particle2:あなたの、背中を(1)
少し、肌寒い。桜はもう散ってしまったが、まだ天気はいくらか不安定だった。
朝の空気が、好きだった。そして、登校前の、もう少し早い朝の空気の方が、好きだ。
陽の当たりすぎた空気は、なんだか混じり気のある匂いがする。それも悪くないが、透き通った空気の方が、心が満たされるような気がした。
遠くから、拍子を刻んだ足音が聞こえてきた。
「藍ちゃ~ん、おはようっ!」
足音の主は、今日も元気なようだ。
「おはよう、小春ちゃん」
「ごめんね、少し待たせちゃって」
「ううん、大丈夫だよ。わたしも、今来たところだから」
並んで、歩く。今の時間に登校する生徒はまばらで、歩きやすい。
「いつも思うけど、今日もすごいね。自分でしてるんだよね?」
「うん。宮姉は、朝の支度があるし、わたしも結構前から、自分で出来るようにならないとって思って、練習してたから」
「今度、私にもしてくれないかな?」
「う~ん、小春ちゃんの長さじゃ、難しいかなあ」
サイドにまとめられた、二つの髪の束が、歩くたびに、何か生き物のように跳ねている。あの長さでは、三つ編みはまだ難しいだろう。
「わかった。じゃあ私、頑張って伸ばすから」
「小春ちゃんは、そのままでいいと思う」
「へ?」
「だって、そのままの小春ちゃんの方が、小春ちゃんらしいから」
「えーと、…よくわかんないけど、藍ちゃんが言うなら、それできっと多分、そうなのかな?」
「ふふふ、きっとそうだよ」
新聞を持ったサラリーマンとすれ違う。
「そういえば、コンビニ強盗犯、捕まったみたいだね」
「え? そ、そう、だね」
「小春ちゃん」
「はい、なんでしょう?」
「何か、知ってるんでしょ?」
「はは、まさかあ」
「待って。少し、考えてみるね。う~ん、小春ちゃんがもし犯人と会ったら、説得しようとして、無理だったら捕まえて警察に引き渡す。そうだよね?」
「ごめんなさい」
「もう。無事ならいいけど、小春ちゃんだって女の子なんだから、もっと自分を大事にして欲しいな」
「うん。でも、森田のおばあちゃんが困ってて、助けたいと思ったんだ」
「…そっか。ともかく、小春ちゃんが無事なら、わたしはそれでいいの」
「うん、心配かけてごめんね」
そう言った小春ちゃんは、少し寂しげな顔をしていた。
それは、何か言いたくないことがある時の彼女の癖で、私は、それをこの場で聞くのを止めた。
胸が、躍っていた。
無理もない、とも思った。
近くで、喜平次が懸命に私を探している。そんなことはいつものことで、別段胸が躍るようなことではない。
ようやく、会えた。
歪みのない、真っ直ぐな心を持つ少女。
人間は、歪んでいる。自分たちと同じか、時にはそれ以上に歪んでいる。この星に来た時に、初めに抱いたのは、そんな感想だった。
「おい、フェルミ、返事をしてくれないか? 私とお前で、話すことは多くあるのだ」
ゆかりに、今日は、喜平次の白衣のポケットの中に隠すよう頼んだ。捜索は難航している。
部下の気持ちを考えるのが不得意な喜平次にとって、なかなか難しい余興のはずだ。半分、あてつけのようなところもある。ゆかりも、それには気づいて協力してくれているし、本人もきっと、少なからずそんな思いを抱いているはずだ。
「くっ。今日はいつにも増して難しいな」
喜平次の声をBGMにしていると、遠い過去のことが思い出された。
(…やめましょう)
もう、過去は過ぎ去ったのだ。いくら考えても、過去は答えてはくれない。
「なんだ、フェルミ、こんなところに隠れていたのか。全く、毎度毎度、止めてくれと何度言えば…」
(初陽のことなのだけれど)
「ああ、その話か。お前は一つしかない。それは、一人しか変身出来ないということだ」
(理性で割り切る。学者としては必須の才能だとは思うけれど、人間としては、歪んでいるわね)
「職業柄だ。小春君のデータがまだ取れていないが、柊君には、実戦で斥候のような役目をして欲しいと思っている。あと、小春君が戦闘不能になった時に戦う。もしくは、戦闘不能状態の小春君を連れて離脱などが、彼女の仕事になるだろう」
(初陽には、それを?)
「データを揃えてみなければ確かなことは言えんが、お前と小春君のコンビが、現状、敵に対するのに一番良いと、私は考えている。それは、本人にも伝えた」
(そう。それで、初陽はなんて?)
「何も。わかりました、とだけだ。あまり感情を表に出すような子ではないが、内心、思うところはあるだろう」
(当たり前よ。あなたは、もっと人の心の機微を考えるべきだわ)
その辺りは、ゆかりに任せてしまっている、というところがある。
「しかし、お前も、小春君と組む方が良いのだろう? この判断は、間違っているとは思わんがな」
(それはまあ、そうなのだけれど。全く、あなたの人への不躾な対応のせいで、せっかくの私の気分が台無しよ)
「喜んでいたものな。それは、あの場にいた私には、よくわかるぞ」
何故だか、イラッとする言い方だった。
(あら、首でも取ったつもりかしら? 首は無いけれど)
「まあ、私も、お前の気持ちはわかるのだ。あのような真っ直ぐな子に出会ったのは、久しぶりでな。若さから来るものだろうと思ったが、それでも、あまりいないことも確かだろう」
(そうね。大体の人間は、真っ直ぐに見えて、内心は歪みきった心を抱えた人間ばかりよ。それを、何とか外面だけでも礼儀正しく見せている)
「人間のことは何でも分かっている、というようなことを言うな」
(あなたが用意した被験者に触れていれば、自然とわかることよ。でも、小春は違った。あの子の心は、その内側だって、真っ直ぐだったわ。私が、思わず、触れるのを躊躇ってしまうぐらいに)
「だから、あの場でパートナーにしようと?」
(ええ。小春は、私が待ち望んだ人間だもの。あの子の心が、真っ直ぐにある限り、私は、あの子のパートナーを辞めるつもりはないの。でも…)
「何か、懸念があるのか?」
(ええ。あの子、望月という男のために、涙を流していたわ)
「いかに真っ直ぐだとはいえ、普通の少女なのだ。泣きもするだろう。むしろ、それも真っ直ぐさ故とも言える。良いところじゃないか」
(そうね。でも、どこか脆い。それが、私には心配なのよ)
「その危うさは、パートナーであるお前が支えてやるべきだな」
(あら、あなたもたまには良いことを言うのね)
「小春君も柊君も、ここに来るように呼んである。もうすぐ、来るだろう」
その後も、喜平次と二人で、いくつか話しをした。犯人の二人は警察に引き渡し、破壊された店は、建物の共済保険が下りるという。店は壊れたままだが、別の場所で営業はしているようだ。
内線が鳴る。
「武内君か。…わかった、こちらに来るように伝えてくれ。あと、柊君のことだが…。ふむ、わかった、フォローありがとう」
しばらくして、小春と初陽と、知らない女性が入ってきた。
「待っていたぞ、三人とも。初めて会う者もいるだろう。これはフェルミ。私に情報提供と、あと色々と手伝ってもらっている」
「ざっくりしていますね。でも自分、そういうの、嫌いじゃないです。初めまして、ゆかりん、いえ、ゆかりの幼馴染で、元陸自の隊員でありました、西織であります。どうぞ、よろしくお願いします、フェルミさん」
(よろしくね。あと私、人を呼ぶ時は、出来るだけ、下の名前で呼ぶことにしてるの)
「これは、失礼いたしました。自分の下の名前は、美奈。気軽にミーナと呼んでやって下さい」
(よろしく美奈)
「はいっ!」
美奈が敬礼を取る。様になっていると思ったが、元陸自なら、当たり前だろう。
「西織君には、実際の現場でのまとめ役のようなことをしてもらうつもりで、来てもらった。同性であるし、皆とも年が近い。皆、仲良くしてやってくれ」
「時に、はっちゃん」
元陸自で、第一印象は堅いというイメージがあったが、存外、砕けた人らしい。
「はい、何でしょうか?」
「君は、どこの流派の忍者なのだ?」
「へ? 初陽さんって、忍者なんですか?」
小春が驚いた。私も内心、驚いていた。
「わかるような動きは、していないつもりでしたが」
「いやー、知り合いにその筋の人がいてさ。自分も一時期、その人から習ってたことがあるんだよねえ、足運びとか、気配の殺し方とか。それで、日常の動作を見てて、何となくね」
「そうでしたか。迂闊でした。これまで、気づかれたことが無かったせいか、気が緩んでいたのかもしれません。確かに私は、幻月流という流派に属する、中忍です」
「すごいっ! 初陽さん、忍者なんですか? 煙玉、とかって、出来ちゃうんですか!?」
「はい、道具さえあれば。今は、持っていませんが」
「じゃあ、後で、足運びでもいいから私に教えてくれませんか? あと、出来れば組打ちとかも」
「ならもう、二人でやってきたら良いんじゃないかねえ。殴り合えば、わかることもあるだろうし。構いませんかね、桑屋さん」
「ああ、許可しよう。二人とも、今日はもうあがっていい。後日、また来てもらうことになると考えている」
「わかりました。では、私達はこれで」
「じゃあね、フェルミ!」
(ええ、じゃあね、小春)
二人が退出していく。ご機嫌な小春を見ていると、なんだか、自分も嬉しい気持ちになってくる。
(すまないわね、美奈)
「いえいえ。彼女達が仲良く作戦行動できるようにするのも、私の役割の一つですから」
「良い指揮官を得たようだ。来てくれて嬉しい」
「いや、ゆかりんに頼みこまれまして。幼馴染の頼みとあっちゃ、無下にも出来ませんから」
美奈が豪快に笑う。後悔は無いように見えた。
ミーナさん、煙草は吸いません。
お酒は、よく飲みます。