particle11:迷いの、なかで(2)
少し、落ち着かなかった。パーティの前日もこんな時が多いような気がしたが、明日は、パーティで無かった。
手元の手紙に眼を落とす。二通あり、一通は東裏様のこの間のお見合いのことについて私が出した返事の手紙に対する返事のお手紙。そこで予定を聞かれ、二通目は東裏様からのお出かけのお誘いだった。
窓から星を見つめた。今日は晴れていたが、それほど星は見えない。
お父様が会社のためを思って受けたお見合いだった。もちろん、私に、拒否権はあった。お父様の力になりたいという気持ちと、私自身にも、結婚願望が多少あったような気がする。それで、お見合いを受けるだけ受けてみようと思った。
お見合いにこられた東裏様は真面目な印象で、ややもすると話しかけづらい印象があった。自分ではわからなかったが、私は緊張していたようで、東裏様にはお見合いを嫌がっているふうに見えたらしかった。それで気まずい空気になったが、突然料亭の庭に変な人たちが現れ、東裏様が私を助けるために怪我をしてしまった。
手紙をまた、見た。助けてくれたことに関して書いてみたが、特に気にしているふうでも無いようだった。
根が良い人なのだろうと言うのは、手紙や少し話しただけでわかった。それでも、何か少し物足りなく感じてしまう。
私を助けてくれたことに、何か意味がある。
そんな風な妄想もたまにしてしまう。そんなわけはないのだ。とりあえず、助けたのだろう。なんとなく、そんな気はしていたし、多分、そうだとも思う。
そうして考えてみると、東裏様の人となりが気になる。もう少し、知りたいとも思う。
急に、携帯の着信音が鳴った。
「もしもし」
(優衣様ですか)
楠美智子さん。私の側で、色々と面倒を見てくれている人だった。
(眠れませんか?)
「はい、なんとなく」
時計を見ると、日付が変わっていた。明日は、朝から東裏様と会う予定があった。
(明日のことで、悩んでおられるのですね?)
「そういうわけでも、ないのですが…」
(お任せください。私が明日しっかり、優衣様をサポート致しますので)
何とも、心強い。ありがたくもあった。
「お願いします。私、あまり男性とどこかに出かけるという経験も無いのです」
父の顔を潰さないために、男女関係はどこか避けていたような気がする。こういうことも、ほぼ初めての経験と言ってもいい。
(お任せ下さい。不肖この楠美、見事にお相手の心をわしづかみにしてごらんにいれましょう)
「え? ええと、はい。お願いします。それでは、明日、よろしくお願いしますね」
電話を切る。
とりあえず、早く寝た方が良いのかもしれない。
もう一度だけ、手紙を読み返そうと、手紙に眼を落した。
朝。本拠地の近くで待ち合わせしていた優衣さんが用意してくれたリムジンに乗り、優衣さんの家へと向かう。
優衣さんの家に着くと、にこやかな女性から、この部屋で待って欲しいと言われ、言われた通りの部屋へ向かう。相変わらず広い家だが、手当を受けた時に一度来ているせいか、特に迷わずに目当ての部屋を見つけることが出来た。
「ここか」
何の変哲もない普通の部屋だ。応接室で構わないと言ったが、案内してくれた女性はそれでは失礼になると言って聞かなかった。何やら、やたらにこにこしていたような気がする。
ドアを開けた。
「へ?」
女性が下着姿で服を持ち、鏡とにらみ合いをしているところだった。私に気づき、顔がこちらに向く。
「東裏様ッ!?」
優衣さんだった。多分、間違いない。間違いであって欲しいと思うところではある。
「あ、あのっ…!?」
「失礼しました。案内の女性の方に言われてきたのですが、どうやら、部屋を間違ってしまったようです。失礼しました」
部屋から出て、ドアを閉める。叫び声を上げられると、弁解のしようがないのだが、幸い、いつまでたっても叫び声は聞こえなかった。
「すみませんでした。お部屋を間違えたようで」
案内した女性だった。申し訳ないと言った顔をしているが、少し嬉しそうな顔でもある。
「いえ、こちらも、優衣さんが着替えているとは知りませんでした。私自身、後で優衣さんに謝りますが、貴方から事情を優衣さんに説明していただけますか。決して、故意ではなかったと」
「かしこまりました。優衣様、入りますよ」
ノックをして、女性が優衣さんが着替えている部屋に入って行く。
応接室で、待たせてもらおう。
応接室のソファーに座りながら、少し考える。
さて、どうしたものだろう。
「最初がこれでは、後が思いやられるな」
(どうしたんですか、先輩?)
耳に入れた小型のイヤホンから、水トの声がした。
左腕にはめた腕時計に話しかける。
「着替えを見てしまった」
(良かったですね)
「良くない。これから、一緒に出かけるんだぞ?」
水トに女性のエスコートの仕方だの話す話題だの色々叩き込まれたが、それだけでは不安らしく、こうして水トの指示を受けることになった。それでも、ある程度だけだ。多少、無理な要求を言ってきそうな予感がある。
(誠意を持って、謝ることです)
「わかっている。あ、優衣さんが出てきた。水ト、指示が必要になれば言う」
(僕は状況を見ながら勝手に言いたい放題言いますので、先輩はよさそうだと思ったら、やってみて下さい)
「わかった。船瀬よりは信用している。ではな」
応接に着替えた優衣さんが来る。丁重に頭を下げた。
「先ほどは、すみませんでした」
「い、いえ。私も、鍵をかけていませんでしたから」
優衣さんも頭を下げている。負けず、頭を下げた。
「優衣様も東裏様も、時間が無くなってしまいますので、そのようにならさず、車にお乗りになってください」
傍らの女性。さっき、案内してくれた女性だった。その女性に促され、入り口まで迎えに来ていたリムジンに乗る。優衣さんを乗せて、私が乗ると、リムジンはゆっくりと動き出した。
「…」
「…」
気まずい。優衣さんは俯いている。まだ、さっきのことを気にしているのだろうか。それも仕方のないことだとも思えるが、ここでまた謝ると、さっきのやりとりを蒸し返してしまうような気もする。
(先輩、何か話してください)
時計を確認するふりをしながら、水トに言葉を返す。
「何って、何をだ?」
(なんでもいいですから。無言が一番マズイですよ。そうだ、ほら、優衣さんの服でも褒めてあげたらいいじゃないですか)
なるほど。
「優衣さん、今日のお召し物も、よく似合っていますね」
優衣さんに話しかけると、優衣さんがびくっと体を震わせ俯く。
何か、不味かっただろうか。
優衣さんが顔を逸らした。嫌がっているのかと思うと、急に顔をこちらに向けて。
「ありがとうございます。少し悩んで時間がかかってしまいましたが、そう言っていただけて、とても嬉しいです」
俯きがちに、優衣さんがそう答える。
嫌われてはいないものの、何か様子がおかしい。おかしいが、それをここで聞くとまた変な空気になりそうなので止めておいた。
「東裏様も、す、素敵ですよ?」
顔を真っ赤にしながら言う、優衣さん。
少しだけ照れるが、何だか微笑ましい。
「ありがとうございます。あまり、スーツは似合わないと思っていましたから」
「そんなことないです。す、すごく、詩的ですよ?」
「詩的?」
「え? い、いえ、言い間違えました」
「ああ、そうなのですか」
「あの、今日は乗馬に誘っていただくというお話でしたが」
「嫌でしたか? ならば、別のところにでも…」
「い、いえっ! そ、そういうわけではなくて…」
首をかしげる。
前に一度会っただけだが、こんなに話す人では無かったような気もするのだが。
手紙ではよく話してくれるので、元々こういう人なのかもしれないが、何だか妙でもある。
何にせよ、会話は続きそうなのでいいことではあった。
「色々な馬がいますから、きっと、優衣さんにあった馬もいると思います。不安でしょうが、わからないところは私が教えられると思いますので」
優衣さんに会うのに合わせて、乗馬経験も一通り済んである。今から行くところも、二度下見に来ていた。
「!? いえ、それは…」
優衣さんが私から顔を逸らし、明後日の方を向いて動揺している。
なんだろう。
そんなに馬が嫌いなのだろうか。
そう思っていると、また優衣さんの顔が思い切り私の方を向いた。
「あ、あのっ!」
「はい、何でしょう?」
「そ、その出来れば、私と、馬の相乗りをしていただけませんか?」
「はい。構いませんが」
やはり、一人で乗れないぐらい、馬が怖いのだろうか。
「あの、優衣さん?」
「は、はいっ!? な、なんでしょうか?」
「馬に乗るのが怖いのでしたら、相乗りでは無く、近くで馬を見ているだけでも構いませんし、他のところでも…」
「い、いいえ。あ、相乗りで。お、お願い致します」
「はぁ…」
いまいち、よくわからない。
訝しがっていたからだろうか。優衣さんがまた俯く。
(先輩、せっかく話しかけてもらったんですから、次は先輩が何か話を振らないと)
優衣さんの死角になるように体を少しひねりながら、水トに言葉を返す。
「と言ってもな。何を話していいのやら…」
(ここは、先輩らしくない、何かキザな台詞を優衣さんに言い放って下さい)
向こう側で水トが笑っているのが見える。
「そんなこと言えるか。お前、遊んでいるな?」
「どうか、されましたか?」
いつの間にか、優衣さんがこちらを見ていた。
「い、いえ。少し、咳き込んでしまったようです。失礼いたしました」
「大丈夫ですか」
そう言うと、ハンカチを取り出してきてくれる優衣さん。
「い、いえ、結構です。本当に、大したことではありませんので」
「そう、ですか…」
優衣さんの声のトーンが落ちる。
さすがに、今の対応不味かった。焦ると、ろくなことにならない。
「…」
「…」
少し、無言になる。
(先輩、ほら、こんな時こそ、キザな台詞です)
馬鹿か。
こんな思い空気の中、そんなセリフが言えるわけがない。
「…」
横目で、優衣さんを見る。俯いて、何かを耐えているようだった。
何か話さなければとも思うが、とっさの言葉が出てこない。話題も、何を話していいか。
くそ。
もう破れかぶれであるが、水トの策に乗ることにする。今の私では、それ以上いいプランがあるようには思えない。
不意に、優衣さんの膝の上に置かれた手が眼に入る。その手を優しく自分の手で取る。
「!? ど、どうか、されましたか?」
「お綺麗な手ですね。すごく、綺麗です」
(そこで、笑顔ですッ!)
ぐぬぅ。
にこり。
少し無理やりに笑顔を作り、優衣さんに笑いかけた。多分、今の私の顔は、あまり誉められたものではない。
「!? あ、ありがとうございます…」
手に取った手を指の方に滑らせる。
「爪も、同じくお綺麗だ。手入れされているのですか?」
「え、ええ、少しだけ」
「手は心が表れると言います。その通りなのですね」
とりあえず、もう限界だ。これ以上は、精神が持たない。
優衣さんの手から、手を離す。
その手を、今度は優衣さんが握ってきた。
「!?」
とっさに、握られた手を引く。
「あ…」
「あ」
驚いて手を引いてしまったが、これはマズイ。
「あの、嫌でしたですよね…」
「い、いえ。その、少し、驚いてしまっただけです。すみませんでした」
ゆっくりと手を優衣さんの方へ手を伸ばす。優衣さんもその意図はわかってくれたようで、おずおずと私の手を触ってきた。
「やはり、大きいのですね」
「誰かと比べるようなことはしたことがないので、どの程度かはよくわからないのですが」
「それでも、私よりはずっと大きな手です」
そう言うと、くすぐったいような、じれったいような風に、優衣さんが手を触る。
そうしながら、牧場に着くまで、車内で、手相の話を水トから聞き、その場で優衣さんと話し合った。
牧場に着く。辺り一面は草原と林で、周りを見渡せば、一面緑の山だった。ここは、穏健派の所有する土地の一つだ。
先に車から降り、優衣さんの手を取り、車から降ろす。優衣さんが手を握ってきたので、驚いたが、何も言わずそのまま握り返す。車内のこともあって、抵抗はあまり無くなっていた。
乗る予定だった二頭の馬が引かれてきたが、私が乗る予定だった馬に優衣さんと相乗りする。
「今日は、頼むぞ」
馬にそう話しかけると、一度いななく。前回乗った馬で、我慢強い気性らしく、気は合っていた。
「ゆっくり歩きます。馬の動きに合わせて、乗るようにしてください」
「わかりました」
ゆっくりと並足で牧場の芝生の上を駆けていく。広い敷地で、柵は一応あるが、よほど走らなければそこまでは行かない。軽い振動が、心地よくはあった。
「あの」
少し歩いたところで、背中から優衣さんの声が聞こえた。
「はい。何でしょうか?」
「この前、幼いころに家族を失ったと聞きました。それで、疑問に思ったことがあるのですが、聞いてもよろしいですか?」
「構いません。答えられることなら、何でも答えますよ」
馬に、足で、少し歩調を遅くするように伝える。
「家族を失って悲しかったと思います。そのような時は、家族を持ちたくなるものなのではありませんか?」
何故結婚しなかったかということだろうか。確かに、結婚していないから、優衣さんとお見合いをしたのだ。深い事情はともかく、表向きはそういうことになっている。
「そうですね。部下もいましたし、尊敬できる上司もいました。それに…」
「それに?」
「家族以外にも、これまで何かを失うことは、何度もありました」
馬を止め、優衣さんに振り向く。
「だからでしょうか。私は、失うことに、慣れてしまったのかもしれません。そんな私が、家庭を持つ。それは、家庭に対して不義理になるのではないかと思ったのです」
「…」
優衣さんから帰ってくる言葉は無い。
(先輩、今のだと誤解されてしまいます。何か、フォローを)
水トの声が聞こえたが、無視した。
何を言いつくろうが、本心だった。未来の自分まで騙しおおせるとは、思わなかった。
馬が一度いなないた。足で伝え、またゆっくりと馬が歩き出す。
不意に、背中に、体重が少しかかる。
腰に、手が回されていた。
「優衣さん…?」
「…」
話しかけると、抱き着く力が強くなる。
「怖いですか?」
「…はい」
「すみませんでした、あまり早く駆けないように注意はしていたのですが」
足で馬に意思を伝える。馬が止まった。
「止まりましたから、、大丈夫ですよ」
しかし、優衣さんは抱き着いたままだった。
「? どうしましたか?」
「今…」
「はい」
「今、貴方がいませんでした」
「!? …大丈夫です。今日一日、私は優衣さんと一緒にいるつもりです。何も言わずに、どこかに行ったりしませんから」
「…はい」
そう言うと、ゆっくり抱きしめる力を緩めてくれた。何も言わずに、また、ゆっくりと馬を歩かせる。
「一つ、最近読んだ物語の話を聞いてくれますか?」
馬に揺られながら、優衣さんに話しかける。
「聞きたいです」
「あまり、面白い話でもありませんが。昔、あるところに、一人の男がいました。その男は奴隷で、悲惨な日々を過ごしていましたが、ある時、別の一人の男が、奴隷を全て解放し、男も自由の身になりました」
「良かったですね」
「はい。それで、男は助けた男に恩義を感じ、その男のために自分の命を使おうと決めました。そうしている限り、男は、生きているいう実感を得られると思ったのです」
「その方は、自分を救った人のために命を捧げられる、立派な方なのですね」
「立派なのかどうなのか。多分、そう考えているのが一番彼にとって楽だから、そうしているのでしょう。他の生き方があるとも思えませんが」
「なかなか、そんな生き方が出来る人はいません。やっぱり、その人は立派なのだと思います。それで、その人はどうなったのですか?」
「それが、そこで読むのを止めてしまって。その後、その男がどうなったのか、わからないのです」
「少し、気になったので、残念です。もし、また読んだら、どうなったのか聞かせて下さい」
「はい、必ず。それよりも、私は、優衣さんの話が聞きたいです」
「私の、ですか。何を話せばいいのか」
「なんでもいいのです。日常の些細なこと。前に、手紙で書いてくれたような」
「取り留めもない話です」
「構いません。聞きたいですから」
「そこまで仰るのでしたら…」
優衣さんが話し始める。それを馬上で聞きながら、さっきの優衣さんの言葉に、何故自分が動揺したのかを、考えていた。




