particle17:思いやれると、信じて(1)
真っ暗だった。
そして、結構いつものことでもあった。
(鈴花ぁ~、出して~)
わたしのマイスウィート鈴花に、大きな声で衣装ダンスの暗闇の中から呼びかける。
突然明かりがさし、鈴花が顔を覗かせる。上品かつ、まだ幼さを残した、美人と言える顔。姉の桜は完成された、大人の女性の雰囲気を感じさせる顔になっている。わたしは、まだ未完成なそんな鈴花の顔が好きだった。というか、多分、どんな鈴花でも、わたしは愛せると思う。
(ね、何か、さっきのわたしの台詞、やらしくない?)
鈴花が無表情でわたしの言葉を聞き、何も言わずに衣装ダンスを閉めた。視界はまた真っ暗になる。
(ちょっ!? 今の冗談ッ、冗談だからぁ~。だから開けてよ~ッ)
いつも通りのわたし達のやりとり。いつからこうなったかは大体でしか思い出せない。それほど、鈴花と付き合ってきた時間が長かったからということだろうか。最初に出会った頃の鈴花は、こんなやりとりができるとは思えないほど、壊れやすさを秘めた子だった。
一人で、この星に来ていた。次の開拓の地として、輩の間でこの星が候補に挙げられた頃だった。あの時は、長い宇宙の旅にもいい加減飽きてしまっていたし、何かを求めてこの星にやってきたような気がする。
「父」と呼ばれる人がいた。母星での遺伝子の繋がりでは、そうだった。肉体を失ってからは、父だったという認識だった。母星で母だった人は、開拓住民とならずに、そのまま母星に残った。おぼろげながら思い出されるのは、母は開拓など到底行きたがらないような人だったということだった。今は何をしているのだろうか? おそらく死んでいるだろうし、正直、遠い過去の話になって、半分以上どうでもよくなっていた。
父は一緒に開拓の民として、母星から旅立った。肉体を持っていた当時から、どんな輩にも等しく公平に接する人で、しかもその愛は誰しもに無償で注がれていた。そんなところが尊敬出来るところだが、反面、釈然としない気持ちもあった。家族に対しても、他人にしても、そうだったのだ。多分、母親はそんな父に思うところがあって、最後の最後で、別れを選んだのだと思う。わたし自身も、なんとなく父が苦手だった。嫌いと言うわけではないが、他の輩とわたしが同じように扱われていると、愛されているのだろうかと、時々、疑問に感じてしまうことがあった。
それで、父への反抗ついでに、好き勝手に生きることにした。父は、それすらも黙認してくれた。
本当に愛されているのか、不安になった。
その時、気づいたことがあった。
何故、わたしは愛されることばかりを求めていたのだろう?
愛されないならば、せめて、愛そうと思った。
愛すべき存在。
お互いが、お互いの考えをぶつけ合える、そんな存在。
上陸したわたしは、そんな存在を求めて、数十年、彷徨っていた。
そして、出会った。
出会った頃のその子は、脆く、弱く、そして何より、誰かを求めていた。
戸惑い、泣いていたその子に、わたしが語りかけると、その子は恐る恐るだが、答えてくれた。
それが、始まり。
わたしと、鈴花との。
「? ルーオ、何黙ってるのよ? 気持ち悪いわね」
衣装ダンスが開き、鈴花がわたしを持ち上げながら聞く。
(鈴花鈴花鈴花ァ~ッ!!)
「うるせえ。お父様に呼ばれてるの。さっさと行くわよ」
(はいはいはい~鈴花の行くとこなら、どこへだってついていくぜ~ッ!)
出会った頃とはずいぶん変わってしまったわたし達だけど、わたしはこの関係が気に入っている。
どんな鈴花だって、あの時の鈴花としっかり繋がっているから。
(ふひひ)
「何笑ってるのよ? 気持ち悪いわよ、あんた」
(おねしょした時の泣きそうな鈴花を思い出してた)
「はいはい、きもいきもい。全く、昔からあんたは変わらないわよね」
(初めて会った時は、もう少し猫被ってた)
「そうだったかしら? 正直、想像できないわね」
言いながら、鈴花が苦笑する。その苦笑には、わたし達しかわからない苦さの響きがあった。
「おはようございます。わたくしに、何の御用でしょうか、お父様? あら、お母様もいらっしゃったのですね」
秋白福寿、お父様の書斎に入ると、椅子に腰かけたお父様と、傍で話していた顔も見たくない女が振り向いた。
「鈴花か。桔梗、鈴花の成績表を」
言われて、何の用で呼びつけられたか、すぐに察した。
あの女が、お父様にあたしのあらゆる点数がつくものをまとめられている秋白家独自の成績表(瀬山特製)を渡し、あたしの前でお父様がそれを広げる。
「自分でも、わかっていますね?」
そう言って、あの女は表情を変えずにあたしに問いかけてくる。普段あたしに対してはどうでもいいような話し方をしてくるくせに、こういう時だけは偉そうな態度なのだ。お父様にまとわりつく寄生虫みたいな生き方をしているくせに、その憮然とした態度は何なのよ。その頬を思い切りぶちたたいてやりたいわ。
(鈴花、抑えて)
「…わかってるわよ」
小声でルーオにお答え、二人に答える。
「最近、成績が落ちてしまったのはわたくしもわかっています。深く反省し、わたくし自身も精進し、日々を過ごしたいと思っております。ご用件は、これだけでしょうか?」
あたしの方からだって。言いたいことは、山ほどある。ただ、その全てが陳腐な言い訳にしかならないということもわかっていた。だから、何も言わない。言ったところで、お父様はともかく、血の繋がった、何故かあたしを毛嫌いしてるこの女は、お姉様と比べてあたしを貶めることしか考えないだろうと思えたからだ。
そんなのは、時間と体力と気力の無駄。あたしは、無駄なことは原則嫌いなのだ。
「桔梗、鈴花と二人で話したい。席を外してくれ」
「しかし、あなた」
「私の方からも、鈴花には言うつもりでいる」
「…わかりました。しっかり叱って下さいね」
あの女が半笑いを顔に浮かべながら、あたしの横を通り過ぎ、部屋から出ていく。部屋にはお父様とあたしだけになった。
「さて、鈴花」
目の前の成績表をごみ箱に捨てて、お父様が立ち上がる。
「あんなものは、ただの数字の羅列でしかない。だが、わかりやすくもある。事実、お前の成績は下がり傾向だ」
「はい」
お父様が、窓の傍に立ち、外を眺める。晴れているが、あたしの気分は最悪の雨模様だった。
「原因も予想は出来ている。お前のしていることが、忙しいのも、瀬山から聞いている」
「わたくしは、秋白家の恥にはなりたくはありません。そのことだけは、いつも心に留めています」
「そうか。ならいい。俺から言うことは、もう何も無い」
「…失礼します」
振り向き、部屋から出ようとした時、背後からお父様の声が聞こえた。
「鈴花」
足を止め、お父様の方を向いた。お父様は、まだ窓から外の風景を見ていた。
「何でしょうか?」
「楽しさの代償。人には生まれ持ってきた悲しみがある。そして、生きていく悲しさも。悲しさは、楽しさの傍にも、少なからず寄り添っている」
時々よく、お父様はこんなことを言う。真意は、言わない。自分で考えさせるのが、昔からお父様の教育方針だった。
「心に留めておきます」
言って、部屋から出た。
「あっ…」
目の前に、心配そうに待っていたという表情の、秋白桜、あたしのお姉様が立っていた。
「鈴花さん、大丈夫だった? お母様が、お父様に貴方が呼び出されたとおっしゃっていたけれど」
街中ですれ違ったら、誰もが二度見してしまうだろう端正な顔が、不安で少し憂いの色を帯びていた。そうさせているのがあたしなのだと思うと、怒りか悲しみかよくわからない感情がこみあげてくる。
「なんでもありませんわ」
すれ違おうとすると、お姉様があたしの手を取って引き留めた。
「…離して下さい、お姉様」
「お母様に聞きました。勉強で困っていることがあれば、わたしに聞いてくれて構いませんから。いつでも、鈴花さんに教えて差し上げます」
「!? ッ! 結構ですッ!」
手を乱暴の振りほどき、逃げるように自分の部屋に帰って、ベッドに勢いよくダイブした。
(桜、好意で言ってくれてたのに~。まあ、若干、空気は読めてないと思うけど。でも、鈴花もやっぱりツンデレさんだよねえ。すんなり甘えちゃえばいいのに)
「…それが出来ないあたしをわかってるくせに。あんたも懲りないわね」
(だって、お母さんはともかく、桜は鈴花のこと好きなんだと思うよ。だから、もっと仲良くなって欲しいなぁとも思って)
「あたしがお姉様と仲良くなるなんて、地球が真っ二つに割れても無いわ」
(どうして~?)
「だって悔しいじゃない? 安易に甘えたら、あたしがお姉様に自分から負けを認めたようなものじゃない。お姉様にだけは、自分から負けを認めるなんてこと、したくない。あたしは、どうあっても、自分の誇りの最終線だけは、守っていたいの。それが出来るのは、最終最後、あたし自身だけなんだから」
(はぁ~、鈴花らしいって言えば、らしいけどさ)
「何よ?」
(んん~、何でも無い)
「…何よ」
いつの間にか、枕を抱きしめていた。
今は、この家にいたくない。
そうだ。
今日は休日だし、どこかに行こう。
そして、出来るだけ遅くに帰ってやる。
あまり、家族の顔を見たい気分ではなかった。
ベッドから跳ね起きると、衣装ダンスに外出用の服を探し始めた。
朝の訓練が終わり、隊長と一緒に昼食を取っていた時だった。
隊長の携帯が震える。隊長が電話に出ると、明らかに隊長の顔が明るくなった。
「いや、しかし、今日は…」
何やら電話の相手と揉めているようだった。隊長の声にも、迷っているような節がある。そんな隊長を見るに、通話相手と大方の用件の内容も予想はできた。
隊長から携帯を奪い取って、電話に出る。
「あっ、おいッ!?」
「もしもし、オレ、東裏の部下の船瀬という者なんスけど」
『船瀬、様?』
電話先の人物が戸惑った声を上げる。一度聞いたから覚えている。この声は、隊長の婚約者の優衣さんの声だ。
「返せッ、船瀬ッ!」
飛びかかってきた隊長を躱しながら電話を続ける。用件を聞くと、隊長を優衣さんの家に誘ったが、断られたらしい。
「隊長なら、今日は暇ですんで、大丈夫スよ」
『ほ、本当ですか!?』
「はい。後からそちらに向かわせます。はい、それでは~♪」
通話を終了する。隊長に携帯を返そうとすると、何故か唖然とした顔の隊長がそこにはいた。
「…おい」
「はい、何スか?」
「…何故、私に用件の電話を、お前が取る?」
「だってあのままだと隊長、断ってたじゃないスか」
「当たり前だ、私にはやるべきことがある!」
「それは?」
「過激派の隊長として、人間の悪意を煽り、総統上陸の礎になることだ!」
「はいはい、それも大事ッス。でも、優衣さんの事だって大事ッスよね? 事実、隊長迷ってたじゃないッスか」
「それは…」
「作戦行動ならオレが指揮を取りますから、先輩は優衣さんのところへ行ってくるべきッス。総統用のB2の資金提供も受けているわけですし、これも作戦ッスよ、作戦ッス」
無理やりなこじつけである。しかし、こうでもしないと隊長は自分を納得させないだろう。この手の話に関しては、どちらが隊長なのか、よくわからなくなる。
「…作戦、か」
「そう、そうッス。これは作戦なんス」
「そ、そうか。なら、仕方ないな。優衣さんのところに行ってくることにする。船瀬、私の留守の間はお前に任せたぞ」
「はいッス。ちゃんと作戦活動もしておきまスから。先輩は、優衣さんの家でごゆっくり。へへ、帰りは、いつでも構いませんから」
「船瀬ッ!」
スーツに着替えている隊長にそれ以上怒鳴られるのが嫌で、運動場まで逃げた。運動場には、休憩で休んでいる同志がかなりいた。軽く見回してみたが、イラがいない。いつもどこにいるかよくわからない男で、確かに圧倒的な力を持つが、計算に入れて作戦活動を組むようなことはしていない。いたらラッキーぐらいという心づもりだった。
座りながら、携帯の画面を見ている男がいた。背後に近寄りその画面を見ると、女の写真の画像があり、それを真剣に見つめていた。
「彼女ッスか?」
「!? ふ、副隊長!?」
驚き、振り向いた男。携帯を素早くしまった。
「こ、これは…」
何やら青ざめた表情をしている。
「人間の女ッスか?」
図星なのだろう。男が俯く。
「はい…」
消え入りそうな声で男が答える。気持ちは、よくわかる。
「すいません。人間の女と仲良くするなど。ですがッ…!」
「あー、別に咎めはしないッスけどね。ああ、でも同志を裏切ることになるようなことは別ッス」
「そんなことはッ…!」
「無いと誓えるのなら、別に輩だろうが人間の女だろうが付き合うのは構わないッス。しかし、辛くないんスか?」
言葉をかけると、無言になる男。眼から、光るものが零れ落ち、床を濡らした。
「相手は、俺のことを愛していると言ってくれました。俺も、相手を愛しています」
「そうッスか」
男が乱暴に腕で涙を拭った。
「俺、死ぬのが、いえ、再び肉体を失うのが怖いです。好きな女と、触れ合うことが出来なくなるのが」
作戦活動などをしていると、同志があっけなく死んでいくのがわかる。自分自身も何度かひやりとする場面はあった。今のところ、同志が死ぬのと同じ速度で補充されるが、個の存在は、なかなかそう簡単に再上陸は出来ない。
男に近づき、拳を振りあげ、それで男を張り倒した。
「この軟弱者がッ!」
手に反動で鈍い痛みが来た。体を殴るのに慣れていない自分には、ひどく辛い痛みに感じられた。
「死を恐れるような者は同志には不用ッス! そんな想いを抱えたお前は、同志に迷惑をかけることは明白ッ! よって、ただいまから、お前は過激派の同志では無いッ! どこへなりと、行くがいいッス!」
さらに殴りかかろうとすると、周りの同志が驚いて止めに入ってきた。
男と自分を引き離す同志達。落ち着くと、男が土下座をした。
「副隊長、俺はッ…!」
「どこへなりと、お前の好きにするが良いッス。…行け」
土下座している男に構わず、運動場から出ていく。
これで良い。
一瞬、苦い痛みが走った。
切れ長の眼の少女が、頭に浮かんだ。
それを頭の中から追い出す。
それだけは、駄目だ。
隊長と副隊長の想いを裏切るわけにはいかない。
どんな最低な男でも、それだけは、やってはいけないのだ。
男を張った手には、まだ痺れが残っていた。




