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particle20:悪意の、萌芽(1)

 道場の隅で正座して、ただ稽古する人達を見ていた。

 戦闘中に気分が悪くなって途中で戦えなくなってしまったが、あの後の戦闘はかなりちゃんと初陽さんが残った敵の人を倒したという。私が、初陽さんが追っていた人を倒してすぐ、敵は皆離脱の体勢に入ったらしい。後で藍ちゃんから聞いたことだった。

「…」

(小春、無理しなくていいのよ)

「…ううん、大丈夫だよ、フェルミ」

 座ったまま、フェルミの問いかけに答える。傍には、付いてきてくれた藍ちゃんがいた。

 二人に心配されている。多分、他の皆にも。それがどうしてか、たまらなく心を逆立てた。

 エビルシード。あの黒い弾丸のようなものが体に入ってきてから、たまに、ひどく苛立っていることがあった。こんなことは初めてで、私自身、どうしていいか良くわからなかった。体を動かせば気分も晴れるだろうと思って道場に来てみたが、体を動かす気分になれなかった。今動くと、何か余計なことをしてしまいそうな確信がある。

 正座しながら、瞑想する。イメージは、やはり黒かった。それも、ひどいイメージばかりだ。

「…」

 右手を見る。

 この手で、敵の頭を砕いてめちゃくちゃにした。固い骨と生ぬるい血の感触は、今も拳に残っているような気がする。

 稽古をしている人を見た。組打ちをしている人がいる。型の稽古をしているのだろう。ゆっくりとしているが、洗練された動きをしている。真剣さの中に、笑顔が垣間見えた。

 なんだろう。

 心がざわざわする。

 楽しそうな顔だなあ。

 …壊したいな。

 -この手で。

 立ち上がろうとする私の肩に、誰かの手が触れたのを感じた。

「今は、じっとしてろ」

「!? あ、輝さん…」

 あれ?

 私、今何を…。

「こはるちゃん、あたしとけいこしよ、ね、けいこっ!」

 弥生ちゃんが傍に寄ってくる。

「弥生ちゃん、私は、今は…」

「弥生、小春は忙しいんだ。お父さんと稽古しような?」

「え~ッ!」

「む、そんなこと言うと、弥生の大好きな肩車してやるぞ?」

「え~」

「む、また言ったな。ほら、肩車だッ!」

 輝さんが弥生ちゃんを肩に乗せぐるぐると回る。

「あはははっ、これすき~。じゃ、また今度けいこしようね、こはるちゃん~」

「うん、バイバイ」

 笑い声を上げながら、弥生ちゃんが輝さんに連れられていく。

「小春ちゃん…」

 さっきの私の様子で多分、藍ちゃんは私が何を思ったか気づいてる。藍ちゃんは、私より、私のことを知っているのだと思う。

「あのね、話したいことがあるんだ。聞いて、くれるかな?」

 だから、正直に話したかった。

「うん…」

(小春…)

「あのエビルシードってものを受けてから、私、少しおかしいんだ。私は、人を守りたい、それが自分のしたいことで、出来るコトなんだって思ってた」

(小春なら、そうでしょうね)

「でもね、この世界には悪意を持った人がいて、他人を平気で傷つける人だってたくさんいる。私は、ずっとその人達のことがわからなかった。どうして、同じ人を、存在を苦しめたり傷つけたり出来るのか」

「答えは、出たのかな?」

「ううん。でも、私の中にも、他人を苦しめたい、傷つけたい、そうすることで、どこか喜びを感じてしまう部分があることに、気づいたんだ。だから、わからなくなった。ずっと、そういう人達は悪い人で、だから私は、そんな人達から攻撃されてしまう人を、助けなきゃいけないと思ってた。でも、そんな悪い人の感情が、自分の中にあるんだって気づいた。そうしたら、自分自身が許せなくて、悪い人が、本当に悪い人なのかわからなくなって。そんな私が戦ってもいいのか、それは単なる、暴力なんじゃあないかって、思ったんだ」

(小春、それは、もう、戦いたくないという意味かしら?)

 フェルミの声。今まで聞いた中で、一番真剣な声だった。

「…うん」

(…そう)

 そう言ったフェルミの声には、悲しさが明確にあって、それは、私にとっての予感でしか無かった。

(…なら、お別れかしらね。小春、藍に私を渡してくれる?)

「フ、フェルミさん!?」

「わかった」

 右手にはめた腕輪を外して藍ちゃんに差し出す。迷っていた藍ちゃんだったが、恐る恐るフェルミを受け取った。

「フェルミさん、小春ちゃんも。これで、本当に良いの?」

(私は、小春の意思を尊重したいの。小春が嫌だと言うのなら、無理強いはしないわ)

「…ごめん、フェルミ」

(…行きましょう、藍)

「小春ちゃんを置いて、ですか?」

(…お願い。今、小春の傍にいると、小春を傷つける言葉しか出てこないの)

「…わかりました。小春ちゃん、またね」

「うん、…またね」

 藍ちゃんがフェルミを持って道場から出て行こうとする。

(小春、最後に一言だけ、良いかしら?)

 フェルミの声が頭に響く。

「何?」

(『想う』ことを、諦めては駄目よ)

 結局、稽古せずに家に帰ってきた。食欲もあまりなく、リビングでぼんやりとしたまま、ただテレビを眺めていた。

(春の終わりに起きた素粒子の大量観測と、最近頻発する隕石の落下との関連性が専門家の間で―)

 自分の部屋に戻る。

「ね、フェルミ…」

 フェルミに話しかけようとして口を開き、いないことに気づいて、唇を強く噛んだ。 



 街中で悪獣が暴れているという報告を受け、現場に急ぐ。

「…小春は?」

 走りながら、かなりさんが聞いてきた。

「自宅にいると思います。研究所にいても、辛いのだと思います」

「そうか。気持ちは、わかるな」

 初陽さんが少し暗い顔をする。

「ったく、フェルミ、あんた小春と喧嘩したなら、早く仲直りしなさいよね」

 鈴花さんがインカムで聞いているであろう、研究所で待機しているフェルミさんに向かって話しかける。

(鈴花にだけは、言われたくない台詞だよね)

「その言葉、そっくりそのままアンタに返す」

 空気を読んだルーオさんに、鈴花さんが言葉を返した。

 インカム越しに、美奈さんの声が響く。

(現場までもうすぐだからね~。皆、準備はオーケー?)

「…無問題」

「でも、妙よね、報告によれば、悪獣は暴走しているというじゃない。恐らく、操ってるのは東裏でしょ。わざと暴走させるような男とは思えないのだけれど」

「確かに、そうですね。別の隊長が操っているという可能性もありますが」

「初陽、この付近の索敵はどうだったの?」

 低空を飛びながら、真横を並走している初陽さんに、鈴花さんが問いかける。

「見る限り、悪獣以外の敵は見受けられなかった。東裏の姿もだ」

「それは、妙ね。東裏がいなくても、後方支援に下っ端が何人か配置されていても良さそうなものだけれど。エビルシードってヤツは、下っ端だって使えるのだし」

「それは、私も思ったな。…見えたぞ、悪獣だ」

 前方。見ると、巨大なトラックがこちらに向かってうねりを上げながら走ってくる。

 避ける。真横を通り過ぎ、風圧で三つ編みが大きく揺れた。

「トラック型の悪獣。暴走させて欲しくはなかった悪獣ね」

「…藍」

 Uターンしてこちらに爆音を響かせながら向かってくる悪獣を見ながら、かなりさんが口を開いた。

「? どうしましたか、かなりさん?」

「…この悪獣は、多分、ここに私達を釘づけにしておくための囮。今、東裏の部隊はー」

 そこで、気づかされる。

「!? 狙いは、小春ちゃん!?」

「…確信は無かった。でも、今の悪獣を見て、操り主はここにいないと思った。小春が、危ない」

「そういうことか! くっ、迂闊だったッ…!」

「なら、早くこいつをぶっ倒さないと。初陽、頼むわよ。かなり、合図で一緒にやるからね」

「急がなくてはな。…セデーレ・マッジョラッツィオーネ!(緑道の重在撃)」

「よし、悪獣の動きが止まった。行くわよ、かなり!」

「…二秒で始末しな」

「シルバーホワイト・スファルファラーレッ!(銀翼の飛撃)」

「…ブレイジング・ブリランテ(黄泉の亡撃)」

「よし、悪獣はこれで倒した。早く小春の元へ!」

「急ぐわよ!」

「…ね、二人とも」

「ん、どうした、かなり?」

「…藍が、いない」



「死者二十八、重傷四十七、軽傷五十三、エビルシードが百六十七、やれやれ、いくら殺さずに捕縛を命じていたとはいえ、生身の体でよくこれだけ殺せたものだ。私は、人間の恐ろしさというヤツを垣間見た気がするぞ、アルズロート、いや、赤桐小春」

 スペル殿が鎖で繋がれたアルズロートに話しかける。

「…」

 アルズロートは答えず、俯いたまま黙っていた。戦闘で疲労しているのか、身動き一つしない。先程までの戦闘の動きとの落差が凄まじく、それが逆に恐ろしいほどだ。

「私とは話したくはない、か。まあ、それも良いだろう。話そうが話すまいが、君にはこれから永遠に、私達の役に立ってもらうことになる。君を見ていて、閃いたことがあるからな。いやあ、実際、良い研究対象だと思うぞ、君は」

 アルズロートは答えない。

「拷問はすぐ始まる。心の準備をする時間ぐらいは、与えてあげよう。ああ、言わない方が良かったかな? 東裏、それまで赤桐小春を監視していろ。準備は、すぐ終わる」

「はっ」

 スペル殿が、部屋から出ていく。部屋と言っても、檻などは無い。ただ、超合金の柱が二本あり、そこに鎖で両の手を縛られたアルズロートがあるだけだ。

 多分、他のアルズ達は助けには来られないだろう。こちらの本部の場所はまだ敵に掴まれていない。ここは、そのさらに地下深くにある。出入り口も、簡単に見つかるようにはなっていないのだ。

「怪我が、痛むだろう。済まないな、治療は、スペル様が許可していないのだ」

 殺さずに捕縛したといっても、戦闘でかなり負傷している。しかし、急所への攻撃は、一つも喰らってはいなかった。そんなアルズロートを見ていると、恐れの感情が湧いてくる。

「…どうして」

 俯いたままで、アルズロートの声が聞こえた。

「? 何だ?」

「どうしてあなたは、敵である私に、優しく出来るんですか?」

 その言葉に、最愛の人を想った。

「…守るものが、出来たからだ」

「…そう、ですか。良かったですね」

「…すまない」

 何故か、そんな言葉しか出てこなかった。



「…なにッ!? 悪獣は、囮だったのかッ!?」

 喜平次の声が、研究所の指令室に響く。普段から少し大きいその声に、たまに耳を塞ぎたくなるが、私には残念ながら、耳は無いのだった。

「フェルミ」

 小春とも一緒にいられず、そういって藍についていっても仕方ないから、研究所にいた。

(何、喜平次? またゆかりに頼んで、かくれんぼでもするのかしら?)

「冗談を言っている場合ではない。小春君が、敵にさらわれた」

(!? …そう)

 ありえないことでは無かったが、その可能性は見ないようにしてきたのかもしれない。

(小春が危ない時に、一緒にいられなかった。パートナー失格ね、私)

「自虐っている場合ではないぞ。他の四人にも、小春君の行方を調べてもらっている。囚われたまま、小春君が何をされているのかわからないのだ。一刻も早く、救い出さねば」

(落ち着きなさい、喜平次。そんなこと、貴方に言われなくともわかっているわ)

 喜平次をたしなめることで、冷静を装った風でいる。それは、自分が一番よくわかっている。

 本当ならば、今すぐにでも小春を助けに行きたい。

 こんな時、物質体となったことだけが悔やまれる。移動手段が無い。それが、ただただもどかしかった。

(小春…)

 こんなことになってしまったのは、私の責任だ。

 あの時、小春に戦うように説得していれば。

 いや。

 ただ、傍にいれば良かったのだ。戦わなくても、ただ、小春の傍にいれば。

 何故、突き放すようなことを言ってしまったのか。

 小春がもう戦えないと言った時、確かに私は、一度、小春に失望してしまったのだ。

 ひたすら真っ直ぐで、真っ白な心。

 それに惹かれた。

 愚かな幾億の人間とは違う、人間の可能性を、希望を、私はそこに見た。

 その心が、自らの悪意に気づいてしまった時。

 私はそこで、小春を突き放してしまったのだ。

 人は、いや、存在は、誰かのためになど、生きられない。

 ましてや、見ず知らずの他人のためになど。

 母星に、唯一無二の、友人がいた。

 開拓計画の時も、共に行こうと約束していた。

 でも。

 直前で彼女は母星に残ることに決め、それを私が知ったのは、母星を離れてからのことだった。

 急な心変わりだった。

 約束は、果たされなかった。

 何か、家族の都合が悪くなって残ることにしたのだ。そんな風に理由を考えて、自分を納得させた。

 けれど、彼女がいないという事実だけは、ごまかしきれずに、永遠に残った。

 そのうち、彼女が出発直前に開拓計画の本当の目的を知ったのだと考えるようになった。知って、私にそれを伝えず、一人だけ母星に残ったのだと。

 真実はわからない。確かめる術も、無かった。

 だから、裏切られたと思うようにしていた。そうしていないと、自分を責め続けるような気がしていた。

 そんなこともあって、欲望に、鼻が利くようになっていた。

 地球に上陸してからも、様々な人間の欲望を見てきた。どれも、見るに堪えない、下衆な欲望ばかりだった。

 喜平次もそんな一人で、珍しく、私の声が聞こえる才能を持っていた。少し面白くなって、母星のことを話すと、興味深そうに喜平次は色々と私に聞いてきた。輩の地球開拓のことを話すと、それを許さないという姿勢も見せていた。

 それで、私は取引をすることにした。私が輩に立ち向かう力を喜平次に提供する代わりに、喜平次は私が信じるに値する存在を用意すること。私達の関係は、そこから始まった。喜平次の用意した人間は悪くは無かったが、誰しもやはり、どこかで自分を一番に考えていた。人間ならば、いや、存在ならば、それも当たり前のことなのだろう。しかしそれを、私は、許せなかった。

 初陽とパートナーを組んでみたが、満足の行く成果は得られず、そこに、小春が現れた。

 待ち望んだ、存在だった。

 ただただ、真直ぐな心。

 この子になら、私の全てを託してもいいかもしれない。

 そう、思っていた。

(小春…)

 私は、裏切られたのだろうか。

 今までの小春との日々で、小春が裏切るということが、考えられなかった。

 そう思えた時点で、もう、結論は出ていた。

 だが、その結論に向かって、踏み出すことができない。

 それを認めるのが、また裏切られてしまうかもしれないことが、私は怖いのだ。

(ふふ、馬鹿ね、私は)

 突き放した私に、小春と共にいる資格など、あるのだろうか。

 いや。

 小春は、そんな私でも笑顔で迎えてくれる。

 それだけは、確信を持って言える。

 ああ。

 やっぱり、私は―

(あの子のこと、どうしようもなく、気に入っているんだわ)

 切に、小春に会いたかった。

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