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particle12:復讐の、残り香(1)

 風が、心地よかった。

 甲板の上。手すりに掴まって、目の前の波の音に耳を澄ませる。時折、他の船の汽笛が聞こえた。背後に見える町は、光に輝き、どこか別世界であるようにも見える。

「寒くはありませんか?」

 隣で同じように景色を見ている優衣さんに声を掛けた。夏だが、海の上の夜は、風で肌寒く感じる。来ていた背広の上着を脱ぎ、優衣さんにかけた。

「ありがとうございます」

 色々あったが、悪くない一日だったと思う。それで、最後に優衣さんをこの場所に連れてきた。

 会う前から決めていたが、やはりその時となると踏ん切りがつかない。

 臆している。

 それでも、もう決意は固まっていた。

 これ以上、総統の上陸を遅らせるわけにはいかない。

「優衣さん」

 景色を見ていた優衣さんに話しかける。

「? はい、なんでしょう?」

 私の方に振り向いた優衣さん。その手を取り、そして、用意したものを手に乗せた。

「これは…?」

「開けてみてくれませんか?」

 箱を恐る恐ると言った様子で開ける優衣さん。その仕草がなんとも微笑ましい。

「指輪…」

「それが、私の優衣さんに対する気持ちの表明です。受け取って、頂けませんか?」

 言った。言ってしまったからには、後は、優衣さんの決断に全てを委ねた。

「その…」

「はい」

 駄目なのだろうか。私はともかく、計画が遅れてしまうのは何とも残念な気持ちになる。

「指に、はめて頂けますか?」

 そう言うと、優衣さんが指輪を私に渡してくる。

「え?」

 一瞬、何が起こっているかわからなかった。

「その、東裏様にはめて頂きたいのですか。駄目、でしょうか?」

「い、いえ、そんなことは無いですよ」

 とりあえず、言われるがまま優衣さんの細く美しい薬指に、指輪をはめた。サイズは森部から聞いていた通り、ぴったりだった、

「よく似合っていますよ」

「ふふ。ありがとうございます」

 受け取ってくれるということなのだと、今更気づく。どうも自分は、この辺りのやり取りを飲み込むのが苦手なようだ。

「東裏様」

 そう言うと、優衣さんが眼を瞑った。

「…」

 何をすべきかは、わかっている。

 目の前の優衣さんの安心しきった顔を見ると、心が痛んだ。

 騙している。

 私は、優衣さんを騙して、利用しようとしている。

 それで良いと思って、ここまでやってきた。

 しかし。

 目の前の優衣さん。

 その優衣さんの心を、私はすでに汚している。

 そんな私が、優衣さんの肉体まで汚すのか。

 ここまで来て、何を考えているだと思う。

 それでも、私は。

「体、冷たいですね」

 優衣さんを全身で包み込む。一瞬驚いた動作を見せた優衣さんの体が、ゆっくりと私の体に体重を預けてきた。

「…温かいです」

 少し、声に寂しげな響きがある。心のどこかが、蠢いたような気がした。

「すみません。まだ、私は、こういうことに慣れていないようです」

「いいんです。私も、どうかしていたと思います」

「慣れていきたい、優衣さんと。それが正直な気持ちです」

「何か、順序がおかしいような気もします」

「私も、そう思います」

 胸の中で優衣さんが少し笑った気がした。笑ってもらえたのなら、少しは気が軽くなる。

 迷って聞けなかったことを聞いてみた。

「一つ、聞いてもよろしいですか?」

「はい。何でしょうか?」

「乗馬の時、優衣さんは、私がいないと言われました。あれは、どのような意味だったのでしょうか?」

「東裏様。貴方は」

「はい」

「貴方は、ここにいます」

 優衣さんの抱きしめる力が少し強くなる。

 なんだろう。

 聞いてみたが、意味はやはり、よくわからない。

 言葉遊びだったのだろうか?

 だとすると、また新たな優衣さんの一面を見た気がする。

 私は、少し女性に関して、というか優衣さんに関して、学んだ方が良いのかもしれない。

 優衣さんを自宅まで送り、そこから本部の近くまで送ってもらった。時計は、十二時をすでに回っている。本部の近くで車から降りると、急に脱力感と疲労がこみあげてきた。

(やりましたね、先輩)

「ああ。とりあえず、一段落と言ったところだな。お前にも、少し感謝しなければならんな」

(少しですか?)

「ああ、少しだ」

 お節介の方が、多かった気もする。それでも、大分世話になったとも思う。しかし、それをここで言うと負けた気分になるので、今度にでも言うことにした。

(副隊長、大変ッス。出撃していたディア様達が…!)

(!? なんだとッ!?)

 何かあったようだ。よく聞こえない。

「どうした、水ト?」

(はい。それが…)

 何故か、言いよどむ水ト。

「早く言ってみろ」

(ウィデア様が、殺されました。殺したのは、如月教の森部)

「!? …わかった、私はすぐ本部に戻る。ディア様は?」

 どこかで、こんな予感があった。当たって欲しくない、予感だ。

(行方不明です。今、船瀬が、探索に向かわせました)

「すぐに戻る。新しい情報が入り次第、私に伝えろ」

(はい)

 一旦通信を切る。

「何故だ…」

 何故、輩同士が争い合わねばいけないのだ。

「肉体を、持ったからなのか…?」

 何故か、抱きしめた時の優衣さんの体の柔らかさが、思い出された。



「戻ったぞ、水ト!」

 運動場のドアを思い切り開けた。

 広い運動場の真ん中に、数人が円状に立っていた。

 その円の中。

 ウィデア様の体が、横たえられていた。

「…東裏」

「あ、隊長…」

「先輩、お帰りなさい」

「呑気に挨拶している場合ではないだろう。ディア様、ご無事だったのですね?」

 捜索に出ていた船瀬も戻ってきていた。ディア様はすぐ近くまで戻ってきていたのだろう。

「…うん。小春達は、私を見逃してくれた」

「それは、良かったです。それで、ウィデア様は…」

 床に寝かせられているウィデア様を見る。外傷は見受けられず、顔色も良い。眠っているようにさえ見えた。

「…ウィデアの体。藍が、治してくれた。でも、肉体に入るべきウィデアは、もうここには存在しない」

 粒子に還ったということだろう。そして、粒子の声は、肉体を持った我々には聞くことは出来ない。

「殺したのは、森部と言うことでしたが…?」

「…」

 ディア様が、無言でウィデア様の遺体を見ていた。

 そして、不意に出口へと向けて歩き出す。

「ディア様!?」

 歩いていたその足が、止まる。

「…森部。ううん、多分、指示したのは如月。だから、私は…」

 振り返る。感情をあまり表さないその顔の頬に、涙が流れていた。

「…如月教を潰すッ!」

 振り向き、出口に向かおうとするディア様。その出口に、いつの間にか、グラ様が佇んでいた。

「我も、付いていこう」

 すれ違いざま問いかけたグラ様に、ディア様の足が止まる。

「…グラは、関係ない。これは、私のケジメだから」

「関係なくは無い。同じ輩が、あろうことに、同じ輩によって殺されたのだ! 我は、それを許せぬ! 許さぬ! あってはならないことが起きたのだ! じっとしていろと言われても、我はそれに、首を縦に振ることなど、出来ぬ!」

「…なら、勝手にすればいい。多分、私か如月、どっちかが死ぬ。そして多分、私が死ぬと思う。それでも、私は行く。理屈じゃあない。私は、私のために如月を殺したいんじゃない。ウィデアのために如月を殺さなくちゃあならない。それが、多分逆の立場だったらそうしたであろう、ウィデアの想いだから」

「なら我は、そんなディア殿に勝手について行くだけだ。東裏殿ッ!」

 グラ様に呼び掛けられる。

「我ら二人、誠に勝手ながら、少しの間、ここを留守にさせていただきたいッ!」

 止めた方が良い。これは、仕掛けたのはあちらからだが、これは穏健派と過激派の事実上の抗争に他ならない。

「先輩…」

 しかし、止まらないだろう。

 そして、止められるはずがないのだ。

 頷き、合図を返す。グラ様が頭を下げ、ディア様と共に運動場を出て行った。

「隊長、いいんスか!?」

「今のあのお二人を、物理的に我々が止められるとでも思っているのか?」

「それはそうッスけど、話し合えば…」

「言葉は、無駄だろう。少なくとも、今は」

 肉親が殺されたのだ。イメージは出来ないが、その怒りは簡単に想像はつく。

「我々は、どうしますか?」

 水トが聞いてきた。

「ウィデア様は、丁重に扱え。墓を作り、棺桶を用意しろ。そこに入れ、埋葬して差し上げるのだ」

「オレ達は、出撃するんですか?」

 船瀬が聞いてくる。正直、迷っていた。これは、どちらにつくかという問題だ。

「我々は、過激派である。しかし、穏健派を認めてもいる。ゆえに、今回は静観とする」

「え? 何でですか? オレ達も、ディア様達と闘いましょうよ!」

「船瀬。先輩が、そう決められたのだ。僕達は、その決定に従う。わかるな?」

「…わかったッス」

 とりあえず、今はどちらにもつかない。戦いが長引けば、仲裁できるかもしれない。輩同士が戦うのは、やはり、見たくは無かった。

「船瀬、手伝え。ウィデア様を一旦運ぶぞ」

「はいッス」

 まだ、声に元気がない。その気持ちはわかるが、今は軽々しく動くべきでもない。

 ウィデア様の体を、船瀬と一緒に抱える。魂の抜けた肉体は、やはりどこか、軽い気がした。



 痛みを伴う修業を、禁じられていた。組打ちも、当たる寸前で引く。それで、怪我はない。

 雑念も時には大事なのだと、グラ殿は言った。確かに、痛みを感じないことで、瞑想中、より色んなことが浮かんできた気がする。前は、痛みであまり集中できていなかったのだろう。

 そうして瞑想していると、実に色々なものが浮かんできた。大抵は他愛の無いことで、これまでのことや知っている人のことだった。たまに、予期せぬ人物を不意に思い出して、驚くこともあった。

 これで修業になっているのか、よくわからなかった。具体的な技術などは何も教えてもらっていない。特に肉体が成長したわけでも、新しい技術を会得したわけでもなかった。

 逆に、変なことばかり、考える。組打ちの間も、不意に何かを思い出してしまったりもするのだ。それで、攻撃が一瞬遅れる。しかし、そのおかげか、相手の攻撃が躱せたりもしていた。

 間を教えられているのだ。そう気づいたのは、ここ数日のことだ。

 以前からも間は学んでいたが、どうも私は少し早いようだった。それで、要らない攻撃を喰らう。そんなことも、少しずつ分かってきた。

 グラ殿との修業に入って、一週間が過ぎていた。初めは、瞑想が嫌で嫌で仕方なかったが、最近はそれを楽しむようになっている。

 今、よく瞑想で思い出すのは、あの男のことだった。そしてあの男が好きだなどと言った、私のこと。

 男から見て、私はあまり誉められた女ではないだろう。自分自身を振り返ってみて、何となくそう思う。

 それでも、あの男は私を好きだと言った。冗談だろうと何度も思ったが、言った時のあの男の眼を思い出すと、本気だったのだとも思う。

 そうしてみると、女としてどうかと思っているこの私に、何故あんな言葉を言えたのだろうか。

 そういうことも、少しずつ気にはなってくる。今度会ったら、返事の前にまずそれを聞いてやろうと思った。

 返事については、それから考えればいいのだ、とも思う。

 考えると、敵だったが、何故か憎めない敵だった。あまり、良いところは無い。

 それでも、あの男が何なのか、少し気にはなってきた。これが好意なのかと言われれば、違うだろうとも思う。しかし、興味を抱いているのも確かだった。

 起きて、寝袋から這い出す。山には朝靄がかかり、ひどく寒い。見回すと、グラ殿の姿が無かった。

「散歩にでも行かれたのか?」

 とりあえず、燃え残ったたき火に木をくべ、火をつける。しばらくそうして温まっていると、霧の中に人影が見えた。

「起きていたか」

 グラ殿が、たき火の傍に座る。火を照り返したその顔は、いくらか影を帯びているように見えた。

「眼が覚めたのです。グラ殿も、お早いですね」

 不意にグラ殿が頭を下げた。

「? どうかしましたか?」

「済まぬ、用事が出来た。もうお主の修業には付き合えなくなってしまったのだ。短い間ではあったが、お主は、迷いを得て成長した。我は、最後にそれを言いに来たのだ」

「そうだったのですか。用事というのは、聞いても良いですか?」

「お主も知っている者だが、ウィデア殿が、同じ輩に殺された」

 木が音を立てて崩れ、火の粉が舞いあがった。

「…そうでしたか」

 たき火に、新しい薪をくべていく。

「我は、これからその輩の元へ趣き、同じ輩を殺した訳を聞かねばならぬ。場合によっては、戦いになるだろう」

「私も、ついて行きます」

「出来ぬ。これは、お主達人間の問題ではない。我ら、輩の問題だ」

 グラ殿が、薪でたき火をかき回した。炎が一瞬、強くなる。

「私には、グラ殿との修業の恩がある。私に、同行する権利がないとも言えませんが?」

 たき火をいじるグラ様の手が、止まる。

「頼んでよいか?」

 そう言って、グラ様がまた頭を下げた。

「頼むなどと。私は、ただ恩を返すだけです。ただ、それだけのことです」

「我とディア殿。お主が加われば、三人。三人だけだ。死ぬかもしれん。いや、恐らく、死ぬ」

「死にません。まだ、死にたくない。それに、死にたいとも思わない」

「だが…」

「生きて、帰りましょう。少し、ごちゃごちゃと考えだしたら、やはり、自分は生きたいのだと気づいてしまった。だからきっと、生きて帰れます」

「ふっ。何か、吹っ切れた。いや、抱え込んだのだな?」

「抱えるのも悪くない。そう思えただけです」

 そうだ。

 まだ、私にはしたいことがある。

 やりたいこともある。

 意外と、生きるコトは単純で良い。

 それでも、良いのだ。

「行きましょう。急ぐのですか?」

「ディア殿を少し待たせてしまっている。本当は、すぐにでも飛び出して行きたいと考えているだろう」

「ならば、急ぎましょう」

 たき火を消して、歩き出す。

 朝靄の中を、ゆっくりと歩き出した。

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