particle16:お互いが、お互いを(2)
門の前に立つ。もう来ないだろうと思っていたが、来てしまった。
足が重い。目の前のインターホンを押そうとするが、手は動いてはくれない。
動物の吠える声がした。見ると、門の向こう側に、放し飼いにされている犬がいる。確か、優衣さんが買っている犬で、名前はウィンだったはずだ。
ウィンが一度吠え、それからじっと無言で私を見ていた。賢い犬なのは、うるさくほえないことでわかった。何度か、優衣さんからもウィンの話は聞いていた。
「そこにいられては困ります」
声のする方を見ると、屋敷の方から、優衣さんのお世話をしている楠美智子さんが歩いてくるところだった。
「何のご用でしょうか?」
冷たい声が響く。
「優衣さんに、会いに来ました」
「お帰り下さい、お嬢様を、今、貴方と会わせるわけにはいきません」
多少怒気を孕んだ声で丁重に断られた。
「どうしても、会わなければならないのです」
「会って、どうするおつもりですか? 貴方は、一度お嬢様を突き放した。そんな貴方がまたお嬢様の前に立つ資格があるとでも?」
手を握り締める。思わず後ずさりしそうになる足を、一歩踏み出した。
「わかっています。ですが、一言だけ。会って、私は優衣さんに謝らなくてはならない」
「無用です。私は、優衣様がこれ以上傷つくお姿を見たくはありません。お帰り下さい」
「取り次いでは、もらえませんか?」
「貴方の存在自体が、優衣様を傷つけることになっています。誰も、来なかった。ですから、私は、何も優衣様に取り次ぐ用件がないのです」
智子さんが背中を向ける。ここで強引に押し入っても、良い結果には決してならないだろう。
「…帰るか」
屋敷の中へ入っていく智子さんを見て、帰ろうとする。
「?」
ウィン。吠えていた。狂ったように吠えている。
「どうした?」
門に近づき、ウィンに声を掛ける。明らかに、私に向かって吠えていた。近づくと、静かになり、座っていた。
「ウィンは引き留めてくれるのか?」
一度、ウィンが小さく鳴いた。
ウィンだけは、私を歓迎してくれるらしい。
「ここで、待たせてもらおうかな。ウィンさえ良ければ、だが」
また智子さんが来るかもしれない。帰れと言われれば、その時はもう一度取り次いでもらえるように頼むつもりだった。
屋敷を見る。今、優衣さんは部屋にいるのだろうか。すぐに会える距離だが、どうしようもなく遠い。
携帯に電話しようとして、止めた。それでは、ここまで来た意味が無くなる。
「優衣さんはどうしているんだろう、わかるだろうか?」
ウィンに話しかける。この賢い犬が優衣さんに取り次がないのは、何か知っているからだろう。
それを知りたくて、言葉のわからない存在に、話しかけていた。
「あ、鈴花さんっ!」
「あら、どうしたの、小春? 初陽と一緒だと思っていたのだけれど」
「少し休憩したいって言ってたよ」
「? 何か、疲れるようなことでもあったのかしら?」
「さ、さあ、なんだろうね~」
む。
小春は何か知っている。
でも、まあ良いか。
小春が隠したいことは大体わかる。他人の秘密、おそらく、ここでは初陽の秘密だろう。
それなら、初陽に直接聞いた方が、すんなり教えてくれそうではある。
小春も、損な性格よね。
(ま、そういう鈴花もだけどね)
「あんたは黙ってなさい」
「ところで、鈴花さんは、藍ちゃんやかなりちゃんと一緒じゃなかったの?」
「絶叫系のマラソンをしていたら、途中で藍がダウンしてしまったのよ」
「大変ッ!? 私、行ってくるね!」
「待ちなさい小春」
駆けだそうとする小春の首根っこを掴み、諭す。
「藍はかなりが今看ているわ。責任を感じている部分もあるんでしょうね。そして、あたしは、藍に気を遣われて、こうして一人で回っているの」
「え、藍ちゃんが?」
「そ。あの子、自分のために誰かが犠牲になることがよっぽど辛いみたいね。まったく、誰に似たのかしら」
「? 誰?」
小春が本当にわからないという顔をする。
「はぁ…。まあいいわ。そんなわけで、藍は小春にも楽しんで欲しいと思っているはずよ」
「そっか…。うん、なら、私は楽しまないとだね!」
「前向きで助かるわ。それで、せっかくあたしもこうして一人で回ってたわけだし、小春が良ければ付き合ってあげてもいいのだけれど?」
「本当!? 鈴花さん、私、行きたいところがあるんだ!」
「そう。なら、付き合ってあげてもいいわよ」
「ありがとう! こっちだよッ!」
小春が駆け出す。よっぽど行きたいところがあったらしい。
「ね、ねえ…、小春」
「バナナとストロベリーソースとアイス! あ、アイスはベリー四種全部乗せで下さい!」
クレープ屋のカウンターで、カウンターに突っ込みかねない勢いで注文していく小春。
園内の飲食エリア。色々な国の様々な料理が売られている。軽食からガッツリ系まで、幅広い店が立ち並んでいた。
「あのさ、聞いてる?」
「どうしよう鈴花さんっ、あっちの方のお店も美味しそうだよッ!」
「え、ええ。そうね」
(これ、聞いてないね)
思わず、頭を抱えてしまう。
「迂闊だったわ…。まさか、小春にこんな一面があったなんて」
(そうかしら。海では、よく食べていたと思っていたけれど)
「そりゃ、フェルミならよくわかるでしょーよ。小春のパートナーなんですもの」
「代金は、二千百七十円になります」
店員が会計額を告げる。
「たかァーッ!? クレープ一つでどんだけかかってんのよッ! 何、ここ、ぼったくりバーか何かなのッ? 支払わないと、全裸に落書きされた恥ずかしい写真取られてネットにアップされちゃうのッ!?」
店員が申し訳なさそうな顔をしながら言う。
「トッピングをかなりつけておりますので…」
「鈴花さん、駄目かな…?」
(どうする、どうするよ鈴花ッ!)
「煽るんじゃあねえよ。…はいはい、わかったわ。さっき奢ってあげるって言ったものね」
財布からお金を取り出し、店員に渡す。数分後、見たことも無いような大盛りのトッピングがされたクレープをもらって、これ以上ないぐらいの、笑顔の小春が出来上がった。
「鈴花さん、ありがとうッ! これ、とっても美味しいよ! 鈴花さんも食べてみて!」
小春がクレープを手渡してくる。ずっしりと、クレープにあってはいけない重さがある。そして、小春の顔には勢いよく食べたからか、クリームがついていた。
受け取り、一口食べてみた。確かに美味しいが、色々な味が混ざりすぎているような気もする。
「まあまあね」
「え~ッ!?」
「ほら、顔を出しなさい」
「?」
ハンカチを取り出し、小春の顔についた生クリームを拭っていく。
「はい、綺麗になったわ」
「ありがとう。ねえ、鈴花さん、次はね…」
そう言って、もうさっきのクレープを食べ終わり、次の店を指し示す小春。
「あんなこと、言うんじゃなかったわ…」
そう。
さっき、ここに来る道すがら、いかに秋白家が素晴らしいかについて、小春に語っていた。小春は素直に聞いてくれて、それで気分が良くなって、そして無邪気に私のことも褒めてくれて。
そんな風にされたら、何故か何でも奢ってあげるなどと言ってしまっていた。最初は断っていた小春だったが、あたしが何度も言うと、ついに眼を輝かせて、飲食エリアに入っていった。
そこからはもう、小春の独壇場。眼に入る全ての店のものを注文するような勢いで、小春がどんどん注文していった。
(このままだと、鈴花の財布の中身が無くなるか、小春のお腹がいっぱいになるかのどちらかね。ルーオ、貴方はどちらに賭けるのかしら?)
(小春ちゃんのお腹かなあ。最悪、鈴花の財布の中がすっからかんになっても、まだ黒いカードとか、財布の瀬山がいるからねぇ~)
(なら、今の鈴花の財布の中の現金、ということなら?)
(小春ちゃんの勝ちかなあ~。っていうかフェルミ、それただ小春ちゃんを勝たせたいだけだよね?)
(あらあら、何のことかしら?)
あたしの側で好き勝手言ってる二人。
確かに、あたしの財布は今、甚大なダメージを受けている。小春は食べ物に夢中なのか、それに気づいていなかった。
「すいませーん! 豚まん十五個と、餃子まん十五個下さいッ!」
「もう勘弁してェーッ!?」
ベンチで、一人休んでいる小春を見つけた。
「…小春、一人?」
話しかけると、何だか苦しそうな、でも満足そうな表情を浮かべた小春が答えた。
「あ、かなりちゃん! 藍ちゃんは、大丈夫?」
小春が立ち上がる。少し、いつもの小春にしては動きが鈍かった。
「…うん。徐々に回復してきて、今は、美奈が看てくれてる。私も一緒にいたかったんだけど、藍に楽しんできてと言われた」
(そう言われちゃったからさ、存分に楽しむことにしたの)
「そっか。でも、良くなってるなら、良かった。私も、藍ちゃんのところに行こうかな」
「…小春は、ここで休んでたの?」
「うん。あはは…、ちょっと食べ過ぎちゃって、お腹が苦しくなってたんだ。でも、少し休んだから大丈夫」
(全く、少し食べ過ぎだったわね、小春)
小春がその場で回し蹴りをするフリをしてみせる。
「…そう。藍も、小春が一緒にいてくれたら喜ぶと思う」
「ありがとう、それじゃ、行ってくるね!」
そう言って、駆けだそうとする小春。
「うわ~ん、ママァ~!!」
同時に、近くにいた小さな女の子の叫びが上がった。
「どうしたの? お母さんとはぐれちゃったのかな?」
すぐさま小春が泣いている女の子に駆け寄り、訳を聞いている。
(姉さん姉さん)
「…何、ティノ?」
(アレ、いわゆるひとつの、『迷子』ってヤツだよ)
小春が必死で女の子を宥めている。でも、女の子は泣くばかりで全然泣き止む気配がなかった。
「…そうみたい。私、初めて見た」
(どうも、迷子っていうのは、心細くて、とても不安なものらしいよ)
「…それなら、ティノがいなくなった時、私は、迷子になった」
(ごめんよ、姉さん)
「…ティノが謝ることじゃない。それに、ティノはこうして私のところに戻ってきてくれた。でも、あんな思いをまたするのは、何があっても嫌」
(アタシも、それは一緒だよ)
「…なら、やることは一つ」
小春の服の裾を軽く引っ張る。
「? どうしたの、かなりちゃん?」
小春に耳打ちをする。
「え、でも…」
困惑する小春。気持ちは、わからないでもない。
(やらないより、やった方が良いと思うよ♪)
「…レッツ、チャレンジ」
「そ、そうだよねッ! よし、私、やってみるッ!」
小春も乗り気みたいだった。二人で少し距離を取って、お互い見つめ合う。
「…ああ、どうして貴方はロメオなのでしょう。貴方がロメオで無かったのなら、私の胸に、こんなにも張り裂けそうな気持ちを抱くことも無かったのに」
どこかで読んだ話の台詞を口に出す。
「おお、ジェリエット! 私は苦しい。何故こんなむなしい戦いを、あまつさえ恋人である貴方とせねばならないのかッ!」
小春が抑揚をつけて台詞を返してくる。全て即興のアドリブだったが、小春も慣れた様子で返してくれた。武道の立ち合いと通じるところがあるのかもしれない。
そして、ふむふむ。現状を整理した限りでは、二人は好きあっていながらも、戦いあう運命にあると。
「…貴方に切り飛ばされたこの腕の傷さえ、私は愛しい。ロメオ、もし許されるのならば、私は貴方の血肉をむさぼり、貴方と一つに溶け合ってしまいたい」
(二人は危険な関係だね! 姉さん、アタシ、わくわくしてきたぁッ!)
(何故か、どんどん人を選びそうな話になってきているわね)
即興の恋愛劇。台詞を言いながら、泣いている女の子の方を見る。泣いていた女の子が、あっけにとられた表情をしていた。とりあえず、泣き止ませることは出来たようだ。
でも続ける。何だか楽しくなってきたから。
「ならば、決闘だッ、ジェリエットッ! 負けた方が、勝った方の奴隷だぞッ!」
小春が声高々に言い放つ。予想外の展開だったが、普段の小春とのギャップに、なんだかゾクゾクする。
「…待てえいッ!」
少し、声色を変えて言い放つ。
「誰だ貴様はッ!?」
完全なアドリブだったが、小春も乗ってきてくれた。
「…ふふ、なあに、オレは通りすがりのガンマンよ。見たところ、おまえさんはこの女を好いているようだが、女に手をあげるなんざ、男のすることじゃあねえ。女の代わりに、その勝負、このオレが受けて立つッ!」
ざわめき声が上がった、周りを見回すと、いつの間にか群衆に囲まれていた。何かの劇だとでも思われているらしい。女の子を見ると、不意に乱入してきた第三の登場人物に眼をキラキラと輝かせていた。
「良いだろう、来るがいいッ!」
「…望むところだッ!」
(おおうッ!? これ、どうなっちゃうのッ!?)
(何だか、嫌な予感がするわ)
「「スピンッ!」」
眩い赤と黄色の閃光。一瞬重なって橙色に輝き、光が溶けた。
観客が変身した私達二人を見て歓声をあげる。何かの手品のように見えるのだろう。
私も大概だけど、小春も、意外にノリが良い。
「…いいか、一発だ。一発で仕留めてやるぜ」
右手で構えたライフルを小春に向けながら、ウインクで合図を送る。小春はうなづいて答えてくれた。
「その一発すら、貴様に放つ間は与えぬッ! ジェリエットのために、私は勝たねばならないのだッ!」
小春の返答に、すかさずまた声色を変えて叫ぶ。
「…止めてッ。私のために、争わないでッ」
「ジェリエット! 君のために、私は、この男を倒すッ!」
「…来な、ロメオッ!」
小春の拳が私(謎の男)に向かって繰り出される。見事な拳だったが、いつもの小春に比べれば、大振りで遅い。余裕で躱し、金色の粒子を伴った弾丸を小春の額へと発射する。
「ぐ、馬鹿な…、ジェリエット…」
号砲が一度空に響き、小春が倒れた。見ている人から、悲痛な叫び声があがる。
「…ロ、ロメオーッ!」
私が小春に駆け寄る。小春の額を見たが、弾丸が当たる瞬間、うまく粒子で分解し、傷は残っていなかった。
「…ロメオ、しっかりして」
「私は、…もう駄目だ。君だけでも、しあわせ、に…」
「そ、そんな…」
小春の手を握る。
(このままだと、ロメオかわいそうだよ~)
(そうね。どうするの、かなり?)
「…こうする」
小春の撃たれた部分の額に口づけする。眼を瞑っていた小春が恐る恐るといった風に眼を開き、次の瞬間、体全体を使って喜びをあらわにした。
「おおッ!? 治った、撃たれたはずの傷が、治ったぞッ! ジェリエットの口づけ、それこそが、私にとっての何にも代えがたい宝だったッ! そしてもう、二度と君を離したりなんかしないッ!」
小春が私を抱きしめる。観客から拍手が巻き起こる。
とりあえず、落とすところには落とせて良かった。抱きしめられながら、観客の一人となって拍手していた女の子を見た。もう涙は無い。
小春が、観客の中からその女の子の手を引き、笑顔で笑いかける。女の子も眼を輝かせながら、小春の手を握っていた。
「あっ! どこに行ったと思ってたら、こんなところにいたのッ!?」
群衆をかき分けながら、女の人が出てくる。顔立ちが、なんとなく女の子と似ていた。
「この子のお母さんですか?」
小春が女の子の頭を優しく撫でながら聞いた。
「はい、そうですけど…」
「来てくれて、良かったです。泣いていましたから」
小春がしゃがみ、女の子に話しかける。
「良かったね。お母さんに会えたよ」
「うん」
小春が、優しく少女の背中を押した。
「あの、お姉ちゃん」
名残惜しいかのように、小春の方へと顔を向ける女の子。
「? 何かな?」
「ありがとッ!」
「お母さんと仲良くね」
「うん。そっちのお姉ちゃんも、バイバイ」
「…バイバイキーン」
手を軽く振りながら、女の子を見送る。小春も、手を振っていた。
もうイベントが終わったと思ったのか、群衆が散り、私と小春だけになった。
周囲に誰もいなくなったのを確認して、変身を解く。
(まったく。二人が勢いで変身した時は、正直焦ったわ)
(でもアタシ、こういうノリ、大好き!)
「あ、あはは…。ごめんなさい、やってる時は、夢中だったから」
「…全て、計算のウチ」
(でもまあ、結果オーライと言ったところかしら。あの女の子の親も見つかったわけだしね)
(アタシは、あの乱入してきた男が、あの後一体どうなったのか気になる!)
「あ、それは私も」
「…男はまた、さすらいの旅に出る。どこへ行きつくともわからない、旅路に」
「そうなんだ。何だか、切ないけど、格好いいね」
「…私達も、旅人」
「え?」
「…あの女の子と出会った。こんな人との出会いも、旅の一つ」
「そっか。そうかもしれないね」
耳のピアスに触れる。
じんわりと、何かが広がっていくような感じがした。




