最期の温泉~ゾンビとバニーと俺~
だめだ、もう逃げられない!
新鮮な生肉である俺達を追ってゾンビたちに追い詰められ、旅館の屋上にある露天風呂まで来てしまった。
湯けむりの向こう側は海なのだろう、暗闇の中波の音が聞こえている。
これではもう逃げることもできない。追い詰められた袋のねずみというやつだ。
露天風呂と内風呂を隔てる引き戸をなんとか締め、鍵を閉めたものの湯気の中でゾンビたちがうごめいているのがみえる。
ここにいるのは俺とバニーガールのおっさんの二人だけ。
なんで最期に一緒にいるのがこいつなんだよ。
最初、俺は一緒にこの旅館に泊まりに来た彼女のサチ子と逃げていた。
サチ子と俺は3年付き合っていて、昨日が彼女の誕生日だった。
そのお祝いにとこの海の近くの旅館まで来たのだが、どういうわけかゾンビの襲撃にあい旅館中を逃げ回り、彼女は逃げ込んだ先の客室に潜んでいたゾンビに殺されてしまった。
俺が見たサチ子の最期の姿は、サチ子の柔らかく白い首筋にゾンビの汚い黄色い歯が喰いこみ、鮮血が噴出している姿だった。
「ここの温泉は最高なのよ。」嬉しそうにサチが微笑んでいた顔がフラッシュバックする。
しかし、サチ子が死んだ悲しみに浸る暇はなかった。
その場にあった浴衣でゾンビの顔を覆い、すばやく帯で首を絡めてベランダから海に落として始末した。
ゾンビを始末してからサチ子に駆け寄る。
信じられないことに愛するサチ子がゾンビとして立ち上がるところが見えた。
サチ子は俺を餌と認識し勢いよく襲い掛かってきた。
「待て、サチ子。俺だよ……、やめろよ」
そんなことはお構いなしだ。
サチ子には、俺がスーパーでパッケージされて売っている牛肉程度にしか見えていないのだ。
サチ子にちゃぶ台を投げつけ横転させるとその隙にベランダへ出て、手すりの外側に立った。
「サチ子、こっちだ」
ちゃぶ台を退けた彼女は、餌を見つけた犬のように物凄い勢いでこちらに走ってきた。
今だ――!!
上の階のベランダの手すりに懸垂の要領で体を持ち上げ、返す足でサチ子の後頭部を海の方向へ思い切り突き落とした。
こうしてサチ子は暗い海の中にゆっくりと吸い込まれていった。
もう二度と会うことはないだろう。
さようなら俺の愛しい人。
サチ子との永遠の別れの後、バニーガール姿のおっさんに出会った。
その扮装にゾンビはテレビのドッキリ企画で俺はだまされているのじゃないかと思ったが、
おっさんは、旅館の地下にある大浴場でゾンビに襲われ真っ裸で逃げ回り逃げ込んだ先でどうにか手に入れたのがバニーガールの衣装だったというどうしようもない理由だった。
「さて、おっさんどうする?もう逃げ場はないようだ」
「こんなバニーガールの姿で死ぬなんて、世間体が悪すぎる……」
「ハハ、気にするの、そこかよ!それにウサギじゃなくて袋のねずみだ」
「確かにそうだな。……なあ、最期に風呂入ろうか?さすがに疲れたワイ」
「そうだな、せっかく温泉に来たんだし、思う存分浸かろうぜ。」
そうここは、この旅館の最上階にある露天風呂。
疲労回復、リウマチ、皮膚疾患、なんでもござれの効用があるそうだ。
ここで人生終わっちまうなら、露天風呂くらい入っても罰は当たらない。
服のまま温泉に二人で浸かる。
もちろんおっさんはバニーのままだ。
暖かくて最高気持ちいい。疲きった肉体が癒された。
ゾンビの呻き声さえなければ最高だった。
上を見上げると、空は暗闇ではなく青い色をしていた。
どうやら、もう夜明けが近いらしい。
「なあ、おっさん。温泉入りながらゾンビに食われるのと海に落ちるのとどっちがいい?」
答えを聴く前に「ベキッ」と破壊音が響く。
ついにゾンビ達がドアを蹴破り、中に入ってきた。
「ようこそ、バニーガール温泉へ」
そんなおちゃらけたセリフも虚しく、ゾンビご一行様は体も洗わずにずかずかと入浴してきた。
すると、ゾンビたちはフオオオーッと声を上げ、湯気がもくもくと立ち上がりお湯の中で苦しみ暴れだした。
そして湯気が引いてくると、……人間に戻っていたのだった。
人間に戻り、呆然とする元ゾンビたち。
バニーガールのおっさんも口をあけてぽかーんだ。
自分も死ぬ覚悟でいたのに、いきなりのことで腰が抜けてしまった。
そして黒い海に吸い込まれていったサチのことを思い出した。
「サチ子、ホントさぁ……ここの温泉、最高だな……」
ああ、温泉のお湯がやけにしょっぱい。