particle17:思いやれると、信じて(2)
優衣さんの家に行くと、智子さんが出迎え、応接室に通された。龍之介さんは仕事で外出しているらしい。
「ここでお待ちください。優衣様のご準備が整いましたら、またお迎えに参りますので」
聞きたいことがあった。
「ありがとうございます。一つ、聞いた上でお願いしたいことがあるのですが」
「? わたくしにですか? 優衣様にではなく?」
「はい。智子さんには、私と優衣さんの交際を認めて頂きたいと思っています」
「…わたくしが、口を挟むようなことでもありません。お二人の自由です」
「ですが、認めて頂きたい。私は、本気なのです。優衣さんを騙し傷つけた分まで、優衣さんを愛したいと思っている」
「ならば、好きになさればいいのです」
「いいや、智子さんからも認めて頂きたい。それが、優衣さんの望みでしょう」
智子さんがため息をつく。
「まったく、優衣様は変なお人を好きになり、また好かれてしまったようですね」
「認めてくれますか?」
「それを聞くのは、時期が早すぎるというものです。これからじっくりと、東裏様の優衣様に対する言動で判断させていただきたいと思います」
「そうですか。それならば、望むところです」
閉じようとした応接室のドアを、再び智子さんが開けた。
「少し、話し込んでしまいました。優衣様の支度も終わっていることでしょう。こちらへ」
まだ日は高く、広い屋敷の窓からは日が差し込んでいる。その光が差し込む長い廊下を、智子さんに案内されながら歩く。何度も通っていて優衣さんの部屋までの道は、案内されずともわかっていた。それでも、智子さんは案内を止めるということはしない。
「では、ごゆっくりどうぞ」
優衣さんの部屋の扉を開け、一礼する智子さん。礼を返しながら、優衣さんの部屋に入る。
「東裏様、ようこそいらっしゃいました」
椅子から立ち上がり、優衣さんが出迎えてくれる。テーブルにはコーヒーと何かのお菓子が乗っていた。おそらく優衣さんが作ったものだろう。会うと、よくご自分で作ってくれたものを用意してくれていた。
「こんにちは、優衣さん」
少しの間、見つめ合う。特に、言葉は無かった。愛しさというものを、確かに感じている。見つめているだけで、心が満たされていくような感じがあった。
微笑みかけ、優衣さんが俯くと、椅子を引いてくれた。お礼を言いながら、椅子に座る。私が腰かけると、優衣さんも席に着く。
「先日は、すみませんでした。あの後すぐに行ってしまって」
「東裏様の使命がある、それはわかっておりますから」
優衣さんと和解したあの後、私に関することは全て話した。遠い星から地球に来たこと、人間ではないこと、人間を支配しようとしていること。色々語ろうとした時に、船瀬の部下から通信が入り、船瀬の作戦活動に行くことになった。
だから、優衣さんが私についてどう思っているかは聞けていない。
「しかし、私のしていることは、確実に人類にとって害意にしかなりません」
「ですが、東裏様は、それを目指しているのですよね?」
「はい」
輩の繁栄を。
それが、私の望みで、それは今も変わることはない。
「ならば、私は反対いたしません」
「? 何故ですか?」
「私は、東裏様を愛しています。愛しているお方が為すべきことを信じる。それがどんなことであろうとも、私は、東裏様を信じております。東裏様の為さること全てを、私は信じたいのです」
「優衣さん…。ですが、私は、貴方を騙した男なのですよ?」
「信じて裏切られることは、怖くはありません。私は、貴方が私の前から消えてしまうことが、今、何よりも怖いのです」
瞬間、体にひどく凶暴な衝動が湧きあがった。
どうしてこの人は。
他人を。
私を。
信じてくれるのだろう。
どれだけ私が傷つけても。
遠ざけても。
それすらも、貴方は受け止めてくれる。
椅子から立ち上がり、優衣さんの傍に立つ。
「? どうかなさいましたか、東裏様?」
優衣さんが応じるように立ち上がる。その唇を強引に塞ぎ、抱きしめる。
「!?」
戸惑っている優衣さんの顔。
ひどく、興奮している自分を、遠くからぼんやりと見ているようだった。
近くにあったソファーに優衣さんを押し倒す。
獣の声が聞こえる。自分の声だろう。唇を離した優衣さんの呼吸も荒い。荒い呼吸のまま、二人で見つめ合う。
「東裏様…」
「優衣さん、私は…」
「良いの、ですよ?」
そう言って、優衣さんが優しく私の手を握ってくれる。
その手は、微かに震えていた。
「…」
握ってくれた手の甲に口づけし、優しく抱きしめる。
「? 東裏様…?」
「…もう、二度と貴方を傷つけないと決めたのです。私の我儘で、身勝手な衝動で、また貴方を傷つけてしまうところでした」
優衣さんが私の背中に手を回し、耳元で静かに囁く。
「矛盾しております、東裏様は」
「自分でも、そう思います」
甘美な声に、また衝動がこみあげてくるのを、悟られぬように抑えていた。
「でも、私も矛盾しています」
「そうなのですか?」
「はい。こうしていることに、安らぎと共に、何か物足りないものを感じてしまうのです。そして、先程の東裏様には、嬉しさと不安を」
「クス。厄介なものですね」
「はい、まったく、不思議です」
厄介だ。
肉体というものは。
そんなことを思いながら、夕日の光が部屋に差し込むまで、抱き合ったまま、優衣さんと囁き合っていた。
喜平次さんの機嫌が良い。表情にはあまり出さないが、歩調でわかった。機嫌が良い時は、歩調がいつもより少し早く、機嫌の悪い時はさらに歩調が速い。
今の歩調は、機嫌が良い時の歩調だった。何か考えている時、研究室の中をよくただ意味も無く歩いていたりする。歩きながら考えをまとめているのだろうとも思う。
「どうかしたんですか? 喜平次さん」
話しかけると、待っていたというような表情で、喜平次さんが答えた。
「先ほど、かなり君に言われ、これまでのデータを色々調べていたのだが、何やら、とんでもないことが出来そうなのだ」
「とんでもないこと、ですか?」
何だろうか?
恐らく、小春さん達に関することのような気はしていた。
「うむ、今はまだ研究段階だが」
「教えてもらってもいいですか?」
「ふふ、ゆかり君とて、まだ教えるわけにはいかんよ。もっともっと、研究しなければ」
上機嫌な喜平次さん。フェルミさんと初めて出会った時も、同じような反応をしていたことを思いだした。
「わかりました。では、発表できる段階になったら、教えてください」
「うむ、ふふふ…。あ、すまないがコーヒーをもらえるかね?」
「ミルクは?」
いつもはブラック派な喜平次さんだが、たまに思い出したようにミルクを入れたがる時があった。
「頂こう」
「はい。それでは、準備しますね」
「すまないな」
そう言っていても、おそらく今の喜平次さんの頭の中には、先程の研究で頭がいっぱいなのだろう。
コーヒーに入れたミルクをかき混ぜながら、喜平次さんが言ったとんでもないこととは何なのか、少しだけ予想して止めた。
『おねえさま、みてみて、きれいなお花。おねえさまにさしあげたくて、とってきたのです!』
幼かった鈴花さんの声を思い出す。幼いころの鈴花さんは、よく私に懐いてくれて、可愛らしさで全てが出来ているような子だった。
だから私は、そんな鈴花さんの良い姉であろうと、全てのことに真剣だった。秋白の名に恥じないこともそうだが、一番は鈴花さんの恥になりたくないという思いをあった。
けれど、いつからか鈴花さんは私を避けるようになり、今ではほとんど会話も無い。たまに私の方から話しかけようとしても、早々に会話を切り上げられてしまっていた。
辺りが薄暗くなっていた。秋も近く、陽は確実に短くなってきている。普段はこの時間に家にいるはずの鈴花さんがいつまでも家に帰らないので、不安になって街に探しにきていた。瀬山さんから大体の場所は教えてもらっていたので、迎えに出てきたという恰好だった。鈴花さんは私に会うのが嫌なのかもしれないが、それでも、会ってお話ぐらいはしたかった。
「やはり、何か関係があるのでしょうか…?」
最近、鈴花さんは何かに忙しいようだった。お父様は知っている節があるが、聞いても教えては下さらなかった。何か私の知らないことを鈴花さんがしていることは知っていた。それで忙しく、成績も落ちているようだった。
街の街灯に、光が灯る。もう数十分で、空には星が輝き出す頃だろう。鈴花さんの姿を探すが、なかなか見つけられずにいる。
隠し事をされるのが、辛い。お互い、成長して隠し事の一つもあるのだろうが、それでも、二人だけの姉妹なのだ。出来たら、私にお話して欲しい。それは私の我儘でしかなく、きっと鈴花さんは嫌な顔をするだろう。それでも、以前のように私に甘えてきてほしい、頼ってきて欲しい。
「きゃあああーッ!」
「うわああああぁッ!」
悲鳴が上がり、振り向くと、薄闇に紛れて、スーツ姿の集団が、街中の店を手当たり次第に襲っているようだった。
「な、何なのですか、これはッ!?」
街にはすっかり明かりが灯り、空には星が瞬き始めた。
(こんな時間までふらふらしてていいの? 桜、心配してると思うよ~)
「どうしてそこでお姉様の名前が出てくるのよ、カンケー無いでしょ」
(でもさ、何か桜なら、鈴花のこと探しにきそうじゃない?)
「…」
ありえる。
家族から逃げたくてこんなことをしているのに、お姉様がそんな私を迎えに来る。
台無しよ。
台無しだけれど、昔からお姉様はそういうところが少し天然と言うか、空気が読めないところがある。
きっと、あたしがどうしてお姉様を苦手に思っているのか、その理由にさえ、まだ気づいていないような気がする。あたしより色々すごいくせに、そんなところは何だか抜けているお姉様なのだ。そこが、完璧さの穴で愛嬌をちらつかせていて、やっぱりちょっとむかつく。
「きゃあああ!」
少し遠くの方から、悲鳴が聞こえた。喧騒のようなものも伝わってくる。
「…?」
携帯が鳴り、出る。
「もしもし?」
『鈴花君か?』
喜平次の声だった。
「用件は大体わかるわ。小春達は?」
『皆、現場から距離がある。少し遅れて到着する。今、現場から一番近いのは、鈴花君だけだ』
「そう。なら、小春達が付く前に、片付けてしまってもいいのよね?」
『慎重にね~、アキちゃん』
いつの間にか、相手が美奈に変わっていた。
「わかっているわ。じゃ、切るわね」
(何々~、出番なの、鈴花?)
「ええ、やるわよ、ルーオ」
(合点承知ィ!)
「お待ちください、鈴花お嬢様」
どこかにいるだろうということはわかっていた。気配を全く感じさせないのがこの老執事のすごいところだが、瀬山がいるせいで、あたしが家出するなんてことは事実上不可能である。
まあそれでも、こうして何かあるまであたしに一切接触して来ないところは、よく出来た執事ではある。
「あまり、聞きたくないことらしいわね」
「はい。実は、桜様が鈴花様を探しに、この近くに来ております」
「!? チッ。巻き込まれた、そう言いたいのかしら?」
「考えたくはありませんが」
お姉様なら、雑魚の一人や二人は倒せそうではある。一応、武道の心得はあったはずだ。だが、七罪と戦闘になっていたとしたら、危険ではある。
「…わかったわ。貴方は、安全な場所であたしの活躍をハンカチ咥えながら見ていなさい」
「かしこまりました。どうか、お気をつけて」
「はぁ…」
(面倒なことになったと思ってる~)
「そりゃ、ね」
お姉様にはこうして戦っていることは隠してある。別にバレてもお姉様は反対も何もしないだろうが、何かあたし自身の誇りが傷つく気がして、言い出せていなかった。お姉様に唯一誇れるあたしの誇り。今はまだ、お姉様に見せたくない、あたしの小さな、でも、あたしだけの誇り。
「ま、いいか」
バレないようにさっさと片付ければ良いのよね。
(鈴花、あんまり桜のこと、心配してないよね?)
歩いて、建物の影に入る。ここなら、変身しても誰にも見られないだろう。
「まあね。ある程度の雑魚なら、お姉様、片づけそうだし」
(ふ~ん、信頼してるんだ?)
「ふん。ばっか、そういうんじゃないわよ」
(はいはい~、それなら良いんだけどね~)
「ふんッ! スピンッ!」
白い粒子と共に、夜空へと勢いよく飛び立つ。中空から敵の姿を見つけ、勢いよく滑空し、戟を薙いだ。首が中空に勢いよく跳ね上がるのを見ながら、お姉様の姿を探す。
(なんだかんだ言っても、桜を気遣う鈴花萌え)
「うっせええええええええッ!!」
また、首が一つ夜空に舞い上がった。
「副隊長、アルズヴァイスが現れました!」
予測より、早い。
アルズ全員の居場所を補足していたつもりだったが、アルズヴァイスの情報だけ間違っていたようだ。家にいるという報告だが、実際は、作戦活動場所のすぐ近くにいた。
しかし、アルズヴァイス一人だ。
まだ何とかなる。
「イラは?」
「イラ様はおられません。探してみたのですが」
「そうッスか」
気まぐれな男ではあった。勘定に入れていなかったが、今はいて欲しいとは思う。
先輩も優衣さんの家に行っていて、悪獣も出せない。
オレと同志だけでの戦闘ということだった。
この戦力ならば、他のアルズ達に合流される前に撤退だろう。こちらもある程度の戦果は挙げられたが、すでに、アルズヴァイスによってかなりの被害も出ている。
「ん?」
目の前で複数の同志とにらみ合っている一人の女がいた。見るだけで、強いというのはわかる。
「あの女性は何スか?」
傍にいた部隊長が答える。
「はあ、わからないのですが、普通の人間のくせにやたら強いのです。同志が手こずっています」
同志に向かって構えている女性を見た。飛びかかってきた同志が背負い投げられ、別の同志が巻き添えを食らって倒れた。街灯に照らされた顔は、どこかで見たような顔でもあった。
「さっさと大人しくさせるんス」
「殺しても?」
「それは、許可しないッス。あくまで、大人しくさせるんス」
「ですが…」
「…やあっとォ、見つけたああああああァーッ!!」
空中から怒号が聞こえた。
「な、何だッ!?」
「皆、警戒するんス。アルズヴァイスだッ!」
言っている間にも、女性を囲んでいた同志が血を吹きだしながら倒れていく。今日のアルズヴァイスは、いつも以上に好戦的だった。
「? あら、あんた、初陽の」
オレの近くに降り立つアルズヴァイス。
「さっさと引きなさい。今あたし、とても機嫌が悪いの」
言いながら、襲い掛かる部下を一刀で切り捨てていく。
「出来ないッス。オレは今、同志達を背負ってここにいるんス! 引くにしろ、それは、同志を全員撤退させてからッス!」
撤退はもうすぐ終わる。それまでは、オレが逃げるわけにはいかない。
アルズヴァイスの前に立ちふさがる。逃げ出しそうになるのを、何とか堪えた。
「そう。なら、あたしも、本気であんたを倒さなくちゃいけない。初陽は、悲しむわね」
感じる。
アルズヴァイスの悪意。
そして、逃げ惑う人間の悪意も。
出来るのか。
いや、するんだ。
「オレは、ここであんたに倒されるわけにはいかないんスッ!」
オレの方へと逃げてくる背広を着た男の頭を掴み、その悪意を引きずり出す。
「目覚めよ、あんたの悪意よッ!」
「!? 何ですってッ!?」
黒い靄が男の頭から煙のように吹き出し、徐々に形を作っていく。
黒い塊が形を持ち、そしてそれはタテガミを持つライオンへと姿を変え、咆哮を上げた。
「や、やったッ、出来たッ! オレにも、出来たッス!」
「ちっ! だけれど、そんな悪獣一匹ごときで、あたしを止められるわけがッ…!」
「…鈴花さん、なの?」
「え?」
アルズヴァイスが後ろから問いかけた女性の声に振り向く。
そのわずかな一瞬だった。
ライオンがアルズヴァイスの横を風のように駆け去り、声を掛けてきた女性の脇腹の肉を食いちぎり駆け抜けた。
「お、お姉様…?」
「す、ずか、さん…?」
声を掛けてきた女性がその場に倒れる。
「お、お姉様ぁ―ッ!」




