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particle15:そう、何度でも(1)

 一階から香るコーヒーの匂いで、眼が覚めた。

 静に用意してもらった服に着替え、一階に降りていく。静はとっくに起きていて、朝食の準備をしていた。

「おはよう。かなり、ティノ」

「…うん、おはよ」

(おはよ、静。そして再度おはよ、姉さん)

「…再度おはよ、ティノ」

 如月を倒した、次の日だった。

 昨日は、夜遅くまで三人で話をした。私とティノのこと、これまでのこと。

 これからのこと。

 私達の正体を知っても、静は特に何とも思っていないようだった。どちらかと言えば、私に妹がいたことに喜んでいたような気がする。家族が増えるとも言っていた。

 静にずっと甘えてはいけないと思って、出ていこうとしたが、止められた。強く引き留められたのもあったし、ティノが乗り気なのもあって、そのまま無し崩し的にいることになった。でも、ただお世話になるわけにはいかないので、私の方から、店の手伝いをするという条件で、ここに住むことになった。東裏のところに戻っても良かったが、静やティノのことも考えると、こちらの方が良い気がしたし、私も、この喫茶店のミルクティーが好きにもなっていた。アレを飲むと、よく眠れる。暇さえあれば、遊んでいるか、ずっと寝ていたいとも思う。

 時計は朝の六時。まだ、学校に行く時間には余裕がある。静に作ってもらった朝食を食べていると、入り口のベルが鳴った。

「こんにちは」

 二本のサイドテールが、今日も決まってる満面の笑顔。

「…あ、小春。おはよ」

「おはよう、ディアちゃん」

(おはよ、小春)

「ウィデアちゃ、あ、違ったね。ティノちゃんも、おはよう」

「…それを言うなら、私は、かなりかも」

「え?」

(姉さん、改名してたの。冬峰かなり、良い名前でしょ?)

「そうなんだ。うん、良い名前だと思うよ」

「…それで、こんな朝早くに、どうして小春がここに?」

「初陽さんから、ディア…かなりちゃんがここにいるって聞いて。会いに来たんだ」

「わざわざ?」

「うん。聞いてもらいたいことがあったから」

「おはよう、小春」

「あ、静さん、おはよう! 驚いたよ、かなりちゃんが静さんのお店にいるなんて!」

「運命的に、出会っただけよ。ね、かなり?」

「デスティニー的に」

(ねずみさん的に?)

「あ、あはは。そっちは、何か違う気がするなあ」

「…それで、聞いて欲しいことって?」

「うん。私達の仲間になって欲しいんだ」

 眼。真っ直ぐな眼だ。見ていると、吸い込まれそうになる。

「…私は、小春達とは違う生物。そして、この星を小春達から奪おうとしている。実際、私達は小春と戦った」

「でも、共存だって、出来ると思うんだ!」

(姉さん)

「…待って、ティノ。私は、私自身の想いで、小春に応えたい」

(うん。なら、アタシもアタシで、考える)

「どうかな?」

 人間との共存。それを志向する輩は、現状、ほぼいないと言ってもいい。過激派も穏健派も、基本的には人間の支配という目的では、考えが一致しているのだ。

 でも、私は知ってしまった。

 人間の温かさを。

 小春の。

 静の。

 私達へ向けてくれた、そんな想いの温かさを。

 なら、私は。

「…私は、どちらの敵でも無い。私は、輩と人間が、利用や支配されるのではなく、対等な存在として生きられる世界を望みたい。そのためになら、小春達の手助けを出来ると思う。…ティノは?」

(アタシは、どこまでもねちっこく、姉さんについてくだけだよ♪)

「なら…!」

「…うん。よろしく、小春」

(アタシもよろしーく! じゃ、あれだねッ♪ 今から姉さんは、アルズゲルプだねッ♪)

「…うん。そういうことになる。希望の、閃光」

(おおっ、何か良いねそれ♪ ならさっそく、変身ポーズと決めポーズと必殺技のポーズ練習だね♪)

「…ライダー系か、戦隊系か、迷うところ」

「あ、あはは。うん、よろしくね、かなりちゃん、ティノちゃん!」

「かなり、もうそろそろ出ないと、学校、遅刻するわよ~」

 壁に掛けられた振り子時計を見た。確かに、もうそろそろ出る時間だ。

「…小春も、一緒に行こ」

「うん。荷物は、持ってきてあるんだ」

 荷物の入ったカバンを肩に担いで、店を出る。

 店の前で、かしづいた男。

 扉のベルの音。それが、やけに遠く聞こえた。

 だってそれは。

 消えたはずの。

「…宗久ッ!」

 かしづいていた男が、顔を上げた。

「誠に失礼ながら、一部始終を、外から盗み聞きしておりました。お喜び申し上げます、かなり様、ティノ様」

 頭を抱きしめる。

「ふごッ!? く、苦しいのです、かなり様ッ!?」

(おい宗久。アンタ、ちょっくらそこのコンビニまで、ガリガリ君八本買って来なさいよ~)

「何故わたくしがッ!? そして、このままでは動けませぬッ!?」

(おうおう、アンタ、アタシに出来ない姉さんからの抱擁なんてされといて、何も無いとか、どういうことよ~?)

「…すいかで、手を打つ。乗車券じゃない方」

「や、やほやを探さなくてはッ! ふごごっ!」

「…とりあえず、今はこうしてる」

「あ、あはは。私、先に行った方が良いよね?」

 さすが小春。ちゃんと空気は呼んでくれて、駆け足で去っていく。

 とりあえず、苦しそうだったので、離してあげた。

「…でも、どうして? 宗久は、消えたはず」

「はい。自分でもよくわからないのですが、気が付くと、いつの間にか、この店の前に立っていました」

(変なの~)

「…総統の、能力」

「え?」

「…おぼろげだけど、そういう能力を持っていた気がする」

 正確な内容は覚えていない。思い出せそうだが、今はまだ無理だった。

(なら、これは、総統がしたことなの?)

「…多分。輩を、消させたくなかったんだと思う」

「そうでしたか。さすが、総統」

(アタシ達のこと、知ってるのかな?)

「…多分、知ってる。私達が、人類との共存を目指し始めたことも」

(なら、どうして?)

「…そういう存在だから。総統とは、そういうもの」

「わたくしも、その意見に賛成です」

 どこかで見ているだろう総統にお辞儀する。

 輩への想いは、変わらない。

「…もう、こんな時間」

 鈴花から借りた携帯の時計を見た。遅刻は、確定的に明らか。

「…宗久」

「はい、なんですか、かなり様?」

(おぶって)

 ティノに、先を越されて言われてしまった。

「へ?」

「…初乗り五百円」

「あのですね…、マジ?」

(マジで)

 宗久の背中に飛び乗る。

「ノォーッ!?」

「…ゴーゴー」

 陽で熱くなり始めたアスファルトの上を、宗久が全速力で駆けていった。



 水トの亡骸は、胸の中の袋にある。よく燃えたようで、あまり、骨の形は残らなかった。同じような灰が入っている袋を船瀬も持っている。

 葬儀は、船瀬が全て執り行った。その後、グラ様の葬儀もした。

 如月という教主を失った如月教だったが、如月教内部の反如月の勢力が如月の元の勢力にとって代わり、そしてそれは私達に協力する姿勢を見せた。如月を倒したからだろうが、如月教の資金が無ければ困窮するところだったので、申し出はありがたく受けた。

 ディア様の行方は、船瀬が掴んでいた。街の中の、喫茶静という喫茶店に居候している。報告では、その喫茶店のマスターと懇意にしているらしかった。呼び戻そうとも思ったが、ディア様達はよく掴めないところもあり、反発される予想もあって、もう少し様子を見ることにした。船瀬には、逐次報告を入れるようにしている。水トの代わりに副官のようなこともやり始め、忙しいはずだったが、今のところ問題なく動けている。

 そこまで考えながら、朝の目覚まし代わりのコーヒーを飲んでいると、不意に湧き上がってくるものがある。

 吐き気。

 酸を伴う吐き気ではなく、ひたすら苦さと、少しだけの甘さを含んだ、吐き気。

 あの、全体として清楚な、しかし、どこか危うさを秘めているような顔を思い出す。

 優衣さん。

「今頃、何をしているのだろうな…」

 ホテルで別れてから、電話や手紙の類の連絡は、一切なかった。

 別れる直前。

 自分で考えても愚かなことだが、皮肉にも、優衣さんとは通じ合えていたような気がしていた。

 仕事のはずだった。

 あくまで、作戦遂行のための、偽装した付き合い。

 私は特に何も考えず、そして優衣さんは私に少なからず行為を抱いてくれていたようにも思えた。

 だから、成功だったのだ。

 そして、最後の最後で、駄目だった。

 同時に、自分がいかに優衣さんのことを憎からず想っていたことも、同時に自覚してしまった。

「…」

 コーヒーに、ミルクを足す。普段はしないが、今はそうしたい気分だった。

 会いたいと言う気持ちはある。そして、決して会ってはいけないとも思う。優衣さんを直接この手で傷つけた自分が、会いたいなどと思ってしまう。そんな自分を殺したくなってくる。

 ドアが鳴った。

「入っていいぞ」

 少し力のない音。

 このノックの仕方は船瀬では無い。

「ご休憩中でしたか?」

「君のそのへりくだる態度は、やはり慣れないな、飛澤。どこか、裏があるのだろうと思ってしまう」

「今日は、喜ばしいニュースを東裏様にお伝えしに参りました」

「? そんなニュースは無いはずだが? 新しい七罪の方でも上陸されたのか?」

「いいえ。しかし、それにも勝るとも劣らないニュースです」

「もったいぶらずに言え」

「では、遠慮なく」

 そう言うと、飛澤は一通の手紙を渡してくる。

 宛名の字を見て、思わず後ろに下がりそうになった。宛名よりも先に、その字の形で、送り主が誰だか気づいてしまったのだ。

「こちらは、東裏様が受け取られるべきものでございます」

 半ば押し付けられるような形で手紙を受け取る。受け取る手が、自然に震えていた。

「総統専用のB2、その資金提供がなされたそうでございます」

「!? 何だと!? 今、何と言ったッ!?」

「ですから、総統専用のB2の資金提供がなされたと」

「そんなはずは無いッ! なぜなら、私と優衣さんはッ!」

「ですが、きちんと約定の金額も指定の口座に振り込まれておりました。如月様も聞いておりましたが、東裏様のご活躍があってのことだそうで。私の方からも、感謝致します」

「何かの間違いだ」

「いいえ。事実でございます」

「そんな…」

「では、私はこれで失礼致します」

 来た時と同じように、ゆっくりと飛澤が部屋を出ていく。

 残されたのは、私の手元にある一通の手紙。

 まさか。

 私と優衣さんの縁談は破談になったのだ。

 ゆえに、龍之介さんからの資金提供は為されないはず。

 だが、飛澤は確かに資金提供があったという。

「なんなのだ、これは…」

 手元の手紙。優衣さんの字で、私宛のものだった。

 正直、読みたくない。いや、読むのが怖い。さっきの飛澤の話を聞いてから、一層その気持ちが強くなってきている。

 罵倒や恨むつらみが全面に書いてあるなら、大分気が楽だ。

 だが、なんとなく、優衣さんはそういうことはしないような気がしている。

 それゆえに、読みたくないのだ。

 それでも。

 どうしてか、読みたかった。この手紙の罵声の中にさえ、優衣さんを感じていたいとも思ってしまう。

「どうかしているな、私は」

 ゆっくりと手紙の封を開け、その中から、手紙を取り出す。

 紙が一枚。

 手書きで、たった一言だけ書いてあった。


『会いたいです』


 口を押さえる。そうしていないと、声を聴いて船瀬が飛んでくるだろう。口を押えながら、叫んだ。くぐもった自分の叫びは違う動物の咆哮に聞こえた。

 会えるわけがない。

 貴方と私は、あの時、もう終わってしまったのだ。交わった線は一点で結び、また離れた。離れた線は、もう二度と交わることは無いのだ。

 でも、会いたい。

 そして、決して会ってはいけないとも思う。

 会ったところで、私はまた優衣さんを傷つけてしまうだけだ。

 ひとしきり叫んで静かになると、ノックの音が聞こえた。

 全くもって、水トはしっかりと部下を鍛えていたらしい。

「隊長、訓練のお時間ッスが」

「今行く」

「いいえ、隊長は今日は別にすることがありますので、そちらをして下さいッス」

「することとは?」

「副隊長のツケが溜まった団子屋に、ツケの支払いを」

「お前か部下に任せる」

「そんな顔の隊長を同志の前に出させるわけにはいかないッス。隊長には、いつもしゃんとしてもらわないと。というわけで、隊長が行ってきていただきたいッス」

 丁寧な口調だが、有無を言わせない圧力はあった。

「わかった。水トに関することだしな。私が行って来よう」

「ありがとうございますッス。ああ、あと」

「? 他には何だ?」

「別に今日は帰らなくてもだいじょ、ああっ、冗談、冗談ッス!?」

 挙げた拳をゆっくりと降ろす。

「さっさと行ってくる」

「はい、お気をつけてッス~!」

 本部を出て、水トがよく行っていたと言う団子屋に行く。

「いらっしゃい」

 初老のおばあさんが出迎えてくる。初めて来たが、店の中は、どこか、古めかしいところがある。ところどころ新しくなっている部分も見えた。

「注文は?」

 団子を焼きながら、おばあさんが聞いてくる。

「いえ、今日は結構です。部下のツケを払いに来ただけなので」

「? ツケなんてあったかねえ?」

「水トが、こちらのお店にツケがあると」

「おやおや。あんた水トのとこの上司さんか何かかい?」

「はい。東裏と申します。水トは、私の部下でした」

「今日は、あの子は来ないのかい?」

「…え、ええ」

「そうかい。何、あの子にツケなんかないよ。あたしが勝手にあげたんだからね。でも、そうだね。また来てくれるのが、何より一番だね」

「…」

「その顔だと、水トはどこか遠くに行ったんだろ?」

「!? え、ええ…」

「わかるよ、あたしにはね。あの子は、よく出来た子だ。もっと遠いところで、自分の可能性を存分に試していくのが、あの子には一番さね。いつまでも、こんな年寄りのいる団子屋に来て良い子じゃあないんだ」

 おばあさんが店の窓から遠くを見た。眺めた空には、一筋の飛行機雲が、青い背景を白く二つに分けている。

「いつか、また来ると思います。水トは、そういう男です」

「そうかい。なら、ツケは、その時もらうことにするよ」

「わかりました」

「でも、そうかい。めでたいねえ」

 そう言うと、おばあさんは、また団子を焼く手を動かし始めた。



 小春ちゃんは、爆睡していた。疲れているのだろう。如月教との戦いが終わった次の日なのに、朝早くからディアさんを迎えに行っていた。

 言ってくれれば、ついて行ったのに。

 迎えに行ったはずのディアさんは何故か時間ぎりぎりに登校し、教壇の前で、黒板に冬峰かなりと大きく新しく変わった自分の苗字を書いた後、変なポーズを取って皆の拍手喝采をあびながら、入ってきた担任の矢入先生に注意された。

「ごほっごほっ。え~、緊急ですが、持ち物検査を行います~」

 朝のホームルームの一番初めに、マスクをかけた矢入先生がそう言った。

(マズイです、藍殿。小春殿もかなり殿も、フェルミ殿やティノ殿と一緒です)

「わたしとかなりさんなら、口かどこかに簡単に隠せそうですけど、小春ちゃんは…」

「先生、ごめんなさいッ!」

 小春ちゃんが勢いよく謝りながら、腕輪フェルミさんを鞄の中から取り出す。

(その前に、隠すということが出来ぬお方でしたな、小春殿は)

「はい。それが小春ちゃんで、そんな小春ちゃんだからこそ良いんだと思います」

 小春ちゃんが正直に言ったのだ。

 なら、わたしが隠しているわけにはいかない。

「矢入先生、わたしも、すみませんでした」

 そう言って、クォさんを机の上に置く。

「…乗らねば、このビッグウェーブに」

(なみのり姉さん、空も飛べるッ!)

 何だかよくわからないことを言いながら、かなりさんもティノさんを机に置く。ノリノリなところがなんとも小春ちゃんと対照的だった。

「んだとォー! このッドグソ先公がァーッ! 公僕のくせしてーッ! …お、おほん。仕方ありませんわね」

 隣の教室から、叫び声のようなものが聞こえた。どうやら、学校全体で一斉に抜き打ちの持ち物検査が行われているらしい。

(藍殿)

「はい」

(今の声ですが)

「はい」

(我々は、何も聞かなかった)

「はい」

 三人と、あと鈴花さんも、アクセサリーを学校に持ち込んだということで、クォさん達は先生に没収され、放課後の生徒指導の後に返されることになった。

「畜生よね! どうしてアイツは首飾りなのよ! クォやティノみたいに、口に入れられる大きさのものだったら良かったのに! おかげで、あたしまでこんなくだらない生徒指導なんてもんを受けなきゃあならないわ!」

 放課後。生徒指導室に四人で集まり、先生が来るまで雑談する。

「…めんどい。寝て良い、小春?」

「あはは。多分、駄目だと思うよ、かなりちゃん」

「確か、生徒指導は藍のとこのクラス担任の矢入よね?」

「はい、そうですね」

「あの男、なーんか、いやなのよね」

 小春ちゃんが聞く。

「? どうして? 矢入先生優しいし、授業わかりやすいし、いい先生だと思うけどなああ」

「…あと、微妙にイケメン」

「それ、先生の前で言うの駄目だよ、かなりさん」

「なんか、いかにも『良い先生』風なヤツってさ、信用できないっていうか、それだったら、少し変なヤツの方がむしろ信用できるって言うか」

「そうかなあ。良い先生だと思うけど」

 そこで生徒指導室の扉が開く。矢入先生が紙束を持って入ってきた。

「はい。じゃあ、生徒指導を始めます。といっても、今日の持ち物検査で、学業にそぐなわない物を持ってきたことについて、反省している旨の文を書いてもらいます。原稿用紙五枚分ね。出来た人から帰って良し。じゃ、始めて下さい~」

 先生が原稿用紙の束を渡す。四人で五枚ずつに分け、わたし達は反省文を書き始めた。

「なんて書けばいいかなあ」

「そんなもの、ちょいちょいと書けば良いのですわ」

「…ぐぅ」

「先生、風邪気味なんですか?」

 マスクをかけ椅子に座って監督している矢入先生に聞いてみる。

「そうだね、ごほごほ。皆にうつさないように、マスクをしているんだよ」

「そうですか」

「この反省文が書き終わったら、預かっていたものは返すからね。もう、ああいうものは学校に持ってきちゃ駄目だぞ~」

 原稿用紙に向かい、文を書いていく。

 不意に、何かの音が聞こえた。

 空気が抜け、激しく出ていくような音。

「? なんだろう、この音?」

「…ぐぅ」

「!? まずいわッ、ルーオッ! って、いないんだったッ!」

「これは、何かのガスッ…!」

 匂いは無い。だが、音は聞こえ、そして。

「あれ、なんだろう。どうしてか、眠く…」

「…ぐぅ」

 小春ちゃんの体が揺れた。かなりさんは、多分もう夢の中。

「くっ、皆、息を吸っては駄目よッ! これは、無臭の眠りガスだわッ! くそッ、どうしてこういう肝心な時に、アイツはいないのよ!」

「荷物検査…、風邪でマスクをかけた先生…、生徒指導…、眠りガス…、まさかッ!?」

 もう半分落ちかかった眼で、矢入先生を見る。

「クク、待ち望んでいたよ。この時のために、ボクは長い間、じっと我慢して人間の中に潜んでいたんだ。僕は七罪のルクス。大丈夫、全てをボクに預けて。ボクが極楽に連れて行ってあげる」

 優しい眼で、どうかしていることを言いだす矢入先生改めルクス。

「藍ちゃん、私、もう…」

 小春ちゃんが机に突っ伏す。

「…ぐぅ」

 かなりさんは少し前から寝ていた。

「ちっ、この性食者がッ…」

 鈴花さんも出口へ向かうが、途中で倒れ込むように意識を失った。

「そ、んな…、嘘…」

「嘘じゃないさ。眠ると良い。起きたら、全てが終わっている」

「うう…」

 小春ちゃんの肩を揺するために近づこうとした。

 浮かんでいる。

 そう感じながら、瞼が重たく降りてきた。

 届かない。

 小春ちゃんに。

 そのまま、どこかに落ちて行った。

五人目の七罪登場。なぜこのタイミングで襲う気になったかというツッコミはロリコンの気持ちなんて理解できないということで許してください。

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