particle20:悪意の、萌芽(2)
「がッ!? うああああああああああぁぁッ!!」
エビルシードを赤桐小春に撃ちこむ。大きな叫び声の後、しきりに痙攣を起こしている。
「ふむ。これで、何発目だ?」
首を傾げながら、近くにいる書記に問う。五百を超えたあたりから、数が曖昧になり、数えるのを任せてしまっていた。
「八百三十九です」
「そうか」
新たにエビルシードを込めた銃を部下から受け取る。最初は東裏がしていたが、途中から席を外した。三百を超えたあたりだったと記憶している。
「それにしても、おかしなものだな。飛澤によれば、一発で発狂し、二発で確実に死ぬという。実際、私もこの目で確かに確認はしたのだが、な」
また、赤桐小春に向けて撃つ。叫び声と痙攣。最初はほとんど何の反応を見せなかったが、二百撃ちこんだあたりで、こうなった。それ以降で、大した変化は見られない。
「それでも、まだ壊れる気配すらない。悪意に耐性のある人間がいると、飛澤は仮説を立てていたが、まさか、これほどとはな」
言いながら、また、撃ちこむ。いい加減、同じ反応を繰り返す赤桐小春に、飽きてきてしまってもいる。
「これで、外傷はつけられない。しかし、心は引き裂かれんばかりにズタズタになる。そのはずなのだが」
銃を部下に渡す。
「終わりですか?」
「いいや、時間をおいて少し様子を見るだけだ。何か変化があれば伝えろ」
「わかりました」
まだ小刻みに痙攣している赤桐小春を残し、部屋を出る。
まだだ。
壊れてしまうと、取り出せない。
知らず笑っている自分に気づき、気を取り直した。
波のように、何かどす黒いものが、押しては引いていく。
その勢いが少しずつ強くなっていくのを、どこか冷めた気持ちで感じていた。
体の痛みなら、かなりのところまで、耐えられる。
でも、心の痛みは、違った。
初めは、耐えようと思った。それで、黙っていた。しかし、抑えきれなくなって、自然と声を上げた。
叫ぶと、自然と楽に耐えられることがわかった。
そのうち、叫ぶだけではなくなり、体が自然に震えるようになった。それも、苦しみを楽にしているのだとわかった。
それからは、ただそれを繰り返した。何度叫んだかは、最初から数える気さえなかった。
そして、心の痛みにも、慣れ始めていた。
繰り返し襲ってくる悪意。
真正面から受けるのではなく、流れてみる。そうしてみると、悪意も心地よいものだとわかった。今までは、そんなことを思わなかった。ううん、見ようともしなかった。
いつの間にか、波は収まっていた。まだいくらでも耐えられる。いや、耐えると言うほうがおかしいのかもしれない。
任せる。
もう、この悪意に、私自身を、ただ任せていたかった。
「スペル様ッ!」
休憩しているところに、部下が駆けこんできた。
「慌てるな、何があった?」
「突然、アルズロートが立ち上がって…!」
「馬鹿を言うな。エビルシードをたらふく喰らわせてやったのだぞ? ろくに動けるはずがない」
「それが、動いているのですッ!」
「…東裏、お前もついて来い。恐らく、頃合いだ」
「わかりました」
地下を降り、赤桐小春のいる部屋のドアを開ける。
「!? 何だこれは!?」
東裏が声を上げる。無理もない。部屋の中は黒い煙のようなものが部屋中を埋め尽くしていた。その中心に、笑みを浮かべた赤桐小春が立っているのだ。
「ククク、あはははははッ!!」
「!? スペル殿?」
「この瞬間を待っていたのだッ! やはり、やはりそうだったッ! 赤桐小春は、人間にして、我らに限りなく近い存在。限りない悪意を、その身に宿せる存在だったのだッ!」
「!? まさか、アルズロートが、我らと同じ…!?」
「ああ。だが、いくつか違う。そして、そのいくつか違うところで、赤桐小春を利用させてもらうッ! 東裏」
「何ですか?」
「赤桐小春の悪獣を取り出せ。手加減はするな」
「…はっ、では」
東裏が立ったままの赤桐小春の頭を掴む。
「解き放て、アルズロートッ! その悪意をッ!」
東裏が叫ぶと、部屋中の黒い煙のようなものが赤桐小春に吸い込まれていく。そして、赤桐小春の体の中心から、蝶がさなぎから還るように、ゆっくりと悪獣が形を伴いながら生み出てきた。
「ふむ、これが赤桐小春の悪獣、か」
煙が実体を持つ。立ったままのその姿は、赤桐小春そのものだった。ただし、雰囲気が違う。纏っている雰囲気が、どこか退廃的なのだ。
「さあ、行くのだ、悪獣よ!」
「お断りします」
「何?」
「私は、誰にも縛られない。私を縛って良いのは、唯一、私自身だけです」
そう言って、赤桐小春の悪獣は、傍らで気絶している赤桐小春を見た。
「私の、抜け殻。私は、ずっとあなたの奥底にいた。それを、あなたは見ないようにしていた。私は、あなたが嫌いです。だから、あなたが絶望するように、まずは、あなたの一番大事な人たちを、消してきてあげますね」
赤桐小春の悪獣が、部屋から出ていく。
「行かせて、いいのですか?」
東裏が聞いてきたので、答えた。
「あの悪獣を、誰が止められる? 赤桐小春を捕縛するのでさえ、お前の部隊が半壊したのだぞ?」
「わかりました。ですが、悪獣の追跡だけはやります。…アルズロートは、どうされますか?」
床に転がっている赤桐小春を一瞥する。
「まだ、利用価値は大いにある。もうしばらくは、な」
「…そうですか」
「不満か?」
「いえ」
「全ては、輩のためだ」
「わかっております」
東裏は、私が心から言っていないことには気づいている。
飛澤は、もういない。
裏切らなければいいのだと思った。
「小春君の居場所がわかったぞ!」
指令室で、電話を聞いていた喜平次さんが声を上げる。
「どこですか!? 小春ちゃんは、今どこにッ!」
藍が喜平次さんに迫る。うろたえながらも、喜平次さんがそれに答えた。
「街中に、小春君らしき人物の目撃情報があった。おそらく、自力で敵のアジトから脱出してきたのだろう。そして、小春君の目撃情報から予想される、敵のアジトの候補もいくつか割り出してある。今回は、本物の可能性も高い」
「良かった…」
藍の肩に手を置く。戦闘の途中で小春の家に向かった藍だったが、すでに遅く、小春は敵に連れ去られた後だった。血だらけで無残に破壊された小春の家を一瞬で直したのは驚いたが、本人は焦っている。
何か、また一人で、暴走しなければいいのだが。
「良かったな、藍。それで、肝心の小春ですが、本当に無事なのでしょうか?」
「映像が来る。モニターに出るはずだ。ゆかり君、頼む」
「はい」
少しして、モニターに小春の姿が映った。少し前に撮られた映像のようで、静止画だったが、外傷のようなものは見受けられない。
「怪我はないようね。全く、心配させてくれるわ」
「違う…」
藍が映像を見ながら呟く。
「? そうかしら? 外見は確かに小春だと思うのだけれど」
「…私も、小春だと思う」
「はい。でもどこか、違和感があるんです」
「捕まっていたから、そう思うのではないか?」
「そうだといいんですけど。でも、何かが違う…」
藍がまだ何かを考えていた。何が違うのというのだろう。
「ともかく、小春を迎えに行くわよ。逃げ出したのなら、敵に追われているはずだもの」
「…ん、了解」
「よし。では、出動するぞ」
「…初陽」
「? どうした、かなり?」
「…また、藍がいない」
「何ッ!?」
見回すと、確かにさっきまで傍にいた藍がいなかった。
「くッ…!」
前回といい、小春のことになると我を忘れすぎるところがある。
「すぐに追うぞッ!」
「ええ!」
「…ぶ、らじゃー」
あれだけ、想える人がいる。
「…船瀬」
勝手に落ち込む私は、やはり弱いのだろうな。
何の変哲もないビルだった。それを、睨むようにして立つ、わたくしの主。三つ編みが、ビル風に激しく揺れている。
情報と、藍殿の推察で、いくつかあるアジトの候補のうち、本物はここしかないと、藍殿は結論付けた。
(本当に、一人で行くのですか、藍殿? いえ、わたくし達がいる時点で、厳密には一人とも言えないのですが。それでも、他の方達の助力無しでは、いささか厳しい戦いになるとわたくしは愚考しておりますが故に-)
「クォさん」
(はい。何でしょうか、藍殿?)
口うるさいと、たしなめられるのだろうか。それでも良い。言っておくことはちゃんと言う。パートナーとして、そこは譲りたくはない。
「ありがとうございます」
(? 何故、わたくしが藍殿に感謝の言葉を頂くことが出来るのでしょうか?)
「わかっているのだと思います。それでも、言葉にして欲しい。だから、言います。心配してくれて、ありがとうございます」
(藍殿…)
わたくしの主が、たおやかに微笑む。
「大丈夫です。わたし、小春ちゃんより先に死なないって、決めてますから」
(ふむ。それは、どうしてですかな?)
「わたし、見ていたいんです、ずっと。小春ちゃんを、傍で。小春ちゃんの、傍で」
(…了解いたしました。なれば、わたくしはもう御止めはいたしません。どこまでも、藍殿についてゆく所存です)
「ありがとうございます」
(藍、一つ、聞いてもいいかしら?)
藍殿の右腕にはめられたフェルミ殿が、藍殿に聞く。研究所から単身出てくるときに、フェルミ殿が藍殿に同行を申し出た。藍殿も、それを承諾した。わたくしも、フェルミ殿の立場なら、同じことをするだろう。
「何でしょう?」
(途中、藍は小春と会うことなく、ここに来た。それは、どうしてかしら?)
少し考え、藍殿が話し出す。
「映像を見ただけですが、あの小春ちゃんは、本物の小春ちゃんではありません。どこかが、違う。恐らく、クローンかロボットか、もっと別の何かなのだと思います」
(何故、そう思ったの?)
「敵に攫われる前の小春ちゃんは、あの画像のような顔をしてはいませんでした。自分の中に芽生えた気持ちに、戸惑っていた。それが、敵に攫われて治るなんて、考えられません。まず、それが一つ目の理由です」
(二つ目は、何なの?)
「小春ちゃんを攫った。敵がこの事実を利用して小春ちゃんを使って何かするのに、今は最大の効果を得られる、絶好のチャンス。簡単な推論です。そして-」
藍殿の眉が吊り上る。
「わたしが、もっとも許せないことでもあります」
(そ、そう…)
「はい。ですから、てっとり早い方法で、小春ちゃんがどこにいるのか、聞くことにしたんです」
(それが、単身での敵のアジトへの殴り込みというわけですな)
「やっぱり、止めますか?」
(いくらわたくし達が言ったところで、止まらないでしょう、今の藍殿は。我々は、藍殿についてゆくだけです)
この子は、賢い。本気になれば、誰より羽ばたける力を持っている。
しかし、それを使わない。いつだろうと、小春殿の力であろうとする。そのためなら、命すら、藍殿にとっては軽いはずだ。
藍殿は、小春殿に希望を見出した。幼い頃の経験がそうさせるのだろうが、もはや、それは崇拝と言っても良いほどだ。
わたくしも、似たようなところはあった。
母星では、主に使えていた。主は気の良い方で、別れる最後までわたくしを案じてくれた。共に母星に残りたかったが、主にもっと広い場所で生きて欲しいと言われ、その気持ちを無下にしてはいけないと思い、開拓計画の一員として、母星を離れた。長い旅だったが、主の思い出は、今もわたくしの中で幸福な思い出としてある。
そして、この星でまた新たな主に仕えるために、わたくしは主を待っていた。肉体か物質体かで迷ったが、物質体ならば、直接的な奉仕は出来ないが、いつも傍にいられると思い、物質体になることを決めた。それから、同じ輩の八月一日殿に協力してもらい、わたくしは様々な人間と見てきた。
主と仰ぐような方は、なかなか現れなかった。心の、気高さ。仕える方は、そうあって欲しいと考えていた。それに見合う人間は、少なすぎた。
藍殿も、初めは、その気高さがわからなかった。しかし、何度も藍殿を見ているうちに、小春殿に対する真摯な姿勢の中に、眩いほどの気高さを見つけた。
「そろそろ、突入します。二人とも、準備は良いですか?」
凛とした横顔。普段の藍殿には無い表情が、そこにはあった。
(ええ、大丈夫よ)
(参りましょう、藍殿)
「小春ちゃん。…今、行くから」
主よ。
わたくしの今の主は、こんなにも気高いのですよ。
次話、藍が小春のために暴れます。




