particle1:だから、私は(1)
考えることは、多くあった。
考える時間は、それ以上に、あった。
凄まじい速さで、小石とすれ違う。時々、大きな塊もある。一瞬、何かの色を持つ時もある。
(報告致します。目標の惑星まで、あと二十光年ほどの距離です)
(方向は、合っているな?)
(はい、先んじて同胞が到着しております。微弱ながら、通信と思われるものも受け取りました)
(そうか)
(いよいよですね。長かった。ようやく、この黒い空ともお別れです)
(違うな)
(違う、というと?)
(別れではなく、出会うのだ、我らが輩と歩む時とな)
(はっ!)
(到着の準備は怠るな)
(かしこまりました)
ざわついていた。
それも、無理も無い。
始まるのだ。
「森田のおばあちゃん、これはここだよね?」
「そうそう、それはそこだよ」
「そして、これはここ、っと」
「そうそう。高いところは気をつけるんだよ」
背伸びをして戸棚の上に積まれたダンボールを取る。
「それにしても、やっぱり重いね」
「そりゃ、袋にいっぱい練粉が入っとるからね。その袋が箱いっぱい。おかげでこの様さ」
森田のおばあちゃんは、曲がった腰をとんとんと叩きながら、誇らしげに笑った。
「長い間、こうしてたんだもんね、すごいよ」
「ほっほっほ、誉めても団子は三本までだよ」
「あはは、バレちゃったか。でも、すごいと思ったのは本当だよ」
「小春ちゃんみたいに美味しそうに食べてくれるお客さんがいる限り、止められないよ。まして、こうして手伝ってもらってるんだ。さて、そろそろ休憩にしようか。団子、できとるよ」
「やった。おばちゃん、私、うぐいすとあんこと醤油、一本ずつね」
「あいよ」
山道を登る。曲がりくねった道で、しばしば助手席の荷物が揺れた。
駐車場にワゴン車を止め、入り口に向かう。警備員に挨拶をし、カードキーと網膜照合を済ませ、中へ入る。
エレベーターで、地下三十五階へ。乗っている間、何か思い浮かんだ気がしたが、それが何かわかる前に、エレベーターは目的の階へ着いた。
「おはよう、武内君」
「あ、桑屋さん、おはようございます」
「さっそくだが、報告を見せてもらえるかね?」
「はい、こちらに」
資料を渡され、ざっと眼を通す。
あるページで、折れ線のグラフが異常な値を示していた。
「…これは、祭りだな」
「他の研究所にも問い合わせましたが、一部を除き、皆、同じような結果が得られたということでした」
「頭が痛くなるな」
「いよいよ来た、ということでしょうか?」
「間違いない。適合試験の方は?」
「データは、こちらに。あとは、フェルミさんから聞いた方が良いと思います」
「わかった。引き続き、観測を頼む」
隣の部屋に入る。フェルミの実験と測定は、いつもこの部屋を使っていた。
「片付いてるな」
部屋を見回す。フェルミは、見当たらない。いつからか、フェルミの方から、こんな余興をするようになっていた。少し、煩わしいと思うところではある。
「やれやれ」
引き出しの中、機材の影、果ては机の裏まで、隅々を探す。前は、ゴミ箱の底に隠れていたのだ。
「…そこか、今日は。毎度言うが、こんなことはもう止めてくれ。時間の無駄の何者でもないだろう?」
(データは、もう確認したの?)
「ああ。一人、いたみたいじゃないか」
資料をパラパラと捲りながら、木彫りの猫に話しかける。今日は、割と分かりやすい方だ。
(ええ。これまでで言うなら、一番よ)
「流石に決めないか。お前と私の実験に付き合ってくれる被験者は、そう多くない」
(私が、あなたをからかっている、とでも?)
「……正直に言おう。実際のところ、私はお前のことを、まだ今ひとつ、読み切れていないのだ。お前が人類に力を貸してくれているのは知っている。それを、感謝もしている」
木彫りの猫の首輪、いや人が付ける腕輪だが、その腕輪についた宝石が、一瞬キラリと光った。
(あなたらしくもないわね)
「今日、世界中の観測所で、普段見られないほどの数の素粒子が観測された」
(……そう。いよいよ、きたのね)
「時間が無い。お前の言う通りならば、恐らく、数日中に、何らかの動きが起こるはずだ」
(私、あなた達の言い方で言えば、妥協が出来ない人なの)
「お前の求めるものは、知っている。だが、それは、人間には無いものだ」
(ふふ、嘘ね。実際、私は実験で何度も人間の心に触れた。人間は、誰しも皆、その想いの片鱗を持っている)
「だが、お前が望むほどは、無いのだろう。それが、人間なのだ」
(何度、このやり取りを繰り返したかしら?)
「私がお前と出会ってから、三十八度目だ」
(出会うだなんて、あなたも少しは、そんなロマンという字を棒で無理やり作ったみたいなことが言えるのね)
「さっきも言っただろう。もうこれは、私とお前だけの問題では無い、人類の問題なのだ」
(……わかったわ。なら、もう一度だけ。それで決まらなければ、今回の子に決める。それでいいわね?)
「ああ、頼む。被験者は、すぐに集めさせよう」
(この際だから、ずっと疑問に思ってたことを一つ、聞きたいのだけど)
「なんだ?」
(何故、そこまで人類の味方が出来るのかしら?)
「評価されたい、賞賛を受けたいという回答では、不満か?」
(いいえ。でも、あなたも私も、大概歪んでいるわね)
「歪んでいない人間など、いない。お前の望むような人間などはな」
(人間を信じる私と、人間を信じないあなた。ふふ、少し、笑ってしまうわね)
部屋を出た。
いつの間にか、体が汗でぐっしょりと濡れていた。
何の汗かは、考えたくも無かった。
真っ暗だった。
二度、景色が明滅した。
膝をつく。
地面が、あった。
床だ。指で、ゆっくりと触ってみる。
つるつる、している。
手が見えた。少し離れたところに、膝も見える。
「……」
ポタポタと、水滴が落ちてくる。
右手で、左の眼を拭う。姿勢が崩れ、床に倒れた。
体が、重い。
また、涙がこぼれた。
しばらく、そうしていた。
ゆっくりとうつ伏せになって、両手を付き、膝をついて、右の足の平を床に付かせる。 両手を床から離すと同時に、左足を床に付き、背筋を伸ばす。
少しぐらついたが、問題は無かった。
立っている。
体にかかる、重力。
また、涙が出そうなところを、こらえた。
よろよろと近くにある服を取り、着替える。
足取りも、いくらかしっかりしてきた。
目の前のドアノブに触れる。
手が、震えていた。
体が震えている。そんなことに、今更気付いた。
こんな時は、深呼吸をするらしい。
息を吸い、大きく吐く。二度繰り返すと、体の震えは止まった。
「喉が、乾いたな」
言いながら、笑っていた。
浅ましいものだ。
肉体とは、かくも浅ましいものだったか。
「ふ、ふふふふ…。ははははは!!、ごはっ!?」
思わず、咳き込む。
やはり、水が足りない。
「まずは、水。何よりも、水だ」
目の前の扉を開き、歩き出した。
粒子少女、始めました。
完結するといいです。