particle19:最後の、七罪(1)
冷たさだけが、あった。
それが信じられずに、冷たさの主を見る。
眼は閉じられていたが、はっきりと苦悶の表情がその冷たさの中にはあった。
「…船瀬、どうしてお前が」
一番、死にそうにもない男だった。
「薬を、煽ったようです。睡眠薬を多量に。輩でも致死レベルになるほどの」
検死結果を、飛澤が言う。それをどこか遠くに聞きながら、これが船瀬の計画した私を驚かせるためだけの何かの茶番であって欲しいと思った。
「本当に、それだけか?」
飛澤が無言で頷く。
「…しばらく、一人にしてくれ」
船瀬の部屋から、飛澤が出ていく。
「おい」
呼びかける。
「もう、寝ているフリはしなくていいぞ。だから、さっさと起きろ」
返事は無い。
「水トがいたら、お前を蹴りあげているところだぞ。私も、蹴ってやる」
水トも、もういない。
「お前も、私の前からいなくなるのか、船瀬?」
まだ、お前にはやり残したことがあったはずだ。そう声を上げそうになって、飲みこむ。
「お前は、お前自身のために、ただ純粋に生きていたはずだ。そんなお前だからこそ、私は、簡単には死なないと思っていた」
自死を選ぶような男ではない。
何かの薬を飲まされた。その上で、殺されたのだろう。
その先を簡単に想像できて、暗い気分になる。
もう、何もかも投げ出したい気分だ。
「生きる。残された者は、辛いだけだな」
部下に指示を出し、船瀬の部屋を後にする。
脳裏に苦しげな船瀬の顔が蘇り、拳を壁に叩きつけた。
(ねね、姉さん? この漫画面白いよ~。野獣になった美女が討伐に来たイケメンを食べたら脳内彼氏になっちゃう話なんだけど~)
「…それ、もう読んだ。結末は、バットエンド」
(ええ~!? そうなの!? も~、何で姉さん結末言っちゃうかなあ~)
「…七割、嘘」
(三割のホントはッ!? どの辺、どの辺? どの辺がホントよ~?)
布団に寝転がりながら、宗久が買ってきた漫画を読む。宗久の買い物のセンスは、任せて間違いないので、私達はそれに任せっきりだった。
「…ね、ティノ?」
(ん? どうしたの、姉さん?)
「…私達、ずっと静にお世話になりっぱなし」
(そうだね~、こうして一緒に住まわせてもらっているしね~)
宗久はそう遠くないところに部屋を借りて住んでいる。お金も、よくはわからないが自分で稼いでいるみたいだった。
「…私、何も静に返せてない」
(それを言ったらアタシもそうだよ~)
「…静に何か返さないと」
(おっ。どうするんだい、姉さん?)
「…まず初めは」
喫茶店のエプロンを来て、店に立つ。店の手伝いをすると言うと静は心配しながらも許可してくれた。
「はい、じゃ、このケーキをあそこのテーブルのお客さんに渡してね。それが終わったら、三番テーブルの食器を下げてきて」
「…ん、了解、静」
「仕事中は?」
「…間違った。了解、マスター」
ケーキと紅茶の乗った皿を運ぶ。
「…ケーキ、おいしそう」
(姉さん、足元気をつけてね)
足に何かが当たり、体勢が崩れる。
「…あ」
皿の割れる音と、ケーキが床に盛大に四散する。
「…ごめんなさい」
服まで汚れ、静に上で着替えてきてと言われて、大人しく二階に上がる。床の掃除をしようと一度降りたが、静が笑って休んでなさいと言った。
(一回の失敗なんてよくあることだよ姉さん! さあ、気合い入れて行こう)
「…うん」
(あちゃあ、結構凹んでるね。こういう時はさ、宗久の借りてきた映画でも観ようよ)
今手伝いに行っても手伝わせてもらえなさそうなので、仕方なくティノと一緒に映画をみることにした。
(どれを見ようか? あ、これなんかどう?)
映っていたのは、少し昔の風景。映っている俳優も、何だか古臭い。
「…別に、なんでもいい。ティノがこれにするなら、これ観る」
(やった。じゃ、これ観よう。姉さん、早く早く~)
映画をセット。映像が流れ出す。始まりは何だか、欠伸の出るような展開。人間ドラマを描く作品のようで、正直あまり面白くない。それが中盤から、登場人物一人ひとりの想いが複雑に入り混じってくる。そして、最後には大団円。
印象的なシーンがあった。
(姉さん、これって)
「…うん、決めた。静のお礼は、これ」
胸の中の、温かなぬくもり。
確かなそれに、自分は一人ではないのだと思えた。
弱い。どうしようもなく、弱い。
ただ、甘えている。そんな私に優しくしてくれる、優衣さんの優しさに触れて、どうしていいかわからなくなる。だから、ただ優衣さんを胸の中に抱きしめていることしか出来なかった。
自分から優衣さんの連絡を取った。無性に、会いたくなってしまった。嫌な男だと思う。利用しないと決めたのに、これでは利用しているのと同義だった。
済まない気分になり、そっと抱きしめていた腕を解いた。どれくらい抱きしめていたのだろう。昼過ぎに来たはずだったが、夕暮れになろうとしている。
「ありがとうございます、ようやく、落ち着きました」
心配そうな顔の優衣さんに笑いかける。うまく笑えなかったようだ。優衣さんの顔が、少し暗くなったのがわかる。
「何があったのか、話して下さいますか?」
「聞いて、くれますか?」
「聞きたいのです。東裏様の話です。ならば、聞きたいのです」
優衣さんの瞳の私が、口を開いた。
「部下が、死にました。長い付き合いではなかったのですが、信頼していたと思います。その部下が、死んだ。自死だったということでした」
優衣さんは、何も言わずに私の話を聞いている。
「自死を選ぶような男ではありませんでした。騒がしい男で、いなくなってみると、その騒がしさが貴いものだったことにも、今更気づいてしまいました。そして、その男が、死んで、私は、残されたのだと思いました。ただ一人、残されてしまったのだと」
頭を下げる。
「すみません。だから今日、こうして優衣さんに会いに来たのは、そんな自分の寂しさを埋めるためなのです。私は、貴方を利用している。それも、都合良くです。軽蔑して下さい。私には、それがお似合いなのです」
黙って聞いていた優衣さんが、私の手を取り、自分の胸に当てた。
「聞こえますか?」
鼓動。僅かだが、しかし、はっきりと聞こえる。
「はい」
「東裏様は、一人ではありません。私が、います。だから、利用してください。それでも、私は、こんなに胸が高鳴るほどに、嬉しいのです」
「優衣さん…」
優衣さんが眼を閉じる。ゆっくりと、その唇を奪った。
胸に当てていた手を、優衣さんの手が握る。
「お願いします」
何を、とは聞けなかった。
「今の私には、何かが欠けています。こんな状態では、貴方を傷つけることにしかならない」
「東裏様の欠けたものは埋められないでしょう、代わりにも、なれないと思います。でも、今の私に出来ることを、私は、東裏様にして差し上げたい」
繋いでいた手を離し、服をゆっくりと脱いでいく優衣さん。
夕日に照らされ、生まれたままの姿になった優衣さんの姿は、神々しくすら見えた。
「傷つけて、頂きたいのです」
優衣さんに手を取られ、ゆっくりとベットの方へと誘われる。
色欲では無い熱が、体にあった。
それが何かわからないまま、誘われるままに、優衣さんをベッドに押し倒した。
陽の光を瞼に感じ、眼を開けた。
静かな寝息が聞こえた。優衣さんはまだ、夢の中のようだ。涙が、眼にはある。それを指で拭うと、優衣さんが小さくみじろきをした。
「…東裏様?」
「はい、そうです」
「!? み、見ないで下さい!?」
そう言うと、シーツを被って隠れてしまう優衣さん。よくわからなかったが、何だか可愛らしい。
シーツをめくると、真っ赤な顔の優衣さんが恥ずかしそうに私を見ていた。
その頬に優しくキスする。
「すみません、ずっとこうしていられたらと思うのですが、私は、そろそろ戻らなければいけません。同志を、待たせてしまっています」
優衣さんの顔に、不安の色が浮かぶのがはっきりとわかった。
「また、会えますか?」
何かを心配したのだろう。そんな優衣さんの右手を、両手で包む。
「帰ってきます。貴方の、隣に。私の居場所は、そこにしかありません」
そうだ。
一人でない。
帰る場所だ。
そこに帰る。
そのために、私は戦うのだ。
店に出すものの買い出しをしながら、かなり達は今どうしているのか考える。
買い出しを勧めてきたのも、かなりだった。居候してから、大分気を許してきてくれてはいると感じているが、それでもどこか、一線を引いているような時があるのを感じる。
もっと甘えてくれてもいいのに。
最初、店の前で倒れていた時は何事かと思ったが、それからかなりと話していると、寂しさを抱えた子なのだとわかった。多分それは、両親のいない寂しさなのだろう。妹のティノも、同じだった。その寂しさを紛らわせるために、二人は強く結びついている。そして、寂しさを上書きするために、必死で楽しさを求めている。
そんな子達だから、放っておけなかった。そして、あの子達の母親の代わりにもなりたいと思っている。
しかし、そうあろうとすればするほど、あの子達はどこか遠慮している節があった。親の愛をどこかで信じきれない部分があるのかもしれない。そして、必死に私に対して何か返そうとしてくれているのもわかった。返すことで初めて、家族として対等なのだと思っているのかもしれなかった。
家族は、そうじゃなくていい。ただ、一緒にいて、話したり、笑ったりする。依存していようが、どんな形であろうが、家族は家族なのだ。家族の明確な形なんてどこにもないのだ。
孤児だった。両親は、借金を苦に、自殺した。私も一緒に死のうとしたが、何故か、私だけが生き残ってしまった。両親の親戚に引き取られたが、虐待を受け、殺される前に近くの孤児院に逃げ込んだ。そこで孤児院の院長に保護され、それからは独り立ちするまで、その孤児院で過ごした。若い院長は良い人だったし、同じ孤児の子達とも仲良くやれた。そして、高校を卒業してから、孤児院の支援を受けながら、喫茶店を始めた。借りた資金は、もう返し終えている。
「今日は、和食にしようかしら」
ずっと、家族というものに憧れていた。だから、かなり達とは、本当の家族になりたいと思っている。いつか成長して離れていくと思うけど、それまでは。
「よし、買い物も全部終わり。さーて、ウチの可愛い娘ちゃん達は何をしているのかな」
家への帰路を急ぐ。夕暮れだった。これから、陽はもっと短くなる。かなり達はお腹を空かせていることだろう。よく食べる子だった。
「?」
なんだろう?
私のお店だ。
それが、ロープに撒きつけられた黄色い布をはためかせて飾り付けされている。
店の前に、かなりと宗久さんが立っていた。
「かなり、これは何?」
「…出来るコト」
「え?」
「…これは、日頃からお世話になってる静へのお礼。そして、私が出来る、静へのプレゼント」
(いや~、布を一枚一枚染めるところから始めたから、結構大変だったんだよ? 褒めてあげてよ、静)
まじまじと店の屋根にはためいた布を見る。全部、黄色一色だった。
「まさか、これって…」
「…映画。大事な人を待つ時は、こうするものだと、私は初めて知った」
(姉さんの名前の色だしね♪)
「あの、もう帰ってもいいですか? 昨日から徹夜の作業で、そろそろ倒れたいのですが」
(もうちょい頑張ってけよ~、宗久~)
あっけに取られている私に、かなりが微かに微笑んで言う。
「…おかえり。そして、いつもありがとう、静」
「かなり…」
思わず、かなりを抱きしめた。
(よっしおっけー、帰っていいよ、宗久)
「おうえぇ~!? このタイミングでですかッ!?」
「ふふ。宗久さんも、夕食をどうぞ。今日は気合い入れて作るわ」
「女神がいたッ!?」
「…私も、手伝って良い?」
「ええ。一緒に作りましょう」
かなり達がベルを鳴らしながら店に入って行く。
家を飾り付けたハンカチを見る。
秋の空にはためく、黄色いハンカチ。
この光景は、きっと忘れない。
地味にかなり回でした。そしてここから物語は終盤の締めに入っていきます。次回はいよいよ七人目の七罪が登場します。




