particle14:想いを、灯して(1)
背中が、柔らかかった。
起き上がると、草原の中にいた。しかし、そうではない。
樹。
巨大な、樹だった。その葉が何故か草原になっており、私はその上に寝ているのだった。
そんなことが、何故だかよくわかった。
「あ、あのう…」
声。いつの間にか、すぐ正面に少女が立っていた。小春より少しだけ幼いという感じだろうか。白の薄いワンピースに、葉が彩られている不思議な服。
「きゃっ…」
風が吹き、その少女のスカートが大きく風になびいた。
「すまない」
何故だか、謝っていた。今吹いた風は、私の心なのだ。今は、何故だかそんなこともわかる。
「名前を聞いても、良いだろうか?」
知らない少女。しかしどこか、強く惹かれるものを感じる。
「私は…」
少女が口を開く。また風が吹き、少女の言葉をかき消した。
「すまない。もう一度だけ言ってくれな…」
一段と強い風が吹き、体ごと吹き飛ばされる。
空中から見る景色。
青と緑のコントラスト。
最近、こんな景色を見たような気がする。
起き上がった。周りを見回す。研究所の医務室だった。
「…夢、か」
体を動かしてみる。どこも痛みや動かないところも無かった。恐らく、藍が治してくれたのだろう。悪獣との戦いでかなり負傷したはずだが、全て綺麗に治っていた。
「そういえばッ」
私はディアとグラ殿と一緒に如月教に攻めたのだった。
「二人は、どうなったのだろうか?」
医務室を出て、指令室に行く。部屋に入ると、喜平次さんとゆかりさんと美奈さんがいた。
「初陽さん? 良かった、眼が覚めたんですね」
ゆかりさんに抱きしめられる。そういえば、修業以降帰ってきていない。こうして抱きしめられるのも、ひどく久しぶりな気がする。
「お帰り、ひーちゃん」
「ただいま、と言っていいものか。迷惑をかけ、すみませんでした」
「良いって良いって。ひーちゃんが無事で、みんなほっとしてるんだよ? あ、ひーちゃんを助け出したのがディアちゃん。それから途中でひーちゃんを運んできたのが、アキちゃん」
「あの二人にも、大分迷惑をかけたようですね」
「柊君」
「はい。喜平次さん」
「さっそくで済まないが、今回のことの報告をしてくれると助かる。まだ、体が辛ければ後にするが」
「いえ、大丈夫です」
修業中グラ殿と遭遇し、二人と共に、如月教に乗り込んだこと。それに関わる事柄を、一から三人に説明していく。
「ふむ。なるほどな。敵の内部ではそんなことが」
「勝手に行動してしまい、申し訳ありませんでした」
「いや、敵が割れていることがはっきりした。これからの戦略に生かせる。お手柄だ」
「初陽さん、運ばれた時に気になったんですけど、それは?」
ゆかりさんの目線の先。何だろうと思って頭を触ると、小さなかんざしが髪にささっていた。
「これは、如月教の内部で見つけたものです。綺麗でしたので、つい持ってきてしまいました。ゆかりさんに似合うと思うのですが」
そう言って髪から外し、ゆかりさんに渡そうとした。
「私より、初陽さんの方が似合っていますよ。これは、初陽さんが身に着けるべきものです」
そう言うと、私の手からかんざしを取り、私の髪にゆっくりとさしていく。
「ほら、これでちゃんと身に着けられましたよ」
「うんうん、似合ってるね~」
「そうでしょうか?」
「きっと、そのかんざしは、初陽さんに身に着けられる運命だった。そういうことかもしれませんね」
微笑するゆかりさん。
何だか恥ずかしかったが、気分を切り替えて、頭を下げた。
「すみません。私は、まだ修業中の身です。また修業をさせて下さい」
「そうは言いますが、初陽さん。また、貴方にもしものことがあったら…」
「御心配はわかります。しかし」
頭を上げ、三人を順番に見つめる。
「もう、死なないと決めました。何があっても、必ず、生きると。そして、何の因果か、まだ私は生かされています。これは、誰かがまだ私に生きろと言っているのだと思います。だから、私は精一杯生きる。生きて、また皆さんと共に戦います。ですから、信じて欲しいのです」
「よおっしッ! 言って来いッ、ひーちゃんッ!」
「美奈っ!?」
「だってさ、ここまでひーちゃんの決意は固いんだよ? 私達がどうこう言ったって、もうひーちゃんの気持ちは止められないよ」
「でも…」
「柊君」
「はい」
「良い眼になったと思う。なんと言うかな、力が抜けたというか。しかし、以前の張りつめた感じもまたある。不思議な感じだな」
「修業した甲斐は、あったと思います」
「うむ。君なりのやり方で、もっと自分を磨くと良い。ゆかり君も、柊君を笑顔で見送ってやってはくれないか」
「喜平次さんがそう言われるのなら…。でも、必ず帰ってきてくださいね」
「はい。では、行かせていただきます」
自室に戻り、最低限必要なものを持って、研究所を出た。
ディアは負傷した私を助けてくれたと言う。グラ殿がどうなったかは、それで大体予想はついた。
激戦だったのだ。誰が死んでもおかしくは無かった。
何故か、生き残ってしまった。
ならばやはり、生きるべきだ。
「まずは、ディアに会った方が良いだろうな」
如月はどうなったのか。おそらく、ディアはそれを知っているだろう。
頭のかんざしを少し直しながら、歩き出した。
まだ、闇の中だった。
裏口の扉を、音を立てないように開ける。正面のドアは、開けると鈴が鳴るから、開けられない。
「かなり、どこに行くの?」
扉を半分まで開けた時、静の声が背後から聞こえた。
おかしい。
さっきまで、ぐっすり寝てたはずなのに。
何回か注意深く眠る静を見ていたが、よく眠っているようだった。
それなのに。
「ふふ。今、どうして眠ってた私が起きてきたんだろうと思ったわね」
ぎく。
するどい。
一旦扉を閉め、静の方に向き直る。静は、少し眠そうな眼をしていた。
「…うん。どうして?」
「親の勘っていうのは、違うか。女の勘ってやつかな」
「…女の勘、すごい。私にも教えて」
「ふふ。良いわよ。それで、ウチのかなりちゃんは、こんな遅くに着替えてどこに行くのかな?」
話題を逸らしたのに、すぐに気づかれた。
「…まだ、私には、やることがある」
「そう。ちゃんと、帰ってきてくれる?」
「…わからない。でも、私がもし生きていたら、私は静のところに帰る」
「なら、ちゃんと帰ってきなさい。女の勘ってやつ、教えてあげる」
「…止めないの?」
「嫌われたくないもの。無理に止めていなくなられるのも、後味悪いからね」
「…ごめんなさい」
「ほら。女の子なんだから。もっと胸を張って。ね?」
静の手が、私の髪を優しく撫でた。
「…うん。行って来ます」
「はい。行ってらっしゃい」
静に別れを告げ、闇の中の街を歩きだす。
「ディア様」
背後の声。聞き慣れた声だった。
「…何、宗久?」
振り返らず、歩きながらその声に答えた。
どうやら、私を探していたらしい。少し驚いたが、宗久なら、これぐらいはすると思える。
「これを」
そう言って、前に回り込んでかしづいた宗久が、一つの小さな箱を私に捧げる。
「何故か、それだけしかありませんでした」
受け取り、箱を開けると、白い粉が少量入っていた。
「…よく、焼けたの?」
「はい。ディア様の言いつけどおり、火葬にして参りました。葬儀も、簡単ながら済ませて参りました」
箱の白い骨粉を、手に乗せる。少しの風で、骨粉が、手の中からこぼれ吹き飛んでいった。
手の中の白い粉を全て口に入れる。
「…ディア様」
手に着いた骨粉も、舐めて、全て口に入れた。
「…これで、私とウィデアは一緒になった」
また、涙が溢れ出し、頬を伝って地面に落ちた。宗久が懐からハンカチを取り出し、丁寧に涙を拭いてくれた。
涙を拭きながら、宗久が言う。
「ディア様。如月は生きております」
「…そう、やっぱり」
「はい。如月教の総本山。そこから、それほど遠くない山中に、今は廃坑になった炭鉱があります。幹部が、その炭鉱に、何度も出入りしているのを確認しました。おそらく、如月はそこにいると思われます」
「…調べてきてくれて、ありがと」
「滅相もございません」
「…でも、宗久は残って。如月は、私一人で潰す」
「前回は、わたくしに残れとおっしゃられました。ウィデア様の葬儀があるからと。しかし、今は、何もありません」
「…それでも、私のために誰かが死ぬのを、もう私は、見たくない」
「わたくしには、ウィデア様の仇を討つ権利すら、無いと仰られるのですか!」
宗久の方を見る。泣きながら歯を食いしばり、拳を握っていた。
そうだった。
宗久も、ずっと私達の世話をしてきてくれたのだ。
「…宗久」
「はい」
「…力を、貸して。ウィデアのために。如月を潰すために」
「はいっ!」
ハンカチ。宗久の手から取り、宗久の顔を拭う。もうだいぶ水分を吸っていて、余計に宗久の顔が濡れた。それでも構わないという風に、宗久は自分で自分の顔を拭いた。
「…行こう」
「はっ!」
今度こそ、決着をつける。
見ていて、ウィデア。
私、頑張るよ。
「急げ、早くしないと逃げられるぞ!」
指示を飛ばす。皆、出撃準備で慌ただしかった。
船瀬が、如月の位置を掴んできていた。如月教の総本山からそれほど離れていない。それで、見つけやすかったのだろう。それ以外にも、この作戦に対する船瀬の意気込みもあった。
「先輩、二時間後、全ての出撃準備が終わります」
「わかった。…優衣さんの方は?」
「護衛の数を、倍にしました。これ以上は、多分、気づかれると思います」
「そうだな。わかった」
先輩の眼は、まだ優衣さんを案じているようだった。無理もないが、大げさに護衛出来ない以上、これ以上は関与しづらい。
「優衣さんにも伝えたんですよね? なら、大丈夫だと思いますが」
「…それも、そうだな」
先輩と優衣さんの関係を気になったが、もっか考えなければならないのは、今回の作戦の方だった。
戦力は厳しい。悪獣は先輩一人だけ。七罪もいない。おまけに、あちらは悪獣が使える隊長を複数人、抱えている気配がある。船瀬の報告によると、グラ様と森部が死んでいたようだが、それ以外の幹部らしき者の死体は無かったと言う。
勝てるかはわからないが、すでに動き出している。
ならば、僕は全力で先輩をサポートするだけだ。
「先輩、少し、出てきてもいいですか? その間のことは船瀬に任せます」
「構わないが、出撃の時刻は守れ」
「了解しました。では、行ってきます。おい、船瀬」
船瀬に声を掛け、出撃の準備を任せた。露骨に嫌な顔をしていたが、それでも愚痴を言いながら、首を縦に振った。
「こんにちは」
「おや、いらっしゃい。どうしたかね?」
店に他の客はいなかった。森田さんが少し驚いたように、昼どきでも三時でも無い、微妙な時間に来ていた。
「久しぶりに、顔を出したくなりまして」
「おやまあ。何か、食べていくかい?」
「いえ、遠慮します。今日は、忙しいくせに、来てしまったものですから」
「なんだ。そうなのかい? まあ、若いからね。色々忙しいだろうさ」
「最近、体の調子はどうですか?」
少し曲がった腰を見ながら、森田さんに語り掛ける。
「いつも通りさね。この年だと、どこもかしこもガタが来とるよ」
「そうですか。なら、元気なんでしょうね」
「水ト、あたしの話を聞いてたのかい?」
「肩でも揉みましょうか?」
「いや、良いんだよ。さっきのはほんの冗談さ」
「いえ。揉ませていただきますよ。まだまだ、森田さんの美味しいお団子を食べたいですからね」
森田さんを半ば強引に椅子に座らせ、後ろからその肩を揉む。触ると、少し、肉が薄くなっているがわかって、何とも言えない気持ちになる。
「ん~、いいねえ。水トは肩揉みがうまいねえ。整体師にでもなった方が良いのかもしれないねえ」
「ただの素人ですから」
「しかし、こうしてもらっていると、わたしゃ何か息子が出来たような気持ちだよ。おかしいねえ、孫みたいな年なのに」
優しく肩を揉みながら答える。
「息子さんは?」
「欲しかったんだがねえ。何でか、出来んかった。そのままずるずると生きて、旦那にも先に逝かれてしまって、今はこんな感じさ」
「そうでしたか。僕も、両親はいませんが、母がいたら、こんな感じなのだろうと思ったりもしています」
「そうだったねえ。水トは両親がいないんだったねえ。よく、これまで生きてこれたもんだ。頑張った頑張った」
「周りの人に、助けられてばかりでしたが」
輩と、先輩。家族は、それだけで十分だった。
「急いでるんだろう? こんなことをしていて良いのかい?」
「僕がしたいだけのことですから。それにまだ、もう少しだけ、時間はあります」
他愛のない話をしながら、肩を揉み続けた。
何故、ここに来たのだろうか。
利用する。
そのために、ここを訪れていたはずだった。
壁の振り子時計が、音を立てながら時を告げた。
「すみません。もうすぐ時間なので、僕はもう帰ります」
「これ。持ってお行き」
店を出ようとした僕に、森田さんが団子の入ったパックを差し出す。
「お金を」
「そんなものはいらん。ほれ、持ってお行き」
半ば押し付けられた形で団子を持たされる。
「わかりました。なら、また来るときに、代金はまとめてお支払いしますね。今回は、ツケということで」
「そんな風に考えなくていい。そいつは、あんたのために、あたしがあげたもんなんだからね」
「それでも、こういうことはしっかりしないと。ですから、今度、払いに来ます」
今払ったところで、受け取ってもらえないだろう。今度何か頼んだ時に、大目にお金を払えばいい。
「また来ますね」
「今度は、ゆっくりしていってくれると嬉しいよ」
「はい、必ず」
パックを持ったまま、店を出た。
そうか。
何をしに来たのか、漠然とだがわかった。
確認。
それが出来た。
体が、増えた気がする。
それが、確認できた。
だから、良いのだ。
この団子は、船瀬と先輩にあげよう。
夏の日差しの中で、手がじんわりと温かくなった。




