見てみようか。……ちょっと、面白いことになりそうな気配もある」
園崎は落ち着き払った仕草で立ち上がった。
彼のセンサーには、ショッピングモールに二人の人物が入った事実を示していた。
これで、六人の能力者と一人の関係者が揃ったことになる。流石にこの事態には全員気づいているはずだ。
竜也は獰猛な笑みを浮かべながら立ち上がった。追加のステーキはもう食べ終えたようである。
思わずといった調子で声を漏らす。
「――楽しそうだなぁ」
☆
――何なの、一体!? いい加減、そろそろ諦めなさいよ!!
『透明化』を駆使していた榎田は、そう叫びたい衝動を何とか堪えた。
ショッピングモールの3階。
彼女はそこで能力を使いながら必死に駆け回っていた。
その理由は、謎の青年に追われているからである。
明るい茶髪に理性的な顔立ち。スリムな身体つきをしたスーツ姿の男だ。
『透明化』の影響もあって何とか逃げていられるが、もう長くは持たないだろうと榎田は考える。
何故なら、最大の問題があった。
この男――能力者のセンサーに反応しないのである。
つまり、榎田から青年の居場所を掴むことはできなかった。
――能力者じゃないなら……なんで追ってくるのよ……っ!?
榎田はひたすらに逃げ続ける。
能力者でないなら――と、先ほど『透明化』を使って倒そうとしたのだが、あっさりと補足されて投げナイフを放ってきた。辛うじて躱したが、はっきり言って、ただのまぐれだ。
青年が投げナイフを放ったときは人気の少ない階段沿いだったので、いまだ一般人が逃げる気配はない。
「……」
榎田は考える。
二度も、同じ真似はできない。
逃げて逃げて、救援を待つ以外に道はない。実力差は先ほど十分に体感したし、何より『透明化』しても何故か居場所が掴まれる以上、榎田のメリットは掻き消されたも同然だった。
榎田は知る由もないが、青年は協力している能力者と常に連絡を取り、榎田の居場所を掴んでいる。
「大輝、くん……っ!」
思わず、声が漏れる。
届くはずもないと知っていながら。
☆
偶然。
あるいは運命か。
能力者達はそれぞれの願いを携えて、ただ一箇所に集っていく。
覚悟の炎が灯った彼らの牙が躊躇なく衝突するそのとき。
――殺戮の舞台が、幕を開ける。
執筆者:暗黒騎士
「どうも、暗黒騎士です。
ハズレ術師の英雄譚とか書いてます。
随分と話を広げちゃったけど、きっと蓑虫さんなら何とかしてくれる……!」