particle6:心に、翼を(3)
「うーむ」
喜平次さんが、持っている資料に記されたグラフを見ながら唸っている。
「うーむ」
また、唸る。研究中の喜平次さんはいつもこんな感じで、良いことがあると途端に別人になったようにテンションが上がる。
(いい加減、諦めたら?)
フェルミがそう言うと、喜平次さんはがっくりと肩を落とす。
「しかしな、何度見ても良い結果なのだ。しかし、何故変身出来ん」
初陽さんとルーオとの相性実験だった。結果は良いらしいが、何故か何度やっても変身は出来なかった。
(だから何度も言ってるじゃない。私達はパートナーを見込んで力を貸すの。パートナーがいかに優秀でも、力を貸す方が嫌なら、変身なんて出来ないのよ)
「わかっている、わかってはいるんだが…」
(はあ、行きましょ、小春。この状態の喜平次に何を言っても言うだけ無駄よ)
「あはは…、そうなんだ」
(ええ、だから、私達はルーオと初陽のところに行きましょう)
「うん、そうだね」
喜平次さんのいる研究室を出て、初陽さんの部屋へと向かう。
その部屋の中から、何やら声が聞こえてくる。
「私の、何が足らないのですか?」
(いやいや、むしろ足り過ぎて困るくらいよ)
「ならば、何故…!」
(だから、何度も言ってるんだけど、私は幼いころから鈴花と一緒にいて、鈴花一筋なの。鈴花さえよければ、それこそずっと一緒にいたいぐらい。ま、鈴花はそういうの嫌がるでしょうけど)
「ぐっ…」
「…後にした方が良いかな?」
(気にするなんて、小春らしくないわよ?)
「そうかな? これでも結構、気にする方だと思うんだけど」
(気にして悩んで、それでも最後はちゃんと決める。そういう子ではあるわね)
「わかってるなら、言わないでよ」
(ふふ、私だって、たまには言葉にしたいときだってあるのよ)
「はいはい。…失礼しまーす!」
あいさつし、ドアを開ける。
「あ、小春」
「初陽さん、組打ち、やってくれませんか?」
「そのために、ここに?」
「はい。たまに初陽さんと組打ちしてないと、体が鈍りそうで。それに、グリードって人に負けたし」
あれは完全な敗北だった。藍ちゃんが来てくれなかったら、私は確実に死んでいた。藍ちゃんには、感謝してもしたりない。
「今日は、止めておこう。そんな気分になれないんだ」
「実験のことなら、気にすることは無いと思います。変身出来なくても、初陽さんは私なんかより十分強いです」
「ありがとう、小春。では私は、これで失礼するよ」
「はい。ではまた」
初陽さんが部屋から出ていく。引き留めたかったが、これ以上、何を言えばいいのかよくわからなかった。
(鈴花に、会いにいかないの、ルーオ?)
フェルミがデスクに置かれたルーオに話しかける。
(会いに行きたいよ。でも、今鈴花はわたしに会いたくないだろうから、会えないなあ)
(自分で自分を鈴花から遠ざけようとしていた。私には、あの時の貴方はそう見えたのだけれど?)
(そうだよ。わたしはね、ずっと小さなころから、それこそ鈴花のおむつが取れないようなころから、ずっと見てきたんだ。だから、ちょっとぐらい、鈴花が一人になる時間も必要だと思ってね)
「だから、わざと鈴花さんを怒らせて」
(あの子は短気な部分もあるけれどね、とても賢い子なんだ。だから、わたしが何故鈴花を怒らせたか、何故私が鈴花と距離を置いたかなんてことも、もうとっくに気づいているよ)
「なら、どうして?」
(うん、あの子、迷ってるみたいだったから。わたしが何のために鈴花と一緒に生きてきたのかとか、あとは自分自身のことね。その辺、一人で静かに考えたいんだろうなって)
(自分自身?)
(ほら、あの子、秋白家の次女でしょ。で、秋白家って、とても有名な家で、それでその家の子供って言ったら、何でも出来て当たり前なわけ。鈴花だってすごいんだけれど、長女の桜は、それに輪をかけてすごいの。それで、小さいころから、鈴花は桜と色々比べられてね)
(優秀な姉を持った妹、ね。よくある話だと思うけど)
(まあそうだね。でもね、母親が病的なまでに桜を可愛がって、鈴花を嫌っていて。ご飯なんか地味に格が違うわけ。お肉の等級が違ってたり、少し量が少なかったり)
「な、なんだかせこいね」
(ちっさい人間だからね。まあそれで、小さいころから母親の愛情に飢えていた鈴花を優しく癒したのがわたしで…)
(その話、長くなるかしら?)
(まあ、話を戻すと、鈴花はずっと自分自身にある種の劣等感を抱いてきた。それで、姉である桜にも負けないように、今までずっと、周りとか家族とか自分とかと闘ってきたの)
「うん」
(そんな頑張ってる鈴花が悩んでいる。そりゃあわたしも力を貸したいわよ。でも、本人がそれを望んでいないのに、わたしがでしゃばることは出来ないでしょ?)
(鈴花が貴方を嫌っているのは、貴方の鈴花への対応の仕方にあると思うのだけれど?)
(いやだって仕方ないじゃない。大きくなってきて、鈴花わたしに全然構ってくれないんだもの。そりゃあんな風にもなりますよ)
「ルーオさんは、鈴花さんと仲直りしたいんだよね?」
(いいえ)
「えっ!? だって…!」
(そもそも、わたし、鈴花と喧嘩したと思っていないもの。多分、鈴花もそうなんじゃないかしら)
「フェルミ、私、よくわからなくなってきたよ」
(それでいいのよ、小春。私も、よくわからないから)
「えーと、じゃあ、ルーオさんは鈴花さんに会いに行かないの?」
(行かないわね。鈴花がわたしを必要とするのなら、喜んでわたしは力になるけれど)
「わかった。じゃあ、今の言葉、今から鈴花さんに伝えてくるね」
(小春ちゃん?)
「だって、ルーオさんは鈴花さんに会いたいんでしょ。鈴花さんだって、それは同じだと思うから」
(あはは、ありがと。良い子ね、小春ちゃんは)
(私のだからね?)
(やだなあ、取らないわよ)
「私、誰のものでもないんだけど。それじゃ、言ってくるね」
(ええ、ありがとう。鈴花によろしくね)
「うん」
研究所を後にして、鈴花さんの自宅に向かう。電話で、鈴花さんは今自宅にいることは確認していた。
「こんにちはー」
インターホンを押し、あいさつする。すぐに瀬山さんが応対してくれて、門が開けられた。そして、いつの間にか、門の前に瀬山さんがいる。
「よくいらっしゃいました」
お辞儀をされ、思わずお辞儀を返す。すぐに、広い庭を通り、自宅の中に入る。
「お嬢様は、お部屋におります。後ほど、お飲み物をお持ちいたしますので」
鈴花さんの部屋の前まで案内され、静かに瀬山さんが去っていく。
「な、何か、緊張する」
(ほら、ファイトよ、小春)
「う、うん」
ドアを二度軽くノックする。部屋の中から返事が聞こえ、ドアを開け、部屋の中に入った。
「ごきげんよう。お久しぶりですわね」
部屋の中には、見るからに高価な調度に囲まれた鈴花さんが優雅に微笑みながら立っていた。
(今日は、普通なのね)
「! な、何のことかしら」
少し、素が漏れている。
前は驚いたが、鈴花さんは普段と素が全く違っていた。学校では普段の方の鈴花さんで、それは崩していない。鈴花さんのお父さんや瀬山さんなど、ごく一部の人だけが知っているというだけだ。前に来たときは、ルーオの前だったから、素の部分が偶然見られたと言ってもいい。
「貴方がたが望むのでしたら、そちらで話しても構いませんわ」
少し、戸惑いを込めながら、鈴花さんが言う。
「えっと、じゃあ、それでお願いします。普段の話し方だと、なんだか身構えちゃうから」
「ふう、わかったわ。ま、あたしもこっちの方が気が楽なんだけどね」
(世間体?)
「そ。他の人には言わないでよね。ま、言っても信じてもらえないだろうけど」
「…あはは、そうだね」
「で、今日は何しに来たのよ? 瀬山、お客様にお茶をご用意して」
「はい、かしこまりました」
どこで聞いていたのか、瀬山さんが食器を台車で運びながら入ってくる。手際よく容器からカップに紅茶を注ぐ。
「どうぞ」
紅茶の注がれたカップを受け取る。鈴花さんにも、同じようにしていた。
「ありがとうございます」
「フェルミ様の分は」
(結構よ、私は、小春が飲んでいるのを見るだけで楽しいの)
「左様でございましたか、失礼いたしました。では、何かありましたらお呼びください」
「ありがとね」
瀬山さんが静かに去っていく。
「で、今日は何の用? あたし、これでも一応色々忙しいんだけど」
「私達の仲間になってください!」
「あ、あんた…。あのねぇ」
鈴花さんがやれやれという顔をする。
「わかってます。断るだろうというのもわかってます」
「なら、何で来たのよ?」
「ルーオさんと仲直りして下さい」
「は? …あはははは!!」
鈴花さんはきょとんとした顔を一瞬した後、大声で笑い出した。
「何で笑うんですか!?」
「あはははは、だって、ねえ。第一あたし達、喧嘩なんてしてないし」
(それ、ルーオも言っていたわね)
「でしょ? あんなの、あたし達にとっては喧嘩でもなんでもないわけ」
「なら、どうしてルーオさんを私達に渡したんですか?」
鈴花さんが急に真面目な顔になる。
「アイツだって、あたしといつまでもいるわけにいかないでしょ。アイツにはアイツなりの目的があってあたしに接してきたんだろうし。長くいる分、すぐわかったのよ。アイツの役割を聞いたときに、すぐわかった。ああ、コイツはあたしに手伝わせたいんだと。でも、同時にアイツはあたしのこともちゃんと考えてくれてる。あたしのやりたいこともわかってて、だから無理にアイツはあたしにアイツの役割を押し付けたりしない。そのために長年付き合ってきたんだろうにね。アイツも、何考えてるんだか」
(鈴花が大事だからよ)
「わかってるわよ、んな事。だからこそムカつくんじゃない。何でもあたしのことわかってるくせして、それでいてあたしに決断を委ねる。いっそ、アイツの方から言ってくれればあたしだって協力してやるって気になるのに」
(よくわかってるじゃない、貴方もルーオも)
「だから、一旦距離を置いたの。あたし以外に、アイツが一緒にいたいと思える相手が出来たら良いと思ったし、ソイツに役割押し付けられるじゃない」
「試してみたけど、無理だった。鈴花さんじゃないと自分は駄目だって」
「情けないわねえ。そんなにあたしが必要なのかしら」
言われた鈴花さんは上機嫌だった。
なんだかいい感じ。
このままいけそうだ。
「だから、鈴花さんが自分を必要とするなら、自分は喜んで力を貸すって」
「…ルーオが、そう言ったの?」
「え? う、うん」
鈴花さんが、肩を震わせている。
あれ?
何かおかしいこと言ったかな?
「ッ!」
鈴花さんが思い切り机を叩く。置かれたカップの皿が音を立てながら小刻みに揺れた。
「アイツ、何様のつもりなのよ! 小春、アイツに伝えなさい! あたしがアイツの上であって、アイツがあたしの上じゃあないの! そこんとこを勘違いしてるようなちんちくりん野郎は、ずっと反省してろって!!」
「え? あ、はい」
「話はそれだけ?」
「う、うん…」
「なら帰って。もう話すこともないでしょ。あたし忙しいから」
鈴花さんがテーブルにおいてあったベルを鳴らす。すぐにドアが開き、瀬山さんが来た。
「お客様のお帰りよ。丁重におもてなししてあげて」
「かしこまりました」
もうこれ以上話すことなどないという剣幕で、私とフェルミが部屋から追い出される。
「お怒りでございましたね、お嬢様。不快な思いをさせてしまい、申し訳ございませんでした」
案内されて歩きながら、瀬山さんが謝ってくる。
「いえ、気にしてませんから」
「あれほどお嬢様が素の部分を見せたのを見たのは、久しぶりでございます。旦那様の前でも、普段はたおやかなお嬢様ですので」
「そうなんですか?」
「はい。小春様には、一度素がバレて、開き直られておられるところもあるのでしょう。少しばかり、勝気なところもございますが、どうか、仲良くしてくださりませ」
「はい」
「ルーオ様がおられず、少し気落ちしているようでしたが、あまり心配はいらなかったようです」
「そうだったんですか?」
「はい。なにせ、お嬢様にとってはルーオ様は家族も同然の方ですから。お嬢様の素があのようになられたのも、ルーオ様のおかげと言いましょうか、原因とでも申しましょうか」
「あ、あはは、そうなんですね」
「ええ。幼いころ、お母様の愛情に飢えておられたお嬢様に、ルーオ様は物語をよく語っておられました。それが、今のお嬢様のように、活発で勝気な女の子が、世界を駆けまわり活躍するお話でございました。それに、幼かったお嬢様は強く憧れを持ち、満たされない心の隙間に、それを息づかせたのです」
「そんなことがあったんですね」
「昔のお嬢様は、それはそれは繊細なお方で、少し気が弱いとでも申しましょうか、とても儚げな印象をお持ちでした。私は、心配いたしました。このままでは、お嬢様はいずれ壊れてしまうのではないかと。ですが、それは杞憂に終わりました。ルーオ様がお嬢様の心の中に、強くいられる自分を作り上げたのです。それから、お嬢様は強くなられました」
「だから、二人はあんなに仲良しなんですね」
「はい。表面は嫌っているように見えても、お嬢様はルーオさんのことを大切に思っておられると思います」
いつの間にか、門についていた。
「ですから、心配することなどありません。お嬢様ならば、きっと良いようにしくれると信じております」
「わかりました。なら私も、それを待ちます」
「はい。お嬢様のこととはいえ、出過ぎた真似を致しました。お許しください」
「そんな。話してくれて、ありがとうございます」
「知っていて頂きたいのです。小春さんは、お嬢様の友達なのですから」
「はい、お話、ありがとうございました。えっと、歩いて帰れますから、ここで」
「はい。お気をつけてお帰り下さい」
鈴花さんの家を後にする。
(話を聞いてると、私達、ここに来る必要、あったのかしら?)
フェルミが、歩きながらの私に問いかけてくる。
「あったよ」
(あら、何かしら?)
「私が鈴花さんのこと、よくわかったもん」
(ふふ、そうね)
そうだ。
ただ、待てばいい。
あの二人は、どこか深いところで、お互いをわかりあっているから。
だから、待てばいい。
「フェルミ、森田のおばあちゃんとこ寄ってくね」
(いいわよ。今日は、醤油?)
「ううん、あんこ」
(む、私も、まだまだかしら)
「変なところで張り合わないでよ」
歩きながら、大きく背伸びした。
空に、手が近くなった、と思った。




