particle18:いつか、きっとまた(1)
研究所の自室で、ゆかりさんから受け取った手紙を開く。中から出てきた真っ白い紙。少し指で表面をこすると、見慣れた文字が浮かんできた。
手紙を机に置く。
家族からで、一度、戻ってこいということだった。
無視することも出来た。あまり、両親と話したくは無かった。今の私は、両親の望まない道を歩いている。だが、自分で決めた道だった。帰っても、ロクなことにはならないのは想像に難くない。
ゆかりさんの部屋の扉をノックする。
「どうしましたか、初陽さん?」
夜中だったが、ゆかりさんはまだ起きていて、パソコンに向かって何か作業をしているところだった。私を見ると、すぐにコーヒーを準備してくれようとする。それを遠慮して、話を切り出した。
「明日、出かけてもいいでしょうか?」
「何か、用事があるんですね」
「はい。親から手紙が来て、一度帰ってこいと」
「そうですか。なら、里帰りですし、ゆっくりしてきたらどうですか?」
「いえ、いつ敵が現れるかわかりませんし、一日だけ。私自身は、一日で済む用事だと思っています」
意識せず、回りくどい言い方が口から漏れた。
「わかりました。喜平次さんには、私の方から言っておきます。気をつけて行ってきて下さいね」
ゆかりさんは気づいただろう。それでも、深くは聞かない。心の中で、頭を下げた。
「はい、ありがとうございます」
ゆかりさんの部屋を出て、扉を閉める。不意に、何か不安がこみあげてきて、思わず笑ってしまう。
(あの、初陽さん…。大丈夫ですか…?)
私の様子に気づいたシノが、不安げに聞いてきた。
「すまない、シノ。久しぶりなのだ。ただ、親に会いに行くだけということなのにな。不安を感じて、何故か笑ってしまった。この場所で私は、少し安心というものに、この身を浸けすぎてしまっていたようだ」
(初陽さんが行きたくないのなら、行かなくてもいいんじゃ…?)
「いや、そろそろ、私自身もケリをつけなければいけないと思っていたところだ。この、私に関する問題について」
(私も、ついて行きますから…)
「それは、私が頼むところだ。一緒に来てくれるか、シノ?」
(はい、もちろんです…)
研究所を出て、車に乗る。エンジンを点火し、勢いよく夜道を走り出す。里は山中にあるが、行けるところまでは車で行った方が早いだろう。研究所のある山中から市街地に出て、また山中へと車を運転する。山道の途中で車を降り、そこからは里のものにしかわからない獣道をひたすら辿っていく。前と道筋が変わっており、慎重に跡を辿りながら進む。一旦、山中で夜が明けるのを待ち、朝日が昇ってからまた歩き出した。陽が高くなるころ、ようやく里に着いた。民家が点々としており、畑もある。風景は、あまり変わっていない。一見農村のようだが、ここに住むもの全員が、幻月流に何かしらの形で関っている者達だった。
里の道を歩いていく。小さな子供の人影があった。無邪気に遊んでいる。まだ、修業に入る前の子供だろう。大人の姿は無かったが、少し前から、見張られているような気配はあった。
実家に着く。無駄に大きな家で、地下には人間を閉じ込めるための牢もあった。敵から情報を聞き出すための施設を家にした、という感じではあった。汚れ仕事を専門とする隠忍の家系として納得のいく家ではある。
「初陽、ただいま帰りました」
入口の引き戸を開けると、不意に無数の針が襲ってきた。跳び退くと、背後からの気配。本能で躱すと、元いた場所に刀の斬撃が地面に刺さった。
「私は、話をするために帰ってきたのですが」
目の前の母、柊美三と対峙する。
「聞いているぞ、初陽。我々柊家は代々隠忍の家系。何故、陽忍の真似事などをしている?」
背後からまた、声。振り向こうとするが、首が動かない。
「見えない透明な糸、この屋敷全てに、罠を張り巡らせていたのですか、父上」
背後にいるであろう父、柊次雄に問いかける。
「返答如何によっては、お前をここで殺さなければならぬ。例え、娘であろうとな。それが、忍というものだと、お前は知っているな、初陽?」
(初陽さん…!)
「心配するな、シノ。両親とは、いつかこうなるだろうとは思ってはいたのだ」
「答えなさい、初陽」
母の声。切れ長の眼が、私に突きつけられる。
「父上、母上。私は、隠忍であることに、嫌気が差してしまったのです。私の生き方は、私が決めたい。例えそれが、貴方達の望みとは違ったとしても。私は、ようやく場所を見つけた。そこで、私は生き直したいのです」
「私達は、お前の躾を間違ったのかもしれん。しかし、お前が気にすることもない。お前の失敗は、私達の失敗なのだ。だから、私達が責任を持ってお前を消そう」
首から血がゆっくりと流れ、見えない糸を赤く染めた。動きを封じられたまま、挟み撃ちをいなすことは出来ないだろう。鈴花辺りなら話だけで切り抜けられそうな気もするが、私に両親を簡単に騙せるような話術は無いし、向いてもいない。
たが、諦めたくはない。
死してなお、生きていることに執着したい。
「はい、ストップストップ~ッ!」
(!?)
聞いたことのある声。
しかし、この状況には似つかわしくないし、ここにいるはずがない。
「美奈さんッ!?」
不意に首にかかった糸が斬られた音がし、体の自由を取り戻す。
見回すと、驚いている父の前に美奈さんが手を広げて静止していた。
「あなたは誰だ?」
父の言葉に、美奈さんが答える。
「私はひーちゃん、いや初陽さんのまあ保護者代わりとでも言いますか、仕事の仲間をしているとでもいいますか、まあそんなことをしています、西織美奈と言います。気軽にミーナと呼んで下さい」
美奈さんがにこやかに両親に向かって敬礼した。
「は、はぁ…」
その様子に、母が毒気を抜かれたようだ。
「それで、さっきの話なんですが、初陽さんを何も殺すことはないじゃないですか。しつけを間違ったなら、また教えてあげればいい。そうでしょう?」
「まあ、言われていることもわかるが」
父が迷った表情を浮かべる。意外すぎるその顔に、何か変な一面を今見せられているような気がした。
「それじゃ、ひーちゃん、いえ初陽さんは少し家で反省するということで。あ、初陽さんの仕事の話なら、私がいくらでもしますから。あ、お茶とかもらえます? 車のトランクの中にいたのと、半日山を歩いていたんで、喉乾いちゃって。あ、コーヒーでも大丈夫ですよ」
言いながら、美奈さんは母を引き連れて家に入って行く。
「あの美奈という人は?」
父が聞いてきた。
「私の、上司です」
「見事に気配を消して里に入ってきた。よそ者を嫌う、この里に」
「どこかで、修業をしたそうです。詳しくは、知りませんが」
「そうか。…とりあえず、お前は地下の牢にいてもらう。話がある時だけ、呼ぶ」
「別に、構いません。私は、話し合うためにここに来たのですから」
「逃げてもいい。だが、その時はお前を確実に消さねばならん」
(初陽さん…)
美奈さんが来てしまった以外は、結果としては、だいたい予想した展開にはなった。
いきなり攻撃をしかけられたのと、美奈さんのことに関しては、予想外だったが。
「心配しなくていい、シノ。まあ、なんとかなると思う」
(初陽さんにしては、適当だという気がします…)
「案外、私は適当なのだ。適当だから、今こんなことにもなっている」
(楽しんでいるんですか…?)
「生きているのだ。せめて、胸は躍らせておきたい。全く、こういうことになると、鈴花やかなりの生き様が羨ましい」
(初陽さんは、初陽さんで楽しめばいいと思います…)
「そうだな。ありがとう、シノ」
「何を話している初陽、さっさと家に入るのだ」
父の声に促され、久しぶりのわが家に入って行く。
中は何も変わっていなかったが、私自身はだいぶ変わったのだと感じていた。
「う~~~~~~んッ!?」
小春ちゃんが、隣で数学の教科書を目の前にして唸っていた。
二学期に入り、最初のテストが迫っていた。小春ちゃんに勉強を教えて欲しいと頼まれたので、即答でOKした。小春ちゃんの家に呼ばれて、小春ちゃんの部屋で二人でお互いわからないところを教えていく。と言っても、私はほとんど復習しているので、わからないところはあまりない。小春ちゃんも成績は悪くなく、特に体育の成績は女子の中ではトップだった。勉強も、国語とかはかなり良い点を取る。唯一苦手なのが数学で、教えるのもいつもそれだった。
「うッ? いや違う…、う~~~ん…ッ!?」
ノートに計算を書いているが、どうもしっくりこないらしい。悩んでいるそんな顔を可愛くて、つい何も言わずに見てしまう。
よく遊びに来るが、いつ来てもちゃんと片付けられている部屋だった。弟や妹はよく物を散らかすので、いつも部屋の綺麗さに感心させられる。ベッドにはたこ焼とバナナの抱き枕があった。前は団子の抱き枕があった。今はクローゼットの中なのかもしれない。
「あ、藍ちゃん~~ッ」
小春ちゃんにノートにおでこをつけて頼まれる。そろそろだろうとは思っていたけど、小春ちゃんの方から頼まれる前に教えようとすると、多分小春ちゃんは自分で考えると言って聞かないだろうから、言わないでおいていた。
「うん。じゃあ、ヒント、教えるね」
「ありがとう~!!」
いくつか今解いている問題についてのヒントを教える。そうすると、すぐに小春ちゃんは解法を思いつき、ノートに勢いよくシャープペンを走らせる。
元々頭は悪くないし、頑張り屋さんなのだ。苦手な数学以外は、他の教科の成績は平均点以上は取っている。
「解けたッ! これでいいかな、藍ちゃん!」
小春ちゃんの書いたノートを見る。少し大きな字が走り書きで書かれている。
「うん、正解だよ」
「やったッ!」
小春ちゃんがガッツポーズを取る。フェルミさんとクォさんは小春ちゃんに答えを教えたり、おしゃべりで勉強にならなそうだったので、居間に置いてきた。
小春ちゃんが大きく伸びをする。始めてから二時間以上は経っていた。
「ん~ッ!」
「休憩にしようか? パンケーキ、焼いてきたんだよ」
「さっすが藍ちゃんッ! 待ってて、今お茶持ってくるねッ!」
小春ちゃんが駆け出し、部屋から出ていく。すぐにお茶を慎重に持ってきた小春ちゃんは、ゆっくりとカップを机に置く。
「熱いので良かったかな?」
「うん。もう秋だしね」
二人で、わたしが作ってきたパンケーキを紅茶片手に食べながらお話しする。
「最近、少し寒いね。うん、このはんへーき、やっはりおいひいよ、はいちゃん」
「ふふ、まだあるから、ゆっくり食べてね」
「うんッ! あッ…」
そこで小春ちゃんは何かに気づいたように口にパンケーキを運ぶのを止めた。
「? どうしたの、小春ちゃん?」
「うん、何か、こういうの、久しぶりだなあと思って」
紅茶を飲み、少し息をつく小春ちゃん。
「? 久しぶり?」
「うん。フェルミ達と会ってから、こうして藍ちゃんと二人だけで話す時ってあんまり無かったよね。だから、なんだか、久しぶりだなあって思って」
「小春ちゃんは、わたしと二人で話すのは嫌なのかな?」
「え、そんなこと無いよッ! だって私達、昔からこうしてたんだよ?」
「うん。小春ちゃんと会ってから、ずっと」
「そうだよね、うん。ずっと、こうしてたいなあ」
「それは、わたしの作ってくるお菓子が目当てだよね?」
「あ、あはは。ちょっぴり、それもあるかも」
「もうッ。でも…」
自分の三つ編みに触れる。この髪が、嫌いだった。でも、この嫌いだった髪で、わたしは小春ちゃんに会えた。そして、小春ちゃんはこの髪が良いって言ってくれる。
だから、そんな小春ちゃんを、私は。
「今度は、わたしが守るね」
「? 何を?」
「これまで、守られてきたから。だから、今度は、わたしが小春ちゃんを守るね」
小春ちゃんは少し驚いていたが、すぐに笑顔を浮かべて。
「もう、そんなこと言うなんて、藍ちゃんは可愛いなあぁぁッ!」
頭を抱き寄せられる。陽だまりの、優しい匂いがした。
「私もね」
小春ちゃんが小さく、でもはっきりした声で呟いた。
「負けないよ。それだけは、藍ちゃんにだって、負けたくないから」
「…うん」
石壁の、牢だった。
子供の時、親に少しでも逆らうと、よくここに入れられた。丸三日、食事もろくに与えられずいたこともある。あの時は、本気で逃げ出そうと考えたものだ。
鉄格子のついた窓から、外を見る。虫のざわめく声の中で、満月が妖しく輝いていた。
昼食と夕食は、出た。母が美奈さんを連れて運んできた。美奈さんに危害は加えられていないようで、それだけは安心できた。
逃げ出そうと思えば、逃げられた。錠の開錠は、今はもう簡単に出来る。ただ、出たところで何をするのか。まだ閉じ込めたままということは、両親に話す気がまだ無いということだった。両親も少なからず思い悩んでいるのだろう。その答えがどうあれ、今の自分を変えるつもりは無い。例え、死ぬとしても、自分の信念を貫いて死んでいけるならば、悔いはない。
「いや、違うな」
死ぬのでは無い。
生きるのだ。
自分の信念を貫いた上で、生きるのだ。
それがどれほど大変なことかは、すでに知りすぎている。
それでも、そこに光を見出してしまったのだ。
「…私は、欲張りだな」
「いや、欲張りじゃ無いッス」
「!?」
暗がりの地下に響く声。足音が聞こえ、近づいてきた。
「今日は、思わぬ来客が多いな。心臓が持たない」
夢だとは思わない。
無さそうもないコトが、起きる。
多分、今日は、そんな日なのだ。
暗がりから、明かりを持った男が牢に近づいてくる。
ようやく、声と顔が一致した。
「何故、お前がここにいる、船瀬?」
「名前、ようやく憶えてくれたんスね、初陽さん」
船瀬が笑う。少し、苦笑じみた笑みだった。
「質問に答えろ」
「貴方をつけてきたんス。アルズ達の場所は、いつも部下に探らせています。あの時、貴方の居場所は、オレ自身が掴んでいた」
「だから、ここまでつけて来れた、か。そういうのを、世ではストーカーとか何とか言うらしいぞ」
「それを言われると、否定は出来ないッスねえ。実際、オレは貴方に惚れてるんスから」
何回目かの告白だった。内心少しざわめきながらも、何とかそれは抑えられるようになってはきている。
「それで、お前は何しに来た?」
「逃がしにきたんスけど、まあ、状況を見る限り、厳しそうッスよねえ」
「ああ。私も、今のところ、逃げるつもりも無い」
「そう言うと思ってたんス。だから、オレは、貴方とした約束を果たそうと思って来たんス」
約束。
「…デートの約束、だったな」
「覚えててくれたんスか!」
「約束は、忘れない。忘れられた約束ほど、悲しいものは無いだろう。そして、もう一つ、約束があったのも、覚えている」
「そうッスか。うん。いやあ、覚えててくれて良かったッス」
「だが、それに応じるかは、また別の話だ」
「そ、そんなあッ!?」
思わず苦笑する。
「冗談だ。少し抜け出すぐらいなら、どうということはないだろう。少し、外でも歩くか」
見ると、船瀬が固まっていた。
「どうした?」
「これは夢ッスかあ…」
「え、ええいッ、さっさと出るぞ、ほらッ、準備しろッ!」
「は、はいいいィィッ!!」
船瀬が持っていた工具で錠を開け始める。
今が夜で本当に良かったと思った。




