particle8:真夏の、バカンス(2)
「コーヒー、どうぞ」
「ん? ああ、ありがとう、武内君」
武内君から渡されたコーヒーを一口飲む。風味も温度も絶妙な淹れ加減だった。
「静かですね」
武内君が呟く。確かに、静かだった。研究所はいつも通りではあった。しかし、小春君達が来てからと言うもの、なかなか賑やかになってきてはいたのだ。小春君達は今頃、鈴花君の家族が所有する別荘の近くの海で、休暇を楽しんでいるだろう。
「武内君は行かなくて良かったのか? 君の仕事は私を含め、他の者に任せても良かったのだが」
「貧乏性なんです。何かしていないと、落ち着かなくなってしまって。休暇なんてもらっても、自分の仕事が気になって、それどころではありませんから」
コーヒーを飲み干し、椅子を回転させ武内君に向き直る。
「君には感謝している。フェルミと出会って今の計画を立ててから、君にはずっと苦労をかけてしまっている」
「そんな」
本当のことだった。私自身がこうして研究に没頭できているのも、小春君達が戦えるのも、裏方である武内君のサポートが無ければ、どこかで破綻してしまっているだろう。
「でも、小春さん達がいないと、何だか寂しいですね。昔に戻っただけなのですが」
「確かに、そうだな。やはり、人間は欲深い存在なのかもしれん」
「フェルミさんと、そんな話を?」
「うむ。昔はよく、フェルミと共に人間の愚かさについて語っていたよ。もう少し、他に何か話すことは無かったのかと、今は少し後悔している」
「今は、小春さん、藍さん、初陽さん、美奈と、随分賑やかになりましたからね」
武内君が飲んだカップをお盆に乗せる。不思議と、パソコンに向かう気はまだ起きない。
「皆、一癖ある子達だな。それも、興味深いところではあるが」
「何でも観察対象として見てしまう。あまり、そういうことは本人達の前では言わない方が良いと思いますよ」
「気をつけよう。武内君から見て、あの子達はどう見える?」
「私から見て、ですか?」
「うむ。西織君から聞くのも良いが、君からの意見も聞きたいのだ」
武内君は少し悩んだ顔をする。
「そうですね、皆良い子だと思いますよ。鈴花さんは何だかんだ言っても、責任感の強い子ですし。ルーオさんも、そこのところをよく理解して鈴花さんと接している気がします」
「確かに、彼女は、悪態をつきながらも皆のことを考えているな。少し、本心がわかりづらいのが玉にキズだが」
「照れているんだと思いますよ。逆に、初陽さんは、本心がわかりやすいですかね。表面上は冷静に見えても、意外に怒りや悲しみなどが顔に出やすい。それだけ、感受性が豊かだと言うことですが」
「繊細な心の持ち主だと、私も思う。知らず知らず、随分と傷つけてしまっているというのも、理解はしているつもりだ」
「初陽さんに関しては、私も力になりたいと思っています」
「すまない」
「いえ、なんだかほうっておけないので。小春さんより年が近いせいか、妹のように感じられることがあるんです」
「そうか、よろしく頼む」
「話の続きですが、小春さんは、なんだか少し危なっかしいですね」
「どの辺りが?」
「藍さんからも聞きましたが、とにかく、困っている人や物事を見ると放っておけない。しかも、自分が主体的に参加しようとする」
「正義感があって良いと思うが」
「しかし、このままいくと、どこかで、小春さんの限界を超える事態も起きうるはずです。そうなった時、小春さんがどうなるのか。それを考えると、やはり少し危なっかしいところがあると言えます」
「ふむ。フェルミも、同じようなことを言っていた」
「私達が注意深く見ていてあげるしかないのかもしれません」
「そうだな。十分、注意することとしよう」
「しかし、別な意味でもっとも危ういのは、藍さんですね」
「? ほう? これは意外だな」
「二人から色々聞いてみたのですが、藍さんにとっての小春さんは、特別な存在のようです」
「特別と言うと?」
「私の予想にしか過ぎませんが、多分、誰よりも大事な。家族よりも」
「ふむ」
「藍さんが小春さんを失った時のことを、私は正直、考えたくないです」
「どうしてかね?」
「藍さんがどういう行動を取るのか、全く予測が出来ないからです」
「ふむ。そう考えると、やはり小春君はよく見ておかなくてはいかんか」
「喜平次さんは今のままで良いのです。そういったことは、私に任せてください」
「そうか。そういえば、美奈君のことを聞いていないが」
「美奈は昔から、裏も表もあんな感じですから」
「ふむ、なるほど」
「コーヒー、おかわり持ってきますね」
「ありがとう」
武内君が席を立つ。やはり、どこか静かだと感じた。
たまには、こんな時間も良い。武内君との会話を反芻しながら、そんなことを考えていた。
昼は砂浜でバーベキューだと、鈴花さんが言っていた。材料や準備にまだもう少し時間がかかるらしく、携帯電話を片手にどこかと連絡を取っている。瀬山さんも近くにいないので、きっと忙しいのだろう。手伝うと言ったが、断られてしまい、それ以上強くは言えなかった。
海では、小春ちゃんが初陽さんと一緒に、海を水蜘蛛で駆ける練習をしていた。バランスを取るのが難しいようで、小春ちゃんが盛大に転んで、その度に波しぶきがあがった。わたしもやってみたかったが、自分の運動神経を考えると、立つことも出来なさそうなので、飲み物を買い出しに行った美奈さんの代わりに、砂浜に広げられたシートの上で、みんなの荷物番をしていた。
「あっ…」
わたし達のシートの上に、隣の集団のシートが重ねられてしまっている。相手は気づいていないようだが、このままだと、お互いの荷物が混ざってしまうこともありえる。
どうしよう。
言った方が良いのかな?
でも、怖い人とかだったら、嫌だなあ。
隣を見ると、凛々しい目つきの男の人が黙々と荷物の整理をしていた。怖くはなさそうだが、理路整然と文句を言い返されそうでで、やっぱり注意しづらい。
その男の人と眼が合う。相手が軽く会釈して、わたしも会釈を返す。そこで、男の人は何かに気づいたのか、わたしの方に近づいてくる。
「すまない。こちらのシートが邪魔をしたようだ」
そう言うと、男の人は、折り重なったシートを自分のシートの側に折り畳む。
良かった、気づいてくれて。
「? 不躾ですまないが、君とは、どこかで会ったことがあるだろうか?」
「え? い、いえ…」
「そうか。すまない、どこかで見たような顔だった気がしたのだ」
「そ、そうだったんですか」
実は、わたしもこの男の人を見たことのある顔だとは思っていた。だけど、変な人だと思われるのも嫌なので、知らないふりをする。
「あー! 隊長ひどいッスよ! あれだけオレと副隊長を怒っておきながら、自分は可愛い女の子相手にナンパッスかあ!?」
「ば、バカ者!? そういうんじゃない! こちらが失礼をしたようだったのだ! 私はただ、それを謝罪していただけだ!」
「へー、それなら良いッスけどー」
「お前と水トには、罰として食事当番を命じていたはずだったが?」
「うおっ、バレた!? あ、あははは、じゃあオレはこれで…」
やたら元気な男の人が、鉄板で料理をしている男の人のところに慌てて駆けていく。料理をしていた男の人は、持っていた調理器具で元気な男の人の頭を一度叩いていた。
「私のところの者がすまない。決して、ナンパなどという気で聞いたのでは無かったのだ」
「気にしないで下さい。わたしも、シートのことは言おうかどうか迷っていたんです。声を掛けてくれて、助かりました」
「そう言ってもらえると気が楽になる。シートの件は今後も気をつけていよう。では、私はこれで」
「はい。それでは」
一度会釈した後、男の人がまた隣で荷物の整理に戻る。
やはり、どこかで見た顔だった。
それがどこか、思い出せない。
「美奈さん、早く戻ってこないかなあ」
何か手持ち無沙汰な気分を抱えながら、わたしは海で遊ぶ小春ちゃんと初陽さんを見ていた。
船瀬と、焼けた鉄板の上で格闘していた。
「おい、ゲソを入れるタイミングが早すぎる。まずは野菜からだ」
イカの足が鉄板の上で音を立てながら踊る。それをコテで掬い揚げ、焼いているキャベツの上に置く。これで、当分ゲソが焼けることは防げる。
「え~、良いじゃないッスかあ。オレ、ゲソ大好物なんスよ」
船瀬が新しいゲソを鉄板に乗せる。それもまた輪切りにした人参の上に置き、蒸し焼きにする。
「お前、つまみぐいする気満々だな?」
新しいゲソは来ない。もう、ゲソの在庫がなくなったようだ。
「だって、オレ達が食事担当になっちゃったわけッスし。はあ、オレも海で泳ぎたかったッスよ」
船瀬が豪快に野菜を混ぜる。そのせいで、さっき私が退避させておいたゲソが、また鉄板の上で色を変える。
「お前が覗きなんかやってたからだろうが。なんで私まで…」
ゲソ達をまた違う野菜の上に退避させながら、船瀬相手に愚痴をこぼした。
「副隊長だってノリノリじゃなかったッスかあ~」
「あれはお前に乗ってやっただけだ」
コテで船瀬の頭を一度軽くこづく。
「いて、あ…」
船瀬が私の腕を見て、苦い表情をし、神妙な態度で再び野菜を焼く作業に戻る。
「どうした?」
「いや、ええと…」
こちらを軽く見ながら、船瀬が口ごもる。
「言いたいことがあるならはっきり言え。気になるだろ」
「…すいませんでした」
「は?」
何のことだかわからない私に、船瀬が続ける。
「副隊長の腕、そんな風になっちゃったの、オレのせいッスから…」
言葉が止まる。そんなことはないと右手を思い切り動かしたいところだが、残念ながら動かそうとしても、うまく動かない。前の作戦で初陽という少女に斬り飛ばされ、その後なんとか繋がったが、元のように動かすには、まだだいぶ時間がかかると医者に言われた。繋がっただけでも、自分としては御の字ではあった。
「気にするな。それに、これは私が不覚を取って敵に斬られたからこうなったのだ、お前の責任じゃない」
「いや、でも、あの少女の接近に気付けなかったッスから。偵察部隊としては、失格ッス」
そう言って、船瀬が黙り、野菜を炒める。ところどころ、野菜が焦げはじめていた。
「その、今回のことで、オレ、本当に自分がこの部隊に向いてるのか、わからなくなったんス。オレがいても、隊長や副隊長に、迷惑がかかるだけなんじゃないかって…」
また、コテで船瀬の頭をこづく。
「いてっ」
「馬鹿かお前は。まあ、馬鹿なのだろうな。それも、めんどくさい馬鹿だ。馬鹿なら馬鹿らしく、うじうじ考えず、思い切りやって思い切り失敗してればいいんだ」
「でも…」
「ふん。お前が役立たずだったなら、とっくに先輩が見抜いて見捨てている。先輩がお前を見捨てないのは、お前がちゃんとやっているところを評価しているからだ」
「副隊長も」
「まあ、クソの役ぐらいには」
「これから、飯なんスけど」
船瀬を無視して続ける。ゲソが、鉄板の上で踊っていた。
「先輩は、決して同志を見捨てない。誰に対しても、どこか評価すべきところを見つけようとする人だ。それは、昔の先輩を知っているから、わかる。だから、お前も胸を張っていいんだ」
「はい…」
鉄板に、水の弾ける音が聞こえた。それをかき消すように、動く左手で野菜を炒める。
「…副隊長」
「何だ?」
「オレ、本気で頑張りますから。隊長や副隊長を支えられるようになるくらい、本気で頑張るッスから!」
「ふん。期待せずに待ってやる」
船瀬が、鉄板の上の焼けたゲソをコテで取ろうとする。だが、焼きすぎたのか、はりついてうまく取れない。
「…副隊長、これ、焦げちゃってますけど」
「野菜も、半分が黒くなっているな」
「これ、食べても大丈夫ッスよね…?」
コテの上で炭化したゲソを見せながら、船瀬が言う。
「仕方ない。また、先輩に二人で怒られるとするか」
苦笑しながら、船瀬が提案する。
「言い訳は、『水着の女性を見ていたから』で」
「却下だ」




