particle10:ふたりと、ひとり(5)
風を切って、飛んでいく。
眼下には、ミニチュアになってしまった世界。鈴花の背に負ぶさりながら、ただじっと、流れる風景を見ていた。
鈴花はいつも、こんな世界にいるのだな。
少し、羨ましい気もする。
「あのさー、ちょっと聞きたいんだけどー!」
飛びながら、鈴花が叫ぶ。お互いインカムが無い今、切り裂いていく風の音に負けないように声を出すには、叫ぶか止まるかしかない。
「何だー!」
鈴花の背中から、答える。鈴花よりは叫ばなくてもいいが、叫ぶと腹部が痛む。しかし、答えないのも嫌だった。
「―!」
鈴花の声。風の音にかき消されて、よく聞こえない。
「何ー!」
(鈴花はね、『さっきの、私としては面白いからいいと思うのだけど、でも、実際どうするのよ?』って言ってるわ。全く、お節介焼きさんなんだから)
「ー!!」
ルーオが代弁する。ルーオの声は、直接頭に響いてくるので、風の中でも聞きやすい。そして、鈴花が何か叫んでいた。ルーオを罵倒しているのだということは、想像に難くない。
「どうするも何もない。借りが一つあるだけだ。それ以上のことは、何もない。鈴花には、そう伝えてくれ」
(了解かい~♪)
そう。
これは、ただの借りなのだ。
それも、ただ負傷したところを運ばれたというだけの。
しかも、運んだのが敵だ。
敵に、助けられた。
不甲斐ない。自分の不甲斐なさは、これまで幾度も痛感してきた。
しかし、今回は、不思議と惨めな気持ちもあまり無かった。
混乱しているからだろう。
好きだと、言われた。
死ねと言われた方が、良かったような気もする。その方が気が楽だった。
何故、私なのだろう?
どうせ、昨日何か悪いものでも食べたに違いない。おそらく、最近、車に激突して頭を打ったのだ。
好きという、気持ち。
それが、よくわからない。
ゆかりさんは、好きだ。そして、小春や藍や鈴花も、好きなのだと思う。
そういう好きならば、わかる。大切にしたいとも、思う。
しかし、女性が男性に向ける、いわゆる好意というものが、よくわからない。
あまり、男性と接したことが無かった。
幼いころから、両親と共に修業し、最低限必要な教養や知識はそこで学び、後は独学で勉強した。私が暮らしていた周辺の山一帯が、忍びの一族の里であり修業の場だった。そして、一五を過ぎれば、仕事のために里を出ていく。
代々の隠忍の家系で、汚れ仕事が専門だった。依頼主の要請で、人を脅したり、殺したりする。里を出て、三年隠忍として仕事をしていたが、嫌気が差してきていた。見の当たるところで、仕事がしたい。それで、研究所の特殊職員の募集を受けた。
男性と接する機会など、里の中でほんの少しの会話をするだけだったし、別に性別で意識して会話したことも無い。
これから、どうすればいいのだろう。
告白されたことなど、一度も無いのだ。
また、ゆかりさんに相談してみよう。
多分、こういうことでも、嫌な顔をせずに話を聞いてくれる。
お世話になりっぱなしなので、今度何かしたかった。
あの軟派な男。確か、船瀬と言っていたような気がする。
今度会う時、返事をくれと言っていた。
正直、どう答えていいかわからない。
だが、断るにしろ、真剣に考えなければいけないとも思う。
生かされたのだ。
あの時、死ぬつもりだった。
前にも、美奈さんから注意された気がする。
反省はしたが、今回もあの時も、躊躇いも後悔も無かった。私の命なんかで済むならば、安いとも思う。
だが、生かされ、今、生きている。
なら、未来につなぐべきだ。
だから、よく考えてみよう。
眼の前の鈴花が辺りを確認しながら、山肌すれすれに飛ぶ。追っ手がいないか気にしているのだろう。少し、余分に飛んだあと、研究所の駐車場に着陸した。
「初陽さん!」
ゆかりさんが出口から駆けだしてくるのが見えた。小春と藍と、美奈さんと喜平次さんもいる。
「大丈夫!?」
「なんとか。悪獣の攻撃を受けた時に、あばらが何本か折れました。あと、少し、臓器の方も」
「大丈夫じゃないじゃないですか!」
怪我や痛みには、慣れている。そういう修業もあったのだ。
「待ってて下さい、初陽さん」
藍が言い、集中する。青い粒子が藍の両手から放たれ始め、その手が鈴花の背中に背負われた私のお腹に当てられた。
「どうですか?」
鈴花の背から降り、少し、腹部を動かしてみる。痛みはまだ少しあるが、動くのに問題はないだろう。
「ありがとう。少しだけ痛むが、ほぼ治してもらった。動きに問題は無い」
「あう…。完璧に治そうとしたんですけど…」
藍が悔しそうな顔をする。集中とイメージがが足りなかったらしい。それでも、もうほとんど治っていると言ってもいいぐらいだ。
「気にするな。今回のことは、私が未熟だったゆえの怪我なのだ。藍が気に病む必要はない」
「はい」
「でも、ひーちゃんが無事で良かったよ。今回はボロ負けしちゃったけど、皆無事で良かった良かった」
(そうね。初陽が怪我して動けないって聞いた時は、どうしようかと思ったけれど)
「捜索隊を待たずに、撤退したその足でひーちゃんを探しに行ったアキちゃんには参ったけどね。命令無視は駄目だよアキちゃん。ま、今回はよくやったと褒めてあげる」
「ふん!」
「鈴花も、ありがとう」
「貸し、一つだからね?」
「わかっている」
「でも、本当に良かった。初陽さんが無事に帰ってきてくれて」
小春の笑顔。やけに、眩しく思える。
「あの」
喜平次さんに近づき、頭を下げる。
「? どうしたんだね、柊君?」
「今回、自分の力不足がよくわかりました。それで、このまま共に戦えば、きっと私は、皆の足手まといになると思いました。でも、私はここにいたい。皆と共に戦いたい!」
顔を上げる。
「だから…。だからこそ、少しの間、休みを頂きたいんです! 自分自身を鍛え直すために。その、修業のために」
言わねばいけないと、今回の戦闘を経て思った。その前から、ずっと感じてはいた。
このままでは、私はどこかで、必ず、この人たちを傷つけてしまう。
でも、逃げたくない。遠ざけたくない。離れて、欲しくない。
だから。
「私に、修業の時間を下さい!」
「許可しますッ!」
美奈さんが肩にポンと手を置き、にかっと笑った。
「でも、出来るなら、なるべく早く帰ってきて。お酒の相手、ゆかりだけじゃあ物足りないから」
「美奈、初陽さんにも飲ませてるの?」
「やべ、バレた」
笑い声が起こる。私も、気づかぬうちに笑っていた。
「少し、寂しくなるが、必ず帰ってきてほしい」
喜平次さんが言う。
「はい」
小春が話しかけてくる。
「いつから修業するんですか? 出来たら、私も一緒に」
「済まない。これは、私自身の、自分の弱さを克服する修業になる。だから、残念だが、小春は連れていけない」
「自分自身との対話なら、そうですね。頑張ってください、私、応援してますから」
「ありがとう。すぐに、旅立とうと思う。定期的に、連絡は取りますので」
「わかったわ。気をつけてね、ひーちゃん」
「はい」
美奈さんにに返事をし、何も持たずに、皆に背を向けた。何も持たない。それが、今の私にはちょうどいいと思う。
「初陽」
隣を歩きながら、静かな声で、鈴花が話しかけてくる。
「皆には黙っているけれど、あたし、期待しているから」
「何を?」
「とぼけるんじゃないわよ。まあいいわ。貸しは、それを聞くことで許してあげる。時間もたっぷりあるんだし、ゆっくり考えなさいよね」
絶対に楽しんでいるだろう。鈴花らしくもある。
「何の事だか」
わざととぼけて見せた。鈴花は、いたづらっぽそうに笑いながら足を止めた。
「初陽さん!」
ゆかりさんが、息を切らしながら駆けてくる。
「急に修業をするって聞いたのは、驚いたけど、初陽さんがそう決めたのなら、私は何も言いません。でも、一人で寂しくなった時は、遠慮なく私に電話してきて下さいね?」
「はい。ありがとうございます。ちゃんと、電話します」
「いってらっしゃい、初陽さん」
「はい。行って参ります。必ず、戻ります」
ゆかりさんに握手し、一礼した。
振り向き、歩き出す。
色々、整理しなくてはいけない。
自分の心を。
もやもやとした思いを抱きながら、山道の中を分け入っていった。
初陽さんが修業でどこかに行ってから、数日が経った。ゆかりさんによると、定期的に連絡はあるらしい。私はまだ、初陽さんとは話せていなかった。
あれから、敵の動きも無い。それは不気味なことで、何故なのか、喜平次さんや美奈さんが考えている。
初陽さんが悩んでいるのは知っていた。知っていながら、初陽さんの力になれない自分が悔しかった。それでも、初陽さんは修業すると言った。ならば、何かを掴んで戻ってくる。そんな気がしていた。
「小春ちゃん」
隣の席の藍ちゃんが声を掛けてくる。
「? どうしたの?」
「うん、それが、今日、私達のクラスに転校生が来るって噂があるの」
「ああ、だからかぁ」
何だか教室が騒がしい。皆、浮足立っている。よく耳を澄ませば、どんな子がくるのだろうかとか、男の子なのか女の子なのかとか、そんな声も聞こえてくる。
「わたしも、さっき噂で聞いただけなんだけど、転校生の子、外国人の女の子らしいよ?」
「へぇ、そうなんだ。日本語、通じるといいなあ…」
「ふふ、通じると良いよね」
「はい、皆席に着いて下さいー」
穏やかな声で、担任の矢入先生が教室に入ってくる。
「えー、今日は転校生がいます。じゃあ、二人とも、入ってきてー」
「二人?」
ざわめいていたクラスが、さらにざわめく。
学校の制服を着た一人の女の子が、私達の教室に入ってくる。
「あれ、一人?」
しかし、よく眼を凝らしてみると、何やらおかしい。ぶれているというか、何かが。
その子が教壇に立つ。突然、その体が右に曲がったかと思うと、全く同じ顔をした別の女の子が、体を左に曲げていた。
「ぶ、分身したッ!?」
教室が一瞬、静かになり、さらにざわつきだした。一人の女の子は笑顔で、もう一人の女の子は無表情だ。
「小春ちゃん、あの二人って…!?」
藍ちゃんが指さしたその二人の女の子が、同時に黒板に字を書きだす。書く字は、そっくりだった。
「…私はディア」
「アタシはウィデア!」
「「よろしくお願いします」」
チョークを持ちながら、二人は黒板の前で奇妙なポーズを取る。
「ディアちゃんとウィデアちゃん!?」
思わず、席を立つ。
「…と、いうわけで」
「よろしくねッ、小春、藍ッ!」
初陽修行編が地味に始まります。ちょくちょく出てきますが、本格的な再合流はもう少し後です。




