particle1:だから、私は(2)
思わず、眼に手をかざしていた。
眩しい。
風が吹いている。ややもすると、よろめくほどだ。
「マンション」という建物の一室だった。自分はそこに何故かいて、眼を覚ました。そして部屋を出て、建物から、通りというところに出たのだ。
行くべきところも、やるべきこともわかっていた。
「だが、まずは水だ」
眼から水分を出したせいか、ひどく喉が乾いている。人間は、随分と面倒くさい生物らしい。
そんなことを考えている間にも、人間が目の前を行き交っていた。
「あー、あー」
口から声を出す。大きさ、強さ、声の感じ。あー、と声を伸ばしながら、発声の仕方を探っていく。
「あー、あー。よし、これでいいだろう」
ちょうど通りかかった、少し歳のいった女に声を掛ける。
「おい、すまないが、俺に水をくれてもいいんだぞ、お・ば・さ・ん?」
「え? それはわたしに言っているのかしら」
「いいからさっさと水をよこ…うげぇ!?」
大根から繰り出されたローがすねに入る。
「ふん、何様のつもりっ!」
つかつかと、二本の極太大根が去っていく。
「な、何がいけなかったんだ…?」
声をかけるタイミング、その大きさ、その感じ。
全てパーフェクトだったはずだ。
「ぐうぅ、たかが人間に声をかけるだけが、こんなに難しいとはっ……!」
すねを抱えながら、今度は、なるべく若い人間に話しかけようと思った。
(総統)
(どうした?)
(上陸は、大方、滞りなく進んでおります。始めは戸惑っていた輩も、スペル様のお考えのおかげで、混乱は極力抑えられております)
(ふ、さすがスペルと言ったところか。それで、用件は何だ?)
(は、やはり上陸前の総統の懸念通り、我々の指示に従わず、勝手な行動を取るものも現れ始めました)
(肉体を持ったのだ、無理も無いな。それらは過激派に自然吸収されるだろう。気にすることは無い)
(やはり、過激派は動かれると?)
(当たり前だ。穏健派は、眉を潜めるだろうがな)
(総統が過激派に向けて直々におっしゃって頂ければ…)
(そんなことは、俺には無理だ。肉体を伴う繁栄を求めて、時間すらわからなくなる程の旅をしてきたのだ。過激派のしたいことを、俺は止められん)
(しかし…)
(お前の言いたいことは、わかる。だが、過激派が動くことで、穏健派にも利はある)
(…過激派が派手に動くことで、人間がそちらに注視し、穏健派の動きが目立たなくなるということですね?)
(過激派も穏健派も、想いは同じなのだ。どちらも、我らの種の繁栄を望んでいる。誰がそれを止められようか。止めようとするものは、俺が叩き潰さねばならん。それが、輩に対する、俺の決意だ)
(はっ。ならば、暴走した者達は、今のところ放置、ということでよろしいですか?)
(今のところはな。、暴走した者達は、上陸したらお前の配下に入れておけ)
(私が、過激派の先鋒になるということですか!?)
(お前の慎重さは、過激派の中で生きる、と俺は思っている。それに、まだあ奴らが上陸するには、時間がかかる)
(かしこまりました。御命令、喜んで拝命致します)
(ああ、頼む)
「いや~、初めからこうすれば良かったんだよな~、ひぃふぅみぃ…」
腕と胸の間に、ペットボトルとやらをどかどかと押し入れる。大きい方が運びやすいが、小さい方で持てば、飲める種類が増える。
悩むところだ。
「あー、もう我慢できんっ!!」
その場で蓋を回し、ゴクゴクと中身を飲み干す。シュワシュワという刺激が、舌に実に心地よい。
「くぅ~、なんだコレ!? 半っ端ないなっ!?」
「ちょ、ちょっとお客さん、駄目だよ、飲むのは、お金払ってから!」
白と青色のコントラストが眩しい、そんな制服を来た男が駆けつけてくる。
「ゴクゴク。あー、うまいなあ。ちっ、喉が乾いたら腹も空いてきやがった。ほんっと、体ってのはうまく出来てやがる」
「ちょっと、ほんとに…。い、ひいいっ!?」
首を掴んで、宙に掲げる。
「あんまし、美味くなさそうだよなぁ」
「あ、あ……。や、やめ…」
ぽいっと放り投げて、近くの棚を物色する。
「お、なんだコレ、ふかふかしてるぞ。よしコイツを片っ端から頂くか」
「警察をっ、警察を呼ぶんだっ!!」
少しうるさい。
「食う物食ったら、さっさと逃げるか。お、なんだこれ、ちっさい人間だなあ。食えんのか?」
「誰か助けてえぇぇ!!」
新聞が、カサカサと音を立てた。
(それ、みっともないわよ)
「癖だ。これで、考えをまとめている」
膝でも動かしていないと、おかしくなりそうだった。
世界中の素粒子発見のお祭り騒ぎから、一週間が過ぎていた。
最盛期に比べて、素粒子の発見頻度は落ちたが、それでも、これまでと比べると、まだずっと多い。
すでに地球を通り過ぎたとの見方が大半で、議論は素粒子がなぜ大量に地球に降り注いだのかということに、学者の関心は移っていた。
『…さて次は、連日のコンビニ強盗のニュースです』
「まとまっていないのも情けない話だが、それを捕まえられないのも、また情けないな」
(他人事みたいな言い方ね)
「犯行は幼稚だが、場所はかなり考られていて、特定が難しいのだ。今、武内君に、潜伏先と次の犯行予測地点を急いで調べてもらっている」
犯行は食料品の強奪、店員にも少し怪我人が出ている。警察官とも何度か遭遇していて、しかしその度に返り打ちにいている。パトカーを持ち上げるなど、人間技でないという目撃情報もあった。
「しかし、件数が増え過ぎだな、同時刻の犯行もあるぞ」
(複数犯か、偶然の模倣犯か。組織的にまとまっているというところまでは、いっていないようね)
「コンビニ強盗を組織的にやろうなんて、気が狂ってるとしか言えんな」
(警察に任せておけばいいのに)
「私達でしか何ともならないと言ったのは、お前だぞ?」
(まあ、そうなんだけど。それで、特定するのは良いけど、それからこちらはどう動くのかしら?)
「いつでも動けるように待機してもらっている」
(用意がいいことね)
内線を取る。
「武内君か。ああ、そうだ。彼女を私の部屋に頼む」
少しして、一人の女の子が入ってきた。
「柊初陽です。武内さんから呼ばれて来ました」
切れ長のするどい眼が二つ、私とフェルミを交互に捉え、ペコリとお辞儀した。
「すまないな、常時待機では、気が休まらないだろう」
「いえ、武内さんから、事の重大さは聞いています。私で良ければ、いつでも力になります」
「ありがとう、配属は、武内君の下という形になる」
「それも、存じています」
高校を卒業したばかりの年のはずだが、ずいぶんと大人びた物言いをする子だった。
結局、最後に行われたフェルミとの適合試験も、フェルミの求める人物はいなかった。それで、前回最適値を出した、柊君をフェルミのパートナーとしたのだ。
「座って、楽にしてくれ。出動は、いつになるかわからんのだ」
「はい。では、失礼します」
柊君は、きびきびとした動きで、フェルミの隣に座った。
見ている限り、緊張は無い。
フェルミとの適合試験は、基本的に年齢が一つの鍵になる。
フェルミ曰わく、ある種の想像力が不可欠らしく、それは年を取りすぎた女性では駄目らしい。だが、かと言って、年齢が低過ぎる場合、具体的な発想力がまだ未完成なのだと言う。
女性限定にしたのは、フェルミの趣味で、全く質が悪いとしか言いようが無い。
苦々しく思っていると、不意に内線が鳴った。
「武内君か」
「犯人が現れたとの情報を入手しました。今、予測される犯行現場をお伝えします。今から急げば、警察より早く到着できるはずです」
「わかった。場所は、移動しながら聞こう」
「桑屋さんも、現場に?」
「万一の事があった時、私が現場にいた方が都合が良いだろう。ここは、武内君に任せる」
「わかりました、お気をつけて」
受話器を置いて、二人に振り返る。
「犯人が現れたそうだ。行くぞ」
不思議な高揚感があった。
不安の裏返しかもしれない。
「急がないと」
ペダルを漕ぐ足に、力を込める。
ここからは少し登り坂で、乗っている自転車でも、少し速度は落ちる。
腕時計を見た。
「あと十分。うん、大丈夫」
立ちこぎをして、さらに速度を上げる。
坂の頂上が見え、重力が一瞬消える。直後、自転車は加速した。
「よーしっ、これなら、間に合うっ!」
稽古が少し長引いていた。それでも、自分の都合で、遅れちゃいけない。
街並みを、人にぶつからないように注意しながら走っていく。住宅街で、道路は入り組んでいる。
五つ目の角を抜けたとき、森田のおばあちゃんの店が見えた。
「!?」
店の前。
三人の男に正対する格好で、森田のおばあちゃんが何か叫んでいる。
「ストップ! ストップ! ストーップ!!」
後輪のブレーキを掛け自転車を半回転させながら、両者の間に滑り込んだ。
「? なんだあんたは?」
「私は、赤桐小春。あなた達は? 森田のおばあちゃんに、何の御用ですか?」
「こ、小春ちゃん!?」
「ちょうど良いところに来たな。なあ、お嬢ちゃんからも言ってくれよ。俺達はただ、この店の団子が食いたいだけなんだよ」
「そうなの、おばあちゃん?」
「嘘じゃ! こやつら、金も払わず食おうとしたんじゃ!」
「おいおい、そいつは違うなバアさん。俺達は親切心で言ってやってるだけなんだぜ? 店ごとぶち壊して頂くのを、あんたが大人しく出せば、団子だけで済ませてやるって言ってるんだ」
「…わかった」
「お、わかってくれたか、お嬢ちゃん。ならさっさと団子を」
「あなた達が、悪い人だっていうことがさ!」
おばあちゃんを背にしながら、構えを取る。合わせて身構えた一人の手を取り、背負い投げる。もう一人は鳩尾に拳打ち、絶息させた。
「へぇ、なかなかやり慣れてるじゃあないか」
眼の前の男が薄く笑う。さっきも、隙が無くて仕掛けるタイミングが無かった。
さっきの二人は素人だろうが、この男は、普通に強い。それは、見ただけでわかる。
「もしかして、あなたが最近のコンビニ強盗?」
「知らねえな。腹が減ったら食い物のあるところに行って食う。嬢ちゃんもそうだろ?」
「私はお金は払うけど、ねっ!」
「おっと」
拳がかわされ、足が来る。払い足をかわし、左腕を掴んで捻りあげた。
「ごめんなさいっ!」
骨のきしむ音を聞いて、腕を放し、距離を取った。
「ククク、いてえな、いてえよ。でも、良い痛みだ。生きてるっていう、痛みだ」
男が、だらんとした自分の腕を見ながら、涙を流していた。
「ご、ごめんなさいっ」
「敵に謝られるなんざ、気持ち悪いもんだ。これぐらい、どうってことないのによ」
ゴキゴキと肩を鳴らすと、垂れ下がっていた左腕が動かされる。
「ど、どうして!? 関節は完全に外したはずなのに!?」
一瞬止まった隙をつかれ、体が後ろに飛んだ。
「ちっ、うまく後ろに飛びやがったか。ふん、この程度の怪我なんて、俺達には何の意味もねえ」
「ぐぅ……」
拳の勢いは殺したが、うまく立ち上がれない。
「さあて、じゃあ店もろとも団子を頂くか」
「待ちなさい」
「ん、今度は誰だ?」
振り返ると、何かがいた。
「犯罪者に教える名前などありません。特に、異邦人に名乗る名などは」
緑色の軍服の両袖を風にはためかせた女の人が、切れ長の鋭い眼で男を睨みつけていた。
「へえ、あんたは俺達の正体を知ってるってわけか。こいつは驚いたぞ。この星の奴らは、ずいぶん抜けているようだったからな。安心したぜ」
「ならば、安心して消えなさい」
姿が消えたように見えた。が、女の人は高く跳躍して、中空からナイフを投げつけていた。男も転がりながらかわし、二人とも、相手の攻撃の届かない間合いで、じっとにらみ合っている。
「こっちだ。おばあさんも早く」
手が差し出され、体が起こされる。中年の男の人で、白衣がこの場には似つかわしくない。
戦闘の場所から、少し離れたところで、男の人の足が止まる。
「あの、いいですか?」
「何かね?」
「私、赤桐小春って言います。あの女の人はおじさんの知り合いですか? あと、あの男の人について、何か知っているんですか?」
「私は桑屋喜平次だ。何から説明したらいいかわからんが、手短かに話そう。私はある企業の研究所の職員で、あの子は私の部下だ。そして、あの男は」
「さっき、この星のとか言っていましたよね。ということは、地球の人ではないということですね」
「当たらずとも遠からずだ。あの男は、いや、あの男たちは、宇宙のはるか彼方から地球にやってきた。しかし、その体つき、構造は人間とほぼ同じものだし、構成している元々のものは、地球由来のものでもある」
「えーと、よくわからなくなりました」
「だろうな。詳しく言えば、奴らは、素粒子という目に見えないほどの小さな粒子となって、遥か彼方の銀河の惑星から飛んできたらしい。そして、彼らの種族の繁栄のための家畜として、人間を支配しようとしている」
「なんだか、信じられないですね。というか、私に話して良かったんですか?」
「私も、初めは信じられなかった。だが、彼らの一人と私は接触し、人類に協力してくれるように頼んだ。こんなことを君に話したのは、到底こんな話が信じられるわけがないと思ったからだ。証拠がなければ、ただの気の狂った男の妄言以外の何物でもないからな」
「信じます。私、人は信じたい派なんです」
戦闘の音が増している。その場所にゆっくりと近づいていく。少し手負ってはいるが、戦えないことはない。二対一の方が、有利なはずだ。
男が大振りで、女の人に殴り掛かっている。誘いだ。そう声を掛けようとした時、女の人は後ろに飛びずさりながら、飛刀を投げた。
「ぐおおおっ!?」
飛刀が二本、胸と腹に刺さっている。
「これで、終わりです」
どこからか取り出したナイフを右手に持ち、女の人が突進していく。
「!? 危ないっ!!」
「えっ? うわあああ!」
男の人の腕が女の人の腹をとらえ、力任せに振り抜いた。衝撃で飛ばされた女の人が、すさまじい音と共に、おばあちゃんの店につっこんでいく。
「ふぅ、危ない危ない。あとほんの少し深く入ってたら、ヤバかったとこだ。せっかくの体だからな、大事にしねえと」
そう言うと、男の人は刺さった二本のナイフを乱雑に抜き、投げ捨てた。
女の人に駆け寄る。どういうわけか、さっきの軍服ではなく、白衣を着ている。
「大丈夫ですか!?」
「ぐっ……」
意識はあるようだが、起き上がれないだろう。威力を殺しても、すぐには立ち上がれないほどだったのだ。
「よくも…」
女の人を抱きかかえながら、男の人に向き直る。
「あ?」
「このお店はさ、森田のあばあちゃんとその旦那さんが、借金してまで建てた、大事なお店で、大事な二人の場所だったんだ。旦那さんが死んでからも、森田のおばあちゃんは休まず毎日、一人でお店をやってた。調子が悪い時も、天気がどんなに悪くたって、ずっと店に立ち続けて、私たちに美味しいお団子を作ってくれたんだ」
女の人を床にゆっくりと寝かせ、立ち上がる。
「だから俺が、その美味しい団子を食ってやるって、さっきから言ってるだろう?」
「手伝いに来た私に、ある時ふと、おばあちゃんは言ったよ。『このお店を続けていくことが、死んだ旦那さんに対しての礼儀だ』って。そんな二人の場所を、そんな二人の想いを。壊すような人は、私が絶対に許さないっ!!」
(よく言ったわ)
「へ? 誰?」
(私の声が聞こえるのね。まずは第一条件クリア、というところかしら)
「?」
(ここよ、ここ)
声のした方に振り向く。さっき寝かせた女の人。いや、違う。女の人がつけている腕輪の方からの声だ。
「もしかして、腕輪、さん?」
(当たり。悪いけれど、外してくれないかしら。そして、あなたがつけてみて)
「あ、はい。少し、借りますね」
女の人から腕輪を外して身に着ける。
(ふむふむ。いい感じね)
「あの、ごめんなさい。今はあなたと話している場合じゃあ…」
(勝てないのに、戦うつもり?)
「!? …勝ちます。いえ、どうしても、勝たなくちゃならない」
(それは、あなたの言ったおばあちゃんのため?)
「それもありますけど、私自身が、嫌なんです。私の周りの人が傷つくのが、どうしても」
(野次馬根性というやつ、なのかしら?)
「ふふ、そうかもしれません。昔から、争い事は嫌いなくせに、争い事を止めたくて、いつの間にか自分がその争いの中心で仲裁をやってしまっているなんてことがよくありましたから。もうこれは、性分なのかもしれません」
(あの男が、やたらと頑丈で、おそらく、貴方の最大の一撃でもあの男は倒せない。それは、貴方ではこの争いを止められないということになる)
「見ていたんですか?」
(あなたが闘っているところを少し、ね。うん、合格よ。まっすぐなあなたの気持ち、理解したわ)
「合格?」
(私が、力を貸してあげる。そして、一緒にあの男を止めましょう)
「ええと、よくわからないけど、力を貸してくれるなら、お願いします」
(ふふ、良かった。これで、私とあなたはパートナーということになるわね。ああ、名乗り忘れてたわ。私は、フェルミ。よろしくね)
「私は、赤桐小春です。こちらこそ、よろしくおねがいします、フェルミさん」
「フェルミ、で構わないわ。だって、私たちはパートナーなのよ、小春?」
「ええと…、うん。じゃあ、これからよろしくね、フェルミ」
「うん? お前、俺達からはぐれたヤツだな。俺達を裏切って人間の味方をするとは、敵ながらいい度胸じゃねえか」
「小春君っ!」
遠くから、喜平次さんが叫ぶ。
「自己の、もっとも強い姿をイメージするんだ! そして、フェルミを心臓のところで構え、『スピン』と叫び、 その場で右回りで半回転。それが、変身の仕方だっ!」
「え? えーと、わ、わかりましたっ!」
(小春、具体的なイメージを頭に思い描きなさい。そのイメージが鮮明であればあるほど、あなたの理想の姿に変われるはずよ)
想像する。
強くてかっこいい私。
いいや、違う。
誰かを、大切な何かを、守ることの出来る私。
「うん。じゃあ、いくよ!」
右の手の甲を心臓のところにかざす。
「スピンッ!」
腕輪が、フェルミが光の粒となって、溶けていく。服も、同じような光の粒を発しながら溶けていた。
左足を軸に右に半回転。全身から光がほとばしり、眩しいほどだった。
光が止み、眼を開けた。
「わあ…」
思わず、声が出た。
白を基調にしながら、ところどころに朱の入った、拳法の道着。胸には、フェルミの腕輪の宝石がある。赤い帯が、良いアクセントになっていて、両の腕には、銀色に輝く腕輪をしていた。
「アルズロート、アルズロートだっ!」
喜平次さんが、何か大きな声で叫んでいる。服に夢中でよく聞き取れなかった。
(やっぱり、私の見立て通りだったようね。色々バッチリよ、小春)
「ありがと。それより」
男の人に向き直った。
「どうしてもおばあちゃんのお団子が食べたいというのなら、お金を出して買って。そして、おばあちゃんの店を壊したことを謝って、私と一緒に、店の修理をして下さい」
「断~るッ! 俺は欲しいものは力づくでいただく性分でな。そして、いつか物は壊れるものだ。それは時に、いとも容易くな。だから、店がどうたらとか、そんなことに、いちいち感傷的になってられねえんだよ」
「わかった。じゃあ、力づくでも謝ってもらう」
「クク、きな。リターンマッチといこうぜ」
男の人に向かって、駆けた。拳を突き出してくる。フェイント込の拳をかわし、綺麗に拳を男の人の顔にカウンターで入れる。
「ぐふぅあ!」
嫌な音と共に、男の人を吹き飛した。
「!? すごいっ!?」
自分の拳をまじまじと見る。当てる瞬間、腕輪から風のようなものが起こり、拳の勢いを殺さずに、インパクトの反動だけを弱めた。実際、顔を殴ったのに、何の痛みも拳にはない。そして、まだわからないが、基本的な身体能力さえ、強化されている節があった。
(ふふ、どう? 驚いた? 変身することによって、私自身は粒子化され、あなたの服や、あなたの体の一部と同質化したの。そして、あなたが望んだようにあなた自身に再構成され、あなたの望む能力を引き出した。これが、私の力よ。まあ、あなた自身の力といってもいいんだけれど)
「ううん。フェルミと私、二人の力だよ。ありがとう、フェルミ。これなら私、思う存分戦えるっ!」
「くぅ~、いてえな。今のは、少し効いたぜ」
むっくりと起き上がった男が、首をゴキゴキと鳴らしながら歩いてくる。
「普通の人なら、気絶しててもおかしくないはずなのに。やっぱり、あの人は人間じゃあないんだね」
(人間よ。耐久とかは、まあおかしいけれど。彼らの倒し方は二つ。頭や心臓などの人間にとって致命的な部分を、跡形も無く破壊すること)
「でもそれって、死んじゃうってことだよね。それじゃあ、駄目だよ。二つ目は?」
(私の力を使うあなたにしか出来ない、いえ、あなただから出来ることよ。私の力は、粒子の結びつきをほどく力。強く願えば、どんな物体も、粒子の塵に返すことが出来る)
「それも、駄目。どんな人でも、私は、生きてて欲しいんだ」
(私も小春には賛成よ。喜平次から聞かされなかったかしら? 私たちは、素粒子となって、遥か彼方の遠い銀河からやってきた。そして、私達それぞれの粒子が核となり、あの男には人間としての肉体を、私には腕輪としての物質体を持たせた。私もあの男も、元はただ一つの素粒子にしか過ぎない。肉体や物質体がなくなっても、私たちは元の素粒子に戻るだけなのよ)
「つまり、腕輪がもし粉々になっても、フェルミという意識は、存在し続けるということなの?」
(ええ。肉体や物質体から解き放たれて、ひどく快適生活よ。まあただ、たまに実体を持ちたいなと思うことはよくあるけれど)
「う~ん」
(小春、あなたが深く悩む必要なんてないわ。私たちは素粒子に戻っても、いずれまた肉体や物質体を持つ。あなたたちのニュアンスで言えば、命はまた巡るって感じかしらね)
「…わかった。まだ納得は出来ないよ。けど、私があの男の人を止められなかったら、これから先も、もっと悲しむ人達が出てくる。なら私は、…あなたを倒すよ!」
男の人に向かって、構える。
迷いは、もう無い。
不意に、何かが、聞こえてきた。
「? 言葉?」
(素粒子の波動の力。私の粒子の波動と、小春の心臓の鼓動が共鳴し合い、言葉を紡いでいるのよ)
「この言葉は?」
(言ったでしょ、イメージが大事だって。イメージが言の葉を生み、言の葉に出すことによって、初めてイメージは生きたものとして具現化する。あなた達のいうところの呪い、呪文のようなものね)
「わかった。何がわかったかは、私と共鳴しているフェルミなら、わかるはずだよね」
(ええ。存分に、やりなさい)
「本当にごめんなさい。最後に、もう一度だけ。こんなこと、もう止めようよ」
「やめられねえな。人間にも、性ってもんがあるんだろう? いわんや、俺をや、だ」
男の人が構える。さっきより、鋭い気を出している。
次の一撃で、決める。それは、男の人も同じだろう。
「ふぅ」
息を吐き、意識を沈ませていく。深海に沈んでいくイメージ。
そこから、飛び上がり、最初に見るイメージ。
一緒に飛び上がった海水がはじけ、無数の粒となり、太陽の光を反射するイメージ。
「……よしッ!」
向かって、駆けた。相手も、同時に駆けている。
「右手に宿す、臙脂の波動ッ! ローズレッド、マーレモートォッ(紅血の波撃)!!」
臙脂色の淡い揺らめきを伴った粒子を右手に宿したまま、拳を突き出す。相手の右手の拳と、正面から重なり、激突する。
「な!? く、くそおおおおおおっ!!」
男の人の右腕が、シュウ―という音を立てながら、溶けていく。水蒸気のような揺らめきも見えた。それは、拳から腕、体へと伝わっていく。
(やったわね! 小春)
「うん、でも…」
(どうしたの?)
「やっぱり何か、悲しいよ」
やりたいように、やった。
記憶すらもう曖昧だが、元の星でも、素粒子だった時も、この星で肉体をもってからも、それは同じだった。
随分、迷惑をかけただろう。それは、わかっていた。
それでも、そういう風にしか、俺は生きられなかったのだ。
恨まれるだろう。罵られるだろう。
今まで、そうだったのだ。
なのに。
「…なぜ、お前は泣いているんだ?」
目の前の少女に、問う。
裏切った輩の力で、俺を倒した少女。両手で、眼を必死に拭っていた。
「わからない。わからないけど、どうしてか、涙が出てくるんだ」
「俺を倒して、すがすがしい涙だろうが、ちょっとばかし歪んだ顔だぜ。せっかくのいい顔が、台無しだ」
「ごめんなさい、ごめんなさい…」
「おいおい、泣かないでくれよ。勝ったお嬢ちゃんは、高笑いでもしてりゃいいのさ。そうしたら、俺の気も、少しは晴れる」
「そんなこと、出来ないよ。私には、あなたを笑えない」
「ふぅ、ガキの御守は苦手なんだがな。……なら一つ、俺と約束してくれねえか?」
「約束?」
「ああ。俺は粒子に返るが、絶対にまた肉体を持って戻ってくる。そしたら、また人間に迷惑をかけるだろう」
「駄目だよ、それは」
「駄目だと思ったら、お嬢ちゃんが俺を止めてくれ。さっきみたいにな。それが、俺とお嬢ちゃんとの約束だ」
「……ふふ、馬鹿だね、あなたも」
「よく言われたような気がする」
「わかった。あなたがまた人に迷惑をかけたら、また私が、あなたを倒す。それで、いいんだよね?」
「ああ。いつまた肉体を持つかは、俺自身もよくわからねえが、まあ、そん時はよろしく頼むぜ」
「名前」
「あ?」
「名前、聞いてなかったから。名前知らないと、わからないでしょ?」
「そいつはそうだな。う~ん…」
名前は、あった。肉体を持つ前に、一人ひとり、名前をもらっていたのだ。
しかし、使う気にもなれなかった。名前を呼ばれることも、呼ぶこともないと思っていたのだ。
まさか、ここにきて使うとは、思ってもみなかった。
「……望月だ」
「へ?」
「なんだよその反応は?」
「いやだって、普通の苗字だったから」
「勝手につけられたんだ。普通もくそもないだろ」
「下の名前は?」
「ない」
「つけられていないから?」
「そうだ」
「わかった。…望月さん、またね」
消えようとしているのだろう。声が、少し低かった。
「ああ、またな」
名前を聞くのを忘れた、と思った。
暴れれば勝手に来るだろう、とも思った。
マーレモート、マーモレート。
半分ぐらいの確率で、間違えます。